第103話

 長野県にある老舗旅館、科野屋の事件。

 旅館従業員や客から体調を崩す者が頻出していること、初日の調査では特にこれといった鍵が見つかったわけではなかった。

 初日から成果が出てくるとは思っていない、むしろ尚斗はこれまでの経験上から調査は地味で根気が必要なことを知っている。

 二日目、今から行う調査も言ってしまえばとても地味で大変なものだろう。

 科野屋の裏手にある山を広範囲トレッキングするというのだから。

 幸いにも旅館の御持て成しは完璧で快適に過ごすことができたことから、朝は疲れを残さず目覚めることが出来たためコンディションはばっちりだ。


「さぁ、神耶さん。早く行きましょう!」


 パシーンと襖を開け寝室から出てきた、準備万端の様子で仁王立ちしている美詞。

 先日と同じくトレッキングウェアに身を包み、まだ準備中の尚斗を急かすように声をかけてくる。


「……美詞君、朝からそのテンション一体どうしたんですか?あなたそんなはっちゃけ気質でしたっけ?」

「あ、ひどいです!学園に来てからあまり自然と触れ合ってなかったんで鬱憤が溜まってるだけです!」


 聞くところによると美詞は桜井大社での生活サイクルの中で、神力を高めるため自然の中で修行をすることも多かったと告げた。

 山に入り森林浴をしながら瞑想することで自然との一体化を図り神力を伸ばすものらしい。

 三つ子の魂百までとあるが生まれた時から自然に囲まれた村で育ち、更にその後は生活サイクルの中にまで組み込まれていたとなると、今の人工物だらけに囲まれた学園生活はさぞ窮屈だったのかもしれない。


「まぁ美詞君の言い分はわかりました、しかし……」

「しかし……なんですか……?」


「朝食が先です」


 尚斗のその指摘にかわいらしい自己主張を控えた腹の虫が鳴る。

 美詞が顔を真っ赤にしたためあえて虫の飼い主が誰だとは言わない。


「あ、はい……」


 

 朝食のビュッフェを堪能した二人は装備を整え旅館を後にしていた。

 裏山への入山ルートのひとつである母屋を抜けた先に向かっていると、家の前に一人の男性が箒を片手に玄関先を掃いている姿が映った。

 確かあの家は……と尚斗が思い至った時、その男性が尚斗達に気にづき会釈をしてきたことにより、二人も軽く頭を下げ男の下へと挨拶に向かうことにした。


「どうも初めまして、今回女将の依頼で調査に赴きました神耶と申します。これから山へと入山し調査をするため敷地を跨がせていただきます」

「ご丁寧にありがとうございます。葛城浩史(かつらぎ ひろし)と申します。話は義母ははから伺っておりましてあなた方をお待ちしておりました」

「おや、私共のことを?なにかお話がありましたか?」

「いえ……昨日は組合の会合に参加していたためご挨拶に伺えなかったもので。この度は当旅館の調査のためにお力を御貸しいただきありがとうございます。……なにか解ったことはあったでしょうか?」


 葛城浩史、先代主人と病で亡くなった先代女将との間の一粒種、良美が継母として収まった後も旅館の経営等裏方に徹している人物とのこと……立場は若旦那という扱いだが、どちらかと言えば番頭である大樹のほうがまだ客には認知されているだろう。 

 女将の目を避け接触してきたので何かあると構えた尚斗だったが肩透かしを食らったようだ。

 単純に顔見せのための挨拶のようで言葉に裏は含まれてなさそうである。


「いえ、女将にも途中経過は報告させていただいておりますが今のところはなんとも……浩史さんはなにか心当たりはありませんか?」

「そうですか……すみません、素人の私共にしたら不可解なことばかりで心当たりと言えるものが……。これから入山されるんですよね?でしたら手がかりになるかはわかりませんが山の頂上より少し手前辺りに小さな社があるとのことを聞いたことがあります。昔は山の神様が祀られていたとか……参考になるでしょうか?」

