第89話

 一時的な結界ではあるが無事展開できたことによりひとまず安心することができた。

 夏希は美詞の結界が無事発動したのを確認すると、現在も四神結界の準備のため走り回っている千鶴の護衛のためそちらへ向かっている。

 結界維持のため霊力操作に集中していると、ふと美詞に近寄ってくる気配を感じ取れた。

 この中でまともに動くことができるのは優江だけであるため警戒はしていない。


「あの、美詞さん、この光のドームはなんなんですか?」

「これはみんなを守るために張った結界だよ。今ね、この広間にはかなりの量の怨霊が集まってきてるの……見えないか。もうちょっとしたらみんなにも見えてくるんじゃないかな、どんどん濃くなってきてるから」

「ひっ!?ゆ、幽霊!?だ、だいじょうぶなんですか!」

「あ〜、大丈夫だよ今のところは。今千鶴ちゃんがもっと強固な結界を張るために準備してるところだから……耐えるだけの籠城戦なら何とかなると思う」


 優江を通しての説明はその他の者達への説明にもなったようで一同はざわつきだす。

 しかし気まずさからか美詞への恐怖からか直接尋ねる事が出来なさそうな中、空気をあまり読めない健太が美詞に問いかけた。


「な、なぁ桜井さん……籠城戦って言ったけどさ、その不思議なパワーって無限ってわけじゃないんだろ?大丈夫なのか?」

「え?うん、そうだね。確かに霊力は有限だよ。ほんとは連絡が取れたらよかったんだけど、霊障で携帯がダメになっちゃったから助けが呼べないんだよね……あなた達がいるから下手に動けないし」


「な、ならばこの拘束を解いてくれないか?自分達の足で避難するから……」


 健太を皮切りにして話しかける切欠が出来たとみたのか陽翔が美詞に提案する。


「は?なんで?あなた達を解放するわけないじゃない、いつ襲ってくるかもわからない相手と一緒に行動するなんてゴメンなんだよ?」

「なっ!……くっ……」


 都合のいいことを言っている自覚はあったのか言葉に詰まってしまう陽翔。

 

「それにね、今は結界に守られているけど、ここから一歩でも出たら……大量の怨霊に憑りつき殺されちゃうよ?」

「い、今までなんともなかったじゃないか!それがなんでいきなり!」


 まだ納得がいってないのか陽翔が美詞に食って掛かる。


「怨霊達がなんでこのタイミングで出てきたかはわからないけどね……奴らのターゲットはあなた達なの。気づいてないんだろうけど、あなた達とんでもない量の『厄』を纏ってるのよ」

「ヤク?なんだ……それは……」

「穢れ、怨念、災い、苦しみ……そういったものが集まったもの。あなた達一体今までどれだけの人を苦しめてきたの?私これだけの厄を纏わりつかせてる人って、ニュースに出てた凶悪犯ぐらいしか見たことないんだけど。ゆえちゃん以外みんな真っ黒……そこのチャラい二人はそこまでじゃないけど。本来なら結界を張れば厄も一緒に弾かれるはずなのによっぽどあなた達の魂と相性がいいんだろうね、油汚れよりもしつこくこびり付いちゃってるよ。厄を纏った人間なんて怨霊達からしてみれば最高のご馳走なの、憑りつきやすいし馴染みやすい。大量の怨霊にきっちり認識されちゃってるから逃げられないんじゃない?今まであなた達を守っていた守護霊もさすがにこの量の怨霊は捌けないだろうし……」


 美詞の話を聞いた一同は絶句して言葉を失う。

 そう言えば陽翔の悪だくみをする仲間内では最近おかしな現象に悩まされる奴が増えてきていた。

 体調が悪くなる者や怪我が増えた者、陽翔自身がなんともないことからオカルトはまったく信じてなかったが、美詞の言葉が真実ならば遠くない内に自分らは身の破滅を招くと言うのだ。

 正に身から出た錆、彼らが行ってきた身勝手で傲慢で許されざる行為への因果応報。

 その代償を払う時が近づいている……そう思い至った時、陽翔の背中を寒気が襲った。


「あれ、どうしたの?なにかあった?」

「ううん、なんでもないよ。ちょっとお話してただけ」


 結界の準備が終わったのだろうか千鶴と夏希が戻ってきたことにより彼らとの会話は終了となった。 


「ふーん、あいつらの顔真っ青じゃん……大体想像ついた。さてと、それじゃやりますか!」


 今度は千鶴の出番がきた。

 鞘に見立てた左手の中に右手の刀印を納め結界の準備に入る。


「オンッ!」


 左手から一気に刀印を引き抜くと、破邪の法による刀印を格子状に切っていく。


「青龍 白虎 朱雀 玄武 勾陳 帝台 文王 三台 玉女 守護せよ【四神護方陣】!」


 術の起動と共に四方に仕込んだ護符から光の柱が立ち昇る。

 柱は中心に倒れてくるように頂点同士が交わりピラミッド状の結界が構築された。

 結界が機能していることを確認し、美詞も自らが張っていた簡易結界に注いでいた神力をカットする。

 

