第3話 彼女の言い出せぬコト
その日以来、マックスが王女と顔を合わせる機会は、二度と訪れなかった。父親が定めた男性としか会話を許されなくなった王女が今、どうしているのか、マックスは気がかりだった。王女はおとなしく父の言うことを聞いているのか、それとも、今も泣きわめいて父親と闘っているのだろうか。
侍女たちが鞄の中へ、マックスの荷物を綺麗に詰めてゆく。昨日のミステリアスなドレス姿から、動きやすさを重視したシンプルなイブニングドレスに身支度を終えたマックスは、侍女たちを尻目に鏡台の前でため息をついていた。
願うなら、昨日のことは全て許され、王女がいつも通りであることを……しかし、いつも帰るぎりぎりまでマックスと過ごしたがる王女が今、ここにいないのが、何もかも上手く進んでいない証拠であるのだと、マックスは再度ため息をついた。
気になることは、まだまだあった。螺旋階段を上がってすぐに視界に入った、あの痩せた男が持っていた書類が、今もとても気になっている。
(あのにやけた痩せぎす男が持っていた書類と、あの大きな魔術師が失くしたという書類……何も関係がなければよいが、どうにも疑わしく感じる)
けれども、もうすぐ帰るマックスには、調査したくても時間がなかった。サロンに招かれた客は、サロンが終われば帰宅する。よほどの用事がないかぎり、長居は無用だった。
(せめて姫様にお会いできれば、彼らの名前だけでも知ることができるやも……)
そもそも魔術師とはなんぞや、マックスにはそこからの知識がなかった。
(ああ、モヤモヤする……せめて王宮に信頼できる従者が一人でもいれば、その者に
サロンに呼ばれて、王女に付き添い、サロンが終われば帰るマックス嬢に、忠実なしもべを王宮で作る時間はなかった。
扉がノックされ、マックスが返事をすると、老執事が現れた。
「お嬢様、馬車の支度が整っております。表門の脇に留めておりますので、参りましょう」
「わかった。それでは、荷物を運ばせよう」
マックスが命じると、荷物でふくらんだたくさんの鞄を、何人もの従者が運び出してゆく。
執事の深くシワの刻まれた顔が、その様子をしっかりと確認している。仕事はできるが、それ以外はマックスにとって冷酷にも感じる男だった。
「私は今日、一度も姫様にお会いできておらぬ。帰る前に、せめて姫様にお別れの挨拶を済ませたい。出発の時間をずらしてもらえるよう、父に頼めるか」
「それはできかねます、お嬢様。他のご令嬢の馬車と重なってしまっては、失礼になりますから。優雅に時間に余裕を持って、出立いたしましょう。立つ鳥跡を濁さずです」
「だが……いや、何でもない。そうだな、他の令嬢に恥を搔かせるわけにはいかない……お前の言うことが正しい」
マックスはしゅんとしたが、ため息一つして未練を断ち切り、起立した。その反動で、足の細い椅子が揺れる。
「私も
「長旅となります。毎度の事ですが、王女様のサロンへのお誘いは、厄介なものですな」
マックスは少しむっとする。
「口を慎め。あの御方は、この私がお守りする唯一の御人だ」
はっきりと言い切るマックスに、執事のぶ厚い瓶底眼鏡がキラリと光った。
「いいえ、お嬢様。王女様には大勢の従者がおります。お嬢様の代わりなど、いくらでもいるのです」
「なんだと!」
「そもそも、女性は従者にはなれません。お嬢様にはお嬢様だけの、役割がございます。どうか、ゴールデンアーム家の血筋を繋ぎ広げるため、お父上の進める縁談を、お受けくださいませ」
マックスは鼻を鳴らした。
「縁談だと? そんな知らせ、まだ一件も来ておらぬ。まだまだ先の話であろ?」
「お嬢様も、もう十七です。縁談の件数は、年々増えておりますよ」
「え? 縁談が来ているのか?」
「ええ。それはもうたくさん。侯爵令嬢に求婚したい殿方は、山ほどいらっしゃいますよ。お嬢様がお産まれになる以前よりも、ずっと前から」
……産まれる前では、自分の性格や評判を知る前ではないかと、マックスはがっかりした。
(なんだ……我が家の爵位と血筋だけが目当てなのか。わかっていたとは言え、現実を突きつけられると、味気ないものに感じる)
