第113話

 尚斗の袖を引きながら声をかけられた当の本人は美詞の表情を見ただけで何が言いたいのかわかってしまったのだろう、溜息ひとつ吐くと真剣な表情で美詞と目を合わせた。


「美詞君……何をしようとしているのかわかっているのかい?」

「はい……でも!これじゃぁあまりにもっ!」


「……はぁ……方法がないことはありません……」


「それじゃぁ!」

「しかし!……それは一時的な措置です。私が生きている間だけの仮初の時間……そんな瞬刻のために私に縛られるような事を彼の方に強いたいですか?」


「……」


 そう言われてしまえば返す言葉が思いつかない美詞、自分の感情を前面に出して突っ走ってしまったが言われてみると神様の事をまったく考えていないとも取れると思い直した。 

 ただ消えていくのを何もできないまま見ているしかないのかという口惜しさの中、獣が二人を割るように声を挟んできた。


「『なんじゃ、そなたらは我を留めたいのか?』」


 その言葉に美詞が悲痛な表情で訴えかけるように答えた。


「神様……どうにかならないのでしょうか?愚かな人間のせいであなた様が消えなければいけないというのはあまりにも理不尽です……」

「『理不尽等この世には掃いて捨てるほどあろうて。そなたが申すこともわからん事はないが、我はそうとは感じておらん。残念ではあるがこれが世の理であるなら受け入れるまでよ』」

「……」


 獣にまでそう言われてしまえば美詞の言葉は行き場をなくしてしまい俯いてしまう。


「『しかしそうじゃなぁ……その理を曲げる方策が無い訳ではないのじゃろ?のう?」』


 獣の視線は尚斗に向けられた。

 俯いてしまった美詞の顔がガバリと持ち上がり希望を含んだものに変わる。


「……受け入れて下さるのですか?先ほども申しましたが人の一生分でしかありませんよ?」

「『要はそなたと契約をせいということであろう?構わぬよ、京への旅路が少々先に延びるだけ』」

「そうですか……わかりました。御身をお預けいただけること光栄に思います」

「『やめいやめい、後生じゃ畏まらんでくれ。どうせ我なぞ力を失ったただの木偶、そなたらの傍におろうとも何の力にもならんと言うに……酔狂なものよ』」

「ふふっ……彼女からしたら一緒に居れるのが嬉しいみたいですよ?」


 獣の自虐を含んだ言葉を受け、美詞に視線を移してみれば悲壮に溢れていた顔はどこへやら……


「ありがとうございます、神様!これからよろしくお願いします!」


 満面の笑みを湛えていた。


 

 さっそくとばかりに時間が残されていない獣のため行動に移した尚斗。


 ― カリカリカリ……カッカッカッ ―


 地面にチョークで描かれていくのは丸い大きな円を軸にした魔法陣。

 異国の魔法陣を初めてみる獣は心なしかワクワクしているように見える。

 どうやらこの獣、知識欲が旺盛のようで探究心が疼くのかしきりに魔法陣の術式を調べていた。


「『初めて見る法円じゃの、てっきり陰陽術で我を調伏し従えるのかと思うたが』」

「はは、そんな御身に鞭打つことはしませんよ。それに陰陽術であるとどうしても私のほうに優位性が傾く使役になってしまいます。私の精神衛生上勘弁願いたい」

「『堅いのぉ、我を使役獣として畜生のように扱えばよいものを』」 


 冗談か本気かわからない発言に尚斗の表情筋が引くつくのを抑えられない。

 なるべく気にしないようにして魔法陣を描き終えた尚斗は、パンパンと手をはらいチョークの粉を落とすと獣に向き直った。


「さて、ではこれから契約に移らせていただきます。これから行う儀式は西洋の黒魔術、召喚契約をアレンジ……改変した『使い魔契約』になります。互いに経路を繋ぐことで神様の存在がこの世界に固定されることになります。私が死ねばこの契約もそれまでですのでご注意を……契約の上位存在としての優位性は無し、拘束力がなく自由性を確保する対等な契約として調整します……よろしいですか?」

