第162話

 怪異が、会社を、乗っ取る?

 尚斗はその言葉の意味を噛み砕くことに時間を要した。

 そして出た結論は……「わからない」である。


「纐纈殿……あぁ、すみません。纐纈さんとお呼びしても?いつもの癖でつい。それで教えていただきたいのですが……怪異に乗っ取られたと言うのがよくわからないのですが、それは文字通りの意味なのでしょうか?例えば怪異が憑依した誰かに会社の権利を奪われたとか」


「はは、呼び方なんて好きにしてください。そうですね……正直私も理解の及ばない現象をどう説明すればいいのかわからないのですが物理的な事なんです、わが社の社屋に入ることができない」

「あぁ、なるほど。確かに“乗っ取り”と表現されても仕方ありませんね。要は怪異が纐纈さんの会社で霊障を起こしている状態ということですか。経緯を説明いただいても?」

「ええ、話の発端はコレが私の下に送りつけられてからなんです」


 惣二郎がカバンから取り出したのは何やら一枚物の紙、なんの変哲もないコピー用紙かと思われるような紙に字が書かれている。


「拝見します……『私が要求する薬剤を作れ 指示は追って連絡する 要求を呑めない場合は会社に不幸が降り注ぐことになるだろう』……えっと、脅迫文と見てよろしいでしょうか?」


 これだけを見ればただの刑事事件だ。

紙もそこらへんのコピー用紙、字は機械で打ち込まれたもの、怪異というよりも狂人が作成したもの。

 それは理解しているのだろう、惣二郎も鷹揚に頷いていた。


「ええ、最初は怪異なんて想像もつきませんでしたよ。どう見ても人の手が加わったものにしか見えませんからね。そしてそこに書かれている通り実際私の携帯に非通知で連絡がありました」

「怪異が怪文書と脅迫電話ですか。確かに部屋に血文字で怨みを綴ったり、電話で呪詛を撒き散らしたりしますが……そんなことではなさそうですよね?電話はどういった内容だったのですか?」

「そこに書かれている通り自分の指定した薬を作れと命令してきました。丁寧にボイスチェンジャーで声を変えてです。もちろんそんな要求に従う道理はなかったので断ったのですよ、『協力なんてできない』とね。そしたら何も言わず電話が切れたんです」


 怪異がボイスチェンジャー?はっきり言って理解不能だ。

 パソコンを使いプリンターで印刷して丁寧に投函し、電話を使って機械で声を変えて脅迫。

 うん、どう見ても人間のやることだ。

 悪霊に憑依された誰かが?にしては計画的すぎる、衝動的に本能で動く悪霊の憑依現象とは思いにくい。

 今のところ怪異の「か」の字もかすってないように思われる、もう少々話を進めたほうがいいだろう。


「今の段階ではどう考えても人の手によるものとしか思えませんが、警察には相談されなかったのですか?」

「実は怪文書や脅迫電話等は特段珍しくもないのです。まぁ頻繁にあるわけではありませんが……実際今までは脅してくるだけで、実害と言えば私の精神が削られる程度でしたね。警察に動いてもらうとどうしてもマスコミが嗅ぎつけてきます、わが社を無暗に見世物にしたくなかったので控えておりましたら……」

「今回は実害があったと……その電話の後で何らかの異常なアクションがあったのですね?」

「はい、それからしばらくしてまた脅迫文が送られてきました。これがその二通目です。『今度はただの脅しではない。行動に移す』とね。それでも拒否してますと、先日当社の敷地内にありますオフィス棟と研究棟の二棟の入口が開かなくなりました。最初は警備システムの故障かと思ったのですが警備会社でも原因がわからず、仕方ないのでドアを破壊して入ろうとしましたがビクともしません。入口だけではなく窓という窓もすべて壊すことができなかったんです。それこそ高所作業車で二階の窓も試しましたがダメでした。どう考えても人の成せる業ではないと思ったのです」

「すごい範囲の霊障ですね。建物二棟分を丸々テリトリーに収めますか……かなり強力だ」


 尚斗はまだハナブサ製薬本社の規模を知らない、しかし建物丸ごと二棟も影響下に置くとなるとかなりの力になるのは考えなくても分かるほどに強力、同様の事を考えたのか隣で今まで話の粗筋を静かにを見守っていた美詞が尚斗に質問してきた。


「神耶さん、ありえるのですか?そのような規模の霊障を一悪霊が起こせるなんて」

「ありえない……とは言い切れないのがなんとも。私でもビル一棟ぐらいでしたら経験したことがありますので。霊障なんてものの限界は人でははかれないのですよ。不躾な質問になってしまいますが、会社のほうは大丈夫なのですか?その……運営とか」

