第181話

 尚斗の「おまえを逃がすつもりはない」という意思の籠もった物言いに、伊織が理解できないといった表情を浮かべる。


「たいした自信だね、でも君も悪魔祓いなら理解しているはずだよ?僕達はいつでも魔界に逃げられるということを」


 伊織の言う通り悪魔は憑依している体さえ捨てれば逃げる手段等いくらでもある。

 一度逃げにまわった悪魔を捉えるのは熟練のエクソシストでも困難極まりなく、何度煮え湯を飲まされたかわからないほど。


「ええ、私も見習いの頃はよくトドメを刺し損ね逃げられたものです。ほんとどこまでもキッチンに出てくる害虫のようだ。その上でもう一度言いましょう、キサマに次はない。大人しく滅ぼされるがいい」


「……くっ……ふはははっ!ここまでくると滑稽だねっ!自分が対峙しているのがどれほどの者かもしらないでそう強気でいられるんだから。おもしろい、そこまで大きな口を叩いたんだ……簡単に潰れてくれるなよ?」


 話し合いは終了とばかりに伊織が手に持つ杖を素早く尚斗に突き付ける。

 それはこれから行われる戦いにおける開始のゴングとなり尚斗も伊織に向け手を翳した。


「もうあんな適当な呪文なんていらないよね?カモフラージュのためと言っても時間がかかって面倒だったんだ。行け!」


 杖から空中に魔法陣が浮かぶとその中から闇色の光弾が吐き出された。

 魔法陣は既に隠蔽用の「かっこいい魔法陣」ではなく悪魔が使用する一般的な悍ましい物。

 悪魔が行使する魔の術は詠唱等といった概念がない、発動のタイミングは自由自在であるが欠点もある。

 術が発動する際は必ずといっていいほど黒い魔法陣が浮かび上がってくることだ。

 エクソシスト達はこの魔法陣を目印にして術の出を予想する。


 尚斗も黒い魔法陣が姿を見せた瞬間に周囲に旋回させていた鎖を射出させ対応した。

 空中でそれぞれの攻撃がぶつかり合い光を散らす、一つの光弾に対し一本の鎖が迎撃にあたり衝突と共に光弾ははじけ飛んでしまう。

 相打ちとはならず、尚斗が繰る聖鎖は勢いを減じる事なく伊織へと殺到していく……が、素早く防御のために杖を横に振るう伊織。

 先ほど経定達との戦闘で見せていたブラックホールのような、なんでも吸い込んでしまう真っ黒な防御壁。

 そのままのコースだとその防御壁に突っ込んでしまいそうなところを尚斗が手首をくいっと捻る。

 それが合図であったのか聖鎖達は直前で散開し壁を大きく迂回し両側面から伊織に襲い掛かった。


「おっと!」


 それは予想外の方向からの攻撃であったのか伊織は後ろへ飛び退き両側から襲い掛かってくる鎖を回避した。

 空ぶった鎖はそのまま地面を穿ち攻撃が失敗に終わったかと思われたが、今度は伊織が飛び退いた先の地面を突き破りながら勢いよく飛び出てきた。


「しつこいなぁもう!」


 術の起動が間に合わないと感じたのか手に持つ杖と短剣で迫りくる鎖をはじき迎撃しだした。

 腐っても悪魔、伊織に弾かれた鎖は力を失ったかのようにその場にじゃららと落ち存在が保てなくなったのか消えていく。

 実体があるように見えて尚斗が操る鎖は聖秘力を具現化した謂わば実体のない力の塊。

 それを無に戻してしまうだけの術を知っているあたり、エクソシストとの戦いは初めてではないらしい。

 しかしその程度の対処は織り込み済み、先端が様々な形に模られた鎖が次々に生み出され伊織へ襲い掛かる。


「おかわりは遠慮せずどうぞ、まだまだありますからね」

「へぇ、言うだけあるね。うっとおしいったらありゃしない」


 呑気な会話を交わしているようであるが、金属同士がぶつかり合う甲高い音が絶え間なく響き渡っていることから攻防の激しさは言わずもがな。


「ああ、それと指摘することがもう一つ。貴方が持つその杖とナイフ、禍々しすぎます。特注であろうとこの地球上でそんな武器を持つ者は存在しません、悪魔崇拝者でさえもっと大人しいですよ」

「うーん、人間の記憶をそのままトレースするのは匙加減が難しいねっ。それともこの子の想像力が飛びぬけているだけかなっ」


 恐らく憑依される前の一般人伊織の思考は「闇の力を持つダーク系主人公」に振り切れていたのだろう。

 知りたくもない伊織の中二病趣向を知らされることになり更に居た堪れない尚斗。


「くっ……中二病思考を晒されるなんて……消える事のない傷跡くろれきし確定じゃないですか。流石悪魔……精神攻撃がえげつない」

「いや……そんな意図まったくなかったのに心外だなぁ……」


 交わされる言葉はふざけているのかと言われかねない内容であるが二人の戦闘自体はいたって真面目。

 繰り出される攻撃と、それをいなしていく防御にはまったくの無駄がない。


「それにしてもっ!攻撃が本気すぎやしないかい!?この子の体がどうなってもいいのかなっ!?」

「おっと弱音ですか?ご安心を、私共エクソシストの攻撃は基本的に人間を傷つけません。当たっても少々の衝撃ぐらい、まぁ中の悪魔の安全までは保証しませんがね」

「くっ、やはりおまえもそうなのかい。ほんと忌々しいよ悪魔祓い共め!僕達を蛇蝎のように嫌い敵視してくる!悪魔に力を求めてしまう弱い人間を恨めばいいだろう!僕達はただ人間に力を貸してあげてるだけなのにさっ!」


