第101話

 どうやら女将は料理もかなり奮発してくれたようだ。

 昼のように従業員と同じものを出してくれてもよかったのだが、いざ配膳された料理は宿泊客と同様の豪華な食事、美詞が黄色い歓声を上げたのは言うまでもないだろう。

 信州牛のステーキに信州そば、お刺身や川魚の塩焼き、山の幸をふんだんに使ったぽんぽん鍋と呼ばれるオイルフォンデュ等ボリュームも然る事乍ら色鮮やかな見栄えが目も楽しませてくれる光景に、美詞の目はキラキラしっぱなしであった。

 さすがの尚斗も少し困惑した苦笑を浮かべている。


(これは……どう捉えるべきなんだろうな……)


 普通に考えれば事件解決に期待を寄せる表れともとれるが……純粋な好意からだとしてもプレッシャーには違いなかった。

 逆に方位家との関係を悟られないための仕込み……にしてはあまりにも浅はかで見え透いているか。

 食事後は宿泊客と同様に温泉施設も自由に使ってほしいと言葉を伝えてきた女将の姿からは悪意を孕んでいるようには見えなかった。

 食事の後は怪奇現象と思われる体験をした者達との聞き取り面談があるのだが、こちらも女将が気を利かせくれた。

 本来尚斗が一人ずつ訪ねていくつもりだったのだが、客室まで寄越してくれるとのことだ。

 関係のない従業員にまで余計な詮索をさせないための措置かと邪推もしたが、素直に受け取るなら尚斗達への配慮ともとれる。

 考えれば考えるほどわからない、女将は味方なのか……それとも方位家の息がかかった者なのか。

 見た目ではわからず表情からも読み取れない、そしてとても協力的。

 とにかく今は女将のやりたいようにやらせるのが余計な警戒を生まないためにもいいだろうと思うことにした。


 旅館従業員達はまだ宿泊客への対応が忙しいため面談は一時間後から開始するとのこと、とりあえず時間をもてあまさないようまずは旅館自慢の温泉を利用させてもらうことにした二人。

 大浴場までの廊下を館内スリッパを履き進む二人、旅館側から提供されている浴衣に身を包み手にはタオル。

 もう温泉を楽しみにする立派な宿泊客スタイルの二人がここまでくつろぐ格好になっているのも旅館敷地内に特に危険が見られないと判断したからに他ならないが、それでもこっそり袖に札を仕込んでいる辺り完全にたるんでいる訳でもなさそうだ。


「楽しみですね、神耶さん。この旅館は露天風呂がとっても広くて綺麗だって有名なんだそうですよ」

「やれやれ、確かに旅館という癒しのロケーションがそうさせるのかもしれませんが、どんどん旅行で休暇を満喫している気分にさせられてしまいます。これが狙いならまんまと策に溺れた形になってしまいますね」

「さすがに考えすぎかと思いますよ。それにそんな台詞が出ている時点でしっかり警戒しているじゃないですか」

「美詞君が思いのほか浮かれているのでね、その分私が冷静になれるのです」

「あー、ひどい!私だってちゃんと仕事のことは考えてるんですよ?ただ神耶さんとこうやって旅行……ごほん、一緒に旅館に来たのは初めてですからはしゃいでしまうのも仕方のないことなんです!」


 美詞は途中言い直しているようであったが、ほとんど言い繕えてないことに気づいているだろうか。

 尚斗も美詞が置かれていた境遇の事を考えると、こうやって仮初とは言え旅行気分に浸るのを壊してしまうのは忍びなく、なるべくならば楽しい思い出を残してあげたいと思うのは親心に似た心情からだろうか。

