第一章  変わりたい少女

第1話   彼女の暮らすクニ

 王宮に招待されている間は、日課の剣の稽古はできない。貴族のご婦人たちと談笑する王女の隣で、マックスも愛想笑いを浮かべていた。話題を振られれば、返答する。彼女たちを逆なでする事は言わず、同調しているふうな無難な言葉を選んで答える。


 彼女たちの話題に、中身がないわけではない。夫を支える良妻賢母としての心得や、政治経済の動きについて、それに関する疑問に解決策……しかしこの国では、女性はあらゆる表側に立つことが許されず、ここでの時間も会話も、机上の空論と消えるだけであった。


(もっと根本的なところから、この国が変わっていけばいいのに。私だって、本当は……女が剣を持ってはいけないという法律に、後ろめたさがないわけじゃない。父上が私のために、特別に陛下から許可をもらっているから、今があるのだ)


 給仕の女性が、マックスのカップに紅茶を注ぐ。丁寧に静かに。揺れる水面に、物憂げなマックスの作り笑いが映りこんだ。


(今、この給仕も含めて、あらゆる女性が本当の夢を語れないでいる……)


 マックスの屋敷に仕えている給仕の少女には、パン屋になりたい夢があった。それは男性しか成れない職業だった。別の給仕は、獣医になりたい夢があったが、それも……。


 二人の夢は、マックスしか知らない。温かい紅茶が注がれたカップをつまみ上げ、静かに口をつけた。


(この国の歴史には、謀反を起こした女が多い。その結果、あらゆる女性は生まれながらに不信感を持たれ、責任ある仕事を任せられることが、なくなってしまったという……)


 自分たちは謀反など起こさない、この国のために働く所存だ、そんな訴えを起こす団体も毎年見受けられたが、世間から全く相手にされない。今ではもう、こういう国なのだと、あきらめている女性がほとんどであった。


 かくいうマックスも、半ばあきらめている。数年前までは熱く反発していたが、自分以外に誰も剣を嗜む女性が現れないこの国で、自分のしている事の意味を、見失いかけていた。


(私は剣が好きで、手に取っている。相手と真剣勝負をする、あの燃えるような時間が好きだ。だから鍛錬している。いつか戦に出ることがあっても、我が家の名に恥じぬよう、無敗を誇って帰ってくる。そのために体を鍛えている。これらが理由では、ダメなのか……?)


 この国では、あきらめることが大人になる条件のように、マックスは感じた。


 美しい薔薇園が一望できるテラスに、麗らかな日差しが降り注ぐ……。


 マックスは、作り笑顔に疲れてきた。お手洗いを装って、この場から抜け出そうと考えた、その矢先、


「ちょっと失礼。お花を摘みに行ってきますわ」


 王女がマックスの手を取り、一緒に連れ立って廊下に出た。


「あ~、退屈だったわ。お父様ったら、サロンでお菓子を食べすぎたら太るぞーって、ヘルシーなお菓子ばっかり用意させるんだもの。生クリームたっぷりのケーキや、バターどっさりなクッキーが恋しいわ」


「あの、お手洗いに行くのでは……?」


 戸惑って尋ねるマックスに、金色のツインテールをくるくるに巻いて、ピンクのリボンでチャーミングに飾った王女の、無邪気な顔が、ニヤリと口角を上げる。


「一緒に来て、マックス。見せたいものがあるの」


「な、何でしょうか」


 白いレースたっぷりのスカートを揺らして、王女が廊下を少し走ってから、マックスに振り返った。


「お父様が遠方より集めた、宮廷魔術師たちの詰め所よ。変な人がいっぱいなの。おもしろいお話も、たっくさん聞かせてくれるわ」


 マックスは困惑しながらも、少し興味を惹かれた。異国の男性の話を、聞いてみたいと思った。しかし、王宮内を勝手に歩き回って良いのだろうかという迷いと、ドレスを着たまま男性陣の職場に飛びこんで良いのだろうかという戸惑いが生じて、素直に同行したいと言えなかった。


「姫様、男の戦場にドレスを着た女は歓迎されません。それに、ドレスを汚してしまうかもしれません。そうなれば、陛下に心配をかけてしまいますよ」


「うーん、そうね……お父様って心配性だから、あなたの言うことももっともだわ。それなら、詰所を遠くから見るだけにしましょ。これならドレスは汚れないわ。ふふっ、私、今日はあなたに彼らを見せたくて、たまらなかったの。昨日はサロンで盛り上がったでしょ? 今日は、彼らとたくさんお話ししましょ」


