第186話

 廊下から慌ただしい足音が聞こえてくる。

 悪魔が施した術下から解放された建物は既に人間のテリトリーとなり、尚斗の結界も解かれたことから日常を映し出した社長室へと戻っていた。

 ただ、戦闘の爪痕だけは元通りとはいかず、部屋の至る所に破壊痕が残ってしまったのはやむを得ない事であろう。

 遠くから聞こえていた足音もバタバタとしたものになりそろそろここに到着するかな?と思われたそのタイミングで入口から顔を覗かす存在達が。


「おや、お早い到着で。報告を待ちきれませんでしたか?」

「ったりめーだろ。で、悪魔はヤッたんだな?」


 先頭で尚斗に詰め寄って来たのは案の定、経好であった。

 真っ先に「悪魔」という言葉が出てきたあたりちゃんと映像で事の経緯を把握していたとみえる。


「ええ、キレイさっぱり。今回の依頼は完遂ですね」

「まぁ……俺らだけじゃぁどうしようもなかった。てめぇの判断は間違いなかったようだ」

「やけに素直じゃないですか、拾い食いした物に当たっちゃいました?」

「犬じゃねーんだよ。その素直になったツンデレを見た時のような反応をヤメロや、しばき倒すぞ!」

「ははは、ところで他の隊員の方とは連絡がつきましたか?悪魔が消滅したのでもう大丈夫なはずですが」

「あぁ、意識を取り戻した隊員と連絡がとれた。気を失っているが全員無事だ、この階のフロアにある各部屋に押し込まれていたみたいでな。今は全員を叩き起こしてるとこだ」

「そうですか……犠牲がなくてよかった……」

「……まったくだ」


 事件は解決したが、40人近い退魔師達がどこに飛ばされたかもわからず悪魔に捕獲されていたのだ。

 捕らえた横から魂を魔界に送るほどの余裕はないとは思っていたが、全員無事だとの報を受け胸をなでおろすのだった。


「ところで尚斗、テメェには―」


 経好の言葉を遮るように掌で遮る尚斗。


「わかってます。この後話し合いの場は設けますので。今は依頼人への説明とご子息の方が先かと」

「……チッ、わーったよ。テメェには問いただすことが山ほどある、逃げんじゃねーぞ?」

「ええ、必ず」


 経好ら近衛家や西園寺家が何を聞きたいかも検討がついている。

 というよりも聞きたいことだらけなのは言うまでもない。

 しかし経好自身も除霊後の後処理で忙しい身、後ろ髪が引かれる様子であるがさっそく戦闘のダメージが残り横たわる経定の下に向かった。

 そして経好の後ろで控えていた兼平と道臣の視線に込められた圧がとんでもないことになっているが、それをスルーし依頼者である惣二郎と宗近の下へと歩を進める。


「神耶君、終わったのだね?」

「ええ、怪異の原因となる悪魔は滅びました。この後異常が残っていないか見て回るつもりですが恐らく大丈夫でしょう」

「神耶さん、ありがとう。君の協力がなければ解決できなかったかもしれない。映像を拝見しておりました、あのような恐ろしい存在に目を付けられていたとは……息子は大丈夫なのでしょうか?」


 宗近に続き礼を述べてきた惣二郎の腕の中には、まだ眠りから覚めない勇利の姿がある。

 隣では眠る勇利を心配そうに見守る帆乃香の姿も、彼らも勇利の事が心配で逸る気持ちを抑えられずここにきてしまったようだ。


「先ほど軽く診させていただきましたが異常は見当たりません、悪魔が何かを残して行ったような痕跡もなかったので直に目を覚ます事でしょう……彼も」


 そうして尚斗が目を向けたのはこちらもまだ目を覚まさない伊織の姿が。


「息子の額に杭を打ち込んだ時は流石に驚きましたが……本当に不思議な力だ。彼……外村君にも悪い事をした……息子と娘を守るために巻き込んでしまったようだ」

「彼を罪に問うことはないのでご安心ください。彼は悪魔の被害者、他者を助けるために自分の身を投げ出せる人間はなかなかいない。しっかり労ってあげてください」

「ええ、わかっています。彼にはしっかりお礼をさせていただきます」

「悪魔に憑りつかれていたお二人は目が覚めた後、私の方で後遺症がないか診させていただきます。中には霊力に目覚め力に振り回されてしまう子もいますので」


 優江の時もそうであったが一般人の体はとても不安定で怪異の影響を受けやすい、厨二病の彼に不思議な力が宿ったとなればどのような反応を見せるだろうかと少し不安な気持ちも過る。


