第八章 未来を摘み取る狂気
第117話
がちゃがちゃと板間に積み上げられたガラクタ達と奮闘している男、事務所の鍛練所にて尚斗は手に持った掛け軸に力を込めながら大きなため息を吐いた。
隣で同様の作業を行っていた美詞も、ふぅと溜息をつきながら己の肩をとんとんと叩いている。
「これいつ終わんだよぉ……」
遡る事一日前
外の熱気がいよいよ看過できない非常事態となりつつある季節。
どれだけ鍛えようと……また、“心頭滅却すれば火もまた涼し”等と言い聞かせようが、現代の蒸し暑く上昇しっぱなしの気温を前にしてしまえば近代化電の前に屈さざるを得ないのが人間というもの。
更には外で騒音とも呼べるような蝉による風物詩はなお一層不快感を増す要因ともなっていた。
蝉の鳴き声に対して「まるでパブロフの犬のようだな、聞いただけで汗を出せる自信がある」等と尚斗がくだらないことを考え出した頃、尚斗の目の前に座る人物が外で溜めてきた熱気をやっと冷ますことが出来てきたのか、氷で満たされたグラスの中身を飲み干したところでふぅっと一息ついた。
「いやぁ、なかなか暑くなってきたね。やっと汗が引いた……すまないがおかわりをもらえるかな?」
本日来客してきたのは先日長野の旅館の件でお世話になった御堂伸二である。
美詞の件で相談すべく後日改めて会う予定を組んでいたが、わざわざ尚斗の事務所にまで足を延ばしてくれることになったのだ。
氷だけが残った伸二のグラスに横からアイスコーヒーのおかわりを注いだ美詞が「冷房を強めましょうか?」と魅力的な提案をしてくるが断腸の思いで断っていた。
まだ夏は折り返してもいないのだ、今から強めた冷房に慣れてしまってはそれこそこの後外に出た際の活動に支障をきたすとの自論を展開していた。
「御堂さん、改めて先日はありがとうございました。後処理を任せるような形になってしまって……」
「気にしないでくれ、むしろ裏方でしか協力ができなかった事を心苦しく思っているのだから。あれから八津波殿の様子はどうだい?」
「ごらんの有様で俗世にどっぷりですよ」
隣でソファに伏せている八津波は、目の前の報道番組に夢中で二人の言葉を聞いてなんていない。
「ははは、それは何よりだ。今日は君からの相談があるとのことだが、まずはこちらの報告から済ませてしまってもいいだろうか」
「鷹司のことですね?よろしくお願いします」
「まずは気になっているであろうから結論からいこう、鷹司家は当主交代だ。前当主の弟君が引き継ぐことになった」
この度の鷹司の暴挙は大きな波紋を呼んだ。
どの家も少なからず後ろめたいことを行っているのはうまく隠蔽されていることも含め周知の事実となっているが、それでも鷹司の仕出かした特級禁則事項違反はなかなかに衝撃が大きかったらしい。
当主であった信達が実際に犯していた罪は八津波についてのみ、なら座敷童の件はだれが?となったが前当主の仕出かしたことであった事が明るみになった。
当初は息子が投獄されたことに憤り、当主代行として現役に再復帰した先代当主である父親。
表からは協会に対する圧力をかけ、裏からも堂々と隠蔽や脅迫に走り罪を無かったことにしようと奔走していたが、信達に対する尋問もとい拷問により先代当主の罪もボロボロと明るみになり伸二自ら物理的に張り倒して連行してきたらしい。
現在は親子仲良く塀の中、後釜としてこの親子の息のかかった親族が名乗りを挙げたのだがここで黄門様の印籠が炸裂。
“やんごとなき御方”からの御言葉により次期当主の決定に待ったの裁可が下された。
曰く「日ノ本を守護されし尊き存在を害したこと誠に許されざる不届き千万たる暴挙」として信達とその父親は永久追放、次期当主も“然るべき者を推挙する”として判断を御上に委ねることになった。
そして次期当主として挙がったのが先代当主に迫害され冷遇されていた弟。
能力は確かで人柄も問題無し、さすがに退魔師家系の中でも影響力が大きい「鷹司家」自体を除名することはできなかったため方位家としての地位は継続、今後は失った信頼を取り戻すことに尽力することとなるだろう。
ただでさえ現在は神耶家が凍結されている事により方位家が一つ少ない状態なのだ、これ以上減らしたくなかった思惑もあったのかもしれない。
尚斗にとって嬉しかったのはこの度指名された新当主は神耶家のことを好意的に受け止めており、鷹司家との軋轢を避けることができたことだろう。
たった十日にも満たない内にここまでのことが決まったのだからとんでもない。
「なので神耶君は今回の事で鷹司家と事を構えなくて済んだことが一番の報酬となったかな?」
「一番の報酬は別にありますが、正直ほっとはしていますね。葛城家と被害にあった女性のことはどうなりましたか?」
