第136話
「おねえちゃん!ゆめあっちに行きたい!」
子供も多く行き交う商業施設の中で一際大きな幼い声があたりに響く。
幼い子供が多いこの施設では特段珍しい光景でもないため幸いにも注目を浴びる時間も一瞬、すぐに己の目的のためまた歩き出す人ばかり。
そんなかわいらしい催促に「なぁにゆめちゃん、どこに行きたいのかしら?」と満面の笑顔で応じる椿が、逸れないようにと由夢の手を取る姿は傍から見ていてもとても微笑ましい親子のようである。
朝から「些細な小事」を片付けた一行が訪れたのは秋田市にある大型ショッピングモール。
これから桜井で生活を送るにあたり必要となる生活必需品等の買い出しや、由夢の「気分転換」のため訪れたが、幼子のキャパシティをオーバーキルする広さを誇る施設を目にした由夢は、それはもう椿の予想を容易く吹っ切るほどのはしゃぎようであった。
「うん、見事なまでに生き生きしてますねぇ『二人とも』」
「とても微笑ましいじゃないですか?由夢ちゃんとってもかわいらしいです」
少し後方でその光景を見守っていた尚斗と美詞が穏やかな表情で言葉を交わしていた。
「ほら、孫を見守るような感想を漏らしてないで……おっかけなきゃこっちが逸れるよ?」
突っ走る由夢と椿に離れずついていく夏希と優江を視界に収める距離で、ツッコミを入れられた尚斗と美詞の傍に控えるのは千鶴。
「いやぁ、あの姿を見ていますと昔を思い出しましてね」
「へぇ、神耶さんも椿さんみたいな経験が……妹さんと買い物でも行った時とか?」
「いいえ、美詞君を初めて買い物に連れ出した時の事ですね」
「え”……」
穏やかな表情で由夢たちを見守っていた美詞の笑顔にひびが入る。
「わ、それ聞きたいかも!」
「わぁ!まってまってそれはちょっとまって!」
「美詞君を引き取って初めて買い物に来た時は今の由夢ちゃん以上のはしゃぎようでしたよ?初めて服を買ってあげた時はくるくるずっと―「だからまってぇぇぇぇ!!」」
美詞の制止に聞く耳を持たず一瞬で幼い頃の黒歴史を暴露しだした尚斗を恐れた美詞が、たまらず尚斗の口を物理的に手で押さえる。
「えぇー、もっと聞きたかったのにぃ。みーちゃんのケチぃ」
「もう!恥ずかしいからやめてよぉ!神耶さんもいじわるです!」
三人がじゃれあっていると、フードコートの一角に備え付けられていたテレビで流れていたニュース番組から、とある事件が報道されていた。
キャスターが読み上げる原稿の内容が耳に入って来たのだろう、千鶴がじゃれあいを止め尚斗に話題を振ってくる。
「もうニュースになってるんだね、結構早くない?」
「そこはアレですよ、桜井の工作というやつです」
「椿姉さん張り切ってたから……あの毒親を社会的に抹殺してやるって……」
「こわっ!」
ニュースに流れてくる内容は、娘に常日頃から暴言と暴行を加え育児放棄していた『母親』と『同居していた男』が逮捕されたと言うもの。
流れてくる映像には手錠をまわされ、苦し紛れの衣服らしきもので顔を隠された男女が警察車両に押し込まれていく姿。
しかし撮影していたカメラマンの位置取りがうまかったのか、見事に犯人らしき二人の“腫れあがった”顔がアップで映し出されていた。
「これ顔を晒したのもわざとだよね……」
「うん、きっと……」
桜井は追い込みに妥協はしない。
「それにしてもスカッとしたよー、もっとやっちゃえ!って思ったぐらい」
時間は少し遡り本日の朝一番。
とある住宅街の一角にあるアパートの前は物々しい雰囲気に包まれていた。
アパートを取り囲むほどの事件に見合わない警察車両の数々、一体どんな凶悪犯の検挙だと思われるほどに動員された警察官の数に、平和な町は騒然としていた。
ガチャリと開かれたドアから姿を現わしたのは数人の警官に引きつれられた二人の男女。
なぜか目隠しのように大きなテントとシートが立てられていたことから、規制線の外で「待て」を強いられていた報道陣達はその先の光景を想像力で補うしかなかった。
そしてその外からはまったく見ることができないテントの中では今、とある修羅場を迎えようとしていた。