 眺めるだけではなく、しゃべりにも行くとは。もうすでに矛盾している。


 マックスは苦笑しながら応じた。せっかく王女が計画を立ててくれたのだから、断固拒否するのは忍びないと思ったから。それと、やっぱり自分も少しだけ、彼らに興味があったから。


(異国の殿方は、いったいどのような格好をしているのだろう。私と同じ、黒髪を持つ男性もいるのだろうか……)


 金の髪を持つ者が多いこの国で、黒髪の娘は珍しかった。



「こっちよ。この螺旋階段の上に、彼らの詰め所があるの。でも、この階段が使われることは、少ないわ。彼らは外にある階段を使うことが多いのよね」


 ロングスカートとハイヒールだというのに、信じられない速度で駆け上っていく王女。


(これは上り慣れているな……)


 廊下を振り向けば、柱の影に、王女の護衛の姿が数名。彼らの心労を慮るマックスだった。


 外観重視で造られたのか、螺旋階段を形作る鉄骨素材は、細く可憐で、手すりには小鳥や子うさぎの細工物が遊び跳ね、そして全体的に錆びついていた。足場も細くて、男性の大きな足では爪先での上り下りを強要されそうだった。


(お世辞にも実用的とは言いがたいな。魔術師とやらは、足の小ぶりな者が多いのか? それとも、魔術師の詰め所が急ごしらえで、ここにしか空き部屋を用意できなかったのか? 外にある階段のほうが、使用頻度が高いそうだが、きっとここより上りやすいのであろうな……)


 上りきった王女が軽やかな足さばきで走ってゆく。普段から足腰を鍛えているマックス、慣れないハイヒールで少し苦戦しつつも、王女の後ろにしっかりと続いた。


 彼女たちが階段を上り終え、詰め所前の広い廊下に出た頃に、ようやく王女の護衛が階段を上りだしたのは、スカートの中を見上げないためだろうか、マックス的にはもっと早く王女のそばに来てほしかった。国の要人のそばには、帯刀した武人が立つものだと思うからだ。


 広い廊下には、何人かが持ち寄って飾ったのか、趣向のばらばらな絵画が壁に掛けられていた。いろいろな薬草を葉脈まで細かく描いた物、眼鏡をかけた老人たちを描いた物、数多のビンに詰まった目玉が、びっしりこちらを凝視している物などなど。


 年季の入った棚も、高さにばらつきが。鈍器になりそうな厚さの本がぎっしりと詰め込まれており、背表紙には異国の文字が刻印されていた。


(これらの本は、何かの資料だろうか? 魔術師とは、どのような者なのか……これらを見るかぎり、学者のように思えるが)


 廊下の天井には小さな天窓が一つあり、読書したい者に優しい明かりを注いでいた。椅子が三つ並んでおり、左端の椅子に一人の男性が、熱心な様子で書類の束に目を通していた。


「ひひひ、素材の分量まで完璧に記されてやがる……これがあれば、この俺が学会で脚光を――」


「ねえ、何を読んでいるの? それはなぁに?」


 興味津々で近づいてくる王女に、男はようやく気づいて、椅子ごと後ろにひっくり返ってしまった。床に散らかった書類を、手で握りしめるようにかき集めて、脱兎の勢いで廊下を走り去っていった。


 王女が白いほっぺたをぷっくり膨らませて、腰に手を当てて憤る。


「んまあ! 挨拶もなしに、なんて無礼な殿方なの。皆様いつも、私が来たら挨拶してくれて、いろんなお話を聞かせてくれるのに」


 それは彼らの作業を妨害しているのでは、とマックスは思ったが、心の内だけに秘めておいた。


 廊下は絵画ばかりが目立っていて、マックスは扉の存在に気がつかなかった。薬草の絵画のとなりに、庶民の玄関のような素朴な扉があり、それが蝶番をきしませて、静かに引き開けられた。


「んー? なんの音だ?」


 熊のように大きな体格の、ぬぼーっとした雰囲気の男が出てきて、廊下をゆっくりきょろきょろ。辺りを確認したついでのように、マックスと王女の存在に気がついた。


「ん……?」


「……」


「……」


 三人はしばし見つめ合っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る