第95話

 精神と息を整えると尚斗は他の同乗者の安否の確認にまわった。


「みなさん、大丈夫ですか!?」


 隣にいた美詞はどうやら問題なさそうだ、まだシートベルトにしがみついたままであるが既に顔も上げ意識もしっかりしているようである。

 後ろを見ると優江はまだ頭を抱えて俯いているがどこも怪我はなさそうで、夏希と千鶴の方も意思の乗ったしっかりした視線をこちらに向けている。


「大丈夫です、……すっごい心臓ばくばくしてるけど……」

「ぜ、絶叫コースターなんて目じゃないじぇぇ……」


 後部座席組二人は相当怖い思いをしたのだろう声が震えている、修羅場をくぐってきた二人ですらこれなのだから優江は相当堪えたはずだ。


「神耶さん、こんなに運転が荒かったんですね」


 隣の美詞は軽口を飛ばせるほどには回復しているようである。


「私に言わないでください、これでも安全運転を心掛けてるんですから……あー、ゆえさん……大丈夫ですか?」


 今だ頭を両手で庇いながらガクガク震えている優江に恐る恐る声をかけてみるがなかなか返答が返ってこない。


「……さ、さむいよぉ……」

「っ!!神耶さん!」

「あぁっ!千賀君、御堂君、ゆえさんを外に!」


 尚斗は急ぎ運転席から降り、荷室を開き道具を降ろし始めた。

 バタンと荷室ドアを閉めたころには千鶴と夏希が協力し優江を外に運び終えるところであった。


「神耶さん、これってやっぱり……?」

「ええ、この子に憑りついてますね……この症状は恐らく“憑依”状態に移行したのでしょう。時間をかければ負担が大きくなります、直ぐに除霊にとりかかりましょう」

「なにかお手伝いできることは!?」


 退魔師の卵三人組が真剣な表情で尚斗を見つめてきた、友人を助けたい一心の目だ。

 一人で対処しようとしていた尚斗であったが逡巡の末、三人の言葉のない訴えに頷いた。


「……そうですね、分担すれば時間を短縮できますし効率よくいきましょう。御堂君、悪霊が逃げないよう内に向かって結界を張ってください」

「はい!」

「千賀君、ゆえさんの魂を清めるため読経をお願いします。数珠は?」

「あります!」

「美詞君、私がゆえさんから悪霊を引きずり出します、その場で拘束及び除霊をできますか?」

「やります!」


 これから行うのは悪性腫瘍を摘出する外科手術にも似ていると言えば語弊があるだろうか。

 人が悪霊に憑りつかれた際、まだ活性化していない状態では憑りつかれた本人自体に影響はあまりない。

 しかしその悪霊が活性化し、体に悪影響を及ぼしだしたり、体を乗っ取りだすことを“憑依状態に移行した”という。

 時間が経てば経つほど、正常な細胞を冒すように精神と体を蝕んでいき最悪命を落とすことになる。

 病気と同じで早ければ早いほど治療の成功率も上がり回復も早まるのだ。


 尚斗が荷室から降ろしたのは清めの塩、それを大量に撒き優江の周りに円を描き簡易的な除霊場を作る。

 ポケットから数珠を取り出すと手首を捻り腕に巻き付け、寝かされた状態の優江の上半身を起き上がらせ背中に当てた。


 千鶴の結界が発動する。

 これは謂わばクリーンルームの作成、外から無防備な優江を狙う霊を呼び寄せないためと外に悪霊を逃がさないため。


 夏希が般若心境を唱え始めた。

 これはこれから行う「手術」による麻酔や酸素吸入等の優江自身の生命維持をより安定化させるもの。

 除霊中の優江の魂を安定させ、悪霊に精神を呑まれないよう補助する役割を持つ。


 そして優江の背に数珠を巻いた手を当て、光明真言を唱えだした尚斗は執刀医の如く。

 これから行うのは優江の中に潜む悪性腫瘍である悪霊を優江の体から引きはがす作業になる。

 無理やり引っこ抜いたりできない、優江の魂が損傷してしまう恐れがあるからだ。

 なので正常な細胞と癒着した癌細胞を少しずつ剥離するように、慎重に確実に悪霊を摘出していくのだ。

 いつもの起動速度を重視したものとは違い、ゆっくり唱えられた真言はじっくり深くまで効力を行き渡らせるための技。


 息を荒げ悪寒からか己を抱きしめながら背を丸め震えている優江は、顔を真っ青にし為されるがままに身をゆだねている。

 憑依の進行が速い、霊に対する抵抗力が他に比べ低いのかもしれない。


(焦るな、移行が早いがまだ大丈夫なはず……今は確実に、慎重に……)