「神耶さん、外村君と勇利を助けてくれてありがとうございます」

「ふふ、いいんですよ。いい子じゃないですか外村君。君と弟君のために体を張った―「神耶さん」ん?」


 言葉少なめに感謝を述べてきた帆乃香にいたずら心が湧いたのか、尚斗が余計な事を口走ろうとしたところで美詞が制止の声をかける。


「野暮な話はだめなんですよ?そっと見守るのが紳士だと思います!」

「ふふ、そうですね。これは失礼」


 言葉の意味に気づいたのだろうかほんのり頬を染めた帆乃香であったが、確かに美詞が言うように下世話な話で掻き混ぜるのはよくないだろうと思い至る。


「やはり神耶さんにご依頼してよかった。今回の件、素人の私でもなんとなくだが分かる。彼の悪魔は日本にいる退魔師では退治することができなかったのでしょう?それどころか並のエクソシストでも無理な存在。私の時のように運命を感じずにはいられない」


 宗近が言うようにここに尚斗がいなければ事件は解決することなく更に犠牲者を増やしていったことだろう。

 宗近自身の時も尚斗が呪いを対処しなければあと数日の命だったという事も踏まえると、とても運命的と言わざるを得ない。


「本当にそう思います。お約束通りとは言いませんが私も先輩と同様、今後は神耶さんの力にならせてほしい。必要とあれば協力は惜しみません、今後とも良き関係のほどをどうぞよろしくお願いいたします」


 笑顔で終えることのできた今回の事件、尚斗にとっても財界に太いパイプが出来たことは望外の喜びであった。

 固く握手を交わした三人は退魔師と一般人という垣根を超え強く結びつくことになる。


「……それで纐纈さん、さっそくお願いしたい事がございまして……」


 尚斗がそう言って振り向いた先には「まだ終わんねーのかあぁん?」とばかりに睨みを利かせた当主陣二人が……。



 ところ変わり。


 事件の爪痕が残るハナブサ製薬の社屋内の一室、会議室を借りて集まったのは今回の関係者達。

 西園寺家より当主道臣とその息子である嗣季が、近衛家より当主兼平と息子である経好と経定が集った。

 そしてこちら側は尚斗と美詞、傍に控える八津波に、今回の事件の当事者である惣二郎と宗近が。

 なんのために会議室まで準備し集まったか、端的に行ってしまえば「事後説明」である。


 一般人である惣二郎と宗近からすればこの事件内で起こった出来事はすべてが神秘そのものであり、普段は見る事が叶わぬ奇跡のオンパレード、すべてが「すごい!」の一言で片付くものなのだが……。

 退魔師家系である人間からしてみれば「信じられない!」の一言に集約される出来事があった。

 もちろん尚斗もその件で方位家から突き上げられる事を承知の上で人目に晒したのだが……。

 しかし会話の滑り出しは別の方向から切り込まれるらしく。


「本命は親父達に任せることにする、まずは俺から質問があるのだがいいか?」


 当主陣を差し置いてトップバッターを飾ったのは直接除霊に参加したエクソシストである経定であった。

 

「神耶……おまえは『あの』十字架を持っていた……そして自らを位階持ちであると告げた。爵位持ちをああも容易く葬った実力からして偽りではないだろう……しかしそれでも改めて確認したい。おまえは本当にあの『セイクリッドオーダー』なのか?」


