第七章 人の傲慢、人の咎

第96話

 木々の間から差しこむ夏日の強い日の光と、陰がまだらに地面を彩る自然豊かな山道を抜けとある建物の前で停車した車。

 車が翼を広げるように左右がシンクロして開けられたドアから降り立った尚斗と美詞は、しばし人里離れ普段はなかなか味わうことができない澄んだ空気を肺いっぱいに堪能し感慨深げに佇んでいる。

 あらかじめ目的地となる建物の外で待機していたのだろうか二人の男がこちらへ駆け寄り尚斗と二言三言交わすと、一人は荷室から降ろされた荷物を慌ただしく担ぎ建物へと運んでいく。

 そして残ったもう一人の男も尚斗から引き継ぐように車に乗り込み車ごと去って行ってしまった。

 その場に残った手持ち無沙汰な二人は歴史を感じさせる和風建築物を前に思わず感想を漏らすことに。


「いい旅館ですね、神耶さん。涼しいし空気がとってもきれい……」

 

 季節は既に立派に夏と呼べるほどに暑くなってきたこの頃。

 昨年の同時期記録を更新したばかりの気温が今年も追いつけ追い越せとがんばっている中、ここ長野県の山間部ではまだ幾許かの余裕を見せているようだ。


「ええ、さすが避暑地と言われるだけはありますね。仕事じゃなければ心から楽しめるのですが……」


 無粋な後半の台詞が美詞にはお気に召さなかったようで、尚斗の前に回り込むと上目遣いに抗議の声を上げてくる。


「もぅ!少しぐらいは情緒を楽しむ余裕というものはないんですか?」


 美詞の恰好は白を基調とした肩出しのパフスリーブワンピース、花柄が彩る裾が翻る姿は世の男子高生が立ち止まり見惚れること間違いなしの光景であったが、尚斗が美詞を見つめる視線はいつもと変わりなし。

 せっかくオシャレをしてきたのに、いつもの家族に向けるような……微笑ましい物を見るような眼差ししか返ってこないと何か釈然としない感情が湧き出てくる美詞。

 今日は服装もそうだが、髪型も編み込みのハーフアップと一層気合の入ったおめかしだと言うのにだ。


 尚斗の言葉通り今日は旅行にきているわけではない、ちゃんとした仕事の依頼によりこの旅館に訪れている。


 遡ること五日前に尚斗から仕事の話が舞い込み、急遽友人を巻き込む作戦会議と称した「とにかく美詞のファッションをどうにかしよう」の集まりが決行された。

 既に美詞のファッションセンスは度重なる友人達とのショッピングを経て年相応のものとなっているが、ちょっと目を離すとたまに過去の微妙なセンスがひょっこり顔を出してくるので友人のアドバイスと合否如何が重要でもあった。

 そんな友人達が仕事の依頼先を聞くと。


「おー!二泊三日の温泉旅行!」

「仲が進展してもいないのに婚前旅行は早すぎるんじゃない?」

「いいなぁ……神耶さんと旅行……」


 とすっかり旅行という印象しか残らない感想となってしまった。

 いつもと違い外野の声が一人多いのは、今回から会議に新たなレギュラーとして三枝優江が参戦しているからである。

 あれから四人の親交は順調に深まり、なにかとこうやって集まる機会が増えたのは歓迎すべき事であろう。

 そんな優江は美詞の部屋にお呼ばれされた目的をいまいち把握し兼ねていた。


「あの……女子会をするのは嬉しいんだけど、なんで美詞さんが旅行に行くことで集まったの?」


 旅行じゃない、仕事だ。


「そっか……ゆえちゃんはまだ知らなかったね……」

「え?……な、なにを?……」


 夏希が真剣な表情で俯きながら声を漏らすものだから優江は深い事情があるのかと勘ぐってしまった。


「ちーちゃんっ……!」

「ほいさ」


 夏希の合図で千鶴が美詞の許可なくクローゼットを開け、勝手知ったる引き出しの中から数着の服を取り出しベッドに広げる。


「ちょ、ちょっと千鶴ちゃんやめてよぉ!!」


 慌てた様子の美詞を尻目に、千鶴が優江に向かい種明かしを始めてしまった。


「ゆえちゃん、これを見て気づくことない?」

「え?……服……がどうしたの?」

「これはね……みーちゃんの嘗ての私服たちだよ。……ちなみに余所行き用も含まれるんだなぁ、これが」


 優江の顔が驚愕一色に染められた。


「そ、そんなっ!これって……部屋着じゃないのっ!?う、うそだよ!美詞さんがこんな近所のコンビニに行くような恰好でっ……!」


 優江の過剰な反応に絶望したのか、美詞が膝と両手を地につけ項垂れてしまう。


「仕方ないんだよ!?オシャレなんて縁がなかったんだからこれは仕方ないの!今はちゃんと勉強してるから誤解しないで!」


 慟哭するかのように嘆く美詞に、口を両手で押さえ信じられない物を目撃したかのようにイヤイヤと首を振る優江、実にノリノリな三文劇である。


「とまぁ……まだファッション初心者を抜け出せていないみーちゃんのための集まりだからゆえちゃんにも協力してもらうよー」

「う、うん。わかったよ……私もあまり自信ないけど……」


 チラリとベッドに広げられた、今はタンスの肥やしとなった衣装達に目をやり……


「……がんばる!」


 どうやら気合が入ったようだ。

 

