第86話

 時は少し遡り、夏希達が宴会場より大浴場に向け移動を開始している頃。

 とある一室では若者達の甲高い叫び声が木霊していた。

 休む間もなく頻発して晒された突然の怪奇現象に場はパニックの一言。

 しかし一人だけは……美詞だけは慣れたもので平然としており、その姿が絵画の上に張り付けられた写真のように一人浮いていた。

 美詞が指摘した箇所に見えた怨霊から少しでも距離を取るべく這う這うの体で部屋の奥まで避難する一同とは逆に、美詞はゆっくりと怪異が潜む押し入れまで歩を進めている。


「な、なにしてるのあんた!!気でも狂ったの!?」


 そしてここでも立ち直りが早かったのは華凛である。

 ただただ目を瞑り必死に鼓膜が破れそうな絶叫を続ける優江や、恐怖からか声も出ず口をぱくぱくとしている陽翔らのほうがそれっぽい反応であろう。

 恐怖に慄いている様子は同様であるが、それでも他者を観察できる余裕と言葉をかけられるだけ大したものだ。

 美詞はそんな華凛に構うこともなく、押し入れの前に立つと腰のベルトに下げられた「お札ホルダー」から一枚符を抜き取り霊力を籠め始めた。


「祓い給え 清め給え……符術喚起【鬼道の退魔】」


 二本の指に挟まれた護符を前に弾き飛ばす。

 怨霊と思われる存在の元へ寸分たがわず引き寄せられるように飛んでいった符は「黒い塊」に張り付き青い炎となった。


 ― グボオオォォォォ…… ―


 轟くような悍ましい断末魔と共にゆっくりと抵抗も見せることなく炎に焼かれ消えていく怨霊を見送り、仕上げとばかりに塩を盛り押し入れを清めた。

 まるでベルトコンベアから流れてくる部品の組み立て作業のように淡々と行われたその除霊に華凛が呆気に取られている。


「へ?……もしかして……終わり?」

「うん」


 へたり込む一同の元へ何事もなかったように戻って来た美詞は、未だ叫び声を上げる優江の肩に手を置く。

 体に触れられたことにより一瞬体をびくりと硬直させたが「もう大丈夫だよ」という美詞の声が届いたのか叫び声が小さくなった。

 目に涙をいっぱい溜めながら恐る恐る目を開けた優江の目の前には優しく微笑む美詞の顔。

 

「も、もう大丈夫なの?こわいのいない……?たすかったの?」

「うん、もう終わったから大丈夫」


 彼女の目にはきっと美詞が女神様のように映っていたことだろう。

 ぽやーっとした目で美詞を見つめていた優江の隣から華凛が声を飛ばしてくる。


「ほんとに大丈夫なんでしょうね!?」

「うん、もう他に反応はないしこの部屋は問題ないかな」

「あ、あれが悪霊ってやつなの?なんなのよ、あんなにはっきり見えるもんなの?……配信者を呪い殺した奴ってあれだったのかしら……」


 先日廃ホテルからの帰路で事故を起こし帰らぬ人となった動画配信者達。

 彼らは「帰さない」という不気味な声に呪われたと言われていた。


「うーん……悪霊……ねぇ……人を呪い殺すことができるほど大した力は無いように見えたけど。呪いでやられたって言うのなら別に元凶がいるんじゃないかな?」


 華凛は気が遠くなる。

 アレが大したことない?

 恐怖を凝縮し具現化したようなあんな存在よりも更に恐ろしいモノがまだいるかもしれない?


