第94話

 美詞は少しだけ後悔していた。

 強がるんじゃなかった。

 いくら小柄とは言え女の子が同年代の女の子一人を背負うのは少しきつい。

 疲れなんてないと言っていたがそんなわけない、強化なんて必要ないと言ったが正直痩せ我慢だ。

 休憩を挟んでいたとはいえ祓いっぱなしの除霊を終えたばかり、廃ホテルを出るころにはさすがに疲労困憊。


「み、美詞さん……ごめんなさい、重いよね。も、もう自分で歩くから降ろして?」

「だめだよゆえちゃん。怪我してるんだからちゃんと甘えてほしいな」


 美詞の背中にすっぽり収まったゆえは恐縮しっぱなしで、それを見かねた尚斗が再度美詞に提案を持ち掛ける。


「ほら美詞君、君こそ無理しないで私に甘えるべき「神耶さんはだめ!」……君の頑固さは一体どこからくるんだ……」


 あっけなく提案は却下された。

 ホテルの出口扉をくぐると新鮮な風が頬を撫でるのを感じ、やっと安全な領域にたどり着けたことに安堵した。

 後ろを振り返ってみれば今まで周りの暗さから全容が見通せなかった外観も、多くのパトカーから発せられる赤色灯の光により断続的に赤く映しだされている。

 肝試しが始まる前とは違い禍々しさが感じられないため、尚斗が言った通り現在は霊道が一時通行止めになっている状態なのであろう。

 ふと一同の下へ駆け寄ってきている足音が聞こえ振り返ってみると、制服姿の警官たちの中からスーツ姿の男が尚斗の下に走ってきている光景が映った。


「神耶さん、解決していただきありがとうございました!朝倉刑事より事情をお伺いしました……とんでもない事件が起こる所だったんですね」

「いえ、今回は弟子や友人達も関係者でしたので礼は不要ですよ。それとやはり怪異も発生しておりましたので、協会と政府が隠蔽工作に走るかと。なるべく御社に責が行かぬよう手配しておきます」

「重ね重ねありがとうございます!また後日改めてご挨拶とお礼にお伺いさせていただきます!」


 今まで気が気でなかったのだろうが、やっと『お墨付き』をもらえたことによりすぐにどこかへ電話をかけに向かったようだ。

 そんな管理人と入れ違うように今度は朝倉が尚斗の下にやってきた。


「今から帰るのかな?先ほど挨拶を済ませてしまったが今の内に分かったことだけでも伝えておくよ」


 朝倉の話によるとここから少し離れた旧駐車場で待ち伏せしていた不良達の車両を発見し、その中から大量の薬物が発見されたとのこと。

 その場で検査キットにかけられ覚せい剤であることと、他にも依存性の高い違法薬物や用途を口に出せないような人の尊厳を奪う薬物等も発見されたみたいだ。

 一応現行犯逮捕ではあるのだが、これで建前上書類送検できるだけの罪状が挙がったため勾留は確実、後は桜井の婆様次第となるだろう。


「わかりました、婆様の方には簡単に説明しておきましたので横やりが入る前にアクションを起こしてくれるでしょう。そのあたりもまた進捗を連絡させていただきますね」

「ああ、了解だ。頼んだよ尚斗君」


 今度こそ朝倉と警察官達に別れを告げ、正面に停めてある尚斗の車の下へ到着した。

 そこで優江の足首を簡単にテーピングで固定し応急処置を施した後、帰路につきつつまずは病院へ向かうこととなった。


 ホテルから出発し尚斗がゆっくりと発進させた車内。

 助手席にはこの席は誰にも渡さないとばかりに美詞がいち早く場所を確保していた。


「さて、これから君達を送り届けるのだが……先に病院に寄ってゆえさんを送っていくので、かなり遅くなってしまうと思うが大丈夫かな?」

「こっちは大丈夫だよ神耶さん、外出届出してるし明日も休みだからね。日中たっぷり寝ることにするよ」

「そうか……除霊外出の届出ではないんですね。私と警察の両方から除霊の事後申請を出しておきますよ、そっちの方がいいでしょう?」

「ほんと!?ラッキー、神耶さんわーかってるー」

「ゆえさんの自宅はどのあたりですか?」


 尚斗と夏希の会話からいきなり振られた優江はやはり遠慮が抜けないのか申し訳なさそうに答えた。


「あ、えっと……八王子の辺りなのですが……遠くてすみません……」

「八王子ですか、大丈夫ですよ。むしろ想定していたより近いので。八王子駅近くに我々が懇意にしている救急外来もありますのでそちらで診てもらいましょう」

あの、病院は行かなくても……大丈夫ですよ?」

「念のためです。恐らく捻挫だと思いますが、骨折や靭帯の損傷等もありえますのでしっかり診てもらいましょう。美詞君、この携帯で星稜会記念病院に連絡を入れてもらえますか?」


 無事病院の手配も終え帰路につく街灯の少ない暗い夜道、カーブが多いためゆっくり山を下っていく尚斗が運転する車内は周囲の暗さとは反対に女性陣の声により華やかであった。


