第77話
荒い息を整えるため精神を集中させる。
動き疲れた適度な疲労感の中、頬を伝い流れ落ちる汗は既に気にならなくなっていた。
しかし顔に張り付く髪はうっとおしくつい手で拭ってしまう。
相手はそんな隙すら見逃してはくれないみたいであった。
襲いかかってきた黒い影は3つ。
霊力を練り両手で印を切り素早く術の発動に入る。
「拘束せよ【縛】!」
起動呪と共に両手の印がぼんやり発光すると襲い掛かってくる3つの影の進路に変化が生じる。
地面より白い茨が幾条にも伸びたちまちに影を巻き取ってしまった。
攻撃を凌げたことにほっと一息する暇もなく、今度は死角から別の影が忍び寄っていることを感知術により知り得る。
術の起動は間に合わないため噛みついてきたソレを合気術で往なし、相手の体勢が整う前に拘束術をかける。
しかし片手印で発動されたその拘束はさきほどの茨よりも本数は少なく、影がもがくことで綻びが出始めていた。
しかしそれで十分、一拍を稼げることができれば対処はできるのだ。
追加で発動した両手印による拘束術が上書きするように多重の茨で覆い隠し影を飲み込んでいく。
その隙をついて天井から襲ってきた影も既に感知術で捉えていた。
バンッ
地面に手のひらを突き術を発動すると、四方から生えた茨が空中の影に殺到し地面へと引きずり下ろす。
雁字搦めになった5つの影から少し距離をとり残心をとると「そこまで!」と声がかかった。
「ふぅぅ~」
やっと張り詰めていた緊張が解けゆっくり息を整える余裕が出来た美詞。
傍に寄って来た尚斗が手に持っていたタオルを渡すと、恭しく受け取り噴き出す汗を拭っていく。
「ありがとうございます神耶さん」
「うん、拘束の術は板についてきましたね。強度も上がってきてます」
いつものように事務所の道場にて今日も鍛錬に励んでいた美詞はいつにも増して疲弊しているようであった。
尚斗から魔界門事件の真相を知らされてからは美詞の修行にも変化があったのだ。
いつもの基礎鍛錬に加え拘束、強化、弱化、付与等の補助術の修行が加わった。
基礎鍛錬の修行に重きを置く尚斗であったが美詞のしつこい懇願により折れる……いや、美詞に甘い尚斗が頼み込まれた時点で無下にはできないことから結果は分かっていたようなものだ。
美詞の使う神道系の術式は略式奏上でも起動まで時間を要する。
そのため、霊力のみで行使できる即応術を中心にバリエーションを増やしていった。
さらには決定打の欠ける攻撃術の少なさを補うため、尚斗が美詞のために攻撃術を封じた専用符も多数のバリエーションを作成し渡してある。
今行っていたのも道場中に待機していた式神符を尚斗が次々起動していき状況に応じてすべて拘束するといった訓練であり、危なげなくクリアできるまでに上達していた。
「さて、疲労の抜けきってない状態で次に行きましょうか」
「はい!」
壁に立てかけていた練習用の薙刀を手にすると、またもや道場の真ん中に位置取り精神を集中し始める。
息は整ってきたと言っても疲労は残ったまま。
休憩を挟まないのにも理由があった。
これから行うのは「付与術」の鍛錬。
己のコンディションによっては強度にムラが出やすい術だ。
なのでなるべく鍛錬で追い込み疲弊した状態からの行使、そしてその術を維持する鍛錬を行っている。
開始の合図はない、先ほどと同じように尚斗の式神に襲われた時をもって開始なのである。
美詞が手に持つ薙刀は竹刀のように刃部分が竹でできているが扱う武術は桜井家仕込み。
もちろん競技用の動き等ではなく実践用のソレになる。
対処が難しい左側―……死角側から襲ってきた式に対処するように、瞬時に付与術を展開。
犬の成りをした影の噛みつきに、霊力が十分行き渡った石突に近い柄の部分で受け流すと振り返して刃部分で払う。
もちろん霊力を纏ったその攻撃は式を散らすには十分な力があり、あっけなく式は霧散していく。
付与術とは手に持つ武器等に霊力や術式を乗せる術になる。
肉体に直接強化の術を付与するものと同一視されがちであるが、肉体強化は身体強化術、武器強化は付与術と分かれていた。
難易度も後者のほうが圧倒的に難しい、自らの体とは違う物体に霊力を行き渡らせ維持しなくてはならないのだから。
身体強化術は美詞も桜井大社での修行で基礎を修めていたが、付与術も相性がよかったらしく尚斗の指導によりスムーズな発動と維持ができるまでになってきていた。