「で、長谷川さん。どうする?この後地下もまわる?」


 冗談じゃない、こんな場所にいられるか。


「し、仕方ないわね。時間もそんなにないだろうからそろそろ集合場所に戻りましょ」


 恐怖体験を味わったばかりなのに強がれるのは、もうある種の才能と言ってもいいのかもしれない。


「そう?確かにゆえちゃんも余裕がなさそうだし戻ろっか」


 優江に手を貸し立たせる美詞、もう離さないとばかりに素早く美詞の腕に巻き付く優江。


「……あんたに随分懐いたようね、その小動物」


 この場合懐いたというよりも本能から一番安全な場所を求めている節の方が強そうだ。

 立ち直った華凛や優江と違い、未だ現実を受け止め切れず、心ここにあらず状態の陽翔を華凛が肘で小突いた。


「ほら!陽翔!さっさと行くわよ!」

「あ、あぁ……そうだな……」

(あんた目的忘れてないでしょうね!)

(少し驚いたが……大丈夫だ)


 小声だが明らかに不穏な会話を交わす二人。

 美詞は難聴系鈍感主人公ではない、しっかり聞こえておりその会話の意味も理解している。


(ここじゃなかったんだ……なら戻る道か集合場所あたりかな?問題は……ゆえちゃんか……)


 確実に優江は巻き込まれることになる……先ほど美詞が優江に渡したものは対悪霊用の魔除けに過ぎない、しかも一回こっきりで壊れてしまう使い捨て。

 人が相手となると防衛する手段がないため、とにかく美詞から離れないよう注意しなければ。

 きっと優江もそれが分かっているから美詞から離れないのだろう……そうだろう……いや、そうであってほしい。


「じゃぁ、また私が先を進めばいいのかな?」

「ええ、お願いできる?こんなことがあったら猶更前を歩くなんて不安で仕方ないわ」


 よく言う……と口から零れそうになるがここは我慢、また長い廊下を引き返していくために部屋を出た。

 行きに比べ帰りの道順はわかっているためかさほど迷うこともなく一階の広場に到着することができた。

 最後の廊下を歩いていると、薄っすら広場から漏れるランタンの明かりが無事帰って来たことを歓迎してくれているようだ。

 美詞が想定していたアクションも帰路ではなにもなく後ろの二人も大人しいものだった。

 集合場所であるこの大広間も暗くはあるが、それでも外の庭園を見渡すための大きなガラスが総じて割れていることや、どこかの教会を模したような独特な作りのステンドグラス達も割れていることにより月光が差し込み圧迫感や閉塞感もない。