「間違いありません。私の所属は現教皇の直属、教皇庁所属のエクソシストでセイクリッドオーダー第五位階を教皇より拝命しております」


 事も無げにあっさり告げられた尚斗の発言に経定は目を閉じただ一言、「そうか……」と反応を示したのみ。

 あまり聞き慣れない単語が出てきたことで、詳細を知らない者を代表し経好が質問を口にする。


「そのセイクリッドオーダーってのはなんだぁ?しかも数字があるってことは序列があるのか?」

「ああ兄貴、その通りだ。セイクリッドオーダーってのはエクソシストの中でも実績、信頼度、貢献度が高い実力あるエクソシスト達の事だ。1から10までの位階があるが、エクソシスト全体を見てもその中に名を連ねる事ができるのは1割程度。もちろん位階が高くなればなるだけその数は少なくなる。第一位階は教皇にのみ与えられ、第二位階は枢機卿の中でも次期教皇有力候補者と言われる一部の者だけが名乗れる……まぁ二位までは実質名誉位だな。神耶が言う五位階ってーのはたった二十数人っていう狭き門だよ、一言で言えばトップクラスだ。正直信じられねぇが……それ以上に子爵位の悪魔をあっけなく葬った実力の方が信じられねぇほどだよ。ようやく『いっぱし』レベルになった俺でも理解できる出鱈目さだ」


 長々と説明された経定の内容に間違いはない、あまり知られていない詳細までもよく勉強していると感心する。


「……犬と呼ばれたテメェがなぜそこまでの力をつけれた」


 経好は出来損ないと呼ばれた神耶の成り上がりがよほど気になるようだ。


「成り行きですよ。もちろん目的があってエクソシストになりましたよ?しかしここまで位が上がってしまったのは師匠のせいですね。うん、あのジジイが悪い」


 一気に尚斗の目からハイライトが逃げ出した、視線は遠いイタリアを望み駆け出しの頃に思いを馳せているのだろう……もちろん悪い意味で。


「神耶、師匠はだれなんだ?ぜひ俺も師事を仰ぎたい」


 経定のその言葉を聞いた尚斗の目がくわっと見開いた、心なしか血走っているように思える。


「経定君、やめなさい。命は投げ捨てる物ではない。君にはハミルトン神父という素晴らしい師がいるではないですか!彼の下でしっかり確実に実力をつけていけば必ず良きエクソシストとして名を連ねる事が出来ます、焦って道を踏み外してはいけません!」


 経定が尚斗の鬼気迫る物言いに気圧され思わず身を反らす……そこまで焦る尚斗の師とは一体だれなんだと猶更気になってしまった。


「お、おぅ……。そこまで言うってことは厳しい師匠なのか?」

「……アルディーニ枢機卿です……」

「げっ!」


 尚斗が控え目に告げたその名に覚えがあるのか経定も顔が引きつる。


「サダ、知ってんのかぁ?」

「……有名な枢機卿だ。元位階持ちらしいが、セイクリッドオーダーを引退した後も悪魔祓いを趣味に飛び回ってるような人間だ。付けられた名が『悪魔狂いのアルディーニ』……。よくそんな人を師として仰ぐ気になったな」


 ほんとよく勉強している。


「仕方なかったんです……その時はまだエクソシストの内情なんて知らなかったもので。教皇の紹介だったんですよ……彼の悪魔祓いの頻度が異常であると知ったのは、自分が知らない内に位階持ちになってからでした。それまでは毎日死に物狂いで修行し、悪魔の巣窟の中に放り出されたのも一度や二度では……いつも死の淵を彷徨いながらも悪魔と戦ってきました……気が付けば周りからは殺戮マシーン扱い……あのジジイを何度葬ってやろうと思った事か……」


 どんどん尚斗の目が濁っていくのを見て経定もつい同情の視線を向けてしまう。


「あ、いや……スマン……まじでスマン」


 尚斗のトラウマスイッチを思いがけず踏み抜いてしまった経定はただただ謝るばかりであった。

 そして最初の質問は微妙な空気のまま終わりを迎え次の話に移っていく。 

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