縁談というものが、急につまらないものに感じたマックスは、家に戻るのが少し嫌になった。駄々を押し通せる年齢ではないが、自分の花婿を選ぶ父には、なにか言わなければ後悔すると思った。
(ん……? 私は父上に、何を言えば……私があれこれと理想の相手の条件を出したところで、父上は聞いて下さるだろうか……)
縁談とはたいがい親同士が決める。互いの利益のために。
ゴンゴンと扉がノックされ、その振動は壁にまで響いた。
「マックス、支度は整ったか?」
「父上」
扉が開かれ、紳士服がみちみちに悲鳴を上げている筋肉もりもりの中年男性が、頭を戸口にぶつけないように背をかがめて入ってきた。その際、大きな肩幅が戸口にぶつかり、せっかく整えたオールバックの金髪が少し崩れてしまった。手櫛で適当に撫でつけながら、体勢を少し斜めにして部屋に入った。
その一連の流れに、マックスは苦笑、父は白い歯が全て見える勢いで大口を開けて大笑いした。
「ハハハハハ! まったくどうして女性用の客間は、こんなに細くて華奢なんだ。体を横にして入れても、この有様だ!」
「私はいつでも出発できます」
「ああ、私もさマックス。さっそく帰ろう。馬車が待っている」
七日かけて馬車に運ばれ、父と共にゴールデンアーム家の領土に戻ってきたマックス。よく整備された太い街道を使い、馬が優雅な足取りで馬車を運んでいく。やがて見えてきた、広々とした大きな屋敷、その手前にはマックスの兄たちが横に並んで、大きく手を振っていた。
「おかえりー! 父上、マックスー!」
「父上、風呂が沸いてますよー! マックスも化粧を落としたら、この辺をひとっ走りしないかー!?」
マックスには兄が多く、その誰もがベストのボタンを何度も弾き飛ばしてしまうほどの、ムキムキ体型。
「兄上たち、また外に立って出迎えを……こういうのは従者の仕事であると、サロンで聞きました」
「なに、お前がそれだけ愛されていると言うことだ。一年に数回といえど、可愛い妹がはるばる遠くまで旅をするんだ、無事に到着し、そして無事に帰ってくることを、祈らない家族はいないんだよ」
そう言われて、マックスは少し身じろぎしながら席に戻った。
「兄上も、父上も、私にそこまで気を遣ってくださらなくても良いと、いつも言っていますのに」
「そんなことはできないさ。我が家で唯一の女の子なんだから、大切にしたいのさ」
白く磨き抜いた歯をピカリと輝かせ、父が笑う。マックスは苦笑しながら肩をすくめた。大事にされ、愛されて育ってきたマックスは、最近それが少し重荷に感じていた。良くない感情だと消そうとしても、「息苦しい」と訴えるもう一人の自分に、とても戸惑っていた。
(家族に不満があるわけではない。だけど、私の胸の内にある気持ちを、思いっきり吐き出しても良い相手が、身内に誰もいない……)
将来の相手を、自分の意思で決めたいだなんて、それは我が家の愛情と繁栄を裏切る行為な気がしてきた。
マックスの閉じた瞼の裏に、なぜだか、あの大きな背丈の魔術師の姿が浮かんできた。仕事で忙しいにもかかわらず、それをおくびにも出すことなく、王女の話し相手を務め、その際とても紳士的だったのが印象に残っている。
「父上、じつは……」
「どうした?」
父にじっと見つめられて、マックスは今日目撃した書類事件の話を、相談しようとした……のだが、男性とのおしゃべりを一切禁止された王女のことを思い出した。自分も螺旋階段を上って、男の詰所に遊びに行ってしまったという後ろめたさが、マックスの声を奪った。
「……あ……」
「どうした? 酔ったか?」
「いえ……大丈夫です、なんでもありません……」
はしたない娘だと、がっかりされるのが怖かった。ただでさえ、剣を持つ事に抵抗がないわけではないのに、これ以上は……。
(はあ、息苦しい……。ひたすらこの辺りをランニングすれば、この気持ちも少しは晴れるだろうか)
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