第110話

「おにいちゃん!?」


 意識を失った尚斗をゆするも反応がないことに最悪が頭をよぎったが、胸が上下していることに気づき胸をなでおろした。

 尚斗は圧倒的な力の前でも最後の最後まで諦めず、針の穴ほどの勝利への道に見事糸を通してみせたのだ。

 美詞に託された最後のピース、整えられた勝利への道、ならば後は自分が立ち上がるだけ。


 涙で濡れた顔を袖で拭うとキッと獣を睨みつける。

 さっさと終わらせて尚斗を治療しなければいけない。 

 美詞の視線の先の獣は依然として余裕な様子を見せている。

 最大戦力を屠ったことで残ったのは戦力としては覚束ない人間一人。

 舐めてかかるのも問題がないのだろう。


 しかしそう思っていられるのも今の内だ。

 すぐにダメ押しのトドメを刺さなかったことを後悔させてやる。

 その余裕を焦りに変えてやる。


 尚斗に託された勾玉を両手で包み自分の中にあるありったけの力を籠めだした。

 なにをする気だと言わんばかりの怪訝そうな顔を浮かべる獣を他所に、美詞の手がまばゆく光を放ち始める。

 そこで初めて自分の体に変調を感じた獣が、祭壇に祀っていたはずの御神体がなくなっていることに気づき驚愕しながら慌てて美詞に槍を伸ばしてきた。

 しかしその行動は既に遅きに失することになる。

 美詞に到達するよりも早く先端から灰になっていき、その変化は幹を伝いやがて獣の傍まで達する。

 美詞の手の中が一際まぶしく光を放つと、光に巻き込まれた獣の体に檄的な変化が訪れた。

 衣を剥がされていくように灰色だった獣の体が光を纏い白く染められていったのだ。

 そしてその光は穢れを作り出す祭壇にまで及び、光に当てられた祭壇は一気に時を早送りされたように朽ちていき……崩壊した。

 どれだけ光の中で力を籠め続けていただろうか、やがて浄化は完了したのか光の奔流は徐々に収まりを見せることとなる。

 両手の中には淡く光を発する勾玉が。

 当初の鈍色で禍々しい念を発していたそれは、乳白色の輝きを取り戻し神聖な力を帯びているようだ。

 肝心の獣に目をやると、こちらも神々しい光を撒き散らしながら見事なまでの白い毛を揺らし清浄なる風貌を晒している。

 閉じられていた瞳がゆっくりと開き、美詞の存在を捉えるとゆったりとした動きでこちらに向け歩み出す。

 四肢を拘束していた鎖が歩みに従い引っ張られるが、張力等なかったかのようになんの抵抗もなくパキンと割れていった。


 緊張の面持ちで待ち構える美詞であったが、宝石のように輝く獣の緑の瞳に吸い込まれそうになり動くことができないでいる。

 やがて尚斗を抱え座り込む美詞の前までくると獣は歩みを止め口を開いた。


「『……此度のそなた等の働き……げに大義であった……』」


 獣は口を開いているが口から発せられているわけではなく、どこから聞こえているのかわからない不思議な声に美詞は呆然と口を開けたまま固まってしまっていた。

 威厳に溢れ神々しさを纏った言霊とも思える音色、直ぐに反応できるだけの図太さは持ち合わせていない。 

 なんの反応もない美詞の姿を不思議に思ったのか、目の前の獣が更に追撃の言葉を送ってくる。


「『む?どうした巫女の娘よ、阿呆面を晒しおってからに。……やはりこの口調がおかしかったかの?人の子と言の葉を交わす際は威厳が肝要と言っておったが……奴め適当なことを抜かしおったな……』」


 あ、一気に親しみが湧いた。

 そう感じた美詞が恐る恐る声をかけてみた。


「あのぉ……神様、でよろしかったでしょうか?御身の穢れはもうよろしいのでしょうか?」

「『おぉ!やっと口を開いたか。然り、そなた等の献身により我が身に巣食いし穢れは無事祓われたようだ。我は神の末席に連なってはおるが神等と呼ぶには烏滸がましい狭小なる存在よ、好きに呼ぶがよい』」


 小さい存在?とんでもない、人では到底至ることのできない力を持つ存在が小さい等と間違っても言えないだろう。

 

「え?あ、はぁ……いえ、では神様とお呼びいたします」

「『いつの世も日ノ本の民は慎み深いよのぉ……まぁよい、そなたが抱えるおのこ……傷の具合はどうか?』」


 獣のその言葉に美詞の表情が曇る。

 腕に抱える尚斗の具合は決していいとは言えない、肩には大きな穴が開き、体中大小様々な傷、挙句の果てには片腕を半ばから失い顔は血の気が通っておらず死人のようであったからだ。

 辛うじて呼吸していることでまだ生にしがみつけている事が分かる程度の瀕死状態。


「すみません、いますぐにでも病院……治療を行う場所に連れていかねば危険な状態です」

「『病院程度ならば知識はある、言い改めんでもよい。すまぬな……我が穢れに呑まれたばかりに多大な傷を負わせてしもうた……して、病院に連れていくと言っておったがそなたは巫女であろう、治癒術を使わんのか?』」

