第120話

「はぁ……沁みる……」


 事務所でくたくたになった身に、燃料を投入するかのようアイスコーヒーを流し込んだ尚斗がポツリと感慨深い感想を漏らしていた。


「なんとか終わりましたねぇ」


 正面で同じように疲労困憊の様子を見せている美詞も同意を示す。

 八津波のご乱心という名の活躍があり、その日中に呪術品をすべて浄化し終えることができたことは降って沸いた幸運でもあったが、それを上回る後片付けが後に控えていた。

 八津波もお片付けに加わりなんとか整理できたころには、一同虚無から悟りを開きそうなほどの疲労だけが残ることに。

 片付けられた霊具の中には“よだれ塗れ”の物も多数あるが知ったこっちゃない、あとは研究所に清掃をバトンタッチすることに決めた尚斗だった。

 ソファに身を預けることによりじんわりと疲れが散らされていく心地よさの中、ふとテーブルに置いていたスマホが振動していることに気づいた尚斗。

 本日は既に心の中の閉店シャッターを下ろしてしまった尚斗にとっては、あまり歓迎のできない連絡であろうことがわかるだけに体の重たさが一気に増したような気がした。

 気だるげに体を起こし伸ばされた手に収まった、見た目以上の重さを感じるスマホのディスプレイには『婆さん』の文字。


「もしもし、どうされましたか?」

「やぁ坊や。受けるのが遅かったじゃないか、都合が悪かったかい?」

「ああ、いいえ、大丈夫です。今しがた終わったところですので」

「そうかい?ならいい、御堂の坊やから連絡をもらったよ。アレも巻き込む事にしたんだね、いい判断だ……少しは人を頼る事を覚えたみたいじゃないか」

「まぁ、なかなかにデリケートな問題ですからね。美詞君を守るには防衛網を広く敷きたいのですがこれがなかなか……」

「あんたは敵ばかり作ってたからねぇ」

「勝手に敵視してくる奴らに言ってくださいよ」


 尚斗も好きで嫌われている訳ではない。

 成り上がりだとバカにして排除しようとしてくる能無し共の火の粉を払っているだけなのだ。

 しかし派閥に入るか味方を作るかしないと社会で生き残れないのはどこも一緒、嘆いていても始まらない。


「で、美詞の事で相談がしたいから一度こっちへおいで」

「桜井大社まで……ですか?」

「おや、仕事が詰まっているのかい?」

「いえ、今のところ余裕はありますが……」

「ならいいじゃないか、美詞も夏休みだろ?帰省ぐらいさせてやんな」


 この婆様が『帰省』なんて理由だけで帰ってこいと言うような殊勝な人間ではないことを尚斗は知っている。


「なにを企んでるんです?」

「人聞きの悪い事を言うんじゃないよ、帰省させたいのは本当のことさ、長期休業毎には帰ってきてたからね。放って置くとあんた達は修行ばかりで帰ってこない気がしたんだよ」


 静江が言った事は図星であった。

 美詞の帰省なんて考えてなかった尚斗もそうだが、修行バカの美詞もきっと鍛錬することが当たり前で頭から抜けていることだろう。

 

「……それはこちらの落ち度でしたね、すみません気を付けます」

「そろそろ椿(つばき)あたりが限界だからね?定期的に会わせてやんな」

「げっ、椿姉も大概だなぁ……美詞君を猫可愛がりするところは変わってませんね……」

「ああ、もう少し筆頭としての自覚を持ってほしいところなんだけどねぇ……。そうだ、美詞に友人が出来たんだろ?美詞の『あの』服装を変えてくれたという友人らにも一度会って挨拶もしておきたい、もし先方の都合がいいのなら一緒に連れておいで、歓待するよ。来週一週間の予定を確認しておくれ」

「婆様に歓待されたら恐縮しっぱなしでしょうね、まぁ伝えておきます」


 通話を切り正面を見ると興味深そうな瞳でこちらを覗き込んでくる美詞の視線。


「大体想像つきましたか?」

「うふふ、はい。そういえばすっかり忘れてました。で、桜井大社までご一緒していただけるんですか?」

「ええ、君の力の事もありますし一人で行かせるつもりはありませんよ。それと君の友人らも招待されましたよ?」

「え、いいんですか?」

「一度挨拶しておきたいみたいです。まぁ差し詰め私は一行の引率ですかね」


 くつくつと笑いだした美詞が「なら引率の先生と呼びましょうか?」と楽しそうに声を漏らした。

 きっと友人らと帰省を兼ねた旅行に行けるかもしれないという喜びが溢れてきているのであろう。


「ちゃんとみなさんのご予定を確認してくださいね。来週一週間の中で大丈夫な日を合わせましょう。旅程は確認しますが泊まり込みは確実なので宿泊の準備と、新幹線のチケットはこちらで人数分手配しておきますので気にしないように」

「あはっ、本当に引率の先生みたいですよ?尚斗センセ」


 茶目っ気たっぷりの言葉を受け照れくさそうにしている尚斗を他所に、美詞は友人らにさっそく連絡をとりだした。

 横からその様子を見守っていた八津波が尚斗に尋ねる。


「『美詞の生家に赴くのか?』」

「ええ、厳密には育った場所なのですがもちろん八津波も一緒ですよ。移動中は認識阻害をかける必要があるでしょうが」

「『ふむ、大社と呼ぶほどなのだ、もちろん力ある家なのだろうな』」

「由緒ある所ですね、歴史も長く力ある巫女を多数輩出してます。巫女の術者だけでみるならば日本で一番と言っていいかもしれません」

「『そうであるか……ならば我も少々考えがある。当主と話をしよう』」

「ええ、もちろん紹介するつもりですよ。で、話の内容はまだお教えできるものではなさそうですか?」

「『うむ、まだ確信が持てぬ事柄であるからな。会うてみねば分からぬ故楽しみにしておれ』」

「……ありがとう八津波、きっと美詞君の事で気をかけてくれてるんですよね」

「『ふんっ、我が与えたものが発端であるのだ、気を揉むのは当然であろう』」


 この元神はやけに人間臭い。

 もちろん良い意味でだ、少々規格外で常識外れな所はあるが人の目線まで並び立ち、寄り沿おうとしてくれる。

 言葉遣いや単語もテレビから習っているのか少しずつこちらに合わせているような節が見受けられる。

 現代の世間に興味津々なだけかもしれないが、合わせようとしてくれることがとても有難く温かかった。 


「それでもだよ、ありがとう」


 その言葉にはなにも反応せずまた丸まりテレビを見だした八津波、最近わかってきた照れている時の仕草。

 やはり人間臭い八津波に笑みが漏れる。


 目の前の美詞が持っていたスマホから顔を上げ尚斗に向けオッケーサインを出してくる。

 なんて早い決断、どうやら全員日程の調整は可能なようだ。

 さて、とばかりに再度大社に赴く日を決めるため静江に連絡をとった尚斗。

 去年の夏も尚斗は仕事で各地を飛び回っていたが、今年はまた違った夏が待っていそうだ。

 確実に言えることは去年までは一人だったのに対して今年は騒々しい事間違いなしであること。

 こんな夏も悪くないと感じたところで電話のコール音が途切れる。


「あ、もしもし、先ほどの件ですが―」


 今年の夏の暑さが幾許かマシに感じるのは気のせいではないだろう。

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