「『うむ、問題なぞあろうか。すべてそなたに任せる』」


 一体この全幅の信頼はなんだろうと不思議にも思ったが聞くだけ野暮というもの、さっさと契約に進むことにした。


「では御身はこちらの法円の中へ……始めます……」


 魔法陣の中へ入り中心で座り込んだ獣に対し鷹揚に頷き、右腕を前に出すと己の手首を浅く切った。

 手首からぽたぽたと垂れだす血が魔法陣を赤く染めるのを確認し契約へと移行する。


「古の盟約に基づき我が願い聞き届け給え 我が名は 神耶尚斗 新たに汝との縁を結ぶ者なり 共にあり共に果てることを是とするならば我が願いに応じられよ」


「『応とも。我が身は常にそなたと共に在り。我が名は 八津波神(ヤツハノカミ)……いや……八津波(ヤツハ)と呼ぶがいい……よしなに頼み申す、尚斗殿』」


「……契約はここに成った。……あなたの旅路、私がお預かりします……八津波」


 尚斗が獣の名を、八津波を呼んだ途端に魔法陣がその模様の輪郭に沿い光を帯び始める。

 魔法陣を中心に力が迸り、風が渦を巻き始めたかと思うとその動きに合わせて光が天井高く立ち昇った。

 契約者二人がその光に包まれると確かな繋がりが互いを結び付けた……確かな手ごたえを感じた二人は術の成功を確信する。

 光が収まるころには八津波の姿もいくばくか「マシ」になった。

 白銀とも呼べる光輝く毛は目に優しいただ白いだけの毛並みへと落ち着く。

 神々しいまでのオーラは既に神の軛を外れたことによる反動か、鳴りを潜め威圧感が和らいだように思える。

 見た目は色から言ってホッキョクオオカミのようにも見えないことはないが、どちらかと言えばシンリンオオカミのような凛々しさも混じっているように見えた。

 神秘性が引っ込むと、その姿も動物としての愛らしさのほうが前面に出てくるようであった。

 美詞が慌てて尚斗の下に駆け寄り血が滴る腕をとると治癒術を発動させる。


「神耶さん、血が足りてないんですから無理しないでください……」

「ああ、ありがとう美詞君……しかし……これが治癒術か。……なんとも温かく……不思議な感覚だ」 


 海外でシャーマンからヒーリングという術を受けたことはあったが、それでもここまで劇的な効果はなかった。

 術そのものの仕組みが違うのだろう、初めて体験する治癒術の効果にただただ感心してしまう。


「『ふむ……なるほど。これが縁を結ぶ契約か……思いの他馴染むではないか尚斗、そなたの力確かに受け取った』」

「まぁ私の霊力は様々な術に対応させるため柔軟になっているのでしょう。しかし……御身の神気を残せるほどの力が私になかったことが悔やまれます……これではただ命を繋いだだけとしか……」

「『よいのだ、既に役目を退いた身。徒然なるままに過ごす余生に力などいらぬわ、それに……ほれ』」


 八津波が力を練り始めると獣の体から目に見える形となり神気がその身を包みだした。


「『すべてを失った訳ではない、少々この身には負担ではあるがさほどの問題もなかろうて。して尚斗よ、お主はいつまで我にそのような改まった態度でおるのだ?おん?』」

「……あ、いえ……でもさすがに……」

「『我はお主の“つかいま”とやらになったのであろう?対等とほざいておったのは偽りであったか?おんおん?』」


 冗談まじりの口調には尚斗を咎める気はなさそうであるが、相手が望んでいることを無下にするのもまた憚れた。


「……はぁ。わかりました、態度は改めます。呼び方も今後は八津波と……しかし口調だけは勘弁してください、これが普段通りですので……まぁ語気が荒くなる時もありますが、それは見なかったことにして流してもらえれば」

「『うむ、合い分かった。巫女娘よ、改めてそなたの名を聞きたい』」

 

 魔法陣の中で向かい合って喋ってた八津波の視線がいきなり美詞に移ったことで反応が遅れてしまった。


「あ、私……ですか?あの、桜井美詞と申します。貴方様が現世に残られた事、嬉しく存じます」

「『む?そなたもか……尚斗と同じ様にせい、むず痒くて敵わん。桜井美詞じゃな、尚斗と同じく美詞と呼ぶとしよう。しばしの時を共に過ごす身、よろしく頼むぞ』」


 契約者である尚斗ならともかく関係のない自分まで気安く接しろと言われ、判断がつかずおろおろしながら尚斗に目配せを送った……が、尚斗も好きにさせてあげなさいとばかりに頷くばかり。

 

「うぅ……わかりました!これからよろしくお願いしますね、ヤツハちゃん?でいいのかな……」

「『過ぎたる昔に幼子が我の名をそう呼んで以来じゃな。懐かしいのぉ』」


 恐れ多くも神に向かって『ちゃん』付けで呼ぶ美詞の順応力と恐れ知らずな所は彼女の長所と言えるかもしれない。

 満更でもない八津波の様子を見る限りではそのままにさせておこうと気にしないよう努めた尚斗。


「ところで八津波、少々伺いたい事が。あなたは普段からその姿なのですか?」

「『む?これか。我は狩猟と豊穣の神であった。故に狩猟に関わる獣ならば様々なものへと姿を変えれるが……猛禽がよかったか?熊にでもなろうものなら人里が騒ぎ立てよう?』」

「あー……いえ、たしかにまだその姿が一番マシですね……」

「『であろう?』」


 八津波は八津波なりに日本社会に配慮した姿で顕現していたようだ。

 これが鷲やらフクロウやらの猛禽類ならまだ珍しいで済むだろうが、大型肉食獣など出てこようものならパニックになったことだろう。


「『さて、この者を連れ外へ参ろうか。丁度不穏な連中の気配が外に現れたようだぞ。とても覚えのある陰陽師共の気配よ』」

「それはそれは……送り込んだ暗部から連絡がないので痺れを切らしましたかね。挨拶に伺うとしましょう」

「方位家の人なんですよね?今の話からしてやつはちゃんを縛り付けたのもその人達ってことですか。神耶さん、大丈夫なんですか?」


 座敷童であった女性を尚斗が背に背負い出口へと向かい出した一同。

 道すがら美詞の質問に答えたのは尚斗ではなく八津波。


「『案ずるな、我がやられてもうたのは今其方が手に握る我が分け身を不意を突かれ盗られてもうたからよ。こと戦闘においては尚斗の足元にも及ばぬわ。……しかしそうだのぉ……我もあ奴らに挨拶をせねばなるまい、我が相手をしよう』」

「今の状態で大丈夫ですか?」

「『なあに、力ある者共は我を縛る際ほぼ壊滅しておる。先日来おった者共の力たるや悲惨の一言であったぞ』」

「そうでしたか……なら一芝居打ちましょうか?」


 ニヤリと悪い顔になった尚斗を鏡で映すように八津波の顔もまた悪い物へと変わっていく。


「『よいのぉ、楽しませてくれようぞ』」


 あ、ペットって飼い主に似るってほんとだーと少し不敬な考えがよぎる美詞であった。

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