第2話   彼女の出逢ったヒト

 マックスは、かの者をまじまじと見上げていた。ぺしゃんとした細く繊細な金髪を、肩のあたりでゆるく一つに結んでおり、つぶらな緑の瞳をしていた。指定されている制服だろうか、白を基調としたポケットの多い作業着に、黄色と緑のラインが入った白衣のような衣装をまとっている。膨張色を全体でまとっているせいか、ゆったりとしたマントに身を包んでいるようにも見えた。


 彼の周りだけ、時間の流れが穏やかに思えた。マックスと王女は、彼の方から何か言ってくるのだと雰囲気的に察した。


「ご機嫌麗しゅう、姫様。そちらの淑女レディも、お初にお目にかかる」


 男は一礼して、そう言った。彼のさらさらの金の髪に、天蓋から光が降り注ぐ。


(この場のどんな絵画よりも、神々しく見える……。父上や兄上たちとは、違った雰囲気の殿方だな……)


 マックスの家族は、明朗快活そして豪快で苛烈な性格の家系であった。読書など励もうものなら、山の頂に登って、空気の薄い中、大きく口を開けて大きな声で音読し、暗記した文章をそらんじながら山を駆け下りていく。マックスもそうやって勉強してきた。だから、淑女は室内で静かに黙読するものだと人づてに聞いたときは、大変なショックを受けた。


 男は視線を一瞬だけ空に放った後、合点がいったように金色の眉毛を跳ね上げた。


「その格好は、そうか、今日はサロンがある日だったのですね」


 とたんに王女の顔が輝いた。


「うふふ、違うわ、サロンは昨日で終わったの。今日はサロンを口実に、遠くから来てもらった親友のマックスと、遊ぶ予定なのよ!」


「それはそれは。素敵な思い出を作ってください」


 おおがらな男が、穏やかに微笑する。眉毛は太いし、顎は割れている。何より、顔がでかい。全体的に、ガタイが良い。手も大きくて、本気を出せば喧嘩も強そうだ。だけど、彼はよほどのことが起きない限りは、力任せな事はしないだろうとマックスは思った。武闘派の男が放つ熱いオーラを、この者からは感じなかった。


 それどころか、こんなに大きな体をしているのに、なんだか空気のように、存在が儚く感じる。窓から差し込む日差しのせいだろうかと、マックスは見上げてみた。


 天窓は別段、男の輪郭をあやふやにするほどの、そこまで強い光を放っているわけではなかった。


(では、この男の存在が、自然の光に溶け込んでいるのだろう。ここまで暖かな日の光が似合う男も、そういまい)


 男は王女としばし話をし、背後からやってきた同僚にせっつかれて、キョトンと振り向いた。


「どうした?」


 同僚はすらりとした長身の若者だった。


「どうしたじゃないよ。扉の前で、何をしているんだ? 俺達の研究成果の書類の束が、どこにも見当たらないんだけど、お前どこにしまったんだ?」


「ああ、それなら金庫にしっかりと保管してあるよ。みんなと研究して得た、大切な書類だからな」


 すると、同僚らしき男の表情が険しくなった。


「その金庫に、書類がないんだよ。お前が持ってるのかと思って声かけたんだけど、その様子じゃあ持ってないようだな」


 双方ともに、表情が険しくなった。


「最後に鍵を閉めたのは俺だ。それをお前が開けたんだな、そして書類がなかったと」


「そうだ」


 二人して扉の中へと消えていく。彼らの視界には、すでに王女もマックスも入っていなかった。


 王女が口に細い指を当てて「あらら」と肩をすくめた。


「お仕事モードになっちゃうと、いつもあんな感じなのよね。お話ししてくれそうな、暇そうな人を探しましょう。どこかにいるでしょ。あなたにもお話を聞いてもらいたいわ。彼らとっても面白いから」


