第九章 古より穢れを込めて
第137話
ピシャンと閉められた扉を合図に一気にざわめきが広がっていく教室の中。
それまで大人しくしていた生徒達の動きも活発になり、大した用もないのに他のクラスの友人に会いにいく者や、逆に会いに来る授業の合間の休み時間。
たった10分そこらの限られた自由時間の中でそれぞれグループで固まりだし、他愛もない雑談を交わすのはお決まりの光景であった。
そんな中でも必要最低限でしか席を立つことのない美詞は、今まで受けていた授業の教材をさっさと片付け次の授業の準備に入っていた。
「あー、古典マジ呪文ー、眠たくなっちゃうよー」
首をぐでんと後ろに倒した千鶴が美詞に賛同を求めてきた。
「ふふ、確かに呪文だね。私達にとってはほんとそのまま術式にもなっちゃうし」
「退魔師にはすんごい大事な授業ってのはわかってるんだけどねぇ、勉強になるとなーんかアレルギー反応起こしちゃって」
「次は日本史だよ?大丈夫?」
「だいじょーぶじゃなーい」
クスクスと口に手をあて上品に笑う美詞の仕草を見たクラスメイトの男子達が色めきだつのも相変わらずの光景であった。
そこへ廊下から女生徒の声が飛んでくる。
「桜井さーん、廊下で男子が探してるよー」
「あ、ありがとー!」
その情報にまたもや教室の男子生徒が騒めき始める。
「お、まだみーちゃんにアタックする子がいたんだー、神耶さんの事だいぶ広まったのにねぇ?」
千鶴のその言葉には返答しづらいのか苦笑いを浮かべるしかない美詞。
確かに尚斗という憧れの人に弟子入りしたという噂はすぐに広まった、しかし「だからなんじゃい!」と気にしないどころか逆に燃える者も出る始末。
その程度ならばいいのだが、いつぞやのバカ親子のように尚斗を乏しめるような『自称由緒ある名家』が多いため未だ美詞の休憩時間が心休まることはなかった。
立ちたくないが渋々重い腰を上げ廊下に行くと、ガッチリとした体つきのなかなか爽やか……いや、少々暑苦しさを感じてしまいそうな見た目の男子が待ち構えていた。
「すまない桜井、呼び出してしまって」
「ううん、大丈夫だよ。えー……っと……」
美詞は有名人でなので名前が知られているだろうが、美詞はいちいち男子生徒の名前を全員覚えているわけではない、ましてや違うクラスともなればなかなか接する機会もないため顔すら知らない子がいるほどだ。
目の前の男子もそのカテゴリーに属していた。
「ああ、俺は2-Cの佐治衛(さじ まもる)だ。今日は頼みがあって呼ばせてもらったんだが……」
ここまではいつもの、とまではいかないまでもよくある常套句。
しかしこんな人通りや目が多い場所でいきなりというのは久しぶりのパターン。
だからだろうか、やけに注目を集めてしまっていることに困った美詞が確認をする。
「あの、ここでいいのかな?」
「ん?いや、あまり時間をとらせるつもりもないんだ。聞いてくれるか?」
「え?いや、うん……まぁ……」
次に飛び出す言葉に周りの野次馬は興味津々の様子で皆が静かに見守っている。
美詞のクラスからも窓からこっそり、どころかガッツリ覗く男子達の顔がいっぱい。
「すまない……俺に神耶さんを紹介してもらえないだろうか!?」
「……ん?」
美詞が首を傾げた。
周りも首を傾げた。
全員の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
「ぶしつけな頼みなのはわかってる!だが、困った事態を抱えているんだ。神耶さんは興信所をやっているんだろ?ぜひ会って相談にのってもらいたい!」
話の内容から途端に興味を失った野次馬達が、蜘蛛の子を散らすように一瞬で撤収していった。
殺気だっていた男子生徒達も「はぁ人騒がせな」と言いながら解散していく。
やっと事態を把握した美詞は、自身が勘違いしていたことに恥ずかしくなり顔を赤らめてしまった。
「あ、うん!ちょっと、まってね」
慌てた様子でスマホを取り出した美詞がさっそくとばかりに尚斗に連絡を入れ確認をとりだした。
そこまで大した内容でもなかったのですぐに要件を伝え終わった美詞が通話を終えると、目の前にはテストの合否を言い渡されるのを待っているかのようにそわそわしている顔が。
「あ……えっと、大丈夫だって。今日の放課後時間とれるらしいけど?」
「そ、そうか!たすかる、ありがとうっ!!さっそく寄らせてもらうよ」
「あ、なら事務所の住所と電話番号を教えるね。メモできる?」
