052 決意
冬……
ダンマーク辺境伯領では開拓地での種蒔きも終わり、来年の麦の豊作を祈ってはいるものの、元奴隷の流入は続いていたのでついに定員に達してしまった。
しかし、これまでに派閥の領地でもフィリップ式農業は広めていたので、仕事もあるからスムーズに受け入れられたと報告が来ていた。
「なかなか止まりませんことね……」
「うむ……」
それなのに、エステルとホーコンは心配そうに夕食の手を止めている。でも、フィリップはパンのおかわりしてる。
「わたくしたちの話、聞いていました?」
「え? あ、うん。聞いてたよ。ゴホッ」
明らかに聞いていない反応だったので、フィリップはエステルに睨まれたからパンが喉に詰まりそうになっていた。
「アレでしょ? 元奴隷の移動禁止令が機能してないっての」
「まだそこまで話はしていないのですが……」
「あ、読み間違えた」
「そこまで見えているなら、どうして陛下の命令が守られないかわかりますわよね?」
「そりゃまぁ……ちょっと待ってね」
フィリップは食事の残りを掻き込むと、お茶を頼んでから続きを喋る。
「そりゃ、どこも生き残りを懸けてるからね。食い
「それはわかりますけど、陛下の命令を無視なんてしたら、よけい領主の命を縮めますわよ」
「じゃあ聞くけど、ここでは、奴隷だった者の正確な人数を把握してるの?」
「もちろんですわ。エリクが来てから……」
「「あっ!!」」
フィリップの質問にエステルが自信満々に答えている最中に、ホーコンまで同時に大きな声を出した。
「ダメですわ。半数近く名前は記載されていませんでしたわ」
「うむ。人数だけだ。それもかなり誤差があった。これでは、陛下の命令なんてあってないようなものだ」
「でしょ? 僕も調べた時に驚いたよ。国民の約4分の1が数字だけだよ。そんなのどうやって止めるんだよ。焦ってやっても意味ない政策だね」
フィリップはお茶をズズーっと飲むと、下を向いたまま喋る。
「正直、この冬が最初の山だ。一千万人以上の人が死ぬ……」
その声はいつもと違って暗い声の上に、とんでもない死者数の予想に驚いて、食堂にいた者は誰しも微動だに動けなくなってしまった。
「殿下は、そのことを知りつつ、今まで行動していたのですわね……」
数十秒の静寂を破ったのは、エステル。姉弟設定も忘れている。
「どうして言ってくれませんでしたの!?」
フィリップの罪を一緒に背負いたかったのだろう。
「言ったらどうしてた? 全員救おうとしてくれたの??」
「そ、それは……」
「全員はどう考えても無理だよ。救おうと思ったら、必ず綻びが生まれる。その綻びとは、内戦だ。もっと血が流れていただろう。さらに、他国が一斉に攻めて来て、帝国人は、半数は死んで半数は奴隷。フフ……なんであいつらは、奴隷解放なんて急いだんだろうね」
「「「「「殿下……」」」」」
「あっ! おしっこ漏れそう!! 席外すね。ごちそうさま~」
それだけ言ってフィリップは走って食堂を出る。その場に残っていた者は、フィリップを心配して黙り込むのであった。
「あの殿下が泣いてましたわね……」
いつも笑っているかニヤニヤしていることの多いフィリップが喋ってる途中で涙を落としたのだから、エステルたちは黙り込み、フィリップは慌てて逃げ出したのだ。
「うむ。アレが本当の殿下なのかもしれないな。国民全てを平等に扱う優しいお方なのだ。多くの国民を救うために少数を切り捨てる決断は、心に負担が大きかったのだろう」
「ですから盗賊を斬った時も、あんな顔を……罪人であっても、本当は殺したくなかったのですわね」
「かもな。優しすぎる……だが、だからこそ今回の件は許せなかったのだろう。我々でしっかり支えてやろう」
「「「「「はいっ!」」」」」
こうしてフィリップの涙から、辺境伯家は一致団結して行動に移るのであった……
翌日、フィリップがスッキリした顔で食堂に入ると、エステルたちの疲れた顔が目に入った。
「なんかみんな眠そうだね。何かあったの?」
フィリップがエステルの隣に座ると、エステルが資料を無言で渡して来たので、ペラペラと目を通す。
「何これ? これ、来年にやることの前倒し案じゃない? そんな余裕ないよね??」
フィリップの言う前倒し案とは、来年に起こると想定している、食糧危機の最中に行う元奴隷の救済プラン。
ホーコンの家臣が食料を積んだ馬車で他領に出向き、その場で炊き出しを行う。それだけでなく、元奴隷も連れて帰るという辺境伯領に多大な負担が掛かる。
なので、無茶振りの多いフィリップでも言い出せなかったプランなのだ。
「エリクが冬でも育つ食料を大量に作らせたから、余裕ができましたことよ。ですわね。お父様?」
「うむ。新型馬車の売り上げも上々だから金もある。昨夜計算し直したら、余裕で持つと発覚したので、実行に移すことにしました」
エステルとホーコンが自信満々で言うので、フィリップは頭を掻きむしる。
「あぁ~! ……僕が止めてもやるつもりでしょ?」
「「「「「はっ!」」」」」
「全員グルかよ……どうなっても知らないからね!」
「「「「「はっ!!」」」」」
察しのいいフィリップは、止めたいけど全員から決意の眼差しを向けられては止めようがない。なので不機嫌そうに許可して、朝食を始めるのであった。
朝食を終えたフィリップは自室に戻ってベッドに寝転び、天井を見詰めていたらエステルが許可なく入って来た。
フィリップが軽く嫌味を言っていたら、エステルはそれを無視してベッドに腰掛ける。
「不機嫌そうですわね」
「そりゃ、僕の完璧な作戦を無断で変更されたら不機嫌にもなるって。あ~あ……修正しなきゃ~」
フィリップがブツブツ言っていると、エステルは顔を覗き込む。
「なに?」
「いえ、もっと嬉しそうな顔をしてもいいと思いまして……何か怒ってます?」
「いや、ぜんぜん」
「いま、目を逸らしましたよね??」
確かにフィリップは目を逸らしたのでキスでごまかそうとしたけど、エステルの出した影のヒモで首をベッドに張り付けられて不発。渋々怒っている理由を語る。
「まぁ仕事が増やされたことも怒ってるけど、えっちゃんが、泣いた僕を慰めに来なかったのに一番怒ってるんだよ」
「あ、それで……つい仕事に夢中になってしまっていましたわ」
「そういうところだよ? 普通、女性が優しく抱き締めてくれるものなんだから。僕、いつ来るんだろうと、深夜まで起きて待ってたんだからね」
「それは申し訳ないことをしましたわ。普通、抱き締めるのですのね……」
エステルは確かに悪いことをしたと思ったけど、フィリップを抱き締めるチャンスにも後悔したけど、引っ掛かることもあるらしい。
「深夜まで起きていたと言いました?」
「う、うん……」
「その後はどうしていましたの? そういえば、朝に見た顔は、スッキリしていたような……」
「泣きながら寝たからスッキリしたんだよ~」
「……本当ですの?」
事実は、フィリップは甘えた勢いでエステルとあんなことやそんなことをしようとしていたので、興奮して眠れなくて娼館に行っていた。
そんなことをエステルの前で言えないフィリップであったが、言い訳をすればするほど疑われるのであったとさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます