第6話   彼女の全てを欲しがるモノ

 マックスは事態を真剣に捉え、大急ぎで駆けつけるが、後ろを走る兄たちはヘラヘラしていて、マックスが急かさなければ、もっと遅れていたかもしれなかった。


 領地の中心街の大通りを突き抜けていく際、店の前まで商品を届けに来たのだろうか、大きな荷馬車が路肩に停まっているのが見えた。


 荷物のついでに、人も乗れるほど大きな荷馬車で、今まさに誰かが荷台から降りようとしている雰囲気であったが、マックスの視野の端には荷馬車の輪郭が一瞬だけ入った程度で、ゴールデンアーム兄弟妹の関心を強く引く事はなかった。


「爺や、ちゃんとついてきているか」


 マックスが振り向くと、従者の馬の後ろに乗っている老執事が、か細く返事を。普段から馬に乗り慣れていない分、馬を飛ばされると、その激しい振動に、満足にしゃべれなくなっている。


 やがて見えてきた、マックスの屋敷。彼らは従者たちに馬を押し付け、出迎えるメイドたちをすり抜けて、玄関から一目散に、父の話し声が聞こえる応接間へと急いだ。


「父上! ご無事ですか!?」


 マックスは応接間の扉を、思いきり押し開けた。そこには、応接間の大きな椅子に深くゆったりと腰掛ける父と、なにやら愛想よく談笑している痩せた男が一人、父と斜めに向き合う椅子の位置で、浅く座っていた。


(ん……? あの男の顔には見覚えがあるぞ)


 痩せた男が、マックスを見上げた。さっきまで笑顔に細まっていた両目が、大きく見開かれる。


「マックス嬢! 再び相まみえることを、待ち望んでおりました!」


 椅子から立ち上がった痩せた男に、マックスは弓をつがえた。部屋の隅で待機していたメイド数人が一斉に悲鳴を上げる。


「この不届き者め! 父上から離れろ!」


 狩りに使う弓矢を人間相手に構える娘に、父が苦笑しながら椅子から立ち上がった。


「こらこら、やめないか」


「しかし父上! この者はいきなりやってきて、私を娶りたいと! 無礼にも限度があります。両家の血筋とつながりを広める大事な話し合いを、このような形で執り行うものではありません!」


「まあね、私も最初そうは思ったんだけど、彼は遠い国の魔術師だから、勝手がわからないことを、先ほどお詫びされたよ。どうしても、お前と結婚したくて、勝手がわからないなりに勇気を出して、来てくれたそうだ」


 魔術師と聞いて、マックスは面食らった。構えていた弓矢の先を、静かに下ろす。


「魔術師が……? 陛下が独自に集めている職人たちが、なぜ私を……」


 不意にマックスの脳裏をよぎったのは、あの大きな魔術師の男であった。なんでその男が頭に浮かんだのか、マックス自身もわからない。ただ、その男ならば安心できるような気がしたのだ。


(私に会いに、わざわざ、城から……? さぞ遠かっただろうに)


 マックスが男の方をじっくり観察すると、だんだんとその既視感ある顔に、総毛立った。


(えええ!? こ、こいつは……!)


 それは、あの大きな魔術師から研究結果の記載された資料を、盗んだかもしれない男だった。マックスが初めて目にした魔術師にして、挨拶もなく廊下ですっ転びながら、走って逃げていった、あの男だった。


 王女に挨拶もなく逃げていった、その時点で、マックスからの好感度は、かなり下がっていた。おまけに、誰かの研究を盗んだかもしれない……その疑いが消えないとあっては、正義感の強いマックスには耐えられない相手だった。


 すぐさま父に抗議する。


「父上! この男ですよ、他者の研究を盗んだ疑いのある魔術師は。私はこの男の妻にだけは、なりたくありません!」


 マックスの尊敬する父は、こんな男に大事な娘を渡す人ではなかった……そのはずだった、しかし目の前の椅子に座り直す父の顔は、困った赤子を見つめるような、生易しいものであった。


「マックス、照れ臭いからといって、そんなふうに言うものじゃないよ。彼とはしゃべってみたけれど、なかなか面白い男じゃないか。他人の研究を横取りしてまで、利益を貪ろうとする浅ましい男には思えなかったよ」


「照れ隠しなどではありません!」


「だいたい、お前の言っている事は、全部が憶測だろう? 今、彼の研究している『痛み止め』の薬は、学会の審査中であり、もしも誰の手でも作ることができたら、今度の学会のメインとして発表されるそうだ。素晴らしいことだよ」


「ですから、その研究結果が、盗まれたものかもしれないのです。学会というのは、よくわかりませんが、我々のほうでも詳しく調べてみるべきです。そうだ、あの大きな魔術師も呼びましょう! 彼らが探している書類の内容と、照合するべきです」


 マックスの軽蔑するような眼光に凝視されても、男は慣れているのか、動じていなかった。マックスの顔を、ニヤニヤしながら眺めている。その意思疎通の出来なさそうな雰囲気に、マックスはゾッとした。


(この男、持参金やゴールデンアーム家との繋がりが手に入りさえすれば、私の気持ちなどまるで無視……といったところか。おのれ、舐めたマネを!)