 尚斗の額から汗が滑り落ちる。

 憑依された人を救うのは初めてではない、だが悪霊達は統一性や画一性がなく強さや影響力が様々なため毎回無事完了するまでハラハラしっぱなしであるのも事実であった。 


「美詞君、準備を!そろそろです!」


 手ごたえを感じたのか尚斗は美詞に合図を出す。

 最後に優江の背に気合を入れた喝を叩き込むと、ぶわっっと噴き出すように黒い靄が優江の全身から噴出し、その黒い靄は徐々に形を作り始め辛うじて人型と認識できるほどの輪郭を形成していく。


「神なる神籬の茨よ繋留め給え!【縛】!」


 四方の地面より生まれた白く輝く茨が優江の体から飛び出した悪霊に殺到していく。

 一本だけでも十分強力な拘束なのだがそれが四本、はっきり言って過剰であった。

 ガチガチに固められた悪霊に美詞の更なる追い打ちがかけられる。


「祓い給え 清め給え 符術単式【蓮華】!」


 起動準備をしていた符から発せられた放射状の矢が収束しながら破魔の一撃となり悪霊に襲い掛かる。

 大口径の霊波は瞬く間に身動きの取れない悪霊を飲み込み跡形もなく……塵も残さぬ勢いで消滅させたのだった。


 ……

 尚斗の額からはまた違う汗が流れ落ち始めた。

 千鶴と夏希も頬を引きつらせながらドン引きしていた。

 摘出した癌細胞を消毒滅菌するのにミサイルで焼き尽くすような所業である。


「……美詞君には加減というものを覚えてもらわないといけないですね……」

「神耶さんの教え通りです!」

「……」


 尚斗は聞かなかったことにしたみたいだ、実に都合のいい耳であった。

 もう悪霊の影響は抜けたので優江の意識を確認することを優先した。


「ゆえさん、大丈夫ですか?」


 正面にまわり顔を覗き込むと、先ほどよりはいくばくか血色が戻ってきたその顔であるがまだ目の焦点が合ってないように思える。


「あ……いや……わたし……なにも、してないの……わたしを……せめないで……くるしめないで!!」


 優江は目を力いっぱい瞑ると両手で耳をふさぎいやいやと頭を振り回す。


「……呪詛を掛けられたか……大丈夫だよ……それは君の記憶じゃない」


 尚斗は暴れる優江の頭をゆっくり抱き留め霊力を流していく。

 優江は悪霊に憑依されかけたことにより悪霊が垂れ流す悪意の塊を無防備な状態でぶつけられたのだ。

 憑依による被害で一番多いのが精神の崩壊、尚斗はその一歩手前救い出せたことにほっとしていた。 


「安寧 平穏 沈静 急急如律令【六根清浄】」


 温かい力が優江の体に浸透していく、尚斗の腕の中に収まっていた優江も動きが止まり力が抜けていくのがわかった。


「もう大丈夫……こわいのはもういないから。自分を思い出して……君の名前は?」

「あ……わたし……わたし、は……さえぐさ、ゆえ。もう……いじめない?……」


 尚斗の問いかけにより徐々に正気が戻り、自分を取り戻してきた優江の頭を優しくゆっくり撫で落ち着かせる。


「おかえり、『三枝君』。自分を取り戻せたならもう大丈夫だ。よくがんばったね」


 ここで初めてゆえの正式な名前を知ることができた尚斗は他の者同様、改めて苗字で呼んでみた。

 もう落ち着いただろうと優江の体をそっと引きはがすと、顔を上げた優江と視線がぶつかる。


「あ……神耶……さん?あぁ……神耶さんだぁ……今まで通り『ゆえ』と呼んでください」


 時が止まった。

 尚斗の優江に向けていた優しい表情が凍りつき、だらだらと冷や汗が流れ出す。

 夏希と千鶴が「あちゃー……」と額を手で覆い隠す。

 尚斗の後ろからプレッシャーが膨れ上がっていく。

 今まで地獄のような世界が優江の精神を冒していたが、今はお花畑に変わってしまったようだ。