「いえ……私にそういった術は……今の日本に治癒術を使える能力者はいないんです」


 その言葉に獣が驚きを見せた。


「『なんと!……途絶えてしもうたか……事が一刻を争うのであれば我が直に癒してもよいが……ふむ、せっかくじゃ、我が力を貸す故にそなたがこやつを治してみぬか?』」


 今度は美詞が驚きを現わす番だった。


「わ……たし……がですか?できる……の……です……か?できる……なら、やります!やらせてください!!」

「『うむ、よき気概よ。そなたが持つ我が分け身をそのまま握っておれ。そなたに宿りし力は神気と相性がよい。まずはそなたが身の内で抑えつけておる“もう一つの力”を受け入れよ』」

「え、しかし……」

「『わかっておる、心配せずともよい。既にそなたが後に身につけた力により害はなくなっておる。我が導こう……心を無にし受け入れよ』」


 美詞の手のひらに乗る勾玉が淡く光を放つ……伝わってくる温かい力に身をゆだね美詞は目を閉じた。

 ……わかる。

 今まで隔離するように抑えつけていた……袴塚先生が『魔力』と呼んでいたよくない力、蛇神に捧げるため邪法により変質した力、神力の浸食により薄れてきていると言っていたが変質させ取り込むのではなく、獣の神気により“融合”させるようにぐるぐるとかき混ぜられていくのを感じていた。


「『そなたの中にある力の在り方がわかるであろう……?そなたが忌避するその力もまたそなたの一部であるのだ。受け入れよ……既にそなたにはそれだけの器が出来ておる』」


 獣の言葉の意味が今なら理解できる。

 混ざり合った力がひとつの神聖な力として美詞の魂に定着していくのが。

 目を開けた美詞は自分の体を見回し驚いた。

 自身の体から白く色づいた力が湧き出し纏わりついているのだ。


「『すぐに定着するで気にするな、自然とその力も身の内に引っ込む。さて、次に我がそなたに力を分けるぞ。人が神気と呼ぶものだ……安心せよ、ほんの欠片じゃ。そこに術式も混ぜておく、神気が馴染めばおのずと治癒術の行使も理解できるだろうて』


 美詞の手のひらに乗った勾玉に向かいふぅーと息を吹きかける獣。

 その光景をぼんやり眺めていた美詞の身に変化が起きる。


 ― ドクンッ ―


 美詞の心臓が跳ねたかと思うと、巨大な力がいっきに美詞の身の内を駆け巡りだした。

 それは今まで美詞が感じ取っていた自身の力とは段違いのとんでもない力の奔流。

 たまらず恐怖心が襲ってきたが、しっかり制御されているその力はやがて美詞の力と混ざるように浸透していき静かになった。


「……っ!はぁっ……!はぁっ……!」

「『うむ、やはりそなたの力は我が神気と馴染みがよい、他の者ならばこうはいかん。……さて、既にそなたの内には治癒術が備わったはずであるが?』」


 自身の体から湧き出している力が金色を帯び出したことに驚き固まっていたが、獣の言葉にハッとなり手のひらを見つめる。

 不思議なことにわかるのだ、治癒術の仕組みが。

 血の気の引いた尚斗の顔を見つめる。

 美詞を守るために我が身を犠牲にまでして戦った人が眠る姿。

 その痛々しい姿を見るだけで美詞の胸は張り裂けそうになりギュッと自らの胸のあたりを抑えつける。

 美詞は勾玉を握ったまま両の手を尚斗にかざし力を籠めだした。


「おねがい……この人を……大切な、この人を癒して……」


 美詞の手から金色に輝く神秘の力があふれ出し、尚斗の体に降り注いでいく。

 星屑を散りばめたような黄金のシャワーが尚斗の体に吸い込まれていくと体の至る所から光を放ち始めた。

 それはすべて尚斗の体に刻まれた傷跡、今も血が生々しくにじむその傷が逆再生するかのように金色に輝きながら塞がってゆく。


「『おぉ、忘れておった……』」


 離れた所で樹木が一本生え出すとこちらに伸びてきた。

 その樹木が運んできたのは分かたれ飛んでいった尚斗の腕。

 細い木の枝が器用に尚斗の腕を元あった場所に繋げるよう固定すると獣がそっと息を吹きかけた。


「『このおのこの献身に報いる褒美じゃ』」


 尚斗の腕が金色の光を纏いながらくっついていく。

 千切れた傷跡も筋肉や骨、神経が新たに生み出され最後には皮膚が再生し傷などなかったかのような綺麗な腕が姿を現わした。

 その光景に美詞の肩が震え、張り詰めていたものが限界を迎え我慢ができずついに泣き出してしまった。

 ぽたぽたと尚斗のボロボロになった服に染みを増やしていく水滴。

 美詞の涙は金色の粒子が立ち昇っていくその幻想的な空間の中でも一際綺麗に輝いていた。

 

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