第91話

 一難去ってまた一難。

 周囲の怨霊を吸収し始めた特異点を祓ったと思えば、一息つく間もなく問題が発生する。

 美詞ら三人は揃って溜息を吐きたくなった。

 しっかり拘束していたはずの不届き者達、陽翔率いる5人の不良達プラスアルファ顔を腫らした華凛。

 それがいつのまにか拘束を解き自由になっているではないか。

 幸いにも5人の内2人は未だ目を覚まさず残りも負傷がひどいのか、拘束はないものの立つこともままならない状態、華凛に至っては美詞にボコボコにされたのがよほど恐怖だったのか蹲ったままである。

 比較的無事なのは優江を人質にとっている陽翔のみ、一体こいつらは何がしたいのだろうかと不思議に思う気持ちのほうが強かった。

 恐らく陽翔が手に持つナイフ、どこかに隠し持っていたのだろう……簡単には切ることのできない拘束バンドが無残な姿で転がっていることから相当長いこと『彼』と格闘していたようだ。


「はぁ……で?」


 美詞の一言に籠められたその鬱憤のほどは視線にも表れ、蛇に睨まれた蛙のごとく思わず陽翔の腰が引ける。

 しかし人質を取っている自分が有利であることを思い直し冷や汗を垂らしながらも強気に出ようとする。


「よ、要求は一つだ。こんな危険な場所から僕達を今すぐ無事に避難させること」


 陽翔の要求は無謀が過ぎた、いかに無謀な要求なのかを夏希が説く。


「寝言は寝てから言いなよ。どうやってここから出るつもりだ?たぶんあんたは怨霊の数が減っているこのタイミングを狙って言ってるんだろうがそんなのすぐに元に戻る。結界から出口まで約30m、その距離を無防備な状態でどうやって潜り抜けるって?全方位から襲ってくる怨霊達からあんたらを守れと?よしんば運よく入口までたどり着いたとしてそっからどうするって言うの?あの扉はただ閉まってるだけじゃない、霊障により堅く閉ざされた壁。後ろに見える庭園までの道も見えない結界で外に出れない、私達の力でもどうしようもないものだよ。それを動けない人間を引きずりながら避難?正気?」


 ひとつひとつ言葉に出されるといかに無謀かわかるものだが一般人である彼らにそんな知識はない、故に無謀と感じることもできない。


「そこをどうにかしろと言ってるんだよ。問題や過程なんてどうでもいい、結果を求めてるんだ。この女が大事なら命を振り絞ってでもどうにかするんだね。勘違いしないでほしい、僕はお願いをしているんじゃない命令してるんだ」


 ぴたぴたとナイフの腹を優江の頬に当て脅す。

 冷たい金属の感触が自分の命を脅かす凶器であることを強制的に認識させられ悲鳴を上げる優江。

 

「チッ!ほんっと頭の悪い最低のクズ男……どうする?」


 美詞と千鶴に意見を求める夏希だが判断が難しい。

 明らかに無謀なのだ、無茶ぶりもいいところ……しかし目の前の男にそんな超常現象の常識も通じず人質まで取られている始末。

 相手はイエス以外の返事は求めていない、しかも結果を伴ってのだ。

 どうやってこの場を潜り抜けるか思案する3人。

 しかしそんな彼女達に考える時間すらも与えないのか陽翔が声を張り上げる。


「さっさとしろ!僕は気が短いんだ、あまり苛立たせるんじゃない。脅しじゃないのを分からせないとだめか?」


 そう言って優江の上着に手をかけると彼女のブラウスをボタンごと引きちぎる。


「いやああぁぁぁぁああ!」

「っ!やめろぉっ!!」


 たまらず悲鳴を上げ両手で上半身を隠すように体を抱える優江を見兼ね、前に出ようとする3人を陽翔が制した。


「おっと、それ以上近寄るなよこのバケモノ共が。さぁどうするんだ、早く決めろ!」


 優江の喉に食い込んだ刃先からチラリと赤い血が滲みだすのを見て前に出そうとした足を引っ込める美詞達を見、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。

