第180話

 嗣季は前に出た尚斗の背中を睨みつけていた。

 負の感情からと呼べるものではない、ただ不可解であった。

 自分や経定が苦戦した竜牙兵と呼称していた骨達の一団を瞬く間に浄化してしまったその攻撃に。

 確かに浄化するだけならば術の効きは悪くても自分にもできた、そして隣で負傷し倒れている経定はそれ以上に奮闘していた。

 しかし結果で言ってしまえば物量に押され無様を晒してしまったのだ……それを目の前に立つ掴みどころのない青年は片手間のように脅威を排除してしまった。


(私と奴の違いはなんだ?相性の問題だとでも……いや、それだけとは考えられない)


 自分は相性が悪く経定は相性がよかったということぐらいは把握していただけに、経定とは大きく懸隔のある尚斗の攻撃は狐につままれたような出来事であった。


「美詞君、経定君を診てあげてください」

「いいのですか?」

「ええ、近い内に表に出す予定です。少し早いですが近衛家と西園寺家なら問題ありません」

「わかりました」


 後方を確認することなく発せられた尚斗の言葉で、初めて美詞がいることに気づいた嗣季と経定の二人。

 なぜこんなところに見習いと思えるような少女を連れてきた!と言う言葉は次の美詞の行動でかき消されてしまうことになる。


「じっとしててください……」


 経定の前に膝立ちとなった美詞が両手を翳す仕草、負傷した脚に向け触診する訳でもなく治療道具を取り出す訳でもなく……これから何を行うというのだという好奇心のほうが上回ってしまう。


「なっ!」


 美詞の手から溢れ出る金色の光の粒子、見たこともない現象に驚きの声を上げる経定であったがそれ以上に驚く光景が傍観者二人を襲う。

 半ばから曲がり膝の皮膚を突き破った骨がぐぐぐと動き出すと巻き戻す様に元の位置に戻っていくではないか。

 大きく穴の開いた傷口もそこには何もなかったかのように綺麗に塞がって行く。

 それとは対照にあまりにもぶっとんだ光景に大きく開いた口が全く塞がらないでいる二人。


「まさか……そんな……治癒……術……」


 嗣季がここまで驚きを露にするのは珍しいことだろう、あの鉄仮面のような無表情はとっくにひびが入りボロボロになっている。

 今頃経定のカメラを通し見ているであろう経好や当主達も同じ間抜け面を晒しているであろう事は容易に想像がつく。

 時間にして一分もかかっていない奇跡の時間は、美詞の手から発せられていた黄金色の光が収まることで終わりを告げられる。


「これで大丈夫だと思いますが動かしてもらえますか?」


 魂が半分以上抜け出したように呆けていた経定が、美詞の言葉で無理やり現実に戻され慌てて足を動かしてみる。

 少し皮膚や筋肉がつっぱったような感触が残ったが痛みはない、それどころか少しすればその違和感さえ綺麗になくなり、まるで今まで怪我を負っていたこと自体が夢だったのではないかとさえ疑ってしまったほど。

 しかし今もべったりとキャソックに付着した血液がそれが幻でないことをまざまざと見せつけてくる。


「うそだろ……治ったってぇのか?」

「……まさか……なんてことだ……治癒術は途絶えた技術……そのはずだ……」


 二人の呟きに美詞は答えない、答えを求める質問でないこともそうだが律儀に答えてやる必要もないと判断したみたいだ。

 まだ呆然としている二人であったが、正気に戻った嗣季が美詞に詰め寄り問いただそうとしたところで割り込む声が邪魔をした。


「おー!すごいねぇ!そんな魔法もあるんだ、でもやっかいだなぁ……やっぱりヒーラーから潰すのはゲームのセオリーだよね」


 伊織のその発言は明らかに美詞を狙うと宣言するもの、慌てた経定が急いで立ち上がり美詞の前に出る。

 隣に居た嗣季も美詞を守るように間に入る所を見るとやはり二人とも根は悪くない人間であるのがわかる。


「美詞君、先ほど渡した結界符を」

「はい、符術結界略式即応起動【境界絶離の神薙】」


 美詞が指に挟んだ符から神々しい光が漏れ出しドーム状の結界を紡ぎ出す。

 この符は美詞専用にカスタマイズされた結界符、神気により刻まれた符であり起動時には美詞の神気と融合し普段の結界よりもより強固になる代物。 

 

