第184話
今、尚斗の前には異形の存在が空中に縫い留められていた。
その姿は物語の中の挿絵のように、空想上の悪魔をそのまま形にしたような様相を晒している。
全体的なシルエットは人型であったが頭からスラっと伸びるヤギのような二本の角、背中から生える蝙蝠のような大きな翼、下半身はまるで獣の後ろ脚を模したような現実離れした足。
それはギリシャ神話に出てくる牧羊神パーンのようでもあるが、神聖さとは正反対の禍々しさしかなくまったくの別物だというのが分かる。
顔の作りは人間のようでもあるが目は真っ赤で蛇のように瞳孔が縦に伸びている。
完全に姿を現したことにより意識も取り戻したのだろうか、忌々し気に尚斗を睨みつける顔には多くの皺が寄っていた。
しかしどれだけ恐ろしい形相を向けようともその身はこれでもかと言うほどの鎖で拘束されており自由をすべて奪われていた。
そんな悪魔に向ける尚斗の表情は実に嗜虐的であり、これから行われることに慈悲等期待できない事がまざまざと突き付けられていた。
「このままお見合いをするつもりもないのでさっさと進めちゃいましょう」
聖書から顕現しっぱなしの杭がついた鎖。
伊織や勇利の額を貫いたショッキングな場面を提供する杭であるが、キリスト教の神秘が人を傷つけられないことを知っていなければただただ凄惨な光景であったことだろう。
しかしこの十字架を模した聖なる杭、人には無害であっても悪魔には……。
― ドスッ ―
聖書の傍で浮いていた聖なる杭はなんの予備動作もなく高速で飛翔し鎖の尾を引きながら悪魔の額に刺さってしまった。
額に刺さった衝撃で悪魔の顔面が大きく仰け反るがこれには悪魔もびっくりだろう、満を持して対面したにもかかわらずなんの問答も交わすことなくあっさりと攻撃されたのだから。
「ち……ちょっと……お兄さん、ここは話合いをする場面ではないのかな?」
「悪魔と真面に話し合うだけ無駄です。それと、そんな厳つい顔で『お兄さん』なんて呼ばないでもらえますか?生理的嫌悪感から鳥肌が立ちます」
「ふ、ふふ……煽ってくるねぇ……強がってみたところで僕は名前を吐かないよ?それとも直接この身を滅ぼすつもりかい?」
「それもいいですね、まさか本体に会えるとは思っていなかったものでワクワクが止まりません。本体が出張って来たからには直接叩くのもいいのですが……少々知りたいこともあるので」
相手が悪魔の分体であったなら「名」を聞き出す事で現世にその存在が固定され、悪魔の魂を縛り付け服従させることができる。
そしてその段階で初めて追い出すなり祓うなり消滅させるなりが可能となるのだが、今目の前にいる悪魔は本体。
倒すだけの力さえ備わっているのであれば物理的に力づくで“殺す”事ができる。
もちろん相手の事を“弱い”とのたまう尚斗がこの悪魔を倒せない訳はなく、しかし尚斗には悪魔に対して目的があるためわざわざ迂遠な方法をとっているのだ。
「知りたいこと……?僕がそれを素直に話すとでも……?」
「話さなくてもいいんです。あなたの額に突き刺さったそれが教えてくれます。まぁ直接話してくれることに越した事はないのでまずは名前から尋ねましょうか。……さぁ、おまえの『名』を明かせ悪魔よ」
悪魔の額に刺さった杭が一際深く刺さると悪魔が絶叫を上げた。
「ひぎやぁぁぁっああぁぁあっあ!」
苦しみに抗うように本能から身を捩らせ鎖がギチギチと音を鳴らすが、拘束は強固でむしろ食い込んだ箇所が聖秘力の影響から焼かれるかのように煙を出している。
「ほら、抵抗するともっと痛いですよー?貴方は聖秘力に対しての抵抗力が弱いんですから」
爵位級とは言えその実力が伴っていない悪魔は本当に抵抗力が弱く、聖なる杭により多大なダメージを受けているようで目は虚ろとなりながらも血涙を溢れさせ口から涎を垂れ流してしまっている。
本来精神的プロテクトが強い悪魔から名を引き出すには時間がかかるものだが、あっけなく名を明け渡してしまったようだ。
聖書の真上の空間にラテン文字が光を帯びながら描かれていく。
『ダファーロカ』
その文字はまさしく悪魔の名前を示したもの。
「……あっけないですね。もうちょっと粘ってくれてもいいのですがまぁ良しとしましょう。汝『ダファーロカ』よ、我が問いかけに答えよ」
「だ、だれが応じるものかっ……がああがががあああっっ!!」
名前を知られたことにより焦りを覚えたダファーロカが抵抗するが、それを許さないと言わんばかりに体に痛みが襲う。
「な、なんなんだ!あっ!ぐっ……ぐぎぎ……ま、まさか霊核をっっ!!」
