第108話

 廊下よりは広く天井も高い部屋。

 しかし戦闘を行うには少々窮屈なフィールドでもある。

 そんな場所で獣が行使してきたのは神の御業の一端とも言える理不尽な術。

 たった二本だが地面から生え出した植物の存在感は大きい。

 人の胴ほど……先端でも腕を超えそうなほどに太い幹、ところどころに申し訳なさ程度に生えた枝と葉がなければただの触手と言われても納得しただろう。

 うねうねと動くその先端が尖っていることから、明らかに攻撃用のものだというのが分かってしまう。


 獣が大きく吠えるとその二本の“槍”は不規則な動きを止め、一斉に尚斗らに向けまっすぐ襲い掛かって来た。


 ― ギンッ! ―


 尚斗が張った結界が衝撃を受け光を発しながら撓み波打つ。

 その光景に尚斗はどっと冷や汗が噴き出した。

 妖程度の攻撃ではびくともしない自慢の結界がたった一撃で崩壊の兆しを見せているのだから。


「(くそ、時間稼ぎにもならないかっ!)金気 操淨付与 急急如律令 【天目一箇神の精錬】!」


 結界がもたないと判断し、尚斗が次なる術を起動するのと結界の強度限界が訪れるのは同時であった。


 ― バキンッ! ―


 本来ガラスが割れたような澄んだ音のなる結界の崩壊も、力任せの獣の一撃を前にすれば無理やり握りつぶされたような鈍い音が響く。

 一息つく間もなく怒涛の勢いのまま襲い来る樹木の槍を、尚斗は手に持った警棒で迎え撃った。


 ― ギャリリリッ ―


 到底木材と金属が打ち合った音とは思えない不快な音が辺りに響く。

 不思議なのは尚斗が叩きつけた警棒、結界を歯牙にもかけない力の塊を細い金属棒で太刀打ちできるはずがない。

 見れば尚斗が持つ警棒が淡い光に包まれているようだ。

 霊力の込められた梵字によるものではない、先ほど追加で行使した術の加護によるものである。


(予想が当たって助かった。金行の術ならばなんとか抵抗はできる)


 五行の考えに沿った属性毎の相性。

 本来ゲーム脳で語るなら『木属性』に相性がよさそうなのは木を燃やせる『火属性』だろと思われがちであるが殊五行の考えにおいては変わってくる。

 相剋という関係があり『金剋木』、金属の刃物は木を切り倒すといった相性の悪い属性同士が反発し傷つけあう関係であることを示しているわけだ。

 この考え方からすれば金行……金属性は木行に勝るはずではあるのだが……。


(しかし……重すぎるっ、いなすのが精一杯か!)


 巨大な力を前にしてしまえば属性関係等わずかに抵抗できるだけの焼け石に水状態。

 幸いなのは今のところ正面からしか攻撃がこないため動きが読みやすいことと、狙いが尚斗一人に集中していることでなんとか捌けているといった具合か。

 巧みな足捌きと重心移動により吹き飛ばされないよう耐え、真正面から打ち合わず逸らすことを重点に置いた防御でなんとか潰されずにいる。

 たった数合打ち合っただけで尚斗の息が上がり始めた。

 一合一合に籠められた力の強さと、一撃でももらうことのできない攻撃に晒された極度の緊張から尚斗の体力はガリガリと削られていた。

 そこに背後で美詞が奏上していた祝詞が終盤にさしかかっているのが聞こえてくる。


「天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す!」


 大祓詞に籠められた力が神楽鈴を通し周囲に広がる。

 美詞を中心に広がった清浄な力の奔流が部屋を埋め尽くしていく。


「堕ちし神の穢れを祓い給え!」


 力の奔流が嵐のように獣を飲み込むと、獣の体からぶわっと黒い煙のようなものが噴き出し清浄な嵐に飲み込まれるかのように霧散していく。


「やりましたか!?」

「あ、美詞君その発言は……」


 フラグだ。

 と言う前に変化が訪れた。

 穢れを一時的に祓われた獣が呻きを上げ震えている奥……祭壇から黒い靄が新たに生み出され、獣に吸い込まれていく様子が見てとれた。

 それは部屋が美詞の祝詞により一度リセットされたことにより見えた現象だったのだろう、少しずつまた部屋が獣の神威に覆われていくとその黒い靄も見えなくなっていく。


「……なるほど……元凶はあの祭壇か……穢れの発生装置といったところか?」

「神耶さん!穢れが天井から祭壇に降りてきてました!」

「……ということはあくまであの祭壇は中継器として獣をこの場に抑えておくための軛…ならば、もしや奪われた御神体はあそこにあるのか?」

「恐らくこの部屋自体が一種の社として封印されているのかと……あの祭壇、なにか祀られていますが見えますか?」


 神道の物を模した造りの祭壇、本来神鏡が祀られいる箇所には勾玉らしきものが祀られている。


「あれが御神体か……厄を纏って、いや吸収してる……くそっ!そういうことか!」

「どうしたんですか?」


 そこで尚斗は気づいてしまった、この邪悪なカラクリの仕組みに。


「蔵にあった曰く付きはこの祭壇のためにあったんです。あれらはただ封印されていただけじゃない、札で邪念を搾り取りこの祭壇に絶え間なく送っていた……それを穢れとして山神を堕とすために使ったのか!」