 悪魔が言うのにも一理ある、確かに悪魔は人が力を望みそれを叶えているに過ぎない。

 しかし人の心の弱みに全力でつけこんでくる。

 甘言を囁き堕落させ正常な思考を奪い道理から足を踏み外させ破滅の道へと誘う。

 そして最後には悪魔に魂を搾取されるのだ。

 悪魔に付け入られた者が幸福になった試しはない。

 故に。


「たしかに人は弱い生き物です……幸せを謳歌する理想の自分と、不満を抱く現実の自分との差に陰を宿す者も多いでしょう。勤勉と怠惰を天秤にかけ楽な道に逃げてしまう欠点もある。しかし人は悩み絶望の淵に立たされ道を失おうとも、生きることを諦めない強さを持っている。正しく導かれればまた前を向き歩き出せる可能性を秘めている。だからこそ!そんな人間を唆し、未来の可能性を潰し破滅に導くキサマらとは相容れないんだよ!」


 聖書が一際眩く輝くと顕現された聖鎖の数が増えた。

 これが本気だとばかりに襲い掛かる無数の鎖が、今まで余裕をもって捌いていた伊織の負担を耐えきれないレベルにまで押し上げた。


「くっ!流石に、数が多いぃ、かなっ!」


 一本また一本と鎖を叩き落す伊織であったがガキンとまた弾いた鎖が姿を消さず残っていることに気づいてしまった。

 それはナイフの柄の部分に鎖が巻き付いた他の鎖とは特徴が違った物……。


「残念、それは実体付きだ」


 ハッと身構え防御姿勢をとろうとする伊織であったが一歩反応が遅れた。

 足元に落ち消えなかった鎖は二本、それらが再び起動し伊織の足を絡め体を伝い、四肢を一瞬のうちに拘束してしまう。

 存在が消えなかった聖鎖の先に巻かれていたのは、対悪魔装具であり聖言がびっしり刻まれた尚斗のメインウェポンであるククリナイフ達。

 力が具現化した聖鎖とは違いこのナイフ自体はちゃんとした実体のある金属から作られた武器、物理的に粉々に潰されでもしない限り弾かれた程度でその存在が消えることはない。

 四肢が拘束されると更に他の鎖達が伊織をミイラのようにぐるぐる巻きにしてしまった。

 時間にして戦闘開始から数分、あっという間の決着……手から零れ落ちる杖と短剣がカランと地面を鳴らした音が戦闘終了のゴングの音となった。


「あは、油断しちゃったなぁ……」


 身を捩り抜け出せないか試みる伊織であったが、幾重にも巻かれた鎖はびくともしないのか早々に諦めたようだ。

 しかしその顔にはまだ余裕を絵にかいたような表情が浮かんでいる。


「で、ただ拘束しただけとか今からお決まりの悪魔祓いの儀式を始める気かい?」

「そうですね、あなたをその体から引きずり出すのもいいかもしれません」

「ふふ、この程度の神秘で僕の力を封じたつもりかい?甘いねぇ」


 拘束しているにもかかわらず何らかの術を行使し始める伊織、彼の体の前に黒い魔法陣が浮かび上がる。


 が……


 待てど暮らせど何も起こらない。

 周囲に自然と沈黙が流れる。


「ど、どうしてだ!確かに術は起動したはずだ!どうして何も起こらない!?」

「おや、何かしましたか?トリックスターを気取る貴方の事だ、どうせ不意打ちするための罠でも起動させましたか?……例えば私の背後や足下から」


 図星であった、経定や嗣季達が手を焼いていた奇襲するための術を行使したのだが、何も起きない事に今日初めての焦りを見せる伊織が歯噛みしている。


「無駄ですよ、離れた場所に術を起動させるのは諦めなさい、空間に作用する術はこの教会が支配し封じています。ただ悪魔に不快感を与えるだけだと思いました?甘いですねぇ」

「な、ならば!」


 遠隔起動の術が無理だというならば、先ほどまで使えていた自分の身から発する術は問題ないということでもある。

 なので拘束されている鎖を引きちぎるための刃を発動させようとするが……。


 ― ギャリッ ―


 鎖と黒い刃状の力の塊が衝突し火花を散らすがびくともしない。


「ど、どうしてだ!さっきまでは魔の力で消滅していたじゃないか!」

「先ほどまでのは攻撃用の速度に特化した聖鎖です。それは拘束力に特化させた鎖なのであなたの術程度ではどうにもできませんよ?」


 焦りの度合いが深刻になってきたと思えば尚斗の種明かしを聞き一瞬で脱力したように肩を落とした伊織。


「……ふ……ふふふ。いい勉強になった……今回は僕の負けを認めるよ。名を暴かれる訳にはいかないからね、今回はこれでお暇させてもらうとしようか」


 あっさり負けを認めた伊織、もとい悪魔は焦りを含んだ表情を浮かべつつもまだ逃げられるだけの余裕があるのかご丁寧にも「今から逃げます」と宣言する。

 悪魔が厄介なのは不利だとみれば尻尾を巻いて逃げる性質にある。


「逃がすとでも?」


 そう、見習いの頃はこの時点でいつも逃げられていたが、既に悪魔退治のベテランである尚斗を舐めてはいけなかった。

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