第177話

「さてと、今更こんな事を聞くのもおかしいだろうけど……お兄さん達は何しにここに来たのかな?」


 ハナブサ製薬を襲った怪異、その正体が今目の前に姿を現した。

 自らが犯人だと嘯く者は悪霊や物の怪みたいな超常現象的存在ではなく人間。

 そうなってくるとこれまでの不可解なものの大体に合点がいってしまう。


「今回の事件の解決にきたんだよ。念のために確認しておく、纐纈惣二郎に対し怪文書から始まった手紙と電話による脅迫、社屋の霊障、ご子息の誘拐、全部おまえの仕業だなぁ?」


 列挙された犯行はとても一怪異が行うような事柄ではない、あまりにも怪異らしくなく……この中で「怪異」と呼べるような存在が仕出かしそうな事と言えば霊障程度、辛うじて人間を連れ去るレベルだろうか。


「うん、そうだよ。僕が全部やった事だね。今日は纐纈社長との交渉だったはずなんだけどそこまで事情を知ってるってことはお兄さん達社長に雇われた人?」

「そういうことだ。中坊がなんでそんな力を持ってるかしらねぇが、おまえのような存在をぶっ倒すのが仕事だ」

「へぇ……ん?僕の年齢言ったっけ?もしかして外に帆乃香さんが来てる?おーい、見えてるー?そのカメラの向こう側から見てるんだよねぇー」


 経定達のヘッドセットにカメラが取り付けられているのに気付き呑気に手を振って見せている。


「白々しい真似はよせ。あんなにタイミングよく仕留めてたんだ、どうせ見てたんだろうが。全体を把握している人間が外を監視してないはずがないからな」

「おぉ!正解正解、すごいねぇお兄さん!でさ、交渉は決裂と思っていいのかなぁ?」


 伊織が取り出した禍々しいフォルムをしたナイフが拘束されている勇利の喉元にあてられた。

 経定らが耳につけていたヘッドセットから惣二郎の声が聞こえる、「やめてくれ!犯人をあまり刺激しないで欲しい!」……そしてその声を聞いていた経好から相手の目的を聞き出せとの指示が降りた。


「チッ!やめとけ。大事な人質は丁重に扱うことだ。その子供の首を掻っ切った時点で交渉は交渉じゃなくなるぜ。てめぇの目的はなんだ?」

「えぇ?送った手紙に書いてたはずだけど?僕が望む薬の製作をお願いしたんだけど」


 確かに最初の手紙でそのような内容が書かれていた、そして電話でも同じ内容で脅迫もされていたのだが……。


「文面通りにあんな戯言を信じろって言うのか?ご息女に振られた腹いせじゃねーのか?」

「あ、もうその事伝わってるんだー。いや、薬を作ってほしいのは本当だよ?『惚れ薬』を作ってほしいんだ。レシピも知ってるし呪術材料も揃ってるんだけどね、僕って不器用で一般的な薬剤知識もないし専門的な道具も持ってなくてね。せっかくだから僕を振った張本人の父親が作った薬でさ、その娘を惚れさせるなんておもしろいと思わない?」

「……ちっとも笑えねぇな。男なら正面から惚れさせてみろや」

「価値観は人それぞれだよ。うーん……人質を傷つけるのはよくないって事ならお兄さん達を倒したら考え直してくれるかな?うん、そうしよう」

「そっちの方が分かり易くていい。もちろん抵抗はさせてもらがなっ!」


 伊織は終始飄々とした態度を崩さなかった。

 そんな態度で頭のおかしい要求をつきつけてくる姿から、彼は本当にサイコパスなのでは?と思ったほどだ。

 