「神耶さんの四神結界に比べたらちっちゃいし強度もないけど……ま、こんなもんっしょ」

「現役と比べる方がおかしいって、ちーちゃんの結界は十分すごいから」


「やべぇ……リアル陰陽師の術だぜ」

「なんだよあれ、かっけぇ」


 千鶴達の後ろからは初めて見たであろう陰陽師の術に対しての憧憬の声が聞こえてくる。

 声からして恐らく健太と悠、まぁあの中でそんな反応ができる余裕があるのはあの二人だけだろう。

 そんな外野の声に千鶴は苦笑いを浮かべながらも自分はまだまだなのにとふと思い返す。

 千鶴の中にはあの日、体育館の中で見せた尚斗の鮮やかなまでの四神結界が今も脳裏に焼き付いている。

 本人曰くは自分に才能がないと言っていたがとんでもない、御堂の一族の中でも、また千鶴が今まで出会ってきた陰陽師の中でもあれほどまでに綺麗で強固で広範囲な結界をシングルアクションで構築できる者は見たことがなかった。

 あの日以来千鶴の中でも尚斗は目指すべき陰陽師としての目標となったのは言うまでもない。


「さて、これでここにいる人達の守りはどうにかなったけど……どうする?」

「うーん、籠城するとしてどれぐらいもちそう?」

「結界もあまり大きくないし、起動の霊力をほとんど肩代わりしてもらえたから維持するだけってのを前提とするなら明け方まではなんとかってところ。それ以上は気合と根性次第かな。朝になったら撤退してくれる事を期待するしかないね」

「問題は怨霊の多さかぁ。どんどん増えてきてるように見えるんだけど……密度が増すとまずいよね」

「うん、霊団は周囲を取り込む性質があるって習ったから大きく膨れ上がると思うよ」

「そっか。なら……間引きかな」

「だね」

 

 霊団、なにかの原因により霊が大量に集まり軍団となり怪異を引き起こす現象。

 いくら有名な心霊スポットと言っても、そしていくら『良質の餌』が多くいるからと言っても今この廃ホテルに集まる怨霊の数は異常としか言いようがない。

 更に夏希が指摘しているように尚も増え続けているのだ。

 一体何が原因でここまで集まっているのかはわからないが、霊団が周囲の霊を取り込み強化されてしまえば千鶴が構築した結界にも大きな負担がかかってしまい維持限界が早まってしまう。

 なので霊団を散らしていくために、こちらからも打って出る必要があった。 

 相談の末三人は結界を防衛しつつ、結界に負担をかけないよう怨霊を間引いていく方針で話がまとまった。


「じゃ、二人に任せっぱなしになるのは申し訳ないけど頼むよ?」

「おーけー、まぁ私はこっちの方が性に合ってるしね」


 拳を打ち鳴らしながら気合十分の夏希。


「任せて、準備はしっかりしてきたんだもん、修行の成果を試す機会だよ」


 こちらもこちらで普段の修行の成果が試せるのが嬉しいのか気合が入っている美詞。

 二人が並び結界の外に向かって進んでいく。


「お、おい大丈夫なのかよ、結界の外ってのはあぶねーんだろ?」

「なんか黒いのがいっぱい空飛んでんじゃん!」


 そう、既に霊団の密度は一般人が視認できるほどにその存在感を増してきている。

 思いの他「成長」が早い、三人が間引きが必要だと感じた懸念は現実味を帯びてきた。


「だいじょーぶだよ、そっから二人の雄姿を拝んどきなって。あんた達が害そうとした相手がどんな存在か存分に理解できるだろうから」


 千鶴のその言葉と二人が結界の境界線を跨ぐのは同時だった。

 まず先陣を切ったのは夏希、さっそくとばかりに結界から出てきた二人に向かって襲ってきた怨霊に向かって自ら距離を詰め拳を叩き入れ一体目を祓う。

 立て続けに側まで来ていたもう一体を回し蹴りで祓い、後ろに回った奴を後ろ蹴りで祓う。

 数秒にも満たない間に3体の怨霊が消滅していた。

 見るといつの間にか夏希の四肢はぼんやりと光っていることに気づく。

 摩利支天の加護により身体強化を施し破邪の術を身に宿しているのだ。


 続いて美詞はと言うとゆっくりとした足取りで霊団の集まる場所に歩を進めながら襲ってくる怨霊を次々祓っていた。

 手に持った神楽鈴を舞うように振り回すその姿は神楽を舞う巫女を思わせる。

 儀式で舞う神楽とは違い、ひとつひとつのモーションが素早い立派な武術の型なのだがなぜかとても絵になり見る者を魅了した。

 やがて霊の密集している地点までたどり着くとホルダーから札を取り出し眼前に掲げると起動式を呟く。


「祓い給え 符術複式【燕子花】」


 二本の指に挟んだお札を真上に飛ばし、最高点に達した時お札から光が迸り三枚の大きな花弁を広げていく。

 まるで打ち上げ花火のようなその光の範囲にいた霊達は光の傘に飲み込まれ纏めて霧散していく。

 攻撃手段が乏しい美詞のために尚斗が美詞と相談しながら作成した攻撃符。

 様々なバリエーションの攻撃パターンを記録させたこの攻撃符の内、【燕子花】は対空広範囲浄化符となっている。

 ざっと10m四方の霊を一気に祓いぽっかりと空間が開いたのだが、すぐに周りの怨霊が隙間を埋めるように覆いつくしていった。 


「うーん、先は長そうだね」


 美詞のその呟きが聞こえていたのか、夏希が怨霊を祓いながら美詞に声をかけてきた。


「まだ始まったばかりなんだから飛ばしすぎるんじゃないよー」

「うん、わかった」


 今も一面を覆いつくさんと増え続けている怨霊達が蠢く大広間は、二人で狩り尽くすには些か広すぎた。

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