次々と襲い来る式を祓い続け肩で息をするほどに疲弊はするが、それでも薙刀に付与された術は綻びを見せずしっかりと維持されている。
道場中に待機されていた式符が尽きる頃にはさすがの美詞も息が絶え絶えになっていた。
「はぁ……はぁ……」
「式を増やしてみましたが問題なかったようですね。付与もだいぶ安定してきました。……美詞君の成長は目を見張る物があります……よくもまぁこんな短期間で仕上げてきましたね」
再度渡されたタオルで汗を拭き終わった美詞が尚斗に向け笑顔を見せる。
「神耶さんにそう言ってもらえるなら嬉しいです。自分ではどこまでできているか実感がないものですから」
「がんばりすぎですよ?私としてはもうちょっと基礎のほうをしっかり固める方針で行きたかったのですが……こんなに習得が早いと自分の指導方針に自信がなくなってきますね」
尚斗が弟子をとるのは初めてであり、だれかに教授するというのも初とは言わないまでも慣れているとは言い難い。
出来の良い生徒を持つ教師は皆こういった悩みを抱えるのだろうかと贅沢な悩みにぼやいてしまうのも無理はない。
「いえ、神耶さんが私のことを思ってくれていることは分かっていますので……これは私の我儘ですから。ちゃんと基礎も疎かにしてないので安心してください」
「はは、君は私がいなくても勝手にどんどん成長していきそうですね。私が言うのもなんですがなんで私に師事を乞うのやら……」
「いやですっ!神耶さんに教えてもらうんですっ!モチベーションが大事なんですっ!」
苦笑いを浮かべてしまう尚斗だが悪い気はしない、ただ少しばかり自分に依存気味な美詞を心配もしてしまう。
「頑固な君にはこれ以上言っても無駄でしょうが、無理だけはしないでくださいよ?」
「はい、無理はしません、神耶さんに怒られるから……あの……やっぱり迷惑をかけてるでしょうか?」
「(おっと、その目は反則だ)迷惑だなんてことはありませんよ。もっと気軽に遠慮なく頼ってきなさい。それが子供の特権です」
そう言うと汗でしっとり濡れてしまった美詞の髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。
「もうっ!やっぱり子ども扱い!すぐに隣に立ってみせるんですから!」
「はは、気長に待ってますね。そう言えば、今日事務所に来た時浮かない顔をしてましたが……なにかあったのですか?」
今日事務所に美詞が顔を出した際、なにか悩み事を抱えたような表情を隠しきれない様子であったのが尚斗の頭に引っかかっていた。
もちろん鍛錬中にはそんな素振りは一切みせず集中はしていたし、なんなら美詞自身もなるべく表情には出さないよう努めていたのだがしっかりと見破られていたようだ。
「あ……えーっと……そんな大したことではないんですよ?」
「学園でなにかありましたか?」
尚斗が想像したのはいつぞやのバカ親子。
美詞を取り込もうと権力を笠に着てきた愚かな連中がまたぞや発生したのかと心配になったが……思い過ごしのようだ。
「あったと言えばあったというか……これからありそうというか」
「煮え切らないですね、まずは体が冷えてもいけませんので汗を流して着替えていらっしゃい、事務所で待っていますのでお茶でも飲みながら話を聞きましょう」
「あ、はい……」
尚斗の言葉に従い汗でべたべたになった体を洗い流すため、道場の隅に設置されたシャワールームに向かう。
尚斗の過保護具合はついに道場に簡易シャワー室を設置するまでに至った。
軽く汗を流すに留めしっかり拭い、巫女装束から制服に着替え直すと尚斗の待つ事務所に戻る。
カチャとドアを開けた事務所からは香しいコーヒーの香りが鼻をくすぐった。
この香りは既に美詞のお気に入りであり、気が付けば尚斗をイメージつける匂いのひとつになっている。
トトトとソファに駆け寄り十分に香りを堪能した後カップに手をつける美詞。
「あったかい……ありがとうございます」
「いえ、今日も鍛錬おつかれさま。で、学園でなにがあったんだい?」
カップに口を付けほっと一息吐いた美詞が少し思案顔になり口を開いた。
「ほんと大したことではないんですが、ちょっと不可解というか疑問を感じてしまってずっともやもやしてたんです」
美詞によるとそれは友人である千鶴から齎された“お誘い”によるものだそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます