第123話
夕ご飯で提供された料理は旅館の高額プランほどの豪華さはなかったが、十分に満足できるほどに舌鼓を打てるものであった。
もちろん普段から皆がこんな贅沢をしている訳ではない。
いわゆる余所様用の持て成しである。
桜井大社は修行場としても有名なため、日本全国から修行をしにくる神職の方も珍しくない。
それこそ各神社単位の団体様で尋ねてくることもしばしば。
ここは一部そういった方々のための宿泊施設でもあるのだ。
仲良し四人組が当施設自慢の温泉に向かったところで、尚斗と八津波は再度静江に会いに向かっていた。
「八津波、大丈夫なのですか?だいぶ酒臭いですが」
「『久々であったゆえ少々羽目を外してもうた。案ずるな、この程度ならばまったく問題はないぞ』」
この程度ということはもっと飲んだら問題はあるということなのだろうか。
といっても先ほどの食事の際はどこに入ってるんだと疑問に思うほど相当な量を空けていたので、滅多なことでは酔い等ないのかもしれない。
「『邪魔するぞ』」
声よりも早く器用に片足で襖を開けるこのお犬様に入室の際のマナーを説くのは無駄かもしれないがこれも飼い主の務め、教えることがいっぱいだと頭が痛くなる尚斗。
「その様子だと十分堪能してもらえたようだね」
「『うむ、美味であった。久しく味おうておらなんだでな、礼を言うぞ』」
「それはよかったよ。で、八津波殿。うちの巫女達を集めてなにをするつもりなんだい?」
尚斗もまだ八津波の企みを聞かされていない。
本人はまだ確証がもてぬからと言っていたが、そろそろ種明かしをしてほしいのは尚斗も一緒であった。
「『うむ……我が与えた力により美詞に不便を強いるのも心苦しくての。なんとか打破できぬかと思索してみたのよ』」
「ふむ、思いは一緒だね。で、なにか妙案があるというのかい?」
「『ひとつ提案であるのだが、そなたら治癒術を修めてみぬか?』」
八津波のその提案に、聞いていた二人はしばし言葉を発することができなかった。
「……できるのかい?私達が……あの失われた術を?」
「『確かに美詞は別格。かの者が持つ力に加え我が供した神気もある。しかし過去この術を使うておった者共がすべて然様な力を宿していた訳ではない。そなたらが持つ力となんら変わらぬものであっても伝播しておったのだ』」
「ならば私達にもその治癒術を使える可能性があると?」
「『然り。言うじゃろ、【木を隠すなら森の中】と。“推理どらま”で言うておったぞ、よい言葉ではないか。そなたらが治癒術を復活させ広めれば、美詞への関心は分散され悪目立ちすることを避けれると思うたのだがどうじゃ?』」
静江がまた考えに耽ったのか目を閉じる。
「……すぐに覚えれるようなものかい?それと誰でも覚えられるものなのかね?」
「『それはわからぬ。ゆえに集めてもろうたのよ。明日我が潜在する力を診よう。覚えれるかは巫女らの力量次第じゃな、我の送る術式を受け止め噛み砕けるだけの器があれば如何様にもなろう』」
「……術の出処はどうする?八津波殿から習ったことにはできんぞ?」
「『尚斗の功績にすればよかろう。こやつは術の構築が殊更上手い。新たな治癒術の体系を作り出したことにすればよいのだ』」
いきなり自分に飛び火してきた内容に思わず尚斗が声を上げる。
「八津波!?一体なにを!」
「『腹をくくれ主よ。此度の方位家の陰謀もそなたが表に立つことを避けてきた事によるものぞ。力をつけよ、界隈への貢献はそなたの権勢を高める糧となろう』」
「く、くふふ……主よりよほどわかっているじゃないか。坊やもそろそろ次期当主としての自覚を持つべきだね。確かに治癒術を復活させたとあれば十分な功績、これまでの功績も含めれば坊やの価値はあがるだろうさ。神耶家の事だ、翔子ともしっかり話合うことにするよ」
「当事者を無視しないでください。出る杭は打たれることぐらいわかっているでしょう?それに私には優先すべき目的が―」
「ふん、打たれてもビクともしない杭になればいいだけさね。それに坊やの事情はもちろんわかっているよ。男ならそれぐらい同時にこなしてみせな。隆輝が戻ってきた時に今の神耶家の衰退を知ればどう思う?名声の高まった神耶家を見せてやるぐらいの親孝行をしておやり」
痛いところ突かれている自覚はあるのだろう、父を救う事を優先しそれに目を背けてきたことも。
「『尚斗よ、美詞の先を慮るならばそなたが矢面に立ってやるぐらい出来んか?おん?』
八津波の言葉は尚斗の一番のウィークポイント、クリティカルヒットが刺さる。
「ぐっ……!他人事だと思いやがって……わぁったよ、やりゃいいんだろやりゃ!八津波、俺と婆さんに今ここで術式を送れ!」
「『おお、それでこそおのこよな。……なんともちょろい(ぼそっ)』」
「どっからそんな言葉覚えてきたんだ八津波、聞こえてんぞ!」
カラカラと笑う八津波にふぇふぇと笑う静江、口で勝てそうもない二人に対して歯ぎしりしながら青筋を浮かべる尚斗。
「『ほれ、二人とも手を出せい。尚斗は我が神気を植えておるですぐに馴染むであろうが、静江よそなたは違う。我も今の身となってはそう易々と神気を送れぬで自身で耐えてみせよ』」
「望むところさね、おもしろいじゃないか。本当に治癒術が使えるならそれぐらいいくらでも耐えてやるさ」
二人が差し出した手のひらにぽんっと前足を乗せた八津波が力を籠めだした。
すると変化はすぐに訪れる。
無理やり流れてくる知識の奔流に、尚斗と静江は平衡感覚すら覚束ない様子でぐらりと倒れそうになるのをなんとか堪えるのでいっぱい。
たった数秒の出来事が長く感じるほどに凝縮された知識を植え付けられ、終わった頃には二人の額に汗が浮かんでいた。
「あぁ……やばい……頭がぐわんぐわんする」
「なんだいこの頭の中かき混ぜられる感覚は……二日酔いになった気分だよ」
「『ふむ、さすがは今代当主よな。難なく受け止めよったか』」
尚斗は神気が体を巡っているため八津波の力を受け入れる下地が出来上がっている、しかしなんのサポートもない静江が高齢にも係わらずこの程度で済んだのは、当主というだけの実力があったためと思われた。
「これは……なるほど。術式自体そう難しくもなさそうだ……頭の中で思い描き行使するタイプか。だから発動のための口上が必要なかったんだな……それよりも重要なのは行使する力の量をマニュアルで設定しないといけないこと……しかもかなりシビアな範囲設定。一旦、各経絡に循環させるのが難易度高いな……循環させる長さで威力を調整していると……」
ぶつぶつと、さっそく頭に刻まれた治癒術の考察に入った尚斗に同意するように静江も漏らした。
「あぁ……こりゃ途絶えても無理ないね。こんな感覚が命の術式、書物を残したところで継承できやしないよ」
「……だな。最も大事なのがイメージによる部分となると指導が難しいのも頷ける」
「『指導する術はあるぞ?むしろ現代であるからこそ可能になったと言えるであろう』」
二人が術について考察を交わしていると八津波が解決の糸口を提示した。
「現代であるからこそ……?科学技術のことか?」
「『“ひんと”じゃ。術式により治癒の力を体内に巡らせる際、その力は熱を発する』」
「熱?サーモグラフで記録を撮れば参考になる……いや、そもそもサーモグラフで映るレベルの熱なのか?」
「『そこまでは我も預かり知らんことよ。しかしそのような機械があるのだろう?ならば試さねば勿体なかろう』」
ほんとテレビという媒介でどこまで情報を取り込めば気が済むのかと呆れる尚斗。
「ほんと現代にどっぷり染まってるなぁ……馴染むのが早すぎるだろ」
「『知識はそれ即ち力ぞ。せっかく現代に生きるのだ、楽しむには知らねば損ではないか』」
もっともな事を言っているようで、八津波の頭の中の大半が未知なる娯楽や食べ物で占められている事を尚斗は知っている。
「ふむ、幸いにも坊やが勧めてきた除霊用の機材がある。明日の朝までに準備しておこう」
「もし記録として残すことが出来るのならば、今後は失伝するリスクも減るかもしれないか」
さて、考察は終わったが使えなくては意味がない。
特に尚斗は治癒術の新たな本家となる予定なのだ、使えないなど笑い事にもならない。
実際に頭に刻まれた術式をイメージし霊力を練り始める。
イメージは術式をフィルターとし、そこに霊力を通し治癒力が籠められた生命エネルギーに変換。
ここからが肝心、体の経絡を巡らす方向と順番があり、それを正確にトレースする必要がある。
幸いなことに実際に巡る経絡は12ある正経のうち半分にも満たない数、経絡は陰陽道とも密接な関係があり経絡から体の邪気を取り除くとされていることから知識としては保有している尚斗。
しかしそれでも……
「これは……慣れるまでが大変だな。土壇場で即座に使ってみせた美詞ちゃんはとんでもねーな」
「『相性であるな。言ったであろう?美詞は別格であると』」
確かに美詞の感覚は優れていた、特に勘がよく、感知力等感覚が重要となる術の覚えも早いため覚えるのが難しいこの治癒術も感覚で覚えてしまったのかもしれない。
術の起動に四苦八苦しながらも、なんとか手に集められた生命エネルギーにより手が淡く発光しだす。
美詞の時ほどはっきりとした黄金色……という訳ではないがなんとか術が形になったことにほっと胸をなでおろしていたら、この光景を見ていた静江がいきなり懐から出した小刀で自分の腕を切りつけたではないか。
「なにしてんだ婆さん!」
「ほれ、ぼやぼやするんじゃないよ。早く治しておくれ」
すかさず発光する手を静江の傷へと翳すと淡い金色の粒子が迸り、逆再生するように傷跡が徐々に塞がっていった。
「ったく……考える前に動く所、美詞ちゃんに悪影響なんだよ。ちょっとは自重しろ」
「坊やは考えすぎさね、案ずるより産むが易しだよ」
尚斗の苦言もなんのその、ふぇふぇと奇怪な笑い声を上げる妖怪婆にため息を吐きたくなった。
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