 マックスはますますこの痩せた男が嫌いになった。うまく父に取り入ったようだが、それが不信感にさらなる拍車をかける。


 助けを求めるように、マックスは後ろに並んでいる兄たちに振り返った。


「兄上たちからも何か言ってください! 私は、この男の妻だけは嫌なのです!」


 必死に訴えるマックス、しかし兄たちは、父を魅了したその男に興味が湧いたらしく、その瞳には好奇心の輝きが宿っていた。


(うぬぬ、私の話など耳に入っていないのか!)


 一気に味方を失ってしまった。マックスはたまらず、応接間を飛び出してしまった。


 後ろから、父の咎めるような声が響いたが、マックスに思いとどまる気はなかった。廊下を駆け抜け、一目散に自室へ逃げ込もうとする。ところが、老執事率いる使用人たちに、捕まってしまった。


「何をするか! 無礼者! 離せ!」


「旦那様からのご命令です。お嬢様が恥ずかしがって逃げてしまった場合は、全力で捕えよと、申し付けられております」


「はー!?」


 娘の行動など、ある意味では、お見通しだったようだ。


 マックスは再び応接間に連れてこられてしまった。二度と見たくもない、あの男が、ニヤニヤしながら待っていた。


 廊下ですっ転んでいた男とは思えない、堂々とした立ち振る舞いでお辞儀する。


「マックス嬢、どなたかとお間違えであるかのように照れ隠しされたいお気持ちは理解しておりますが、この私が他者の研究を横取りして、利益を得たがる不届きな男でないことは、重々におわかりのはず。学会に提出した書類関連は、すべて私が独自に研究し、永年この心血を、情熱を、研究一筋に捧げてきた賜物。学会で研究が認められれば、この名もなき地位もなき卑しき身分の私にも、確固たる地位を授けられ、マックス嬢とも充分に釣り合える身分が手に入ります。この国での学会に認められる事は、身分も国籍も超えて結ばれる唯一の方法なのです」


「我が家の持参金と、地位が目当てだろ! 嘘ばかりの御託を並べるな!」


「これはこれは、どうされたのですか、マックス嬢。私はあなたとの逢瀬を、生涯この胸に秘めるつもりはありません」


「はあああ!?」


「どうか、あなたの許しなくお父上の前で直訴するこの私を、お許しください。私はあなたと結婚するために、研究に心血を注ぎ、そしてあなたと再び会うために、あの城の招集に応じたのです。これほどまでにあなたに恋い焦がれる男の想いを、どうか正式に受け取ってはいただけませんか」


 マックスの白いこめかみに、びっきりと青筋が浮いていた。


「さっきから何をぬけぬけと、意味のわからん作り話を! お前とは城でたまたま見かけた程度の、ほんの数秒の出会いではないか! お前の言う事は、何もかも嘘まみれだ! お前の妻になるぐらいならば、私はこの弓矢で己の喉笛を突き刺してやる!」


 日焼け止めクリーム程度の、化粧も満足に施していないマックスの顔は、すっかり真っ赤になっている。


 しかし、納得のゆかぬ事に猛然と噛みつく妹の様子は、数年前まではよくある光景だった故に、父も兄弟たちも、特に動じてはいなかった。


「おお、もうこんなに打ち解けて。いつも他人には猫をかぶっているマックスが、こんなにストレートに感情をぶつける相手を作っていたとは、私は知らなかったよ」


「父上! 目を覚ましてください、私は本気です! 本当にこの場で、この矢を喉に突き刺してやります! その前にまず、この男の心臓から!」


「ハハハ、仲良く心中とは、激しいなぁ」


 マックスが屋敷の外の人間に対して、ここまで露骨な態度を取るのは本当に珍しいことだったので、一周回って「仲良し」のレッテルを貼られてしまった。昔から、恋だの愛だのにひどく疎いゴールデンアーム家だったが、マックスはここまで家族のセンスがひどいとは思わなかった。


 誰がどう見ても、こんなに嫌がっている娘に、変な男をよこすだなんて。


(私は父上のお眼鏡にかなう男ならばと、万全の信頼を寄せていた、それは、間違いだったのだな! 父上も兄上たちも、他人の花婿を選ぶセンスは壊滅的だ!!)


 全てに失望し、裏切られ、深く深く傷ついたマックスの胸からは、海を裂くような嘆きと入れ替わるようにして、激しい怒りの炎が……。痩せた男が両手を広げ気味に、マックスへと歩み寄ってくるものだから、あまりの嫌悪感にマックスは利き腕に力を込めて男をぶん殴り、咎める父の声も無視して、暴走する妹を捕まえようとする兄たちの腕もすり抜けた。家族全員の制止を振り切るという、火事場の馬鹿力を発揮したマックスは、そのまま外へと飛び出していってしまった。


 もう誰にも止められない。日頃から鍛えに鍛えているマックスの砲弾のような勢いは、もう誰にも止められなかったのだった。


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