第182話

「もちろんだとも。これでもエクソシストとは何度も対峙していてね、体を離れれば君達はいつも僕を捉えることが出来ない。目の前にいても気づくことができずにいる悔しそうな顔を眺めながら悠然と去るのは最高だったね」


 尚斗に拘束され打つ手なしとなった悪魔がついに伊織の体を捨て逃げの一手に出ようとしていたが、それでも立つ鳥が跡を濁すかのように精神的口撃を残そうとしているのは尚斗に戦闘では敵わなかった悔しさからだろうか。


「負け惜しみですか?自分が優位に立っていると錯覚している道化には丁度いい台詞ですね。御託はいいので試してみたらいいでしょう。私は何度でも言います、キサマを逃すつもりはないと」


 にやりと口角を上げた尚斗の自信に満ちた顔は悪魔に疑念を抱かすには十分。

 逃げた悪魔をどうにかできた事等聞いたことがない、悪魔祓いはいつも「この者から立ち去れ!」で終わるものだ。

 もちろん逃げる間もなく滅された個体もいただろう、人間界に顕現させていた分体が消滅したとぼやいていた悪魔の話ぐらいは耳に入っていたのだから。

 しかし伊織に憑りついた悪魔は、逃げに徹した悪魔が失敗したという話を聞いたことがない。


 ハッタリだ、ブラフだ、出任せだ。


 否定を並べてみたがどこかで「まさか」という懸念の一欠けらが、どうしても喉に刺さった小骨のように纏わりつく。

 不安を解消するには実際に行動に移すしかないのも事実、天敵であるエクソシストの言葉に従うのは癪であるが今は逃げることだけを考えようと準備に入った。


「ああ、望み通り撤退しよう。今度会った時はもっと擬態の精度を上げておくから楽しみにしててね。じゃぁまた会おう……」


 別れの挨拶を告げ伊織の体から悪魔が立ち去っていく……喋る者がいなくなったその場に静けさが流れる。


 ……が。



「……ど……てだ……どうしてだ、どうしてだああ!」


 悪魔が出て行ったはずの伊織から激昂する怒声が発せられる。


「おや、おかえりなさい。お早い再会ですね、どうです?短い別れでしたがもう擬態の精度は上がりました?」


 尚斗の蔑むような視線が伊織を射抜く。


「なにをしたんだ!?なぜ人間の体から出ることすらできないんだ!」

「やっと余裕ぶった口調が崩れてくれましたねぇ。それらしくなってきましたよ?この教会の本質は檻です。悪魔の調子が悪くなるのも遠隔起動ができない空間作用もただの副次効果に過ぎません。この術が起動した時点であなたは鳥かごの中の小鳥なんです」


 そう、この術は宝条学園で美詞と再会した際に使用した術の改良版。

 限られた範囲の空間でしか使えないものであるが、尚斗が数々の悪魔退治を経て編み出した「おまえが滅びるまで絶対に逃がさない」を体現した術であった。


「さて、ほどよく絶望してもらったところでそろそろ名を明かしてもらいましょうか」


 尚斗が開いた聖書から光を発しながら現れたのは、いつぞやも見たあの十字架を象った杭のついた鎖。


「や、やめろ……一体なにをするつもりだ……『それ』を僕に近づけるな!」


「ええ、あなたに“は”近づけません。用があるのは“そっち”なので」


「……はぇ?」


 尚斗は顕現させた杭とはまた「別の鎖」を顕せると前方に走らせた、それは伊織に巻き付いている拘束用の鎖と同じ物。

 その鎖は伊織に向かうではなく進路がずれているようにも見える。


 向かった先は


 纐纈勇利

 

 伊織に誘拐され、囚われていた人質。


 幼い彼の顔には「なぜ自分に!?」とでも言いたげな表情が浮かんでいたが、猿轡がされているので声を出せずただ目を大きく見開き驚きを露にするだけ。

 回避しようにも椅子に縛り付けられているため身を捩ることしかできず一瞬の内に鎖でミノムシ状態に。

 ん-ん-と必死に声にならない声を上げ身を捩っているがそれでどうにかなる訳がない。


「神耶!ご子息に何をする!」


 経定が尚斗の後方から怒りにも似た疑問を浴びせかけ、尚斗を止めるため前に出ようとするが……


 ― どすっ ―


 隣にいた美詞がみぞおちに拳をねじ込むと肺から息を吐き出しながら膝から崩れ落ち蹲ってしまった。


「大人しくしていてください、神耶さんの邪魔をしないで」


「ひ……ひで……ぇ……」

「……なんて女だ……」


 身体強化術の乗った狂気的な美詞の一撃に、つい一歩後ずさってしまった嗣季の額から汗が垂れ流れる。


「経定君、ここで授業です。ご存じの通り悪魔は狡猾だ。息をするかのように嘘を吐き人を誑かし唆し、そして陥れる。そして今対峙している悪魔は人を騙し罠に嵌めることに悦びを見出しているタイプです。ね、そうでしょう?」


