第142話

 防衛省

 言わずと知れた日本国の国家防衛を担う心臓部。

 省としては最大規模と呼べる施設と所属人員を誇っており、国を守る防衛のためにありとあらゆる機関がここに集っていると言っても過言ではない。

 他の省庁は霞が関の庁舎等に集中しているにもかかわらず、防衛省に関しては少し離れたオフィス街であるここ市ヶ谷の一角で広大な敷地の中に居を構えている。

 敷地に入ることさえ難しそうな厳重なゲートが設けられており、そんな入口ゲートを我が物顔で通過する尚斗ら。

 別に認識阻害等で不正をし忍び込んでいるわけではない、むしろ防衛の要となるここがそんな対策を怠っている訳はないのだ。


 偏に尚斗がここの職員扱いというだけ。


 道行く関係者達が尚斗の隣に付き従うお犬様と女学生の姿にギョッとなる光景ももう慣れたもの。

 待ち合わせに指定された部屋をノックすると中から入室の許可が降りる。


「お待たせしましたか?急な対応ありがとうございます時任さん」

「ああ、いいのだよ。掛けてくれたまえ」


 部屋は普通の応接室のような装いであるがしっかり防諜対策が施された場所。

 それこそ入口のドアですら誰も途中入室ができないよう自動ロックされるほど。

 促されたソファに座った尚斗の正面に座るのは、白髪が混ざった髪を短く刈り上げた短髪の中年。

 内勤者にしては筋肉隆々で美丈夫というよりは偉丈夫、強面と言えるだろう。

 鋭い目つきから見た目の威圧感はあるものの人当りはよく、笑った顔が柔らかいためギャップがあると人気だ。

 時任基晴(ときとう もとはる)、異例の若さで就任した現役の陸上幕僚監部の長である。

 そしてまだ一般人には公開されていない裏の顔としては「超常現象対策本部本部長」を発足当時から兼任しているなんとも忙しい御仁であった。

 

「わざわざ足を運んでもらって悪いね。どうしても事が事なだけに来てもらわなければならなかった。……今日は桜井君も一緒だったんだね……」

「おや、これは都合が悪かったですか?」

「あ、問題がありそうなら私はいつもの場所で待っておりますが?」


 美詞が気を使ったのか退室しようとするのを基晴が手で制する。


「いや、いいよ。機密を知る人間は一人でも抑えたかったが桜井君なら問題はない、書類をちょいといじっておこう」


 そう言いながら手元の書類をダイレクトに手書きで訂正するというとんでもない暴挙にでる基晴。

 完成した書類が尚斗達に向け差し出された。

 簡単に言ってしまえば「国家機密の内容を他に漏らすなよ?漏らしたら容赦しねーぞ?」というもの。

 サイン欄に三名の名が連なっているが、なんとそこには貴き御方の名前まで。


「へぇ……内閣総理大臣にすら知らされていない機密ですか……」


 署名欄に総理の名がないことに気づき……というよりも大臣の名すらない事に驚いた。


「それほどのものなのだよ。この件に関しては陛下以外には直接指揮を執る統合幕僚長と私だけが知ることとなっている」

「……本当に最小限なのですね……任期の関係上ですか……」

「こうも入れ替わりが激しくてはね……だからこそ扱いには気を付けてほしい」

「そこまで警戒するレベルの機密というよりは……過去になにかありましたね?」


 あまりにも警戒しすぎている、せめて内閣総理大臣や防衛大臣ぐらいは当然のように知っておくべきだろうと思うが故の感想であった。


「そこも含めて説明しよう。君が予想しているように事は『黄泉の国』に関するものだ」


 時は平安時代にまで遡る。

 いわゆる妖怪や退魔師の全盛期とも呼べる当時に、日ノ本の各地で黄泉の軍勢と思われる鬼共が進軍してきた。

 多大な犠牲を払いつつも、なんとかそれらの軍勢を退けた退魔術者達が見つけたのは黄泉の国へと繋がる洞窟。

 しかもそれは1ヶ所ではない、なんと日本各地に7ヶ所もあったのだ。

 最も濃い黄泉の瘴気を放つその洞窟のあった場所が、今の島根県の出雲地方であったことから古事記にある「黄泉比良坂」であるのではと考えられた。

 直ぐに朝廷軍が編成され黄泉比良坂の制圧が行われたが……


「結果は惨敗だ、まぁ朝廷が抱える退魔師の数が少なかったとも言われているが真相はわからん。問題なのは黄泉の国を刺激し瘴気が現世に溢れる事となってしまった」

「あの頃は確か蝦夷の征伐にも力を入れてましたよね?」

「ああ、支配地域を拡大したかったこともあったろうが陸奥国で金鉱脈が見つかったからね。あの頃は国が財政難だったから欲をかくのも仕方がない。黄泉国の制圧がうまくいかなかったのも蝦夷制圧のために軍を酷使しすぎたからかもしれないな」