 先ほど赤子を捻るようにあしらわれた相手が自分に手も足も出ないことで気が大きくなっているようだ。

 危険だ……きっと脅しではすまないだろう。

 今まで数多くの女性を毒牙にかけてきた慣れからか躊躇いがない。

 忌々し気に優江の喉元に突き付けられた刃物を睨みつけていると……


 ふいに美詞の側を暖かい風が通り抜け、髪がふわりと靡く。


「あ……きてくれた……」


 その現象になにかを感じ取ることができたのか、ボソリと呟いた美詞の言葉に夏希が不思議そうに尋ねた。


「みこっちゃん、きてくれたって……?……まさかマジ!?」

「千鶴ちゃん、結界はそのまま維持してて。きっとここに無茶な突破してくるから」

「げっ!まぁ……あの人ならそのあたり織り込み済みでも驚かないよ?」


「なにをごちゃごちゃ話してるんだ!さっさと――」


 ― ガシャアァッン! ―


 陽翔の言葉は最後まで紡がれることがなかった。

 急に襲ってきた甲高く何かが砕ける音。

 それは彼ら、彼女らの頭上から響いたものである。

 ガラス張りのドーム状の屋根、そのガラスが命を散らせる音を響かせ細かい破片になり降り注いでくる。

 月の光が反射しキラキラと星屑にも似た物騒な落下物達に紛れ、黒い塊が落ちてきた。


「う、うわぁぁ!」


 天井からガラスが降ってくることに危険を感じ、ナイフを持つ腕で顔をかばう陽翔。

 しかしそれらが彼のもとに降ってくることはない。

 千鶴が張っている結界は怨霊だけではなく霊力を纏っていない生物、無生物を通さないのだから。

 故に、すべてのガラス片が結界に弾かれていく中で何の抵抗もなく結界内に着地した「黒い塊」の正体は……


「来てくれたんですね……神耶さん」


 どこかの機械仕掛けのアメコミヒーローのように三点着地を取っていた体をゆっくり起こすと、薄手の長いコートのすそに着いてしまった汚れをパンパンとはたいて落としている。