 そこまで考えに至った尚斗は弾かれたように祭壇へと走りだした。


「あの御神体を回収して浄化せねば終わらな……くっ!」


 尚斗の進路を遮るように樹木の槍が横をかすめる。

 今まで苦しそうに唸り蹲っていた獣が、力を取り戻してきたのか四肢に力を込め立ち上がっていた。


「チッ!もう立ち直ったか!」


 立て続けに繰り出される鋭い直線攻撃をバックステップで躱していく。


「神耶さん、私が荒神の力で道を切り開きます!」

「いけない!あの力は強力だが、……くぅっ!反発してしまう!似通った神の力の反発は、周囲に多大な反動を生み出します。……くっ!、外ならともかく、ここでは、全員生き埋めの可能性が」

「そ、そんな……」


 迫りくる槍の猛攻を両手に持った警棒でいなしながら尚斗が美詞に警告する。

 二人がそんな会話を交えながら自らの攻撃を捌いていく姿に痺れを切らしたのか獣が更に前足で地面を叩くと、ダメ押しとばかりに更に二本の幹が生み出された。


「はは……四本か……嫌になるねほんと……」


 既に尚斗は自身に強化術を施している状態、それでなんとかついていけるギリギリの均衡を保っていたが攻撃の手が倍になるとさすがに捌ききれないのは目に見えている。


「ノウマク サンマンダ バザラ ダン ―」


 現在の状態から更に真言による強化、体への負担を一切無視した重ね掛けに美詞が悲鳴をあげる。


「神耶さん!体が壊れてしまいます!」

「どうせこのままじゃジリ貧、とことん抗ってやりますよ……と言いたいところですが撤退を視野に入れないといけませんね……」


 チラリと後方の出口を視線でやると、それに気づいた獣が更に足を地面に叩きつける。

 出口の扉付近の地面から幾条もの細い木が生え出口を覆い尽くしてしまった。

 その光景に啞然としてしまう二人。


「……退路が断たれた……ほんとに知性は失われているのか?すみません美詞君、私の判断ミスです」

「いえ、どちらにしろ目の前の存在をこのままにしておけないんですから……“アレ”は遅かれ早かれ力を増し拘束を破ります……なら破れかぶれでも!祓い給え 符術複式【牡丹】!」


 尚斗に殺到しようとしていた四本の槍に向け範囲術式符を放ち弾いた美詞。


「……やりますか。目標は祭壇に祀られた御神体。なんとかして手に入れますので浄化を頼みます」

「なんとか……ですか。わかりました、援護します」


 本当ならば隣に立ち増えた攻撃の半分を受け持ってあげたい、しかし美詞にはあの獣が放つ攻撃を対処できるだけの近接技能がない。

 なので今できるのは後方からの支援のみである。

 今は尚斗が前線に立つことによって獣の注意は尚斗一本に絞られているようであった。

 新たに生み出された樹木も含め、四本の槍は今すべて尚斗に狙いを定めている。

 二本を捌くだけで精一杯であったのだ、それが一気に倍になると流石に強化を重ね掛けしたとは言え尚斗の負担は察するに余りあるだろう。


「立ちはだかりし困難を戒め退け給え【縛】!」


 美詞が習熟したばかりの拘束術で尚斗を支援する、己の力量ではどうせすぐに解かれるのを理解している。

 そのため襲い来る四本の内二本だけに絞り、その分拘束術に籠める霊力を高め強度を増したのだ。

 それでも……案の定美詞の純白の茨は一時的に槍を食い止めるもののすぐに食い破りまた尚斗を攻撃しだした。

 しかしその一瞬の遅延さえあればいい、重要なのは同時に攻撃されないこと。

 美詞の思惑通り尚斗も四本から迫りくる猛威に時間差ができたことでうまく対処ができていた。

 そんな攻防を繰り返していると業を煮やした獣が行動に出た。

 そしてそれに真っ先に気づいたのは後方から全体を見渡していた美詞。


「神耶さん!木の幹が一本見当たりません!」

「……っ!美詞君!うしろっ!!」


 尚斗は美詞の声を耳に入れるとすぐさま状況を把握、四本の内一本が他の幹に隠れるように地面に潜り込んでいた。

 狙いは……!支援に徹していた後衛、美詞の背後の地面から這い出してきた樹木が凶刃を振りかざすのを視界に収め尚斗が叫ぶが。


「っ!!戒めをっ【ばっ……】」


 尚斗の声で背後の存在に気づいた美詞が慌てて拘束術を発動しようとするがそれよりも先に幹による薙ぎ払いが美詞を捉えた。


「くはぁぁっ……!」


 質量のある一撃が美詞の横っ腹を捉え吹き飛ばされた。

 地面に叩きつけられた美詞は衝撃から体の制動がきかず跳ねるように転がり倒れてしまう。


 均衡が崩れた瞬間であった……

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