第102話

 女将のご厚意により温泉をがっつり堪能した二人。

 少しの間であるが幼かった時のままの本音を語り合うことができたことによって二人の接し方にも変化……もとい、出会ったあの頃のような気安さに戻るかと思われたのだが。


「いい湯でしたね神耶さん。今度はちゃんとした旅行で来ましょうね?」

「そうですね、あまり旅行とは縁がなかった美詞君のためにもまた今度お出かけしますか。修行の息抜きも必要ですしね」


 普段通りに戻ってしまっていた。

 美詞なりの線引きがどこかにあるのだろう、もしくは露天風呂という解放感から曝け出した泡沫の刹那的なものであったのかもしれない。

 夢の中での出来事のようではあるが、確かに二人の中には刻み込まれている。

 美詞がさっそくのように尚斗に甘え、遠慮なく旅行に誘っているのだから。

 そして美詞に思い出作りを勧めた手前、尚斗も決して美詞の願いを無下にはしない。

 父親のことで我武者羅に突き進み無理を押して張り詰めた生活を送って来た尚斗、美詞が弟子入りした際、桜井の婆様……静江が言った『枷』はとても優しく温かさが染み渡るように順調に尚斗を締め付けているようだ。


 その後客室まで戻った二人は調査の続きである従業員からの聞き取り調査のため待機することになった。

 しばらく温泉で火照った体を涼めていると入口のドアを叩く音が聞こえてくる。

 「はい、どうぞ」と答える尚斗の返事と共に入って来たのは中年の男女二人。

 女性は着物姿で、男性はスラックスにシャツ、その上から旅館の名が刻まれた法被を纏った姿……旅館に到着した際案内してくれた男性のようだ。

 座卓を前に顔を突き合わせた二人が自己紹介をしてくれた。


「この度は当旅館の調査のためご尽力いただきありがとうございます。私、科野屋の番頭を務めております葛城大樹(かつらぎ だいき)と申します。そして隣に居りますのが―」

「科野屋若女将の葛城早紀(かつらぎ さき)と申します」


 名前を聞き気づく。


「名前から察せるかと存じますが、女将である良美の息子夫婦にございます。実は私共二人も被害を受けた者でして……ご挨拶も兼ねお話をさせていただけましたらと思い参上させていただきました」

「なるほど。あなた方が葛城さ……女将さんのご家族でしたか。確か先代主人と先代女将が御存命の頃からこちらに従事されていたとか……」

「はい、よくご存じで。私が幼いころ、母共々行く当てのない親子を先代に拾っていただいてからの縁になります」


 聞くところによると良美の元夫が全財産を持ち逃げし失踪、行く当てなく彷徨っていた親子を科野屋先代主人が拾い住み込みで面倒を見ることになった。

 良美は仲居として、そして大樹は不自由なく学校にも通わせてもらい卒業後は科野屋に入ることで恩を返している最中だとのこと。

 ということは良美は仲居を経て先代と再婚後、女将になったということなるのだろう。


「私達二人の身に変調があったのは半年ほど前、従業員の中で体調に異変をきたす者が出始めた初期の頃でございます。時期も時期でしたので当初は流行り病を疑いました。しかし症状としては体がだるくなったり頭痛が起きる、吐き気を催す等で熱がなかったことから病院では疲れ等によるものではないかとの診断を受けたのです」


 半年前というと確かにインフルエンザ等がまだ残っている時期としても合致する。

 確かに聞いた限りの症状としては医者の見解通り、流行していたインフルエンザのものとは思えない。


「数日すれば症状もよくなり落ち着いてきましたので、皆すぐに仕事に復帰でき旅館運営には問題なかったのですが、不調を訴える従業員の数は増える一方となっていきました。そして数は少ないながらもお客様の中にも体調が優れないとおっしゃる方がでてしまったので色々調査していただいたのですが……」


 そちらも問題と呼べる問題が出なかった……ということらしい。


「なるほど……では大樹さん、異変のあった方の中でなにか共通点とかなかったでしょうか?例えば年齢層や持病を抱えた方、後は従事されている勤務時間の長さやどの時間帯に入られてるか等」