 結局その日は美詞が持っている夏用の私服がほとんど使えないと分かるや、次の日に急遽買い出しを実行することになったのは余談。


 そんな経緯があり、今日旅館に向かうためのコーディネートを何件もショップを回り整えたのは優江による成果だ。

 千鶴が「かわいい系のコーデは今度からゆえちゃん担当だね」と言わしめるほどにがんばってくれた。

 優江曰く「神耶さんとのせっかくの旅行なんだからちゃんとオシャレしないと!」との気合の下、当日のヘアメイクまでバッチリ買って出てくれていた。

 尚斗に対してつり橋効果とも呼べるような好意を少なからず持っていた優江が、なぜここまで協力的なのか不思議であったが……


「美詞さんと神耶さんの中に私も入れてもらえないかなぁ……」


 などと、とんでもない呟きが。

 思いがけずとも優江の思惑を知ることができたのはよかったのだが……それを聞いていた三人が引いていたのは言うまでもない。

 優江にとっては美詞は自分を守ってくれた憧れの存在……謂わばヒーローのような尊敬する対象。

 差し詰め尚斗は下心なく優しく手を差し伸べてくれる王子様……きっと彼女の目には変なフィルターが挟まっているのだろう。

 優江からしてみれば両者共好意を向ける存在なのだ、その二人と一緒に居れたらもっと幸せなのではとぶっ飛んだ妄想を拗らせ飛躍させてしまったらしい。


「ゆえちゃんって考え方がなんか独特だね……まぁ本人がいいなら……ほんとにいいのかなぁ?……」


 優江の考え方は過去の日本にあった複数の女性を娶る考え方に近いものだ。

 確かに現代の退魔師家系でも、公にはしていないが血統を守るためそういった慣習が残っている家もあるのだが……そんなことほんの少し前まで一般人であった優江が知る由もないはず。

 なのにそんなぶっとんだ発言が出るのだから、少し困った感性を持ってしまった優江のことが心配になった。


 閑話休題


 そんな優江のことはさておき、出発当日気合の入ったコーディネートで尚斗の前に出た時は


「今日の装いはかわいらしいね、美詞君にとてもよく似合っているよ」


 と望んでいた反応をもらえたにも関わらず何かが違うと感じてしまう美詞、それが何なのかは乙女心が未成熟な彼女ではまだ答えが出せないでいた。

 旅館に到着してもこうやって自分を視界に収めさせようとアピールする姿はいじらしいのではあるが、今から仕事が控えているというのも忘れてはいけない。


「情緒と言いますが……これから依頼者と会うんですから旅行気分では困りますよ?」


 尚斗の窘める言葉に美詞は口を尖らせ背を向けてしまった。


「ちゃんとわかってます!お仕事になればしっかり切り替えますので大丈夫です!」


 美詞の後頭部でゆれる、リボン結びにされた組紐を眺めながら「やれやれ……」と女心の難しさに頭を悩ます尚斗であった。


 番頭と思われる男性に案内をされ客室に通されると、少しの間くつろぐだけの余裕ができた。

 部屋は気を使ってくれたのかグレードの高い2部屋続きの間取りだ。

 年頃の女性と同じなのだからそのあたりは大いに助かると胸をなでおろす尚斗。

 美詞は景観が気になるのかまっさきに窓のほうへ向かっている。

 と言ってもここは海が近いわけでもなければ山の中、窓が向いているのは山側、望める景色には期待できないだろうと思っていたが美詞が感嘆の声を漏らしている。

 傍まで寄り横並びで外を覗いてみると広い庭園に見事なまでの枯山水、いや、微かに水が流れている音も聞こえることからここから見えない死角には水の導線もあるのかもしれない。

 絶景がないのならば景色を作ればいい、老舗と呼ばれているだけあって長いこと続けることができる企業努力が窺い知れる。

 ふと入口のドアがノックされ声がかけられた。

 さて、依頼人との顔合わせだと襟を正し仕事モードに入る二人。

 この旅館には、一体どんな怪異が潜んでいるのか……。

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