第125話
コンビニで見付けてしまった少女、彼女をとりまく家庭環境の問題は決して「いいもの」とは呼べないのかもしれない。
よく見ると彼女の服から覗く手足には所々痣が見受けられる。
子供は叩かれ続ける恐怖を植え付けられると、撫でようと伸ばされた手からさえ反射的にかばってしまうと言う。
人の感情に敏感で怯えを見せる様子は、普段から常習的に怒りをぶつけられていないとこうはならないだろう。
今の彼女からは、そんなトラウマを植え付けられたような危うさが見え隠れしている。
椿が優しく少女を宥めている内に、視線で合図を受けた美詞が交番に連絡を入れ警察を呼んだ。
千鶴と優江は店内に入りコンビニ店員に事情の説明と、間を繋ぐための飲食物の買い出しにまわってくれたようだ。
「……ネグレクト……かな」
「……たぶん」
夏希と美詞の表情が優れない、先ほどまでのうきうきとした旅行気分が鳴りを潜めてしまっていた。
千鶴と優江が買ってきたお菓子とジュースを、頬いっぱいにもきゅもきゅとおいしそうにぱくつく姿はとても愛らしいのだがゆめと名乗るこの少女、まるで今まで菓子なんて食べたことがないかのようなかぶりつきを見せているのだ。
聞けばまだ歳は5歳になったばかり、歳の割に細く発育があまりよくなさそうに見えるのはやはりそういう事なのだろうかと、どんどん悪い方向に考えてしまう。
しばらく少女の食事を囲んで見守っていると、自転車に乗った警官がこちらへやってくるのが見えた。
少し慌てた様子で自転車を止め駆け寄ってくるその警官が椿の前までやってくると、背筋を伸ばし気合たっぷりの見事な敬礼を送って来たのである。
「ご連絡いただきまして感謝いたします椿様!お手数をおかけしまして申し訳ございません!」
「ご苦労様です。こんな遅くにごめんなさいね、ちょっと見過ごすことができない事態だったから」
「いえ、滅相もございません。それが我々の務めでありますから!それで……そちらが連絡にあった子ですか?」
椿に対する警官の態度から分かる通り、この付近に配置された警察官はすべて桜井大社の裏の事情を知っている者達であり、赴任時にはお偉いさんと一緒に挨拶に来るほどの関係である。
誤解なきよう説明するなら、事件が発生した際に互いがすぐに動けるだけの協力体制を敷いているので顔見知りなのだ。
どこかの恐い者知らずの退魔師共と違い政府直々に配慮するよう言付かっているため、畏怖と尊敬の念で接してくる少々行き過ぎな警察官達に苦笑気味であるのは仕方がないこと。
その警官が少女の顔を確認すると「またか……」とばかりの表情を浮かべた。
「連絡を受けた時にもしやと思いましたが……綾瀬由夢(あやせ ゆめ)ちゃんでしたか……」
「ご存じなのですか?」
説明を求めるように椿が警官男性に尋ねた。
「はい、実は最近このあたりに越してきた女性の子供でして。対応するのはこれで二度目になります」
「……情報の開示を要求します」
「はっ!親子はここから300mほど離れたアパートに住んでいます。母親の名は綾瀬菜月(あやせなつき)24歳無職、生活保護を受けておりますが半同居している男性がいます。男性の名前は鈴木陸(すずき りく)25歳……こちらは定職につかずバイト先を転々としているようです。由夢ちゃんの上に兄の綾瀬良哉(あやせ りょうや)君が居ますが現在は親戚に預けられているとの事で会えておりません、以上が家族構成と関係者です。以前も同じように由夢ちゃんが夜に外で歩いているのを保護し、家まで連れて行き母親と話をさせていただきました」
「げっ、ネグレクト女と同じ名前なんて……」
ナツキという名前に反応した同じ響きを持つ友人が顔をしかめた。
やはりこれが初めてのことではなかったようだ。
最近越してきたとあるが、もしかすれば以前住んでいた場所でも同じように娘を外に追い出していたのかもしれない。
「ありがとうございます。私が見た限りでは明らかに虐待や育児放棄が発生していると疑っているのですが、どうかしら?」
「はっ!自分も同じ見解であります。母親を尋ねた際その件を問い詰めさせていただきましたが……」
「……はぐらかされたと?」
「はい……母親の言ですと『勝手に外に出た、子供が怒られないために嘘をついている、少々虚言癖のある子なので気にしないでくれ』とのことでした。流石にそのような言い訳を信じる事もできなかったので、私の方から児童相談所と連携を取り調査を進めているところでありました。訪問調査も行ったとの報告を受けましたが対応が慣れているらしく、躱し方も知っているようなので初めてではないのかもしれません」
対応が早い。
悪く言うつもりはないがこういったケースは多く、そしてデリケートな問題でもあるためかその対応が遅れることもよく吊し上げられているのが現状だ。
それだけこの警察官が真面目なのもあるだろうが、桜井大社の御膝元で問題対処に不備がある所を出さないためのがんばりようなのかもしれない。
