第111話

 光源がまばらな薄暗い地下の一室、その一角だけは現実ではまず見る事のできない幻想的な光景が広がっていた。

 黄金に輝く光が絶え間なく舞い上がっていく空間の中で、正座をした巫女姿の少女が倒れる青年の頭を膝に乗せ微笑みを浮かべている。

 光を帯びた真っ白の毛をなびかせ、その正面で様子をじっと見守る神聖なる獣の姿。

 まるで宣教のためのフレスコ画に描かれそうな物語めいた光景を映していた。


「ふふっ……」


 なにが楽しいのか美詞は尚斗の顔を両手で挟みながら笑顔を浮かべていた。

 治療はまだ続けられている、周囲に散っている黄金の粒子は美詞の神気が混ざった力の残滓なのだから。

 見た目怪我らしきものが見当たらなくなった尚斗であるが、血を流しすぎて生命力が枯渇していた。

 失った血は治癒術であっても戻らない、しかしボロボロになった魂を癒すための生命エネルギーを送り込むことができるため今も美詞の両手からは治癒術の光を照らし続けているのだ。


「『……娘よ……いつまでやっておる。もうとうに治療は終えておるだろう』

「あ、もうちょっと……」


 尚斗を膝枕するというめったにない体験にご満悦気味の美詞がもう少しと治癒を引き延ばすが、目の前の獣は流石に待っていられなかったようだ。


「『ええい、さっさと起きぬか……』」


 テシッと前足の肉球で尚斗の顔面を踏んづける獣、気付け薬代わりに少量の神気を尚斗に送り込むことを忘れない。


「ぬがっ……あぐっ……うっ……あ、あぁ……俺は……」


 なんとも情けない声を上げながら覚醒を促された尚斗はまだ意識がぼんやりとしているのか自分が置かれた状況を把握しきれていなかった。

 そこへ尚斗の顔の上に影が差す、膝枕をする美詞が上から尚斗の顔を覗き込んで声をかけた。


「尚斗おにいちゃん、具合はどう……?大丈夫?」

「あ……美詞ちゃん……?そうか……俺……私は気を失っていたのか。状況は……っ!うおぉおっ!」


 自分が気を失ってからの状況が不明なため説明を求めようとしたのだが、そこで獣の顔がすぐ傍にあったことに驚き思わず声を上げてしまった。


「あ、大丈夫だよ?もう終わったから」

「え?あ、終わった?……そうか……やり遂げたんだね。よかった……よく頑張ったね美詞ちゃん……」


 まだ満足に力が入らない腕を持ち上げ、美詞の頭を撫でたところで尚斗は違和感に襲われた。


「あれ……腕が……ある。それに傷が……」


「『それは我が説明しよう』」

「うぉっ!」


 いきなり獣に話しかけられたことでまたもや驚き尚斗の肩が跳ね上がった。

 しかし相手は神なのだ、先ほどまでの禍々しい雰囲気は微塵もなくなり神々しいオーラを放つその獣を見ただけで正常に戻ったことを証拠付けるには十分であった。

 人語を介するほどの存在なのだ、このままの体勢では礼を失すると判断した尚斗が体を起こし向き直った。


「この一帯に祀られておられた方とお見受けします。この度の愚かなる人間による不敬極まる蛮行、平にご容赦下さいますよう恐れ多くも申し上げ奉ります」

「『……ぷっ!』」

「……へ?」

「『くははっ!よいよい、我のような末端の存在にそう堅い言葉は不要ぞ、くずせくずせ。そもそも此度の件そなたらには感謝をしておるのだ、畏まられてはむず痒くてかなわんわ。……おのこよ、すまなんだな……我を鎮めるため多大な傷を負わせてもうた』」

「え?あ……いえ……お気になさらず……?」


 口調は尊大ではあるがそこに込められた気遣いと優しさ、そして気安さ……尚斗は頭が追いつかないでいた、隣では美詞がくすくすと手を口にあて笑っている。


「『そなたが負った傷であるがそこな巫女の娘が治癒術により治した、礼を言っておくがよいぞ』」

「は?ちゆ……じゅつ?美詞ちゃん……が?」


 説明すると言っておきながら獣が発した内容が端的すぎて更に理解が追いつかない。

 パニックになっている尚斗のため美詞が獣の言葉を補足した。


「あの……神様が力を貸してくださいまして……治癒術を使えるようになった……みたいです。あ、尚斗おにいちゃんの腕は神様が治してくださったんですよ?」


 うん、ちょっとわかったようなわからないような……頭を整理するため獣と美詞の言葉を反芻する尚斗。


「えっと……腕は神様が治してくださったんだね?で、それ以外は君が治したと……治癒術を使えるようになった?どうやって?」

「私の中に眠る邪法による力と神力、そして神様が与えて下さった神気と治癒術の術式で……ですが、はい、意味不明ですよね?言ってて私もこれはないなーって思ってます。でもそれがすべてというか……」