科野屋女将であった葛城良美、彼女の罪は直接的なものではなくとも幇助として決して軽いものではないとのことで、やはり懲役が科される可能性が高いらしい。
そして現在も目を覚ましていない座敷童としての役割を押し付けられていた女性、伊澄は専門治療機関にて入院中。
今後検査等を重ね一般的な生活に戻れるとなった場合どうするのかとなったところで、名乗りを上げたのが科野屋先代主人の一人息子である葛城浩史であった。
詳しく話を聞いてみると、伊澄が監禁される前の二人がまだ若い頃互いに将来を誓い合っていたのだそうだ。
なのに突然消えた伊澄、父に尋ねると引き取り手が現れてもらわれて行ったと。
失意の中で現実逃避し渡米、しかし結局は彼女の事を忘れられず独り身を貫き伊澄の事を探していたというのだからなんともなラブロマンスではないか。
彼女にはぜひとも人としての生が送れるようになってほしい、長いこと人生を犠牲にしたのだから浩史と幸せになれるご褒美があってもいいだろうと願う尚斗であった。
「まぁ今のところこんな状態だよ。で、こちらの報告が終わったところで君の抱えた“厄介事”を聞こうじゃないか」
「ええ……御堂さんは……治癒術を扱える者が現れた、と知ればどうします?」
場を一瞬沈黙が支配した。
聞こえてくるのは外で遠慮もなしに鳴く蝉のオーケストラとテレビから流れてくるレポーターの声だけ。
「それは……おとぎ話の中ではないのだね?」
「はい……」
「君が……いや、もしや桜井君かい?」
さすが頭がまわる、候補として可能性があるのは美詞のほうが高いというのは流石に分かることか。
「桜井の……静江殿には相談はしたかね?」
「ええ、報告はしております。婆様の方でも対策を考えてみるとのことでした」
「わかった、ならば私も静江殿と足並みを揃え動くとしよう。できれば詳しい話を聞かせてほしい」
科野屋の地下で起こった出来事を説明し終えたところで伸二から溜息が漏れ出た。
「なんともはや……まさかそんな事になっていたとは……とても表に出せる話ではないな。他にこの事を知っている者は?」
「今のところ婆様と御堂さんだけですね」
「なら方針が固まるまで私の胸の内で留めておこう。魑魅魍魎共がこぞって一本の蜘蛛の糸に群がってきそうだからね。協会にも報告はしないので安心してくれたまえ。そうだね……それまでせめてカモフラージュできるモノがあればいいのだが……」
「あぁ、それならば小細工レベルではありますが。……美詞君」
名を呼ばれた美詞が胸の内から取り出したのはネックレス。
細いチェーンのトップには組紐と金具で雅に装飾された勾玉が。
そう、これは八津波の御神体である。
科野屋からの帰り、八津波がふと提案してきたのだ。
「『ところで美詞よ、我の分け身はあるか?』」
「え?あ、はい。ちゃんと持ってますよ?」
ごそごそとポケットから取り出したハンカチを開いていくと中に乳白色に輝く勾玉が姿を現わした。
「『離さず持っておるがいい。その玉には我の神気が込められておる。そなたが治癒術を使うた際に神気の出処を石からと偽れば目をくらますこともできよう』」
ハンドルを握っていた尚斗が「ふむ……」と得心いったようにうなづいた。
「なるほど、勾玉を治癒術の霊具としてカモフラージュするわけですね。しかし良いのですか?それは八津波の御神体……分け身なのでしょう?」
「『もはやその玉は力の籠もったただの石ころに過ぎぬよ。我との縁は切れておる。美詞に使わせればよい』」
「……ありがとうやつはちゃん、大事にしますね」
アフターケアもばっちりな元神様の心遣いが有難かったのか柔和な笑みを浮かべていた。
「それならば霊具らしく……いえむしろ霊装と言っても過言でないほどにそれっぽく仕上げますか」
「『なんじゃ……おぬしは細工まで
「無駄とはひどい言いようだ。自分に合う装備がなかったので自分で作るしかなかったんですよ。うーん、その大きさの勾玉ですとちょっとゴツすぎますね。八津波、これは削っても大丈夫なのですか?」
たしかに美詞の手のひらに乗っている勾玉は御神体ということもありそれなりの大きさはある。
アクセサリーに加工しようものならその大きさ故に女性が持つにはなにかと不格好であろう。
「『問題なかろう、小さくとも力が消えることはなかろうて。過去には同じような手法で削り粉を呪法に用いておったぞ』」
「へえ……いい事を聞きました。色々試せそうですね……」
マッドサイエンティストとまでは言わないが研究バカに餌を投入するようなものである、八津波の勾玉が豆粒にまで小さくならないことを願わずにはいられない美詞でった。
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