「なるほど……そんな感じなのね。こちらでも動いてみます。今日は帰らせたほうがいいかしら?」
「不本意ではありますがその方が……強引な介入で逆上し子供が害される事例があります。慣れを感じますので決定打を打てるようになるまでは証拠集めにまわるつもりです」
「そう……ならそちらはそれでお願いするわね。こちらで分かった事はまた連絡をするから今日はこの子のことよろしくね?それとなにかあったらすぐに大社に連絡をくださいな、こちらで保護することも出来ますし、なんなら強硬手段をとっても構いませんので」
「はっ!ご協力感謝します!私からも母親を刺激しない程度で再度注意をさせていただきます。いざという時はお力添えをいただきたく存じます」
国家機関でもおいそれと踏み込めない家庭のデリケートな問題、それですら力ずくでどうにかできる、それが現在の桜井大社の立ち位置なのだ。
もう与えたお菓子とジュースを摂取し終えたのだろう、二人の様子を見守っていた由夢が不安そうな顔で椿を見ていた。
「ゆめちゃん、今日はもう遅いからおうちに帰ろうね?」
「だいじょうぶ?ゆめおうちにかえっておこられないかな?」
「大丈夫、おまわりさんがちゃんと帰ってもいいようにママに言ってくれるからね」
「ほんと?よかったー。じゃぁゆめおうちに帰るね。おねえちゃん、おかしありがと」
「はい、ちゃんとお礼を言えて偉いねぇ。じゃぁ気を付けて帰るんだよ?」
警官の男性が「じゃぁゆめちゃん一緒に帰ろうか」と由夢を抱っこし自転車を引きながら道の先へ消えていった。
道が暗いためすぐにその姿は見えなくなる……こんな暗く長い道を一人で歩いてきた由夢を思うと美詞は胸が更に締め付けられるようであった。
「さ、美詞ちゃん達もお買い物をして帰りましょ?ほらそんな顔しないの、ゆめちゃんの事は私がちゃんと調べて動くから心配しないで」
桜井大社は潜在力のある能力者を集めるため保護施設も運営している。
実際大社に所属する巫女の大半は孤児や血縁関係のない者達がほとんどである。
かく言う静江も結婚しておらず実子の後継者はいない、筆頭である椿も由夢と同じような境遇から保護施設で育った経歴を持つ。
なので不遇な環境に身を置く彼女のことを放ってはおけないし、いざとなれば強硬手段に出ることも厭わないであろうことを美詞は知っていた。
椿に促されるまま当初の目的であった買い物を済ませた四人は椿の運転する車の中でも会話少な目であり、行きとはまったく正反対の重たい空気になっていた。
「……なんか悲しい話だね。私はまだ子供だからわからないけど……あんなにかわいい子が邪魔になったりしちゃうのかな……」
優江が沈んだ声でぼそりと呟いた言葉が、皆の口を開く切欠となったのはある意味有難かった。
「そうだよね……実際に子供を持った事のない私達がどうこう言う資格はないのかもしれない。何言ってもきれいごとになっちゃうしね。けど……あぁ!なんかむしゃくしゃする!!」
千鶴が頭をわしわしと掻き湯上りでしっとりしていた髪をぼさぼさにしていく。
「うちはさ、親から愛情もって育てられた自覚があるんだ。でもいつか母さんが漏らしてたなぁ『あんたは寝ても覚めてもずっと泣いて暴れてたから、ほんと嫌いになりそうだったし育児ノイローゼなりかけたわ』って。だから親って言うのが大変なのもなんとなくわかるよ?由夢ちゃんの親がどんな苦労を背負って子供にあんな仕打ちをしてるのかわからないけど、やっぱり子供がかわいそうなのは変わりないよ」
夏希がぐいっと炭酸飲料を飲む姿がまるで自棄酒をするように酒を呷る姿に見えた。
「ふふ、みんな優しいのねぇ。普通の家庭ではそんな事は起きないわ、ほとんどの人が親の愛情を享受し守られながら育つものよ。でも中には例外もあるのよ、桜井大社の中だけで言えばそう珍しい話ではないの、ここの巫女はそういった境遇の子がいっぱいだから。私もそうだったし美詞ちゃんも、ね?」
椿がハンドルを握りながら美詞に目線で合図を送ってくる。
「そうだね。私なんて妖怪の餌にするためだけに作られた子だから参っちゃうよ。牢屋みたいな部屋で過ごしたし、外に出て遊ぶこともできなかったし、罵倒されるわ鞭うたれるわで、挙句の果てには大蛇に生贄に捧げられて追っかけられて食べられそうになるし。今もし親に会ったらサンドバッグにしてやるんだよ?まぁもう顔も覚えてないんだけどね」
おどけたようにぺろっと舌を出す美詞の姿に苦笑気味ながらくすっと笑みを漏らす一同。
壮絶な幼少期を送った美詞のショッキングな内容を、微塵も悲壮感を出さず世間話のように語る姿から、少なからずとも先ほどまでの沈んだ空気が緩和されたように思える。
「大丈夫!御婆様ならきっと保護してくれるから!」
「そうね、そのためにもしっかり追い込まないと」
静江に対する絶大的な信頼と、椿の物騒な内容のギャップにまた笑いが生まれ空気がまた一段と軽くなったような気がした。
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