第107話

 一人物騒な鉄扉の前で佇む尚斗。

 ほどなくして通路の奥から人の気配がしたことで、やっとこの硬直を解くことができると緊張が和らぎ安堵した。


「おかえり美詞君。この時間がすごく長く感じたよ」

「私なら耐えれないですね……神耶さん、この先は出口でした」

「やはり……どこに出ましたか?」

「昨日調査したあの蔵でした。丁度スイッチのあった場所の床下です」


 昨日蔵を調査した際、なぜ入口付近に照明スイッチがなく中途半端なところに設置されていたのかと思ったが、これで謎が解けた。


「あぁ……あの蔵にはまだ秘密が残ってたんですね。となると先代主人はこの地下のことを知っていた。というより順当に考えて先代主人が残した物と思ってよさそうですね」

「一体何が目的なんでしょうね」


 扉に視線を移す美詞に釣られ尚斗も鉄扉に視線を戻した。


「さて、まずは……この覗き窓からかな」


 鉄扉には目線の高さに長方形の窓がついておりスライドすることで中が覗ける仕組みになっているようだ。


「まるで監獄の懲罰房みたいじゃないですか?」

「言い得て妙ですね、差し詰め現代版の座敷牢といったところか。この扉の先に一体何がいるのやら……」


 慎重に扉に近づいた尚斗が窓の目隠しをゆっくりと横に引く。

 と、同時に少し離れ構えるが中からのアクションはない。

 ビビりすぎだろうと思われるが相手が相手だ、いくら封印されているとは言え油断はできない。


 なにも反応がないことが確認できたので、またゆっくりと顔を近づけ中の様子を覗き込んだ。


「……なんなんだ……これは……」


 つい漏らした言葉は目で見た光景に尚斗の理解が追いつかなかったからだ。

 想像していたものよりも遥かに情報量が多すぎた。


「なにがいたんですか?」


 そわそわした様子の美詞が我慢できず声をかけてくるので美詞にも見えるよう場所を譲った。


 まず最初に美詞の目に飛び込んできたのは光だ、中にもちゃんと光源があるようだが……その頼りない光に照らし出された存在“達”に困惑した。

 部屋の中はかなり広く設けられており、その中心近くで四本の鎖に繋がれたナニカ……そしてその奥に見えるのは横たわる人間らしき姿。

 突き当たりの壁にはなにやら祭壇らしきものが見える、丁度その祭壇の下にその人間らしきものが倒れているのだ。

 確かになんだこれと言わざるを得ない。


「あの鎖に繋がれているのは……獣でしょうか?丸まっていてよく見えないのですが……」

「ええ、あのでっかい毛玉はそうとしか思えませんが、あれは妖や霊獣といった類の存在……あれだけならまだ理解は追いついたのですがね」

「人……女性ですかね……」

「見た目はね」


 尚斗の言い方に疑問を感じ首を傾げる美詞。


「ここは先代主人が亡くなってからは使われていないはず。もし監禁なりされていたなら今頃白骨ですよ。見た目人間でも妖と言われた方が信じられます。まぁ先代主人が亡くなった後もだれかが面倒を見ていたなら話は別ですが」

「仮にそんな人がいたとしてもボロは出さないでしょうね……」

「ええ、恐らく方位家がここに私を寄越した『目的』はここにあるんでしょうね……何をさせたいやら」


 色々なことを考えていた。

 尚斗を嵌めるための罠だとしたらどういったパターンのものか……しかし目の前の部屋の中の光景を見ると、何がしたいのか余計わからなくなった。

 恐らく部屋の真ん中に鎮座するあのでっかな毛玉が今回の相手なのはなんとなくわかる、鎖で繋ぐほどに危険な相手なのだろう、それを尚斗にぶつける気だということか。

 しかし奥にいる存在がなんなのか検討がつかず困惑していた。


「突入あるのみですね!」

「……そのイノシシ思考どうにかなりません?まぁ……結局はそれしかないんでしょうけど」


 美詞の脳筋思考はいただけないが、どれだけ悩んだ所で突入することには変わりがない為否定ができないのが悲しいところ。


「ところでこの扉……鍵がついてますが開くんでしょうかね」


 ドアノブに手を伸ばし捻ってみたところ、すんなり扉が動いたので驚いた。


「施錠されていない……これ、従業員が地下への入口をうっかり見付けていればとんでもない騒ぎになったんじゃ……」

「窓から中を覗いた時点で大騒ぎですよ」


 確かに言われてみればそうだ、蔵側の通路は蔵の入口が施錠されていたからまだいい。

 しかし旅館側の方は不特定多数が多く利用する部屋、従業員がうっかりあの地下扉を発見することだってありえる。

 その時点で騒ぎは必至なのだから、もしかするとあの仕掛け扉に何かしらの施錠が本来されていたのかもしれない。

 まだ少しだけしか動かしていない鉄扉からいったん手を離した尚斗。


「戦闘準備を。いつでも攻撃に対処できるようにしてください」


 尚斗のその言葉に美詞は腰にぶら下げていた神楽鈴を引き抜き展開、左手に符を握る。

 尚斗自身も己に強化術を施し両手に三段警棒を持つ。

 尚斗が武器らしい武器を持つのをあまり見なかった美詞が、ここに来る前客室で準備をしている尚斗が気になり質問したのを思い出した。


「神耶さんが警棒を持つのは初めて見ました。また研究品ですか?」

「いえ、これは私用の特注品です。普段私はナイフを使うのですが、刃物は誤解を与えやすいので人に見られると思ったら出しづらいんですよ……一応真言により強化された霊具なので見た目通りの物ではないですよ?」