 あまり煩く咎め水を差してしまうのも引けてしまうため、節度を保っている限りはそのままにさせておくことにした。


「ふぅ……」


 大浴場の入口で別れた二人、今尚斗は湯気が立つ露天風呂で一人夜空を見上げながら落葉浮かぶ湯の中で岩に背を預け体を沈めていた。

 この時ばかりは眼鏡を外し『本来の』尚斗に戻っている。

 最近はこういった広々とした温泉に浸かることなどなかったため、仕事とは言え降って沸いた役得を存分に堪能するのも悪くないと思ってしまう。 

 日本庭園を模した造りの岩風呂はどこか風情があり、宿泊客も周りにいないことから独り占め気分を大いに味わうことができている。

 聞こえてくるのは湧き出し口から出てくるお湯の音、温泉から昇る湯気から更に視線を上げると満点の星空、ここはどこかの漫画のように混浴でもなければ女性が間違って入ってくることもない、ラッキーなスケベもなければお色気ハプニングが起きる訳もなく……

 しかし尚斗がくつろぐ時間に待ったをかけるかのようにどこからか声がかけられる。


「神耶さん、御湯加減はどうですか?」


 ……女湯の露天風呂は案外近くにあるようだ。

 もちろん見えはしない、しかし反響して正確な位置はわかりづらいがそう大きくもない声がしっかり聞こえるのだ。 

 こんなTPOを弁えず声をかけてくるのは美詞にしては珍しい出来事である。

 解放感のある空間がそうさせているのかもしれない。


「こらこら、周りに人がいたらどうするつもりなんだい?」

「ふふ、なんとなく気配で分かりましたから……神耶さんしかいないって。こっちも私しかいないんですよ、実質貸し切りですねこれ」


 能力の無駄遣いはやめてほしいものだ。


「で、どうしたんですか?寂しくなりましたか?」

「もう、子供扱いして!せっかく近くなんですからお話したいじゃないですかっ。こういう機会って滅多にないんですから」

「おや、幼いころは私がお風呂に入れてあげたこともあったような……」

「わぁあぁぁ!そんなのノーカンです!!おぼえてませんっ!!」


 神耶家に連れられた当初は尚斗にべったりで離れようともしなかった美詞をやむなく洗ってあげていた……少しすれば家族にも慣れすぐに尚斗の手を離れたのだが、どうやら美詞も記憶には残っていたようだ。


「……私こういった場所の露天風呂って初めてなんですよ。実家にもあるっちゃあるんですが。えへへ……ちょっと浮かれている自覚はあるんですけどね……あ、大丈夫ですよ!お仕事はしっかりこなしますから!」


 この時代泊りがけの旅行に出かけない家庭もそう珍しくはない、しかし「家族」との思い出という観点からすると美詞が言った言葉は……そういうことなのだろう。

 今の彼女には桜井家という保護をしてもらえる家族はいる、とても暖かく厳しく、そして優しい。

 彼女を心身ともに大切に守ってくれる最高の家だ。

 だが特殊な家柄上、修行に身を費やし普通の家庭が通るような経験や思い出を築いてこれなかったのも事実。

 なので尚斗には後ろめたさがあった、せめて神耶家で保護することができていたなら違う形があったのではと……そしてそれが難しかったことも理解している。

 美詞の「呪い」とも言えるような力をどうにかするためには桜井家に引き取られたことがベストだとも。


「……大丈夫だよ美詞ちゃん……時間はいっぱいあるんだ。君が通り過ぎてきた物も、景色も、これからはいくらだって体験できる。君が望むならどこへでも連れていくよ」


「……ありがとう……尚斗おにいちゃん……私ほんとうに甘えちゃうよ?」


「ああ、なんたって美詞ちゃんのお兄ちゃんだからね。父の事に感けて忙しかったのは言い訳だがほったらかしにしちゃっていた自覚はあるんだ、もっと甘えてくれないと困る」


「……もぉ、やっぱり子供扱い。でも……嬉しいな、やりたいこと、いっぱいあるんだよ……そこに尚斗おにいちゃんが居てくれたら……うれしい」


 それっきり二人の会話は続かなかった。

 互いの姿は見えない、距離も離れている。

 しかし心は互いに寄り添い始めていた。 

 ちゃぷっと水の音だけが聞こえてくる中、二人は夜空を見上げながら想いに耽る。

 過去においてきた何かを少し埋めることができたことを実感しながら。

 

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