「『聞けば治癒術は既に途絶え廃れた業だそうだのぉ。この娘の力は我の神気と相性がよかったのでな、力を貸し与え使えるようにしておいたぞ』」


 孫にお小遣いを与えるようなノリで言わないでほしい。


「……すみません、少し診させてもらっても?」

「あ、はい」


 尚斗は美詞の丹田付近に手を当て霊波診断するため探知術を走らせる。

 そしてすぐにその結果にたどり着き瞠目した。


「……なんてことだ……“あの力”が完璧に混ざり合っている。それにこのまばゆいまでの巨大な力……これが神気か……しかし……」


 大きな問題発生だ、ただでさえ美詞の力は特別なのだ。

 それがバランスのとれた融合を果たし、オンリーワンの力となっているばかりか神の力がミックス?

 こんなの人に知られればまっさきに保護と言う名の拉致監禁、研究機関行きとなりろくでもない未来になる。


「『案ずるな、我が与えた神気はすぐに娘の力と交じり合い定着するであろう。治癒術を行使する際等、意識し使用せねば表に出ることもない。末方には少々人と違った力程度で収まる。そなたは娘が排他されることを恐れておるのじゃろう?』」

「はい……いえ、ご配慮いただきましてありがとうございます。そして私を治していただいたことも感謝申し上げます。……人の世をよくご理解されておられるのですね……」

「『……永く人の世を見守ってきたでな……善き所もあれば悪しき所もあるのが人というもの、それは我等も同じじゃ。人の営みは尊い……善きも悪きも我が子同然なれば愛いものであるぞ』」


 そうか……この獣にとっては崇め祀ってきた人達のみならず人間そのものを我が子のように思っているのだ。

 おそらく地域に土着した信仰だからこそ生まれたものなのかもしれない、現に自分を穢した人の悪意に怒ることもなく余裕を見せるその器、神と呼べるに相応しい懐の深さに温かくなった尚斗。


「『おお、それに娘だけではないぞ?おぬしにも神気を与えておいた』」


 ……その自由奔放な勝手さもまた実に神らしい……。


「わ、私もですか……そ、それはとてもありがたきことでございます……」

「『ぬははっ、声が引き摺っておるぞ?先ほども言うたが直に交じり合い落ち着く。そなたならばせいぜい力が底上げされる程度であろう』」


 獣の言葉にほっと安堵する自分がいたが、それと同時に特別な力がないことにもがっかりする自分がいた。


「『そう気を落とすでない、それが普通であるのだ。この巫女娘が殊更特別であっただけのことよ。此度の褒美と思い構わず受け取るがよい、ただの形見分けじゃ気にするな』」


「え?……形見分け?……」


 獣の口から不穏な単語が飛び出し尚斗と美詞が固まる。


「『……我には時間がない。まもなくこの身は朽ち果て大地へと還るであろう……』」

「っ!まさか……途切れているのですか!?」

「『然り……我と山を繋ぐえにしは切られ、ここに縛られた。そしてそこな祭壇と無理やり繋がれておったのだが……それも既に消えた』」

「なんてことを……」

「『よいのだ……我は人の営みを、育みを十分見てまわることができた。この地にて朽ちることができるのであらば本望であろう。……しかし最後に一つ、我が願いを聞き届けてもらいたくてな』」

「っ……なんでしょう?」


 神の願いなぞとんでもない試練であることがほとんどである。

 一瞬警戒を強めた尚斗であったが、この少々俗っぽい神様ならばそこまで無茶なことは言ってこないだろうという確信も持っていたため思い直した。


「『そこに横たわる者を連れ出して欲しい。あの者もまたここに縛られた不憫な娘でな……』」


 部屋に入る前からずっと気になっていた存在、今ならしっかりとその存在を確認することができる。

 黒く長い髪が邪魔し顔は良く見えないが、体の大きさからして成人は超えているのではないだろうか。

 単衣か薄物だろうか少し薄生地の着物を身に纏っているように見える。


「彼女は……妖ですか……?」

「『そなたらならばあれを見ればわかるのではないか?』」


 獣が向いた視線の先には壁に埋まった鈍い光を放つ金属製の玉。


「……なんの……儀式具?……いやまて、あれはもしや金か!」

「神耶さん、反対側の壁と祭壇のところにも……」


 見れば計三つの玉が女性を中心に三角形を作るように配置されている。


「まさか彼女はっ……!いやしかしそうだとしたら容姿が合わないっ……神よ、どういうことでしょうか!?」

「『気づいたか、容姿が違うのも仕方がない……この者もまた愚かな人の手により作られた欲の象徴……』」


 尚斗の顔が悲痛に歪むのがわかった、怒りから自然と奥歯に力が入ってしまう。


「か、神耶さん……どういうことなんですか?」


「……彼女は……『座敷童』、幸運を運ぶ存在としてあまりにも有名な妖だ……」

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