「あー……いや、えっと……」

「神耶さんはっ!ゆえちゃんにっ!近づくのっ!禁止ぃぃーー!!」

「……やれやれ……と言ってもいいかな?……」


 静かな山中に美詞の叫びが響き渡った。   




 ……数日後


 カタンッと食堂のテーブルに置かれた3つのランチプレートを囲みいつもの三人組が席につく。

 数日前より、連日とあるニュースが駆け巡っている内容が今回のガールズトークのネタとなるのは確実であった。


「昨日のニュース見た?」

「うん、神耶さんから連絡があって内容を教えてもらったんだ」

「見事に破滅したね、天海家と長谷川家」

 

 事件のあった翌日の夜にメディアに流されたニュースは、いつぞやの代議士と同じくスキャンダルにスキャンダルを重ねた内容。

 息子が逮捕されたことから芋づる式に発覚された数々の犯罪は親を巻き込み、更には一族にまで波及した。

 なんてことはない、一族郎党真っ黒だっただけだ。

 もちろんネタの提供は桜井家から齎された物、警察が裏付け捜査に入る前に全マスメディアにリークする徹底ぶり、警察トップに圧力がかけられる前には全国民が知ることとなったのだ。そこからたった数日の間、連日ニュースで新しく伝えられる出るわ出るわの追加の罪状。

 初めは天海議員に当てられていたスポットも日を追う毎に関係のある一族まで枝が伸び、ついには華凛の親の会社である長谷川建設もステージに立つことになった。

 長谷川建設に便宜を図った公共事業の入札不正を皮切りに役員の資金横領、脱税等……


「結局ゆえちゃんのお父さんが働いてた会社も桜井家が乗っ取っちゃったんでしょ?」

「うん、ちゃんと『正式』な手順で買収したらしいよ?」


 何をもって正式なのかと言いたい、こんなに早く買収できるわけはないがそこは桜井家の力、気が付けば不正まみれの一族役員全員が刷新され、株式保有割合の過半数以上が『なぜか』桜井家の名前になっている状態。

 日本政府や旧家の害虫共が桜井家を常に警戒するのも当たり前と言える所業だった。

 もちろん役員であった一族以外は今まで通り、中間管理職である優江の父親もそのままクリーンとなった新体制の長谷川建設で引き続き従事することとなった。


「予想はしてたけど、あの二人本当に人を殺めてたなんてねぇ……」


 陽翔と華凛は麻薬取締法違反や暴行罪などで現行犯逮捕されていたが、昨夜のニュースで殺人罪がプラスされ再逮捕となった。

 こちらも連日、殺人幇助や拉致監禁、婦女暴行に強迫、死体遺棄等の罪状オンパレードにニュースフリップの文字数がオーバーフローを起こす勢いで、キャスターやコメンテーターも言葉を詰まらせるほどであった。


「あれだけ被害者がいたんだもん……捕まってほんとよかった……」


 彼ら彼女らが犯した罪の数々はドラマの脚本化ですら思いつかないほどに悪辣で、今後もバラエティや再現ドラマ等で度々『凶悪犯達が犯した極悪犯罪』として歴史に残っていくだろう。

 

 その後昼食も終わり三人は中庭で休憩をとりつつも話題が尽きないのかおしゃべりに余念がなかった。


「あれからゆえちゃんはどう?大まかにはゆえちゃんから聞いてるけどみーちゃんなら神耶さんから詳しく聞いてるんじゃない?」

「うん、症状は今のところ問題無し。まぁまだ不安定だから霊具で補完してるんだって」


 肝試しのあの日、ゆえに憑りついた悪霊を祓ってからが大変だった。

 まずは霊障に冒された車は不安が残るので保険会社を呼びレッカーでドナドナされることに。

 届いた代車でいざ帰ろうとした頃には日を跨ぐ時間となってしまったため八王子まで送れず、そのまま学園付近の病院で治療を受けた後千鶴の部屋に泊まることになってしまった。