警察官に連れられテントに入ってきた二人がそこにいた存在を目にした途端、顔が鬼のような変貌をとげ罵声を浴びせ始め襲い掛かろうとしてくるが、手には手錠、両腕を警察官に押さえられているためその場に縫い留められているだけ。
「てめぇこのクソガキ!やってくれやがったなぁ!」
「アンタあれほど言い聞かせたのにこのクズ!」
椿に抱っこされていた由夢が二人から浴びせられる罵倒の声に、ぎゅっと目をつぶり身を縮こまらせていた。
椿と一緒に控えていた一行の中から尚斗と美詞が無言で二人に近寄っていく。
「あん?なんだてめぇらは、部外者は引っ込んでろ!」
「あんたらがウチの娘を誑かしたの!?何にも知らない人間が出てくんじゃないわよ!」
至近距離まで近づいた尚斗と美詞に対し遠慮のない言葉を投げつける二人、しかし少しでも冷静ならば気づいただろう……尚斗と美詞の顔に隠す気もない怒気が宿っていることを。
― ばきぃっ! ―
なにかが砕ける音が響く。
振りぬかれた二つの“拳”、あまりにもひどい暴力により陥没する二つの顔。
「ひっ……あ、がっ……い、いでぇ……」
「あぁ……ぶへっ……いだぃ、いだぃ……なんでぇ」
折れ曲がり陥没した鼻からはぼたぼたと血が滴り、何本かの歯がぽろぽろと開いた口から血と共に零れ落ちる。
痛みにより自然と目から流れてくる涙に、二人は自分らに襲い掛かった災厄を理解できずにいた。
「わぉ、息ぴったり」
「今の身体強化乗せてなかった?いたそー」
背後で千鶴と夏希がなにか言っているが、無視して尚斗は蹲った二人を見下ろしながら声を発した。
「救いようのねぇテメェらのためにわざわざ“卒業式”を準備してやったんだ、ちぃと黙ってろや」
もう完全に口調は専門の人のソレ、こんな暴挙許してもいいのかと警察をみやる被害者二人だが、周りの警官らは止めようとも助けようともしてくれないことで更に絶望する。
そして静かになった二人に、今度は由夢を抱えた椿が前までやってきて“卒業式”が開始された。
「あのね……ゆめ、もうママといっしょにいるの、やめるの……ずっとずっとこわかったし、いたかったし、さびしかったし、もういやなの……だからね、ママ……ばいばい」
そこで初めて女は気づく、自分は娘に捨てられたということを。
魂が抜けたのではと思えるほどに呆然とした表情で動かなくなった元母親を残し、もう用はないとばかりに一行はテントを去っていった。
ショッピングモールのテレビから流れてくる報道に耳を傾けていた三人、そこで報道に少し慌ただしい物が加わった。
『あ、速報です!ただいま入ってきました情報によりますと、先ほどお伝えした児童虐待を行っていた二人が死体遺棄の疑いで再逮捕されたとのことです ―』
「お、もう見つかりましたか。さすが早いですねぇ」
「うわ、悪い顔してるぅ。いかにも『種明かし聞きたい?』ってあからさまな表情ー……わかりました、で、説明してくれるんですか?」
尚斗のわざとらしい呟きに美詞がくすくすと笑うが、事態を把握できない千鶴が説明を求めた。
「昨日私達の前に姿を見せた男の子、彼は由夢ちゃんの兄です」
「え?は?……あ、うそ!てことは!」
イタズラを成功させた憎たらしい顔も鳴りを潜め、尚斗の顔は真剣なものに変わった。
「ええ……彼、良哉君は親戚の家に預けられていたんじゃない……すでに亡くなっていたんです。しかも以前住んでいた家の庭に埋められていたみたいです。遺体は既に白骨化しており、それなりの年月が経ってしまっていたんでしょうね。由夢ちゃんはきっと自分にお兄さんが居たことすら知らないのかもしれません……それなのに自分の妹を死後でも守り続けようとする彼のその精神を尊敬します」
「そんな……由夢ちゃんだけじゃなかったんだ……うわ、私も殴ってやりゃよかった」
「いやぁ……良哉君の事を考えるとね……私も美詞君もつい力が入りすぎちゃいましたよ」
「うん、椿姉さんに一発だけって言われてなかったらもっといってたんだけどね」
わざわざ拳に強化を施してまでフルスイングしたパンチには由夢と良哉、二人分の怒りを乗せていた事に美詞も同意した。