 ある程度汚れが落ちたことに納得がいったのか、下を向いていた顔が露になると美詞達に向き直った。


「やぁ、少しお邪魔させてもらうよ?」


 何事もなかったようにけろりとしている尚斗が落ちてきた位置は一同の丁度中間、美詞らと陽翔らの間に挟まる形になっている。

 陽翔には一切目も向けず背を向ける形で美詞達に話しかけていた。


「うわぁ……あんな高いとこからダイナミックエントリーとか……」

「足を強化してるんだろうけど私だったら躊躇するかな……」


 千鶴と夏希が交わす会話も既に人質そっちのけになっている。

 美詞が小走りで尚斗に寄ると上目使いに見上げてきた。


「神耶さん、無茶しすぎですよ」

「はは、あそこしか霊障の綻びが見当たらなかったので仕方なかったんですよ。それにしても……なかなかの事態になってますね」

「……すみません、色々想定して動いてたんですけど隙があったみたいです」

「そう落ち込まないで、物事なんてすべてセオリー通りにはいかないものです」


「おおぃ!!おまえ一体なんなんだ!こっちを無視するな!」


 とんでもない登場をしてきた尚斗に圧倒され今までフリーズしていた陽翔だったが、自分を無視して進められる会話に業を煮やしたようだ。

 しかし悪人にはとことん煽っていくスタイルの尚斗は振り向きもせず美詞との会話を続ける。


「結界を張って耐えてたんですか……まぁこの霊障下ではやむを得ない選択でしたでしょうが、よくがんばりましたね」

「祓っても祓っても増えてばかりでしたのでちょっと八方塞がり気味でした」


「だから無視するんじゃないよ!この女がどうなってもいいのか!?」


 もう怒り心頭と言った具合の陽翔は尚も無視を決め込む二人に向け人質をちらつかせる。

 そこで初めて陽翔に振り返った尚斗はおもむろに陽翔を指差した。


「どうなっても?その手にもっているガラクタで一体何をどうするんですか?」


 厳密には陽翔の持っているナイフを指差したようである。


「なにを……なっ、なんだこれは!!」


 なに意味がわからないことをと言った具合に自らが手に持つナイフに目をずらすと驚く。

 突き付けていたはずのナイフ、そこにはあるはずの刃がない。

 柄だけとなってしまっている軽くなった元刃物にやっと気づいたのか、意味がわからないとばかりに凝視する陽翔のその姿は道化師そのもの。

 そう、突入時空中から一般人の目には見えない鎖で刃を砕いていた事すら今の今まで気づいていなかったようだ。

 尚斗の到着と同時に優江が凶器から解放されていたことから三人は余裕を持って陽翔を無視出来ていた。


「く、くそっ…このバケモノ共め、また変な術使いやがったな!ちっ、刃物がなくともこんな女一人ぐらいどうとでもできるんだ、抵抗せず言うことを聞け!」


 陽翔は持っていたナイフの残骸を用無しとばかりに放り捨てると空いた手で優江の首に手をかけた。

 しかしその様子を見ても尚斗に焦った様子はない、それどころかゆっくりと陽翔に向かい歩き出すではないか。


「へぇ……なかなか慣れた悪役っぷりじゃないか。しかしいかんな、君は女性の扱いがなっていない」

「ち、近寄るな!」


 歩きながら右手の指を二本……刀印を陽翔に向ける尚斗。

 陽翔の周りの地面から途端に鎖が飛び出し瞬く間に四肢を拘束してしまう。

 一般人相手には聖書を顕現させ力を籠める必要すらないということだろう。


「く、なんだよこれ!う、うごけない」


 身を捩り必死に脱出を図る陽翔であるが一般人がどうこうできるようなものではなかった。

 努力虚しく身をくねらせるだけの陽翔を無視し、陽翔の拘束から解かれ倒れこんだ優江の目の前で尚斗は着込んでいたコートを脱ぎしゃがみ込むと笑みを浮かべながら手渡した。


「大丈夫でしたか?こちらをどうぞ」

「え……あ、きゃっ!」


 なぜコートを差し出しているのだろうと不思議に思っていた優江は自分の現在の姿を思い出し慌てて両手で身を隠した。

 それを見た尚斗は差し出したコートを優江にかけてやり再度尋ねる。


「自分で立てますか?」

「あ、はい。ありがとうございま……っ!いたっ!」


 尚斗の言葉に応えようと急いで立ち上がろうとしたが、足を痛めたのかまた蹲ることとなってしまった。


「あぁ、無理しないで。足首を捻ってしまったのかな?少し失礼しますね」

「え……ひゃぁ」


 なにを?と声に出そうとする前に尚斗に抱えられた優江は驚きの声を上げてしまう。

 近くの瓦礫のところに座らせ、軽く足の具合を確認した尚斗は大きな怪我をしていないことに安堵し立ち上がった。


「すみません、ちょっと周りが落ち着くまでこちらで待っててくださいね。……美詞君、千賀君、すみませんがこの男達を拘束いただけますか?」


 はい!という返事と共に走り寄って来た二人にバトンタッチする形で尚斗が千鶴の下まで歩いていく。

 その後ろ姿を見送りながら美詞が声をかけた。


「あの、神耶さん。この人どうしましょう」


 ぴたりと足を止めた尚斗。


「あぁ忘れてました。変な気を起こせないようにしておきましょう」


 刀印をくいっと振り下ろすと陽翔の両腕に絡みついていた鎖が一際強く引っ張られゴキリと音が響く。

 

「あがっぁぁぁっぁああ!」

「心配しなくても関節を外しただけです、今は大人しくしておきなさい」


 そう言い残すとまた歩を進め出した。


「容赦ないねぇ、神耶さん」

「悪党にかける慈悲なんてゴミ箱の中ですよ。結界の維持おつかれさまです」

「いえいえー、拙い術で申し訳ないっす」

「いえいえ、十分素晴らしい結界ですよ。見事な四神結界です」

「えへへ、神耶さんにそう言われちゃうと照れちゃうなぁ。……ところで今からどうするんです?」


 千鶴はなぜここまで来たのかの理由を尚斗に尋ねたが、尚斗の答えは至極単純で短いものであった。


「もちろん祓っちゃいますよ、アレを」

「わぉ……」


 自分達では時間稼ぎしかできなかったあの霊団をさも簡単に祓えると言ってしまう尚斗に「まだまだ現役退魔師までは遠いなぁ」とぼやく千鶴であった。

 


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