 というよりも、そうせざるを得なかったのだ……霊に憑りつかれた子をそのまま帰してハイ終わりとするには不安が残りすぎる。

 案の定後日詳しく検査してみると優江は変質してしまっていた……霊に憑りつかれやすい……所謂霊媒体質になってしまったのだ。

 悪霊を身に受け入れてしまったことにより魂の器が拡張、その空白に住み着こうと霊達が騒ぎ立てる。

 今は尚斗が作った魂を保護するチョーカーと霊を弾く指輪を常に身につけなくてはいけない生活になってしまったが、それでやっと一般的な生活に戻ることができたのであった。

 そして……今美詞達が中庭のテラスにいるのもとある約束があってのことである。


「あ、あれじゃないかな」

 

 千鶴が目ざとく見つけた対象に手を振ると、美詞らと同じ制服を身に纏った小柄な女生徒がこちらに走り寄って来た。


「あ、あの……待たせちゃったかな、ごめんね」

「ううん、だいじょーぶだよー。それに今日は午前だけだし時間はたっぷりあるからさ」

「へぇ、宝条学園の制服しっかり似合ってるじゃん。編入手続きはちゃんと終わった?“ゆえちゃん”」


 千鶴と夏希が続けて声をかけた相手は三枝優江その子である。

 おっとりとしたたれ目がちなくりっとした瞳に150は軽く下回る小柄な体躯、相変わらず仕草や行動がちまちましており、これからこの学園でも『小動物のようなマスコット』の地位を欲しいままにしそうな存在感。

 そんな優江が今は宝条学園の白い制服を身に纏っていることから分かる通り、彼女はこの学園に急遽編入することになった。

 優江に訪れた変化はなにも霊に憑りつかれやすい体質になっただけでは済まなかったのだ。

 霊に憑りつかれたことにより優江の霊力が覚醒……マンガ等で見る「隠れた力が解放された」というかっこいいものではない、一般人では見る事の叶わない怪異が見えてしまうようになり、更には一般人では押しとどめておけない霊力の量(あくまで一般人よりは多いレベル)を無自覚に放出するようになってしまったため体調を崩しやすくなってしまい、霊力操作の技術を身に着けることが急務となった。

 宝条学園ではそんな“ある日いきなり不幸に見舞われた一般人”達に向けての特別過程クラスが存在しており、尚斗の勧めから編入することになったのだった。


「あっちの学校のほうは大丈夫なの?ほら……お友達とか」

「う、うん。あんな事件があったでしょ?その日、長谷川さん達と一緒に肝試しに行くってことはクラスのみんな知ってたから……当事者の私も腫物を扱うような空気になっちゃって。距離を置くためにも神耶さんの提案は助かったの……そ、それに私自身の問題も早くなんとかしないとだから、感傷に浸る暇もなかったのが正直なところかな……」

「ほんっとあいつらの悪だくみがなけりゃゆえちゃんが苦労することもなかったのに!」

「い、いいんだよ千鶴ちゃん。私千鶴ちゃん達と一緒の学校に通えることができて嬉しいよ?」


 優江は寮生活となるためいきなり心の準備もないまま親と引き離されることになってしまった。

 しかしまぁ実家もそこまで遠いわけではない、休日を利用して帰ろうと思えば帰れる距離であるためそこまで問題ではない。

 更に距離を置くといっても仲のいい友達とは少しずつ関係も修繕されてきており、落ち着いたら都内でまた会って遊ぼうと誘ってもらえるようになったので悲観的ではない。


「もぉ、かわいいこと言ってくれちゃって!うりゃうりゃ」


 小柄な優江の体をすっぽり自分の胸の中に収めた千鶴が優江の頭をなでくりまわす。


「も、もぉ。らんぼうにしないでよぉ」


 一通り撫でまわして満足したのか千鶴が優江をやっと解放すると、優江は身を正し三人に向き直った。


「あ、あの……改めましてこれからよろしくね、みんな」


「「「うん、ようこそゆえちゃん」」」


 新しい出会いの季節はとうに過ぎた後だが、ここにまた新しい出会いと友人を得れた四人は喜び合った。

 切欠は最悪だったが、それを乗り越えて結ばれた縁もまた四人の仲を強める切欠になった。

 それぞれの顔に浮かぶのはこれからの学園生活に期待する無邪気な笑顔。

 それを祝福するかのように新緑の木々達が優しく揺れていた。



― 第六章 完 ―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る