 ロビーやカフェ、売店やカウンターバー等色々な施設を併設していたのかこの大広間はかなりの広さを誇っていた。


「やっと着いたわね……あっち側の班はまだ帰ってきてないみたいだからここで待ちましょう」

「そうだね、待っててもいいんだけど……いいの?」

「なによ。なんのこと?」

「周りで隠れてる人、結構な時間待ってたんじゃない?これ以上待たすのも悪いかなぁって」


 場に沈黙が漂う。

 頭の中で言葉を選んでいるのだろう、美詞の発言にすぐに返答ができずにいた。

 サプライズトラップもくそもないのだ、すべて美詞に見抜かれていることに華凛は眉間に皺を寄せる。


「チッ!ほんとむかつくわね!一体なんなのよあんたは!さっきやってた感知とやら?」

「うーん、あれは人間用じゃないし……ただ人の気配がするだけ」

「~~っ!なによほんとっ!そんな台詞バトル漫画の中だけで十分なのよ!もういいわ、出てきて!」


 怒り心頭という具合の華凛の言葉に従い、広場の陰から数人が姿を現わす。

 見た目がチャラい……見た目だけ爽やかな陽翔とはとてもつるんでいるように思えないが、年も恐らく上であろうと思われるため陽翔が連れてきた人間なのは間違いがない。


「やっとおれらの出番かよ……遅かったんじゃねーか陽翔?」

「ああ、待たせたか。これでも早めに切り上げてきたんだけどな」


 もう取り繕う必要がなくなったのか陽翔の顔は柔和なものから仮面を脱ぎ捨てとても醜悪なものに変わっている。


「で?その子らが今回の生贄ちゃん?上玉じゃねーか、その制服宝条のんだろ?どっから捕まえてきたんだ?こんなおじょーさま」

「あれ華凛の『おなちゅー』だった子らしいぜ、だろ?陽翔」

「今回も華凛絡みかよ。お、いつもの華凛の同じ学校の子もいるじゃん、これで何人目だ?ほんと悪い女だねぇ」


 ぎゃははと笑う男達の会話はとても下品で美詞もつい顔を顰めてしまう。

 新たに増えた男の数は3、陽翔も含めると4人。

 問題のない数だが……と隣の優江を見やるとぎゅっとしがみつくように体を縮こませている。


「どぉ?桜井さん、私が企画した催しは。ここまで来ればこの後の展開も想像つくんじゃないかしら?」

「うーん……まぁ私を誘った時点で想像はしてたよ、悪意も全然隠せてなかったし。ちょっと計画が杜撰すぎるんじゃないかなぁ。それよりもなんで今更私を害そうとしたのかそっちのほうが気になるかな」

「……この減らず口が……ずっとあんたが目障りだったのよ!男共を全員魅了するわ私に反抗するわ……卒業した後もずっと忘れたことはなかった!そこの小動物の写真を見てチャンスだと思ったからよ、これで満足!?」

「そこは丁寧に答えてくれるんだね。それで?なんでそこにゆえちゃんも巻き込んだのかな?」

「気まぐれよ、あんた達を呼び寄せるためだけのただの餌。ついでに私に反抗できないように躾けてあげるわ」


 まぁ大体は美詞が想像していた通りの返答にため息をつく。

 その仕草は益々尚斗に似てきている。

 優江も美詞に忠告されていた通りの展開になったことに顔を青ざめながら美詞の顔を見上げるが、大丈夫と笑顔を向け宥めていた。

 その美詞の余裕ぶった態度は華凛が語気を更に荒げるのに十分な燃料であった。


「あんたのその余裕ぶった顔もほんと苛つくのよ!今日は徹底的にむちゃくちゃにしてやるんだから覚悟なさい!」

「へぇー、一体こんなか弱い私になにをしようとしてるのかなぁ?」


 美詞の『か弱い』という言葉にどこが!とツッコみそうになる気持ちを抑えながら華凛が嘲笑を浮かべながら答える。


「ふんっ!一晩中男達のおもちゃになるのよ」


 そして華凛の言葉を引き継ぐように陽翔が前に出た。


「君は僕をコケにしてくれたからね、丁寧にかわいがってあげるよ」


 そして懐から取り出した物を美詞に見えるように目の高さまで掲げると、自慢するようにしゃべりだした。


「こいつはちょっと表に出せないアブナイ代物だ。こいつを打ち込めば君みたいな気の強い女も一発で従順になるだろうさ。他にも薬は色々あるから壊れないように気を付けてね?今頃はあっち側でもお楽しみだろうからすぐに寂しくなくなるよ」


 悪意を物質化したとも呼べる注射器を片手に、ニチャァと下卑た嗤いを浮かべる陽翔を見ていると吐き気が催すが気になる台詞が飛び出した。

 やはり夏希達のほうにも同じような展開が起こっているのか。

 陽翔のその言葉に反応したのは美詞ではなく隣で震えていた優江の方であった。


「そ、そんな!千鶴ちゃん達が危ない!長谷川さんひどいよ、なんでこんなことができるの!?」

「言っても無駄だよ、ゆえちゃん。きっと一生理解できない別の生き物だから。それに……千鶴ちゃん達は大丈夫だから心配しないで」

「大丈夫って……で、でも」

「もういいかな……」


 美詞はなにも無意味に会話をしていたわけではない。

 彼女は彼女なりの目的があり二人から情報を引き出していたのだ……が思いのほか勝手にぺらぺら喋ってくれた。

 話から推測するに陽翔が持っているのは違法薬物だろう。

 やり口が手慣れていることからも過去に何人もの女の子が被害に遭ってきたに違いない。

 そうでなければ……


 彼らのまわりにあんなにも『厄』とも呼べるほどの怨念が憑りついているのに説明がつかないのだから。

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