 王女はそう言ってマックスを急かすが、マックスの興味もとい心配事は、閉じられた扉の奥にあった。


「マックス?」


「先ほど、椅子に座って書類をニヤニヤしながら眺めていた男……あの者が持っていた書類が、彼らの捜している書類なのかもしれません。情報だけでも、彼らにお伝えした方が良いのではないかと」


「あら、マックスはあの二人がお気に入りなのね?」


「え? い、いえ、気に入ったと言うわけでは……」


「そう? 私はあなたに言われて、初めて書類のことを思い出したわ。人って、興味ないことには、すごく冷めてるものよ。でもあなたのお顔は今、とっても真剣で、ほっぺたも血色が良くなってるわ。何かに熱中している人の顔してる」


 王女が可憐な仕草で扉をノックする。今の彼らは大変忙しいと察しているマックスは、扉から再度出てきたあの大きな男の姿に、大慌てした。


 そんなマックスの横に並び、腕を絡ませ微笑む王女様。


「ねえ、マックスがあなたたちのこと気になるって。かまってあげて」


 男が、不思議そうにマックスへと視線を移した。


(ふええ!? い、忙しい殿方を、気になるから呼びつけるだなんて、そのような失礼なことを、しゃ、謝罪せねば!)


 螺旋階段を上ってきた従者の一人が、何やらジェスチャーしながら小声で王女に伝えた。


 曰く、陛下が様子を見に戻ったと。娘がおてんばをしでかしていないかと。


「まあ! 普段はめったに女性陣のいこいの場へ、足を運ばないお父様が? ねえ聞いてマックス、最近お父様の束縛がひどくなってる気がするの。男の使用人とちょっと長く会話するだけで、眉毛をピクピクさせるのよ? まるで私が誰彼構わず、恋人にしてしまうんじゃないかって、心配してるみたい」


 二人は螺旋階段にヒールの踵を響かせながら下りていった。そして、その姿は国王にしっかりと目撃されてしまった。


 国王は、この階段の上に男ばかりの宮廷魔術師が詰まっていることを知っていた。なぜなら、彼らを集めて研究をさせているのは、国王だからだ。


 可憐な二人がスカートの端をつまんで丁寧にお辞儀するのを遮り、王は二人の行動を咎めた。何の用事があって上の階に行ったのか、来客を放置して友人と遊びに出る王女がどこにいるのか、マックスも娘を止めるべきだ……などなど、お説教が止まらない。


「お父様、私が勝手に退屈して出かけただけよ。マックスは悪くないわ。階段の上にいる人たちのお話は、いつも面白いから、マックスにも聞いてほしくて誘ったの」


 王女はくるくるに巻いた金色のツインテールの片方を、指でいじくりながら説明する。その態度が父の鼻についたのだろう、彼女はその後の人生が最も退屈となってしまう、恐ろしい言いつけを出されてしまったのだった。


「えええー!? 今日から男性と話してはいけないですって? それじゃあ執事は? お父様とは? それもいけませんの?」


 娘の鋭い反論に、その二人だけは例外だ、とだけ言い捨て、国王はマントを翻して去っていった。従者が慌ててその背を追う。


「お父様待ってよ!!」


 王女が金切り声を上げて、それを追いかけていく。途中でハイヒールが脱げたのも気に留めず。


 マックスは、呆然とその背を見送るしかなかった。走って国王を追いかけるなど、はしたない事は許されないから。


「他の殿方との一切の会話を、禁じるだなんて……」


 いくら王女様がおてんばでも、それはあんまりなのではとマックスは胸がモヤモヤした。しかし、どこの誰に、どのように抗議すればいいのか、わからない……。


 螺旋階段の上から、さっきの男性の声が聞こえた。誰かと会話しているらしく、相槌を打っている。


(あ……)


 マックスは階段を見上げた。


(もしかしたら、この階段を使って下りてくるのかもしれない……)


 どうしたらよいか分からないマックスは、とりあえず談話室へと急いで戻って行った。何十分とに行っていた言い訳が、思いつかないままに。


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