「……」


 伊織は勇利が尚斗によって拘束されたことに絶句しているのか、わなわなと震え言葉が出せずにいたが……その表情にはどこか恐怖の色が見てとれる。


「おや、答えてくれませんか。悪魔が本体ではなく分体を降ろすのは自分の身を安全な場所に置き、いざ排除されても自らの存在を守るためにという意味合いが大きい。そう、自分のアバターを操作しゲームを楽しむかのようにね。伊織君の身が追い込まれても尚、余裕を貫いていたのは恐らく分体が憑りついているから……と考えられます。しかし彼の性格は更に臨場感を味わいたいタイプなのでしょう、後から分体により挙げられてくる報告では満足を感じられない悪魔のようだ」


「なにが……言いたい神耶……」


 やっと呼吸が出来るまで回復したのだろう、腹を抑えながらも必死に酸素を取り込む経定が脂汗を大量に浮かべながら疑問を口にしていた。


「リアルタイムでゲームを楽しみたい、でも自分が直接行動に出ては身に危険がある。経定君ならどうします?」

「……人に任せて……いや、人に任せると自分の望む展開にならないかもしれない。なら自分の分身となる人形を作り出し意のままに操り、自分は目の届く距離で観客に徹する……そういうことか?」


 経定の答えに満足のいく回答が得られたのか満面の笑みでパチパチと拍手を送る尚斗。


「いいですねぇ、やはり君は筋がいい。まだ素直さが残りますがそれは今後経験が補ってくれるでしょう。経定君、覚えておいてください。悪魔と対峙する際は常に周りすべてを疑うことです。今回の除霊で君は当初悪魔が関与している可能性を示唆していたにも関わらず、彼から悪魔の気配がしなかったことでその可能性を排除してしまった。ここに到着するまでも隠蔽された罠を注意深く考察していれば真相にたどり着けたかもしれません。伊織君が発する魔力を読み解くことができれば力技に頼らず聖秘力による悪魔退治に切り変える事ができたかもしれません。……ここまで言えばわかりますね?」


「……くそっ……その上から目線の言い方には腹が立つが、おまえの言う通りだ。観察力も足りてなきゃ悪魔の擬態を見抜けるだけの実力も足りてねぇ……。悪魔だと分かって行動していれば除霊方法等いくらでもあっただろうに……」

「上出来です。そこまで分かっているのならば後は悪魔祓いの数をこなし経験を積めばおのずと実力が伴ってくるでしょう。今回に関しましては君には少々荷が重い相手かもしれないので教訓を生かす程度に留めておけばいいですよ」


「……荷が重い相手?」


「ええ、恐らく相手は『爵位持ち』、感触からして男爵かよくても子爵程度ですね。そうでしょう?」


 問いかけた先は体をわなわな震わせている伊織に向けられている。

 今まで言葉を失い心ここにあらずといった彼もギリッと歯を食いしばり尚斗を睨みつけると、やっと口を開けるようになったようだ。


「……なぜだ……なぜわかった!!僕の隠蔽は完璧だったはずだ!そう簡単に見抜けるものじゃない!」

「いえいえ、限りなく薄くはありましたが魔力によるパスが見えてましたよ?」


 あっさりと悪魔の隠蔽を見抜いた尚斗であるが伊織の表情からは信じられないものを見る目が映っていた。

 信じられなかったのは悪魔だけではない、その困難さを多少なりとも理解できる経定も驚きを隠す事が出来ないでいた。


「まさか……爵位持ちの隠蔽を見抜けたというのか……?」

「大した術ではありません、慣れれば自然と見れるようになります。私は似たような隠蔽術を使う悪魔を何体も見てきましたので」


 尚斗の発言には見過ごすことのできない内容が含まれていたのだろう、伊織が声を荒げだした。


「出鱈目を言うな!僕は子爵だぞ!この隠蔽には自信を持っているんだ、同じような術があってたまるか!」

「はぁ……自分が先駆者だとは思わないことです。悪魔は皆似たような思考と趣向を持っています、人を陥れるといった方向にね。そうなれば必然的に使う術も似たような物に集束していきます。爵位も持たない低級悪魔ですら使っていたんですからそんなに威張られてもねぇ……」

「な……なんだと……」


 その内容はよほどショックだったのか鎖で拘束されていないければ力が抜け膝をつき魂が抜けたであろうほどのもの。


「子爵……神耶……なんでおまえは爵位持ちを相手にしてそんなに余裕でいられるんだ……」

「経定君、子爵なんて下も下。君もエクソシストならばすぐに相手とれるようになる存在です、君には期待しているんですからそう悲観しないでください」

「……しかし……そうだな。俺はまだ駆け出しに過ぎないってことか……神耶、おまえは一体何なんだ。さすがにここまでくればおまえがベテランの域にあることは理解できる。しかしここは悪魔の少ない日本だ、この国に居てなぜそうも悪魔退治に慣れているんだ」


「おや、私に興味がおありで?」


 にやりと笑った尚斗に聞かない方がよかったか?と頬が引くつく経定だったが、その隣では美詞が「また悪い顔して……」と呆れている様子を見せていた。

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