「当時の兵は何万という軍勢が当たり前だったのでしょう?それほどの人員を導入しても惨敗だったのですか……」


 一進一退どころか黄泉からの侵攻を抑えることすら叶わなかった朝廷は制圧を断念。

 というよりも国がそれどころではなかった、瘴気の影響により疫病と飢饉が頻発。

 せっかく東北の制圧に勝利したが国はどんどん衰退していくことに、黄泉比良坂を封印する方針に転換した。

 しかし相手はそんじょそこらの妖ではない、結界を張っても長続きはせず破られては結界を改良し、また破られては改良しと試行錯誤を続けることなんと200年以上。


「かの安倍晴明ですら黄泉国の恒常的な封印には至らなかったそうだ。彼が没後は更にひどい状況となり国が大きく乱れていくことになる。有名な治承・寿永の乱だ。正直なところ戦なんてしている場合ではなかったのだ……戦にかまける事で黄泉国の対応も疎かになっていき、瘴気は甚大な被害を齎した」

「あ、歴史で習いました。養和の飢饉ですよね?」


 美詞の答えに頷いた基晴は話を続ける。


「ああ、『方丈記』にもある三つの災害の内のひとつ、養和の大飢饉だ。当時の自然災害等がどこまで瘴気の影響によるものなのかはわからないが、国の星詠み達はこの日ノ本に蔓延しつつある瘴気が天変地異を引き起こすことを読んでいたそうだよ」

「うわぁ……これ表に出したら日本史の教科書が変わっちゃいますね」


 美詞の言うように、古来より伏せられてきた数々の怪異を紐解いていけば日本史はだいぶ様変わりしてしまうだろう。

 

「時代は武家政権となり鎌倉時代となるわけだが、黄泉比良坂の封印もやっと目途がたってきた。とある家が安倍晴明の残した結界を引き継ぎ継続的な封印措置を施すための結界を作り出したのだ」

「うわ、すごいですね。黄泉の国とを遮断する結界ですか……やはり神職の方なのですか?」

「はは、何を言っている。君の家だよ桜井君」

「おっと、そこでも桜井は出てきますか……」


 尚斗がクスクスと笑っているようだが美詞は驚きが大きかったのか口を開け固まっている。

 桜井が改良した結界は黄泉の軍勢を見事抑えつけることに成功するが一つ問題があった。


「結界は完璧だったんだがね……術の代償が追いつかなかったのだよ」

「まぁそうなるでしょうね。強力な結界となれば触媒や必要霊力がどれほどのものになるか……」

「起動時の膨大な対価は当時でもなんとかなった、しかし継続して維持し続けるには人の霊力を送り続ける必要がある。しかも神職の神力とも呼べる黄泉の瘴気に対抗できる力だ」


 基晴のそこまでの説明で察してしまった尚斗。


「まさか……そのための巫女……そのための生田家……なのですか?」

「……そうだ。かの一族だけではない。今現在日本には7つの黄泉比良坂を封印し続けるために7つの『鎮守の巫女』を輩出する一族と、その一族を守護するための7つの『護家』が存在している。生田家と佐治家はそれぞれ『鎮守の巫女家』と『護家』の関係にあるのだよ」

「そういうことでしたか……藪を突いてみれば蛇どころか大蛇が出てきましたね……今代の生田家の巫女に千歳君が選ばれてしまったということか……」

「本来は成年となり、心身及び霊力共に成長した者が巫女となるはずだったのだがね……近年の術者の弱化と少子化が仇となった」

「前任の巫女が役目を終えるのに巫女を育てるのが間に合わなかった……ということですか?少し疑問なのですが代替わりはどういった流れで成されるので?」


 巫女の任期に決まりはない。

 要は限界まで酷使される。

 結界が張られているのは黄泉国へ通ずる洞窟の中、入口に近い場所とは言え瘴気が漂う場所。

 鎮守の祈りを捧げる間巫女は常に瘴気に晒されるわけだ。


「そうか……だから当主の妻から黄泉竈食いの気がしたのですね。そんな場所で保存されていた食べ物が瘴気の影響を受けない訳がない。彼女は先代の巫女だったので?」

「いや……三代前だ。いくら瘴気を和らげる術式が施されているとはいえ、外からも内からも瘴気に冒されながらその場で生活をしなければならないのだ、10年も全うできないのだよ。ひどい時では3年で交代した時もある」


 基晴と尚斗がそんな会話を交わしていると今まで静かだった八津波が基晴に尋ねた。


「『そなた未だ隠しておる事があろう?黄泉の瘴気を見極める事など容易ではないぞ?己の身の限界を見極めうる事のできんかった者共はどうなった?』」


 基晴の顔に影が差す。


「隠していた訳ではないよ、話すつもりであった。むしろ知っていてほしかった……確かに自分の体の限界以上に『頑張ってしまった』巫女は過去何人もいる。彼女達は瘴気に冒され命を落とし……黄泉の国へ連れ去られてしまったよ」

「……未成年である千歳君にその見極めをしろというのは酷か……」

「私達は誰かにこの秘密を知ってもらいたくもあった。むしろ日本国民全員に知らしめたいほどだ……私達国民は尊い巫女達の犠牲の上に成り立っていると……彼女達だけではない。この日本を得体の知れない脅威から守るためどれほどの退魔師や自衛隊員達が命を散らしていったか!国民はそれを知る義務がある!だからこそ―」

「落ち着いて下さい……時任さん。あなたの気持ちは分かっています。私はそんなあなただからこそ誘いに乗ったのですから。大丈夫、あなたの想いはきっと形になる……遠くない未来に……そうでしょう?」

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