人騒がせな一幕があり、自分の席に戻って来た美詞を待っていたのは友人のチェシャ猫のような顔。
「ほー、こりゃ珍しいパターンの光景が見れましたなぁー」
「もう!茶化さないでっ!」
また顔を赤くしてしまった美詞の恥じらいを見せる姿に、愉快な男子生徒達はほっこりした顔になっていたのも……まぁ、よく見る光景であった。
放課後、神耶総合調査事務所にて。
コンコンと硬質な鉄を叩くノック音に気づいた尚斗が「どうぞ」と入室の許可を出す。
今日の予定は先ほど飛び込みで入った若い男の子だけ、恐らくその子で間違いないだろう。
「失礼します……」
なかなかのガタイな割に身を縮め入ってくる姿から緊張の度合いが窺える。
「さぁ、遠慮しないで。ここに座って」
緊張を解きほぐすように柔和な笑みを浮かべた尚斗が来客用のソファへと着席を促す。
それでも恐縮しながら入ってくる衛がソファに座ろうとすると、対面に座った大きく真っ白な犬を見掛け一瞬ギョッとなるが、チラチラ視線をおくりつつも恐る恐る席に着いた。
尚斗も着手していた事務作業を一旦止めソファへ座ると、お犬様が見ていたテレビの電源を消す。
「『これ尚斗、我の楽しみを奪うでない。手酷いではないか』」
犬がいきなり喋りだしたことに衛は今度こそ吃驚し身が跳ねた。
「お客様がいらっしゃったんですから我慢してください。それより喋ってもよかったのですか?」
「『ん?美詞の学友なのであろう?力も感じる。ならばこちら側の人間であろうが』」
「そういう事を言ってるのではないのですが、まぁいいでしょう」
そこへ美詞が盆に飲み物を乗せやってきた。
「神耶さんは学園に敵が多い私を心配してるだけだよ、やつはちゃん。はい、佐治君どうぞ」
自分の前に置かれたお茶と、現れた美詞との間に視線を往復させ事態を飲み込んでいるようだ。
「あ、ありがとう桜井。そうか、桜井は神耶さんのお弟子さんだったな。事務所に居てもおかしくはないか」
「うん、普段は修行の合間にお手伝いさせてもらってるんだよ」
どうやら衛にしてみれば修行する弟子と給仕する事がイコールで結びついてなかったようだ。
「にしても美詞君にしてはとても珍しいですね、君が男子を連れてくるとは」
「なんですかぁ神耶さーん?もしかして妬いてくれてます?」
「そんな戯言はもっと大人になってから言いなさい。小悪魔ムーブなんて慣れない事はしない方が身のためですよ?」
「あ、ひどいっ!せっかく練習したのに!」
「いや、わざわざ練習したんですか?」
いきなり始まった夫婦漫才に衛はついていけなかったようでぽかんと大口を開けている。
「おや、美詞君の場を和まそうとする努力は不発でしたね」
尚斗のその発言にハッとした衛がぼりぼりと後頭部を掻きだした。
「あ、いやすみません。あまりにも珍しい光景だったもので……自己紹介が遅れました、俺……私は佐治衛と言います。桜井とは同じ学年になります。今日は無理を言ってすみません」
「ご存じかと思いますが神耶尚斗と申します。無理ではないので気になさらないでください。それにしても珍しい光景ですか……普段の美詞君はどんな感じなのですか?」
「あ!神耶さんだめぇ!そんなの聞かないで!」
「えっと……クラスが違うのでそこまで日常を知っている訳ではないのですが、基本的に凛とした佇まいで楚々とした感じでしょうか。それに桜井に告白する男が多くて、男子に対してはやはり壁がありますので神耶さんに対しての気安さにすごい違和感があります」
美詞の方を見てみると両手で顔を覆い恥ずかしさに悶えているようだ。
「ふふ……私はいつも仲のいい友人達と過ごす美詞君しか見たことがありませんからねぇ。君の言う『凛とした佇まいで楚々とした』というのが逆に違和感すごいですね」
「うー……!神耶さんのいじわる!佐治君も変なこと言わないで!」
美詞の羞恥心を犠牲にした事により、どうやら場も少し和んだようであった。
「さて、どうやら私に相談事があるとのことですが……どういった事なのかお伺いできますか?」
衛の表情が張り詰めた、一気に真剣な顔つきになった彼の口から紡ぎ出されたのは……。
「実はとある人物が行方不明なんです。どうにかして探し出したいのですが……」
なるほど、確かにこれは興信所の領分だと納得した。
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