「正直損失は計り知れません。会社の運営だけでしたらまだなんとかできます。必要なデータはすべて外部サーバーに保存してましたので、本社の社員を各支社に割り振り対処してもらってます。しかしサーバーにあるのはあくまで必要最低限会社をまわして行くだけのものしかありません。情報漏洩防止のため本社内に独立させていたデータは掘り出せませんし、書面で保存していた物も少なくありません。商品の製造等は本社で行っていないのが幸いでしたが、なによりも厳しいのが研究棟の方です。試験中のものや培養中のもの等が全部止まっているとなると、今までの研究がまた振り出しに戻ってしまう可能性が高いのです。一言で最悪ですね」


 つらつらと惣二郎の口から愚痴が零れてくるのはそれだけ鬱憤が溜まっているからだろう。

 大会社を纏める最高責任者という重責は、現在進行形で惣二郎の背に大量の重りが降り注いでいる。

 正直見ていて気の毒になるほどである。


「ここまでくると流石に警察に……とも思ったのですが、以前パーティーで桐生先輩と話していた内容を思い出しましてね、それで先に先輩の方へ相談させていただいたんです」


 聞けば宗近の体が回復し、一線に戻ってくると精力的に話を広めてくれていたようだ。

 もちろん話す相手は選んでいるだろう、付き合いの浅い人間に話したところで「老人の耄碌か?」と思われるだけ。

 惣二郎は宗近の思惑通り無事釣り針に引っかかってくれた。


「あぁ、警察に相談されても時間だけ浪費して最終的には退魔師の方へ回ってきたでしょうから判断は間違っていないかと。怪異の性質がいまいちわかりませんね。強力な霊障を起こせるくせに、存在を晒さず脅迫文と電話でアプローチしてくる慎重さ。変な能力に開花した能力者と断じたほうがまだしっくりきます」

「なるほど。超常現象イコール怪異とは限らないということですね。不思議な力を持つ人間がその力を悪用している可能性もあると?」

「ええ、いくらでもいますよアウトサイダーというのは。ただ人間であった場合、能力の力が強すぎるということでしょうか。ちなみにですがその霊障と思われる現象が起きてどれぐらいが経ちましたか?」

「四日目ですね。四日前に事件が起こり、その日中に色々試しましたが解決せず、その日中に社員を各支社に割り振る手配を整えバタバタしておりました。その後桐生先輩に相談させていただき今日神耶さんとお会いすることになったのです」

「行動が早いですね。そうなるともし相手が人間だと仮定して、丸三日間もその力を行使し続けていることになります。とんでもない力だ。そうなるとまだ意味不明な霊障と見たほうが現実的か……?」


 今度は尚斗が自らの思考に耽ることになった。

 人間がそれだけの規模の術を発動しようとすれば大儀式になる。

 もちろん「建物全体を物理的に入れないよう頑強さを与え固定する」という術等聞いたこともない、実用性なんてないようなものだ、同じような効果なら遮断結界があればいいのだから。

 よしんばそのような「どこに使うんだ」と思われる術を持っている人間が術を行使したとしよう。

 三日間も行使し続けるだけの霊力はどれほどになる?回復手段でもなければ到底無理……いや回復手段自体が限られているし、ゲームのように瓶一本でマジックポイントを全快するような薬があるわけでもないのだ。

 はっきり言って現実的ではない。

 思考の深みに嵌っていきそうな尚斗を引き上げたのは惣二郎の言葉だった。


「それで……こうやって神耶さんとお会いさせていただいたのは頼み事があっての事なのです」

「ええ、私を呼ぶということは恐らくそういう事になるとは思っておりました。しかし協会の方はよろしいのでしょうか?」

「桐生先輩と話をしてみましたが、協会にはそのまま踊ってもらおうかと」


 前に座る御仁二人の悪だくみする顔はなかなかに胴が入っている。

 海千山千の魑魅魍魎蔓延る経済界で高い地位に上り詰めてきただけはある説得力ある迫力だ。


「私達を騙し神耶さんから遠ざけようとしたのです。信頼のなんたるかも知らない輩には相応の対応でいいかと思いまして」

「私が直接神耶さんに連絡するとも思ってないほどに愚かなのだろう。なので協会への依頼はそのまま取り下げないことにしたんだよ」


 ニヤリと嗤う二人の顔は尚斗が悪だくみをする際の笑顔とはレベルが違う、尚斗だけではなく見慣れてきた美詞ですら顔を引きつらせているほど。


「な、なるほど。そちらはお二人のご随意のままに……はは、協会もバカをしたもんだ……それでは私は一体なんのために呼ばれたのでしょうか?」


 怪異に対しての対処は協会に任せると言った、なら今回の件で尚斗は一体なぜ必要なのだろうか、まさか相談役として?


「神耶さんには除霊や調査の当日私達の護衛をしてもらいたいのです」

「護衛……ですか。まぁ護衛任務の経験はありますので問題はありませんが。えっと、桐生さんも同席される予定なのですか?」

「ははは、ただの悪ノリだよ。神耶さんを排除しようとしていた者達が、当日神耶さんの姿を見て顔を青ざめる姿を見るぐらいいいだろう?」


 そう楽しそうに漏らす老人はなんともお茶目で物騒な思考の持ち主であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る