「ここまで待ったのは好奇心からでしょうか?しかし美詞君に手を出すのはいただけない、目の前の私を忘れてもらっては困る」

「なにを白々しい、僕が動けばその鎖が攻撃してきたんでしょ?どんな魔法か気になったのは確かだから見物させてもらったよ」

「賢明な判断です」


 尚斗の周囲に付き従い控える無数の鎖が、尚斗を中心に旋回しながらじゃららと威嚇するかのように音を鳴らしている。

 その先端は伊織へと鎌首をもたげ、ちょっとでも不穏な動きを見せれば襲い掛かりそうな牽制を見せていた。


「うーん、でもさ今更一人二人増えてもねぇ……眼鏡のお兄さんは僕を楽しませてくれるの?」

「ええ、それはもう。まずはご挨拶代わりに」


 尚斗が手元に取り出したのは聖書、それを見て伊織が怪訝そうな表情を浮かべる。

 先ほどまで経定が手に持っていたものと似たような本、それをもって一体なにをしようと言うのだと。


「天にまします我らの父よ 我らの罪を許したまえ 試みに遭わせず悪から救いたまえ 御力により我が戦いを助けたまえ この場は祈りを捧ぐ聖なる教会 悪しき魂を逃さぬ光の檻 主の教え主の導きに膝をつき懺悔せよ エィメン」


 掲げられた聖書のページが次々と捲られ飛び立って行く。

 なにかの攻撃かと身構える伊織であったが飛び立った紙片達は伊織に向かうことなく部屋の壁や床、天井に向かい貼り付いていく。

 何が起こるんだとキョロキョロ視線を彷徨わす伊織を他所に、聖書の断片が光を放つと部屋を作り替えていく。

 床から壁沿いにせり出して来る柱、ステンドガラスが張られた煌びやかな白一色の壁、ヴォールト形式を意識したようなアーチ形の天井、鏡張りかと疑うような床一面に敷き詰められた大理石達、それはまさに絢爛な教会と呼べる光景。