「……そうですね、年齢や性別はばらけております。あと特に持病等も……私も妻も持病を持っておりませんし。勤務時間帯……あ、そう言えば参考になるかわかりませんが」

「……それは?」

「館内での勤務がメインとなる者達ばかりだったと思います。主に……そうですね、仕事の内容で言いますと客室への配膳業務が多い、そういった者が主だっていたかと」

「そうなりますと客の迎え入れや案内がメインとなられる番頭の大樹さんは例外……なのでしょうか?」

「あ、確かに言われますとそうですね。やはり私の思い違いでしょうか……」

「いえ、貴重な意見です。あとはそうですね……この旅館内、または敷地内でどこか普段とは変わったような場所はなかったでしょうか?空気が澱んでいるとかその場所に近寄ると気分が悪くなるとか……」


 こうやって尚斗は色々と質問を投げてはみたものの、これが正解だろうと呼べるようなものを引き出すことはできなかった。

 良美の身内ということもあり少し警戒心を抱いていた尚斗だが、なにかを隠しているような様子も見られない。

 大樹は良くも悪くも素直であり、聞かれたことには包み隠さず答えているように思える。

 これが演技で情報を精査しながら選別しているというのなら大した腹芸ものだ。

 妻である早紀に至っては更に関係がなさそうな……と言うよりも、判断するだけの話を引き出せなかった。

 二人で来たのはいいが主に会話を進めているのは大樹であり、尚斗が話を振らない限り口を開くことがなく一歩下がった姿勢を保っていたからだ。

 言葉を交わしてみた印象ではやはり旅館の業務諸々は良美が仕切っているように思える。

 大樹は番頭と言っていたが、女将の息子だからと言って責任者として色々任されているわけではなさそうであり、更に早紀はまだ女将の下で修行中の身といった印象を受ける。

 「被害者」という枠以上の関係性はなさそうと見ていいか……。


 その後何人かの従業員と会い、同じように聞き取りをしてみたがめぼしい情報は得られなかった。

 大樹が言っていたように館内業務、その中でも主に配膳や雑務等のような裏方を多く担当している者が多いように思える。

 これだけ見るとやはりこの旅館内に原因と思われる“なにか”があるようだ……虚言という可能性がないのであればの話だが。

 そんな中、最後となった女性の仲居から少し気になる話が出た。


「あの……気のせいかもしれないのですが……倉庫から変な声みたいなのが聞こえてきたんです……うめき声のようなものが。最初は気のせいかもって思ってたのですが、そのころから体調不良の方が出てきたのでタイミング的になにか関係があるんじゃないかと思って」


 なるほど確かにその場所は従業員のテリトリー、旅館内の調査を行った際そこまで立ち入ってなかったと思い至り、厨房や貯蔵庫、倉庫や従業員の詰め所等そちらの調査も良美に交渉する必要が出てきた。

 最後の面談者が終わり、お茶を入れ一服しながら先ほどまでの証言を振り返ってみる。


「神耶さん、どう思いますか?いかにもホラー現象然といった証言でしたけど」

「一考の余地はあります、明日裏山を調査した後にそちらも調査できたらいいのですが……葛城さん次第ですね」


 さっそく良美に連絡を入れ明日のスケジュール調整を依頼する。

 場所が場所なので許可は下りづらい可能性もあった、食事の仕込み等があるためそこまで長い時間をとれないとのことであったが、昼食後から少し開けてもらえることになったのは僥倖だっただろう。


「すんなりいきましたね……もし証言が真であった場合、そして葛城さんがこの件になにかしら関わっていたとするなら“原因”のある場所の調査許可をこうもあっさり出すだろうか……やはり私の勘は外れているようだ」


 相手は方位家、依頼者を抱き込む程度は常套手段と言ってもいい。

 現に尚斗は過去何度か依頼でそういった妨害を受けたこともある。

 しかし今回の事件に限っては趣が違うようだ、女将が強かなだけならまだ予測はしやすい。

 これが今までと違う嫌がらせを仕込ませているとなると、先を予想できないため危険性は跳ね上がる。

 まぁまだ調査は初日、始まったばかりなのだから懸念事項は一つずつ潰していけばいい。

 せめて今回の件が自分の手に余る“モノ”でないことを祈るばかりの尚斗であった。


 

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