 そんな事を言っていた警棒を両手にそれぞれ展開し、霊力を籠めると刻まれた梵字が淡く光を帯びる。


「準備はいいですか?いきますよ?」


 頷く美詞を確認し半開きになった鉄扉を全開にし中に突入した。

 中は覗き窓から見ていた光景と何も変わっていない、前方には鎖に繋がれた獣、そしてその奥には正体不明の人型、しかし目で見えるもの以外に変わったところがあった……


「くっ……やはりこの扉は力を抑え込んでいたのか!なんて重圧」

「神耶さん、間違いありません。神気……神威です。……しかしこれはっ!」

「……穢されているってところかな?」

「はい、私が行使する力と違ったのは当然です……負の側面によるものではなく、無理やり穢され堕とされてます……ひどい……」

「……なんとも悪趣味な。一体何を考えてこんなこと……」


 先ほどまでの微かに漏れていた残滓だけではわからなかったが、この部屋に濃く充満する神威により、その性質を神気に馴染みの深い美詞が読み解くことができた。

 日本の神々には古来より二つの側面があると伝えられてきた。

 優しく平和的な善の側面と荒々しい負の側面、しかし穢され堕ちるのはまた違った意味になる。

 怨みや怒りを宿し厄を撒き散らし人にとっての災厄となる。

 言葉だけを並べてみると「神々の負の側面そのものじゃないか」と思われがちであるが理性も知性もなくただ人に害成す暴れるだけの存在になってしまった存在を、古来より神秘と対峙してきた者達は明確に区別していた。

 この状態の神は討伐対象となっているのだ。


 もそりと動いた毛玉……もとい獣。

 鉄と鉄が摺れる音は獣が動いたことを如実に表した。

 ゆったりと丸めていた体を伸ばし露になった顔が、部屋に突入してきた進入者に向けられる。

 二人を視界に収めると、途端に牙を剥きだしにしうなり始めた。

 獣の顔には皺が深く刻まれ、明らかに怒りを宿していると思われる鋭い目つき、今にも飛び掛からんと四肢に力を張らせている。


「……この一帯に祀られていた神とお見受けする。話し合うことはできるだろうか?」


 尚斗の言葉に対する返答は獣の叫びと鎖が引っ張られたことにより響いた鉄の音だけ。

 問答無用で襲い掛かろうとした獣であったが、繋がれた四本の鎖により身動きがとれず暴れ牙がむき出しの口から涎を撒き散らしている。

 その行動にはとても知性や理性が宿っているとは思えなかった。


「やはりだめか……これでは本当にただの獣ではないか……」


 そう、なぜ討伐対象となってしまうかはここにあった。

 理性だけならまだしも、知性も失い鎮めるための言葉が届かないのだ。


「神耶さん、鎮めの祝詞は……」

「この状態だと無理ですね……せめてこの穢れをどうにかしなければ……」

「大祓を試してみます!」

「わかりました、では私が前衛で守ります」


 神楽鈴を鳴らしながら大祓詞を奏上しだした美詞の前に立ち、結界の準備のため印を次々に結び始める尚斗。

 相手は堕ちたとはいえ神、鎖に繋がれているからといって安全とは思えなかった。


「―高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて ―」

 

「守護諠封 木生火 火生土 土生金 金生水 水生木 希う清浄なる息吹 急急如律令 【五行相生陣】!」


 尚斗が構築した結界は守護するためだけの役割に非ず、場を清め美詞の奏上する祝詞をより強めるための効果を齎す。

 美詞の祝詞に本能から嫌悪感を感じたのか、尚一層鉄の拘束から逃れようと抵抗を見せる獣。

 どうしても壊せない鎖をうっとおしそうに引っ張りながらも自由が効かないと理解するや、今度は前足を地面に叩きつけた。


 ― ばきべきべきめき ―


「……なんてでたらめ!」


 “床に足を叩きつける”たったそれだけのアクションで地面から樹木を触手のように生やしたのだ。

 蔓ではなく樹木と現わしたのは人の腕よりも太いため。

 床から生えてくる樹木の数がまた一本増える……まるでその幹に意思が宿ったかのようにうねうね動き出す様は見ていて不快感を煽ってくるようだ。

 言われなくとも解ってしまう、あれが自分達に向けられる鉾になることを。

 神の力の一端を見せられた尚斗は、襲い来る脅威に備えるように武器を握る手に力が入るのを抑えれなかった。


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