第87話
御殿場駅で彼らを見掛けたときからずっと感じていた。
陽翔や華凛の周りには黒い澱んだ怨嗟の念……怨念が渦巻いていた。
一人や二人の念ではない、多数の念が混ざり合い複雑な深みを出した暗さを纏う思念。
本来であればとっくに憑りつかれるか呪われるレベルのもの、美詞は過去連続殺人犯に憑りついていた怨念と似たものを二人から感じ取っていた。
霊に憑りつかれにくい体質、すなわち霊力が他の一般人より高いといった理由があったりするのだが……陽翔も華凛も他の一般人とあまり変わりないように思える。
ということは……
(守護霊が優秀なのね……こんなひどい人間を守らなくちゃいけない守護霊も可哀そう……)
先祖の霊や所縁のある霊が憑くと言われている守護霊。
先祖供養を怠ったりぞんざいに扱うことにより反転し一族に不幸を齎すこともあるが、基本守護霊は無条件で一族を守るものなのでクズを守らなければいけないことに美詞は同情を禁じえなかった。
「それじゃさっさと終わらせましょうか、早く帰りたいし。下種に付き合ってる暇はないの」
美詞の発言を強がりととったのか周りの男達から笑い声が上がる。
「こりゃなかなか強気なじょーちゃんじゃねーの」
「調教しがいがあるなぁ」
「ほら、おまえらその子を抑えるんだ。たっぷり薬を打ってやるから」
じりじりと寄って来た三人に合わせて陽翔も注射器を構えながら醜悪な笑みを浮かべ美詞ににじり寄ってくる。
「ゆえちゃん、今からちょっと動くから袖離してもらってもいいかな?あ、私からなるべく離れないでね」
「え?あ、はい」
今まで恐怖から皺ができるまでがっちり握っていた美詞の制服の袖に気づき優江は慌てて手を離した。
美詞と優江を挟んで前方に陽翔と華凛、後方にチンピラ3人が位置取り迫ってくる。
まず後方3人の内美詞に一番近かった男が美詞に手を伸ばしてきた。
「さぁおとなしくすんだぜ子猫ちゃん~」
なんの武道も修めていなさそうな距離の詰め方、美詞からしてみれば欠伸が出そうなほど緩慢で無防備な接近であるがあえて自分の腕をとらせる。
「いやあー、やめてー、らんぼうしないでー」
実に棒読み、これ以上ないほどに棒読みである。
ちゃんと男が美詞の腕を掴んだのを確認して……男の手を無造作に掴むと軽くひねり ―
ガゴキッ
― 簡単に折ってしまった。
「へ……?……ぁぁぁぁぁああ!!!いでぇぇぇえ!」
骨が折れたというよりも肘関節と肩の間接が外れてしまったのだろう、男の右腕がダランとぶら下がっている。
一瞬の出来事に呆けていたいた男も、襲ってくる痛みと力の入らない腕に気づき遅れて絶叫を上げたようだ。
そんな痛みに気を取られている男を前に、美詞は冷静に踵落としを叩き込み意識を奪う。
「こ、このアマァ!抵抗しやがったなぁ!」
「なんて棒読みだ!てめぇふざけてんのか!」
にじり寄っていた残りの二人は一旦立ち止まり、美詞に罵声を浴びせながらポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは折りたたみのナイフ、チャキっと刃を取り出すと無防備に距離を詰めていた迂闊さを思い直したのかナイフを片手に構えをとり始めた。
「きゃあー、きょうきをもってるー」
美詞の相変わらずな棒読みの台詞、しかしその台詞とは裏腹に男達を挑発するように手はくいくいと手招きをしている。
「コイツッ!!とことんふざけやがて、もう許さねぇ!!」
あまりにもふざけた美詞のその行動に、二人の内の一人がナイフを片手に隙だらけの大ぶりなモーションで美詞に襲い掛かる。
男のナイフを持つ手をパシリと手の甲で払い流すと肘関節を裏側から跳ね上げ逆折りにし、軸足を払い一瞬宙に浮いた男の背を掌底で打つ。
ドゴッっという普段では到底耳にすることのない衝撃音を鳴らすと、男は水切り石のごとく地面を跳ねるように転がり吹き飛んでいく。
残った一人はその光景を信じられないモノを見たかのように硬直してしまい、破壊の権化を前に棒立ちになってしまった。
もちろんそんな隙だらけの男を見逃すはずもなく、一歩で距離を詰めた美詞に腕をとられ気が付けば男の視点は天地が逆さまになり続いて襲った衝撃により意識を失う形となってしまう。
気が付けば陽翔が待機させていた援軍3人は一瞬の内に制圧されてしまうことに。
何が起きたかも分からない内に倒れた3人を目の前に、まるで夢か幻の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥った陽翔は美詞ににじり寄っていた足を止め呆然としてしまった。
手に持った注射器が所在無さげに宙を彷徨う。
「な、なな……なにがあった……」
倒れ伏す3人の中で堂々と立つ美詞の姿は、雲の隙間から差しこむ月の光に照らし出され神々しくも見える。
しかし其の実、自分達に振るわれる死神の鎌にも等しき存在であると本能は認識してしまっている。
気が付けば陽翔の足は一歩後ろに下がってしまった。
「ど、どういうことだ……ただの……女一人に……なぜ……」