「ええ、助かります。一度そちらも足を運んでみます」

「山はあまり人の手が入っておりません。すぐ傍で居を構える私共でさえあまり立ち入らないほどです、くれぐれもお気をつけていってらっしゃいませ」


 そういって頭を下げる浩史を後にし今度こそ目的地に向け進みだした二人。


「社ですか……何らかの信仰はあったようですね。できれば今回の件と関りがなければ嬉しいのですが」

「神耶さんが心配しているのは神様の祟りですか?」

「ええ、無名だとしても神が相手なんてたまったものじゃありません」


 人は神の前では無力に等しい。

 その言葉はただの表現ではない、例え能力者であってもそこいらの怪異を相手にするのとは訳が違うからだ。

 母屋を抜けると確かに聞いていた通り入山するための道を発見できた。

 獣道とまでは言わないが舗装されておらず人がやっと通れるほどのもの、頂上はさほど遠くないことは救いだろうか。


「道が狭いですね……美詞君、大丈夫ですか?」

「はい、これぐらいならなんとか。確かにこの様子ですと人はあまり入ってないようですね……」

「仕方ありませんよ、生活用か登山道でもない限りあまり舗装されることなんてないですからね」


 山道は少し曲がりくねっているが比較的一直線、このまま進んでいくと恐らく頂上までいけるものと思われる。

 鬱蒼と生い茂る木々の間を進み少しずつ調査範囲を広げていく。

 途中獣道を見付けたら本道からはずれ森をかき分けていく。

 素人がこんなことをすれば即遭難するところだがそこは能力者、本道付近の木に霊力による印をつけいつでも感知し戻れるように対策はしている。


「神耶さんってこういった山の調査とかもよくするんですか?なんかとても慣れているみたい」

「そうですね、結構ありますよ?霊脈の調査や廃屋調査、道祖神や社の調査もありますね。美詞君と出会った時も森林調査で赴いた先でしたし」

「あ、そういえばそうでした。神耶さんと学園で再開した少し前から、あの頃の事をよく夢で見るようになっていたんです」

「へぇ……不思議なこともあるものですね。君の霊感はその分野に優れているのかもしれません、感知力も高いですし勘もよく働く。いつかは予知能力なんてものも開花するかもしれませんよ?」

「えぇ……予知ですか?そんなの碌な未来が待ってないじゃないですかぁ、御免被りたいですね」

「ふふ、言えてます」


 過去能力者の中で存在した予知能力者や預言者は平安時代から後生まれていない。

 そんな希少価値が高く権力者が挙って欲する能力なぞ、持っているだけ争いの種になるのは目に見えているので美詞が顔を顰めるのも理解ができた。


 道と呼べる道なんてほとんどなく、崖に近い斜面を上り下りしながらも息を切らさずにこういった雑談を交わせるほど二人はタフだった。

 鍛錬を積み仕事上の慣れもある尚斗はともかく、美詞もそれについていけてることから自然に慣れ親しんできたというのは嘘ではないみたいだ。

 しかし季節は夏に差し掛かろうかという時、さすがに調査範囲が広かったのか徐々に美詞の息が上がってくる。


「はぁ……はぁ……」

「ふぅ……だいぶまわりましたね……少し休憩しましょうか」

「あ、ありがとうございます。道のない道を行くのってこんなにキツイんですね……」

 

 近くの倒木に腰掛け、持ってきていた水筒から水分補給をしながら休憩をとる美詞は汗だくだ。

 かぶっていたサファリハットを脱ぎ団扇のようにして扇ぎ熱を冷ましている。


「いや、正直もっと休憩が必要だと思ってましたが大したものですよ。さすが幼い頃から野生児をしていただけありますね」

「言い方がひどいです神耶さん……桜井神社の修行場は人が入っていただけまだ道がありましたから……これが日常の修験者はすごいですね……」

「本気の山伏達はもっと険しい山肌を行き来しますからね……山岳信仰者達の修行に同行したことがありますが、私は二日で音を上げました」

「……神耶さんってほんと色んなことに手を出されてるんですね」

「私の能力の特性上、手広く知ることが求められましたから手当たり次第でしたよ……」


 遠い目をしながらしみじみ語る尚斗を見つめる美詞の目の端にふと違和感を感じ目を凝らした。


「神耶さん……あれ……なんでしょう?」

「ん?」


 美詞の視線につられ指さした少し高い崖の上に目をやると、なにやら屋根かと思われる人工物が見える。

 その付近だけ不自然に木々の数が少ないので見付けることができたのだろう。


「あれは……あれが言っていた社でしょうか……」

「そうかもしれません。ここからだと登るのは厳しいですね、迂回できるところがないか探してきますので美詞君は休憩しててください」

「いえ!私もいけます!」


 慌てて立とうとする美詞の肩をやんわり抑えて制止する尚斗。


「こら、無理をするもんじゃありません。すぐ戻ってきますからちゃんと休みなさい」

「うぅ……はーい……」


 諦めたように足から力を抜く美詞、無理をしている自覚はあったのか尚斗の制止に大人しく従うことにしたようだ。

 美詞のいささか子供っぽい返事に尚斗はクスリと笑みを漏らした。 

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