 違和感さえ目をつむるのなら。


 マイク越しから彼らの会話に耳を傾けていた尚斗は真剣な表情でモニターを睨みつけている。

 尚斗が抱く予感は確信に近づきつつある、あともう一つ決定的なピースが揃えばそれはもう確信へと変わるほどに。

 そのためにもこれから繰り広げられるであろう戦闘を片時も見逃すわけにはいかない。


 場面はハナブサ製薬の社長室に戻り。

 伊織の発言により一気にぴりついた空気となる中、初手で動いたのは「倒す」発言の言い出しっぺである伊織であった。

 ナイフ同様、またどこに隠してあったのか禍々しいフォルムをした長杖を取り出した。

 杖の先を経定と嗣季に定めると。


「出でよ闇、暗き深淵の導きに従い血肉を躍らせよ」


 杖の先から幾何学模様に彩られた魔法陣が浮かび上がると黒い力の塊がいくつも迸る。


「散れ!!」


 経定の叫びに反応したエコーワンと嗣季の側近は回避を選びそれぞれ別の方向に飛びのいた……が残った嗣季がただ棒立ちになったまま素早く印を結ぶ。


 黒いエネルギー弾のようなものが嗣季に殺到するよりも早く起動したそれは略式起動させた小型の防御円。

 ひとつひとつが着弾する度に闇が粉塵のように広がり嗣季の姿が見えなくなる。

 並の陰陽師ならこのような略式術で構築した防御結界等では到底防ぎようのない量であったが……煙のような闇が晴れたそこには無傷どころかまだ形を保ったままの結界の姿が。

 「現役最強陰陽師」ともなるとこの程度は問題にもならないみたいだ。


「主よ!罪深き虜囚に裁きをたもう、エィメン!」


 回避に専念していた経定がお返しとばかりに聖言の込められた光り輝く矢を伊織に放った。


「夜の断片、影の支配に呑まれよ」


 伊織が一振りした杖の動きに従い黒い壁が姿を現すと光の矢がとぷんと飲み込まれてしまった。

 一連の攻防、伊織に焦りはない、単純作業をこなすようにスムーズな動きをみせている。


「急急如律令【雷雷鳴翔】」


 間髪おかずに発せられた抑揚のない声による術の発動は嗣季のもの、詠唱短縮された威力の弱いその術も嗣季の手にかかれば極太の稲妻に。

 しかしその雷光も伊織が展開した黒い壁が掃除機のように吸い込んでしまう。


「おぉ!陰陽師の実物を初めて見たよ!かっこいいねぇ。じゃぁ僕も……昏き激情より産まれ落ちよ【終末の賛歌】」


 杖で地面をトンっと叩くと広い部屋一面に大きな魔法陣が描かれる。

 その範囲は対峙する四人の足元まで及び途端に床すべてが真っ黒に塗りつぶされてしまう。

 床からなにかが生えてくるのに気付いた経定が叫んだ。


「……っ!動き続けろ!捕まるんじゃねーぞ!」


 ここでも先ほどと同じ様に嗣季を除いた者達が回避に専念し動き出したが、やはり嗣季は不動の構え。

 ズルルと床から伸びてきた無数の黒い手をそれぞれが迎撃している中、一人嗣季は伸びてきた手に体を拘束されるが印を結び「オン!」と真言を唱えただけで弾き飛ばしていた。


「……なんて出鱈目。こんなわけわかんねぇ術使いやがるガキも意味不明だが、西園寺も大概だな……」


 走りながら迫りくる黒い手を光の力が籠ったメイスで払っていた経定は、あまりにも理不尽な光景に慄いていた。

 退魔師最強の一角とは知っていたが実際に嗣季の戦闘を見るのは初めてなのだ、一歩も動かず大した労力もかけずに余裕ある対処を行っている姿から噂は真実であると見せつけられていた。


 

 モニターで戦闘光景を見守っていた経好が隣の尚斗に質問を投げかけた。


「神耶ァ、あの術はなんだ?どうみても日本の流派に見えねーぞ?」

「……ですね。術起動の際魔法陣が浮かび上がるのは黒魔術に似ているところがあります。……しかしまったくの別物です」

「西洋魔術じゃねーってぇーのか?」

「魔法陣の構成が出鱈目です、例えるならグラフィックデザイナーがデザイン重視で『ぼくがかんがえたかっこいい魔法陣』というのを描いたらああなるかと。術の呪文もまったく意味が不明ですね、黒魔術は目的を遂行するための儀式です、それっぽい言葉を並べたりしますが数学のようにしっかり理に沿って構築されています。しかしアレにはそれがまったくない。もしかしたらそれっぽい言葉を並べているだけで無詠唱での起動がスタンダードなのかもしれません」

「そうなると不可解だな、一体何と戦ってんだ俺らは?」


 モニターの中では伊織の術と退魔師達の術が飛び交っている姿が映っている。

 経定らは常に動き回っているので画面酔いを起こしそうなほど画面が揺れているが、それでも対峙する伊織の事はしっかりと捉えており、その顔はあまりにも余裕に満ちた中学生らしくない表情を浮かべている。

 西園寺家の側近が装着しているカメラには嗣季の姿が頻繁に映されているが、伊織とは対照的にまったく読めない無表情は相変わらず……しかし他の退魔師とは違いどっしりとその場から動かず術の応酬を繰り広げている様から余裕が窺える。


「くそっ!エコーワンがやられた!」


 社長室の壁から生えた手が無防備だったエコーワンの背後から這い寄り絡めとられてしまったのだ。

 そのまま真っ黒なタールの中にとぷりと引きずり込まれるとカメラの映像がブラックアウトする。

 前方しか映っていなかった映像からエコーワンに何が起こったのか分からない経好らであったが、相手は奇襲や罠を得意とする術者、死角からの攻撃によりやられてしまったものとすぐに判断したのだ。

 これで生きているカメラは二台だけ、経定と西園寺家の側近が身に着けているもののみ。

 20個以上のカメラ映像を複数のモニターで管理していたがもうその必要もないだろうと隊員達のバイタル情報のみを別モニタに移し、生きている2台分の映像のみをメインモニターに大きく表示させた。

 映像が大きくなったことにより何かに気づいた尚斗。


(今のは……気のせいか?……いや、まただ)


 気が付いた部分を注視していると違和感が確信に変わってくる。


「……そういうことか」

「あん?」


 経好の耳へ微かに入って来た尚斗の声、どうした?と言わんばかりの表情を訝し気に向けてきている。


「経好、このままでは彼らは勝てません。いや、思い違いをしたままだ」

「何言ってんだてめぇ……どういうことだ?」

「……行ってきます」

「お、おい!なんだってんだ!?」


 経好に言いたいことだけを伝え踵を返した尚斗。

 彼の顔にははっきりと嗤いが浮かんでいた。

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