「良哉君もあの母親達が逮捕されてスカッとしたのかな。彼はもう送ってあげたの?」
「ふふ、良哉君はね、由夢ちゃんの守護霊になったんだよ?今頃は先輩守護霊に鍛えてもらってるところじゃないかな?」
美詞が脳筋的思考で説明するもただの憶測にすぎない。
しかし
「もしかしたら本当にそうかもしれませんね。彼ならきっといい守り役になってくれるでしょう」
遠くではしゃぐ由夢を優しい眼差しで見つめる尚斗、美詞も釣られて尚斗に寄り沿いながら同じような表情を浮かべていた。
「って、二人とも物語のエンディングみたいな雰囲気出してるけど、ちょっと秘密が多すぎない?簡単に教えられる内容じゃないのは判ったけど今日はびっくりしっぱなしだよー」
いい雰囲気になっていた二人に抗議を入れる千鶴。
実は今日逮捕現場からここに到着するまでの車内で少し一悶着があった。
由夢に行っていた暴行の証拠確認のために由夢の全身と顔についた痣をそのままにしていたのだが、こんな痣だらけで買い物なんて行ける訳もなく由夢が車で寝ている間に美詞が治癒術ですべて消し去ってしまったのだ。
もちろん美詞の治癒術を初お目見えする友人らがびっくりしたのは言うまでもないだろう。
その後事情等を説明し見事隠し事の共犯に招き入れられた。
「おや、何かありましたっけ?」
「なにかありました?神耶さん」
わざとらしく惚ける二人はここでも息ぴったりで、思わず溜息を吐く千鶴。
「はいはい公共の場でいちゃいちゃしないの。ほら、みんなに合流しよ!」
千鶴の返しに今度は美詞が慌てる番だった。
「い、いちゃいちゃなんてしてないんだよっ!?」
「ほれほれ、みーちゃんが私に口で勝とうなんて億万年早いわっ!」
はしゃぎながら千鶴を追っかけまわし始めた美詞に、一人残された尚斗が今度こそ椿らに合流すべく歩を進めた。
未だ感動が覚め止まぬ様子で目をきらきらする由夢、どうしても美詞の当時と重なってしまう。
彼女もきっと美詞と同じように桜井でこれからの新しい人生を歩んでいくことになるだろう。
願わくば彼女のこれからの人生に幸せばかりが積み重なっていくことを。
今日の夜は先日の花火のリベンジ、尚斗の脳裏には縁側に並び座る女性達の中に、笑顔いっぱいで夜空に輝く花を見上げる由夢の姿を思い浮かべていた。
―とある武家屋敷にて
「御屋形様、荷が届いておりますが……こちらへお持ちしますか?」
使用人からの報告に書類から顔を上げた男が鷹揚に頷く。
ほどなくして部屋に届いた荷はかなりの大きさ、いや長さであった。
送り元を確認すればよく知った名前が。
「おや、神耶君からか。一体なにを送って来たのやら……」
そう漏らした御堂伸二が木製の箱を開けてみると中から出てきたのは長柄。
保護材で梱包された長柄からはかなりの力が伝わってくる。
一緒に入っていた便箋を開けてみるとさほど多くもない文字が目に飛び込んできた。
「御屋形様、何が届いたのでしょうか?」
「ああ、鉾だそうだが霊具だね。かなりの力を感じるよ。私が長柄武器を使うことを知っているので送ってくれたのかな?こんなすごい一品を送ってくるなんて一体何を要求されるんだろうか……おや?」
鉾を取り出した後の箱の底にもう一つ何か入っていることに気づき伸二が手を伸ばす。
包みから出てきた物は人形。
「なんだこれは?これも同様に力を感じるが……」
何か説明はないのだろうかと便箋を見ると二枚目があることに気づきめくる。
― わたし市松人形のいちかちゃん、大事にかわいがってね(※厄除け効果)―
手元の人形と便箋との間で視線が行ったり来たり、思わず苦笑を浮かべる伸二。
人形のつぶらな瞳がうるうると判断を仰ぐように伸二を見上げていた。
「こんな悪戯を仕掛けてくるとは……今回の『頼み』への当てつけかな?……まぁいいか、本当に力があるのは確かだろう。玄関にでも飾って魔除けにしようか」
新たな新居が決まった人形の表情が喜びを浮かべているように見えた。
― 第八章 完 ―
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