第183話

 おまえの正体は一体なんだ!とでもいうような経定の問いかけで、“いたずら心”に軽く火がついた尚斗が意地の悪い笑みで返していた。

 その笑みを見た美詞は。


(きっと正体を告げた時の経定さんの反応を楽しみたいんだろうなぁ……)


 と尚斗の心情をピンポイントで当てにいっていた。


「そういえば自己紹介をしていませんでしたね。君にはこれを見せれば早いでしょうか」


 そう言って尚斗が胸元からごそごそと取り出したのは、首にかけられ服の中に収まっていた十字架。

 十字が交差する中心に特別な意匠が施された漆黒の十字架を見た経定が驚愕の表情を貼りつける。


「そ、それはセイクリッドオーダーの証!!なんでおまえがそれを持っている!」


 どうやら駆け出しである彼でも位階持ちの証である特別な十字架の存在は知っていたようだ。


「どうしてって言われましても……私が位階持ちだからですね。これでも『第五位階』を拝命しております、お見知りおきを……後輩君」

「……第……五……だと……」


 どうやら経定には刺激が強い情報であったようだ、口が痙攣を起こしたように引きつりながら言葉が断片的にしか出てこず思考回路がパニックを起こしかけている。

 隣でその様子を見ていた美詞は経定のおおげさすぎる反応を見て「やっぱり五位階ってすごいんだぁ」と、少し尚斗の居る位置のすごさが分かったような気がしたほど。

 しかし尚斗の正体に納得がいかない存在が一つ。


「うそだっ!そんな大物がこの日本にいるわけがないだろう!大した戦力が居ない事を知ったから僕はこの日本にやってきたんだぞ!」

「ああ、あなたもそのクチですか。うそだと言われても実際に居るんですから仕方ないでしょう?まぁ貴方は正面切ってバチカンと戦えるような強さを持ってなさそうですからね。どうせ搦め手一本で爵位を得た個体でしょう?差し詰め陞爵したばかりといったところですかね?子爵にしてはあまりにもへっぽこだ」


 尚斗の経験則から言っても子爵にしてはあまりにも力不足が過ぎた、はっきり言って名前負けしている。

 注視する点と言えば、いくつもの術を同時並行で維持運用できるだけの魔力量とそれを操る器用さと狡猾さぐらい、聖秘力に対する抵抗力は弱く拘束を解けるだけの純粋な力も持ち得ていない。

 悪魔が言うように強者がひしめくヨーロッパを避け天敵が少ない極東の島国に逃れてくるぐらいだ、その強さは明々白々のことだろう。

 実際その思惑自体は間違った事ではない、事実日本では最強の陰陽師と言われる嗣季ですら効果のある対処法を見いだせず、辛うじて派遣されてきたエクソシストもまだ経験が浅い経定レベル。

 悪魔にとって不幸だったのはここに尚斗が居た事、ただその一点だけであった。


 青筋を額に浮かべながらも言い返せないのは図星であったから。


「僕をその辺の野蛮な奴らと一緒にするな!僕はこの頭脳を買われ爵位を得たんだ」

「……悪魔達は脳筋集団ですか?その程度の策略で『頭脳』等と嘯かないでもらえないかな?魔界もよほど人材不足だとみえる」

「な、なにをぉぉぉ!?」

「さて、経定君との授業も終わりましたしそろそろ本体とのご対面といきましょうか」


 これ以上話に付き合うつもりはないとばかりに切り替えた尚斗は開けっぱなしにしてた聖書を掲げ悪魔祓いの儀式に集中し出した。

 それに気づいた伊織が怒りを孕んだ表情を崩し口角を上げた。


「呑気に無防備を晒すとは油断したな!」


 伊織の発言に何かをやらかすのを察知した経定が間髪入れずに注意を促すため尚斗に声をかける。


「神耶!」


 ― カキキンッ ―


 金属同士がぶつかり合うような甲高い音が二つ同時に鳴ったかと思うと尚斗の傍にからんと何かが落ちた。

 よく見ればそれは伊織が先ほどまで持っていた禍々しいフォルムをした杖と短剣。

 伊織の身が拘束された時点で手から零れ落ちていたものだ。

 気づけば尚斗の手にはそれで迎撃したであろうククリナイフが両手に収められていた。


「油断?悪魔を前に?するわけないでしょう」

「な……なんだと……」


「奥の手を私のコントロール化で吐き出させるためにわざと長々と隙を曝け出してました。攻撃を悟られないよう武器の姿を消し死角から奇襲させたのは流石と言えますがやはり弱いですね。魔力が漏れてますし来ると分かっていればある程度は誰でも防げます。念動力などは封じているはずでしたが魔力糸による有線操作ですか……で?それが最後のカードですか?まだ打つ手が残っているならどうぞ今の内に」


「……」


 尚斗の掌の上……それが悪魔のプライドを大きく刺激したが、しかしここまで追い詰められた状態から繰り出せるだけの術はもう彼には残っていないらしく尚斗の挑発に応える事はできなかった。


「……無しですか。ならば続きです、こんな事で時間をかけるつもりもないので『巻き』で行きましょう。父と子と精霊の御名において汝に命ずる 悪魔よその姿を我が前に現し『名』を明かせ!」