 広いとは言え一建物の一部屋が、元あった空間以上の広さと高さを誇る聖なる儀式場へと塗り替えられていく不条理極まりない光景であった。


「以前使った時に視覚的効果が貧弱だと同僚からダメ出しを受けましてねぇ、見た目に拘ってみました」


 どうでもいい補足よりこれが一体なんなのかを説明しろと全員の視線が訴えかける。


「ああ、見た目だけなので天井の高さは元のままです、気を付けてくださいねぇ」

「だれもそんなこと聞いてないんだけど?で、お兄さんもエクソシストってやつなの?これってただの手品じゃないんでしょ?」

「おや?貴方こそ白々しい。案外感知能力は鈍いのですかね。あなたならすぐに気づくと思ったのですが?」

「へぇ……ならこの息苦しさはそのせいなんだ。デバフってやつなのかな?」

「ええ、ここは聖なる力場。魔に属す存在にとっては居心地の悪い空間でしょう?」


 尚斗と伊織の会話を聞いていた経定が大きな声で割って入った。


「神耶!!どういうことだ、魔に属すとは!まさか……『そう』だとでも言うのか!?」


 尚斗は後方に振り向かないまま経定の疑問に答えた。


「経定君、君にはもうちょっと早く気づいてほしかったですね、専門家なんですから」

「専門家……やはりそいつは『悪魔』なんだな!?」

「厳密には『悪魔憑き』ですね。モニター越しからは感じ取れませんでしたがここに来てはっきり確信が持てます、あぁ、とても臭い……反吐が出そうな匂いがぷんぷんする」

「流石に俺でも悪魔の気配はわかる!しかしそいつからは人間の気配しかしないぞ!?」

「この程度の隠蔽は見抜いてください。こんな小手先の小細工は常套手段ですよ?」

「そ、そんな……ここまでの擬態が『この程度』……なのか……」


 どうやら経定はまだ「素直」な悪魔しか退治してこなかったらしい、経験が不足していることが露呈した形だ。


「そろそろ“人間のフリ”はやめたらどうですか?既ににその体を支配していることはわかっています、少年の記憶を読み取り人間らしく振舞っていてもその汚物のような存在感は隠しきれませんよ?」


 しばらく沈黙を貫いていた伊織であったがひとつ溜息を吐くとにへらと不気味な嗤いを浮かべる。


「まいったなぁ、上手く偽装していたはずなんだけど?あ、喋り方はこれが素だからね?」


 観念したのかあっさりと事実を暴露する伊織、これがサスペンスドラマならここで手錠をかけられ事件は解決、エンドロールが流れるようなものだが戦いではむしろここからが本番。


「上手く?貴方方はもうちょっと人間社会を勉強した方がいい。自分達の尺度で人間を知った気になっていれば今回のように足元をすくわれますよ?」

「へぇ……参考までにどこが悪かったか教えてもらえないかな?次までの課題にさせてもらうよ」

「ええ、とても殊勝なことです。ではまずひとつ、あなたが支配したその子はまだ中学生という子供に属す年齢です。後ろの二人のようにイカツイ顔をした大人に対して余裕を見せられるほど成熟していません」


 まさかそんな理由でやり玉に挙げられるとは思っていなかった傍観者の二人は絶句したように間抜けな表情を晒している。


「……私は……子供が恐れるほどにいかついのか?……」

「なにを今更……」

「西園寺さんも近衛さんも一般的には『怖い人』の分類に入るんじゃないでしょうか」


 嗣季のショックを受けたボヤキに、自分の見た目をよく理解している経定がツッコミを入れ、そして美詞の言葉がトドメになる。


「そして二つ目、その子は退魔師家系として教育を受けてこなかった言わば一般人。いくら力を持っていたとしてもこの日本では力を振るう場所が限られているんです、力に振り回されるならまだしも、そこまで戦闘に慣れた立ち回りができる訳がないでしょう」

「おっと……それは盲点だったなぁ。そんなにこの国は平和なんだ」

「そうですね、裏の仕事は一般人に知られることなく退魔師達が対処してきましたので。この国の国民はそうやって守られてきたんです。そして三つ目」

「まだあるのかい?」

「術の隠蔽が未熟です。画面越しで見ても魔の力が所々で漏れているのがわかりましたよ?カモフラージュしていた術の数々は伊織君の記憶からですか?」

「そうだよ、この子の想像力はなかなか逞しくてさ。ファンタジー世界っていうの?自分が物語の主人公になって闇の魔法を駆使しながら無双する夢を見てるんだよね、ほんとおもしろいよ」


 図らずして伊織君の中二病思考を暴いてしまった尚斗は居た堪れない気持ちになってしまった。


「……悪魔め、なんて悪辣な。この年の少年達は一定数そういった病に冒されるものなのです。彼のような性格だと人に知られる事を恐れていたはずだ……それを暴露するなんてあまりにも彼が不憫すぎるっ!」


 どうやらすべての責任を悪魔に押し付ける模様。


「え……えぇぇ?これって悪い事なの?かっこよくていいと思うんだけどなぁ……そうかぁ、確かに僕の考えとズレがあるようだね。うん、わかったよ。次からは参考にさせてもらうことにしよう」

 

「いえ、殊勝と言いましたが参考にしなくて結構です。あなたに次はないので」


 尚斗の断言する言葉にはただの強がりとは思えない重みがあった。

 

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