「ただの女じゃないからだよ」
突然かけられた声は陽翔の背後から聞こえてきた。
華凛の声ではない、だれだ!と振り返った先に映った光景もまた陽翔の理解を超えるものだった。
「あ、夏希ちゃん千鶴ちゃん。そっちは終わったの?」
「うん、ただいま。一発で沈んじゃったよ……不良ってこんなもんなんだね」
そう、それは廃ホテルの反対側を探索していた別班の一行。
しかし見逃せないものがある。
宝条学園の制服を身に纏った女性二人の手には人間の足。
顔を確認しなくてもわかる、見るも哀れな扱いをされているあれらは陽翔の仲間なのだから。
襲う手筈を整えていたにも関わらず蓋を開ければこちら側同様返り討ちに遭い、文字通り地面を引きずってこられたようである。
「健太!悠!あんたらなにそこで突っ立ってんのよ、仲間がやられてんじゃない!裏切ったわけ!?」
陽翔が信じたくない光景を次々に見せられ思考放棄しかかっている中で、やはり最初に反応したのは華凛であった。
「バカか華凛、おれらは見逃されただけなんだよ。運ぶのが面倒ってな理由だけでだぞ?」
「話と違うじゃねーか、なにが女子高生二人を襲うだけの簡単な仕事だぁ?猛獣とベッドインする方がまだマシだぜ」
チャラい二人はとっくに戦意喪失、夏希と千鶴に従うだけの下僕のようになってしまっている。
「チッ!ほんと使えないわねっ!」
「使えないとかそんなレベルの話じゃねーだろ。ほら、そっちも壊滅してんじゃねーか」
健太が指さす方向には今しがた美詞に伸されたばかりの出来立てほやほや死屍累々の惨状。
「……」
さもありなんとばかりの現状に華凛はギリリと歯を食いしばり怒りを顔に表すことしかできなかった。
「さ、集合場所に到着したことだしあんたらは拘束させてもらうよ?」
「「い、いえすまむ!」」
華凛の発言なんてなかったかのように話を進め出す夏希。
すっかり怯え切った健太と悠は夏希の指示に微塵も逆らう気がないのか言われるがままだ。
「勝手に話進めんじゃないわよ!もうむちゃくちゃじゃない!」
「あ、むちゃくちゃだっていう認識はあったんだ。おーいみこっちゃん、手ぇ貸す?」
「ううん、だいじょうぶだよー。あ、ゆえちゃんお願いしていいかな?」
そう言って傍にいた優江の背をそっと押してあげる。
美詞の頼みにより駆け寄ってきた千鶴が両手を広げるとその中にぽすりと収まる小さな小動物。
もう大丈夫そうだという安心感からか、えぐえぐと嗚咽をあげながら千鶴の胸の中で泣いている。
あやす様にそっと頭を撫でてあげながら夏希が待つところまでゆっくり戻っていく二人、これで集合場所であった広場の舞台は美詞とそれに対峙する陽翔と華凛といった分かり易い構図になった。
「で、天海さんは襲ってこないの?それとも荒事は人に任せていつも高みの見物だったのかな?」
もう守る優江が安全地帯に避難したことから美詞の枷はなにもない。
ゆっくりと陽翔に向かい歩いていく。
美詞の煽りに怒り心頭といった具合ではあったが、美詞から発せられるプレッシャーと先ほどの無慈悲な断罪者っぷりに足は立ちすくみ今一歩を踏み出せずにいた。
「くっ……ふざけている……!なんなんだこいつらは……!こんなとこで終わってたまるかっ!」
陽翔は持っていた注射器を放り投げると手を後ろに回しながら美詞に突っ込んでいく。
美詞からしてみればそんな陽翔の突撃も先ほどの不良以上に稚拙な動きであったため対処は難しくない。
例え背後に回した手に凶器があったとしても。
案の定背後に回していた手に握られていたのはスタンガン、美詞に向けパチパチと光が走る先端を突き出されたそれを最小限の動きであっさり回避し、素通りしていった陽翔の無防備な背中を蹴った。
受け身の取り方すらわからない素人ではその衝撃を逃がすことなんてできず無様にずべしゃっと体勢を崩し倒れこんでしまう。
「わあーすたんがんだー。このままだと私あぶないかもー」
まだ茶番は続いているらしく、相変わらずの棒読みである美詞は腰に取り付けそれと分からずカモフラージュされていたホルスターから銃の形をした道具を抜き出して構えた。
「「「「じゅ、銃!?」」」」
なにも知らない者達が見ると一見ハンドガンにしか見えないその物体を陽翔に向けると躊躇いもなく至近距離から引き金を引いた。
ばしゅっと間の抜けた音と共に先端から飛び出すコードのついた二つの針、その針が陽翔の背中に勢いよく刺さるとバチバチと電気の走る音が聞こえだした。
「んぎぎっぎぎぎががが」
本来少ないとは言え死亡する可能性もあるこの武器は技術研印の改造により、ギリギリまで死亡しない電圧と電力量に調整されているが(絶対死なないとは言っていない)威力は想像したよりもあるのかテイザーガンに撃たれた陽翔は痙攣しながら地面に這いつくばっている。
「これ、どうやってとめるんだろう……」
美詞が銃の側面についた電流カットのボタンに気づくまで陽翔は地獄のような苦しみを味わうことになった。
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