「わかりますか。その杭は直接あなたの霊核にアクセスし攻撃しています。抵抗するだけ無駄ですよ?さぁ、質問です。貴方が巻き込んだ伊織君と勇利君はあなたに進んで協力した者ですか?それと巻き込んだ経緯を教えなさい」
「ち……がう……」
悪魔ダファーロカが言うには最初にターゲットとなったのは勇利であった。
幼い彼の精神を乗っ取るのは容易だったようでなんの契約も無しに直接憑りついたとのことだ。
これが分体ならば契約による縛りがなければその身に憑りつくのも難しかっただろう……が、そこは曲がりなりにも爵位級悪魔、本体による直接的な干渉を耐えられるだけの力は幼い勇利にはなかった。
しばらくは勇利の身に潜み暗躍していたみたいだが、日本社会における小学生の身には不自由が多すぎた。
そこで目を付けたのが勇利の姉である帆乃香に好意を寄せる男、伊織を誑かすこと。
誑かすとは言ったが実際のところはただの脅迫である。
「勇利と帆乃香の身の安全」を引き換えにその身を差し出さざるをえなかったのだ。
「なるほど……想い人とその家族を守るために自分を犠牲にできるほどの子ですか。帆乃香君はいい子に好かれましたねぇ」
そこからは伊織の体を直接本体が操り今回の犯行における実行犯に仕立て上げた。
勇利が犯人に誘拐されたのもただの自作自演、家族が誘拐されたと知れば惣二郎が大きく動くと思っての行動であった。
悪魔の目的は良質な人間を一人でも多く集めること。
日本の怪異霊障に偽装した事件を起こせば力のある存在が解決するために送り込まれてくる、そしてその規模が大きければ大きいほど送り込まれてくる人間も多いと見越してだ。
伊織が敗れれば適当に破棄……伊織の体を処分してしまう算段であったらしい。
そして本体が潜んだままの勇利は「被害にあった一般人」として救い出され、また落ち着いた頃を見計らい適当な「生贄」を産み出しては事件を起こさせる。
そうした人間の「確保」を企んでいた。
「なるほど……力ある人間の確保はゲートを開くための材料ですか?悪魔にノルマがあるなんて知りませんでした。案外魔界もブラックなのですね」
「な……なぜゲートの力の源を知っている……」
「なぜって、直接魔界に赴き悪魔から聞き出したからですね。あんな趣味の悪い装置を作るとは悪辣極まりない」
「……ちょく……せつ?……まさか、63ゲート……あの訳の分からない結界で閉じられたゲートの関係者か!」
尚斗の顔が破顔一笑す、歓喜したと言ってもいいだろう。
ゲートの情報を知っていそうな
封印結界の事を知っていそうな
父である隆輝を知っていそうな
尚斗は興奮する自分を抑える事ができずにいたが、その感情を悪魔に悟られぬよう努める。
ゲートの存在を知っているだけで大した情報等もっていない可能性もある、過去に幾度もぬか喜びさせられ辛酸をなめてきたではないかと。
「あの忌まわしいゲートの事をご存じなのですね?結界は健在ですか?」
更に取り調べを進めていくと次の事がわかった。
日本に繋がるあのゲートは現在封印結界により利用ができずにいること。
驚いた事にこの悪魔ダファーロカはゲートに施された封印結界を解くための任を請け持った者であった。
もちろんダファーロカだけではなく他にも何人かの悪魔が指名されているとのことだが、悪魔社会は横の繋がりが希薄。
誰かと共同で研究することはなく、単独で自己流の解決を模索するしかない状態では思ったように成果がでなかったみたいだ。
今日までにその解決手段を見いだせず、ゲート自体は今も尚凍結されたままとの朗報が。
まさか人間が魔界に残り結界を維持しているということは知られておらず、ただその場に不釣り合いな緑溢れる樹木達がゲートを覆い尽くし近寄れずにいる。
欧米諸国の魔術や聖秘術等に関してはある程度理解がある悪魔であっても、東洋の端にある小さな国の術までは把握しきれず、ダファーロカが日本にやってきたのはそういう理由もあっての事だ。
天敵がいない地において人間は捕獲し放題、更には日本の術の仕組みを得ることもできる一石二鳥を狙っての事であった。
尚斗は思う。
(ここでこの悪魔を捕捉できたのは僥倖だった)
父隆輝が作り出した複雑難解な術式がすぐに紐解かれる事はないであろうが、悪魔の利となる可能性を潰せたのは大きい。
期待をしないよう努めていただけあって、得られた情報の喜びは殊更大きかった。
「では次の質問です。№63のゲート……ヘルズゲートを開錠するための鍵を教えなさい」
「し……質問じゃないぞそれは……命令じゃないか……」
悪魔のツッコミなど無視だ。
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