「にしてもゆえちゃん今日は色々災難だったね、やっと落ち着けてよかったよ」

「千鶴ちゃん達も今日は本当にごめんね。私が長谷川さんを断れなかったばっかりに……」

「こっちは全然問題なし!いい除霊経験にもなったしさ。むしろゆえちゃんは怖くなかった?こんな体験初めてでしょ?」

「……うぅぅ、こわかったよぉぉー。もうほんとすごいこわかったぁあ」


 数々の恐怖体験が今頃になって蘇ってきたのだろうか優江が泣きそうな声色で隣の千鶴にぽふっと抱き着いた。


「おーよしよし。こわかったねぇ、がんばったねぇ。おねーちゃんがなでなでしちゃろ」


 いちいち行動が小動物ちっくな優江を見て、美詞や夏希が微笑ましそうな表情で二人を見守っている。


「およ、ゆえちゃんこんなの腕に着けてたっけ?」

「あ、これ美詞さんからもらった御守り……あれ……“割れてる”」


 ……

 ………


「……え?」


 美詞が優江の右手に巻いてあげた御守りを見ると、紐に通した水晶に罅が入り割れていた。


「……そんな……いつ?」

「どうしたの?……みーちゃん?」

「ゆえちゃんに渡したのは『悪霊除けのまじない』、一体いつ攻撃されたの?……」


「「「「!!」」」」


 一同に緊張が走る。

 優江が身に着けていた水晶が割れているということは悪霊から攻撃を受けたサインでもあり、一回しか凌げないバリアが抜かれている証。




 ―  か  ぇ  さ  な  ぃ  ―




 いきなり車内に響いた低く不明瞭な声……聞こえた瞬間身の毛がよだつほどの悪意に満ちた言霊であった。


「くそっ!既に車内に潜んで……いやゆえさんに潜んでいたか!」


 尚斗が悪霊に対処するため急ぎ車を停めようとブレーキを踏んだ……が……


 カスッ……カスッカスッ


「神耶さん!」

「霊障だ、ブレーキが効かない!危ないから、どこかに捕まれ!!」


 目の前まで迫ったカーブを速度そのままで進入するはめになった。


 キュ……キリキリ……キュルキュルギュルギュル


 ハンドルを目一杯まで回しガードレールギリギリまで迫った重い車体がタイヤから不快な音を鳴らしながらもなんとか曲がりきる。

 下りの坂道であったため安全運転のため速度を落として走行していたことが幸いしていただろう。

 しかしここはまだ山の中腹、まだまだ先には連続してカーブが待ち構えているのだ。

 女性陣は皆、慣性により暴れる車体に振り回されぬよう思い思いの物に必死に捕まり耐えていた。


「(ブレーキはだめだ。くそ、サイドブレーキもか……となると)……なっめんなあ!こちとら初見じゃねーんだよ!」

 

 次のカーブがすぐ目の前まで迫っている、ブレーキに続きフット式サイドブレーキまでもが手ごたえを感じないとわかり、直ぐにシフトレバーを操作する。

 ドライブ(通常)からセカンド(二速)までギアを落とすとエンジンブレーキがかかり少しスピードが落ちた。

 それと同時にハンドルを切り大曲りのカーブに侵入を開始する。

 またもやタイヤから不快な音が聞こえてくるがさきほどよりはマシ。

 カーブを曲がり切ったところで尚斗は更にシフトレバーをセカンド(二速)からロウ(一速)までギアを下げるとガクンと車体が沈み込むほどに速度が落ち、その衝撃で体がシートベルトに食い込んだ。


「きゃぁ!」


 後方から短い叫び声が聞こえてきたが今はそれに構っていられない。 

 十分に速度が落ちたことから余裕ができ、直ぐに懐に手を入れお札を取り出すとハンドルに張り付ける。


 「急急如律令!【呪清解印】!」


 術の効きを確認しないまますぐにブレーキを踏む……がまだ手ごたえはない、併せてサイドブレーキを左足で思いっきり踏み込むと今度は手ごたえがあり、速度が徐々に落ちていく。

 ギアをロウまで下げていたため速度が大きく減速し、後輪だけのサイドブレーキでもなんとか止まりそうだと思いギアを一気にロウからニュートラルまで戻しギアをエンジンから切り離す。

 未だ効かないブレーキも踏み込んだまま停止した瞬間を狙い、すかさずパーキングまでシフトレバーを入れ車体を止めた。

 

 ― 静寂。


 まだ硬直が取れないのか衝撃に備えた体勢の一同がゆっくりと顔を上げだした。


 「ふぅ……ふぅ……」


 尚斗もハンドルからまだ手を離せず、荒くなった息を整え前方を向いたまま……ゴンッっとハンドルに頭を預けた。

 車体には元々霊障対策として結界も張っている。

 それでも抜けてくるのだから霊障という不可解で解明不可能な現象に理不尽さを覚えずにはいられなかった。

 いざという時のため操作系統は霊障に弱い最新型の電子操作系の物は避け、手動操作式の物にしていたのが功を奏したのかもしれない。


「くそっ……これだから霊障は……キライだ……」


 ふぅーっと大きく溜息を吐いた尚斗の呟きも、静かな車内ではやけに大きく聞こえるようだった。 

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