 右手に十字架、左手に聖書を携えたその姿は聖職者そのものであり尚斗の口から奏上される聖言はエクソシストのお決まりの儀式でもあった。

 ただの言葉と思うなかれ、聖秘力がたっぷり籠められた聖言には悪魔の行動を阻害し従わせる力が伴う。

 ただ言葉の意味に従っているだけではなく神の奇跡の力によって抗う事すら許されず引きずり出されようとしているのだ。

 故に。


「や、やめろ!その言葉を僕に向けるんじゃない!あ、あぁぁ!」


 悲鳴にも似た叫びは伊織の口から紡がれたもの、しかし実際にその聖言が浴びせられているのは悪魔の本体が憑いているであろう勇利に対して。

 尚斗の鎖によって拘束された勇利の身がビクンビクンと痙攣するかのように跳ねている。

 口が猿轡によって塞がれていることで漏れ出てくるのはくぐもったうめき声だけ。

 尚斗の繰り返される「言葉」により勇利の身に変化が訪れる。

 勇利の首筋から黒い霧が漏れ出しそれが徐々に形作られていく。

 最初は頭部と思われるもの、そして漏れ出る霧が増えてくるとそれは徐々に胴体や手となり人型を模っているのがわかってくる。


「おや……チョロすぎません?子爵ならもうちょっと粘ると思ったのですが……本当に力は弱いんですね……ただのアークデーモンでももうちょっと抵抗してみせましたよ?……ま、こちらとしては助かるんですが」


 爵位持ちの悪魔に向ける最大限侮辱した言葉、しかし今も尚聖言に晒されている悪魔には怒りにより反撃するだけの余裕も耐えるだけの力も持ち合わせてはいなかった。

 ずるずると引っ張り出されるかのように姿が足まで模られたところで尚斗は新たに鎖を複数生み出しその身を拘束していく。

 両手、両足、胴体に首と……大の字に空中に縫い留められ磔にされた悪魔はいつぞやの学園での個体とは違いはっきりとした人型であった。


「あ……あぁ……あぁぁあぁぁ!」


 その光景をなにも出来ず見守る事しかできなかった伊織が言葉にならない絶望を貼りつけたような叫びを上げている。


「ほぉ、彼には分体を憑かせていたのかと思っていましたがこちらも有線による操作でしたか。自分で直接操作したかったんでしょうかね、先ほど映像から見えたパスはこれだったんですね……」


 空中に縫い留められた悪魔の体からロープのような紐が延びており、その先は伊織の頭に繋がっていた。


「……なら遠慮しなくてもよさそうだ、さっさと切断しちゃいましょうか」


 宣言通りひし形の鋭い刃物が先端についた鎖を飛ばし、悪魔と伊織との間に繋がる紐のようなものをあっけなく射抜いてしまう。


「はいチョッキンっと」


 動力の切れた人形のように全身から力が抜けた伊織はガクリと項垂れピクリとも動かなくなってしまった。

 その様子に満足がいったのか尚斗は決められた作業工程を消化していくかのように淡々と行動に移す。


「では伊織君の体は回収しときますねぇ」


 拘束していた伊織を鎖ごと手元に引き寄せると傍に顕現させ待機させていた杭のついた鎖をおもむろに伊織の額に近づける。


 ― ずぶりっ ―


「「なっ!」」


 見事に伊織の額を貫いた杭、気でも触れたかと突飛な行動に出た尚斗に経定と嗣季が驚きの声を上げるが、これが初見ではない美詞はこれから何が行われるのかを知っていた。


「悪魔が残ってないかチェックしましょうねぇ、大丈夫ですよー痛くないですからねー」


 気を失い意識のない伊織にその言葉が届いている訳もないが、その内容からどうやら悪魔が憑りついていないかを診断するみたいである。


「うん、大丈夫ですね。美詞君、その子をよろしくお願いします」

「わかりました。神耶さん、一応縛っておきますか?」

「そうですね、悪魔に加担したか騙され乗っ取られたかまだわかりませんので念のため縛っておいてください」

「了解です」


 腰に取り付けられたカラビナから拘束具を取り外すと、せっせと手際よく伊織の手足を拘束し出した美詞。

 そのやり取りを見ていた経定は呆然としながらも感心していた。


「師が師なら弟子も弟子か……確かにこの少年が自ら加担している可能性もあるのだな……操られているだけとみるのは早計か」


 そんな経定の感想等お構いなく事態はさらに進んでいく。


「次は勇利君ですね」


 勇利の体から噴き出ていた霧はすでに止んでおり、悪魔の本体は体外にすべて排出されたと思われた。

 その元凶は既に尚斗によってこれでもかというほどに拘束されており、今や勇利の体は抜け殻のよう。

 伊織に続き勇利の体も手元まで引き寄せると同じように杭を額に突き刺す。

 二度目の光景なので驚くことはなくなったが、それでも心臓に悪い光景であることには違いない。


「うん、こちらも問題ありませんね。はい、美詞君、追加ですよー」

「了解です。神耶さん、平常心ですよー」

「おっと……まぁほどほどにしませんとね」


 これから悪魔を拷問……もとい問い詰める作業が始まるわけだが、自身の気の高ぶりを抑えるための言葉遣いが少々不自然だったのだろう。

 美詞にはどうやらバレバレだったようだ。

 窘められた形となった尚斗はバツが悪そうに頭を掻いている。


「さて、では始めましょうか。拷問……ごほん、尋問……おほん、取り調べの時間です」


   

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