第六章 突撃!隣の心霊スポット

第76話

 月の光も届かぬ深い暗闇の中。

 空気さえも凍てつき活動を停止したかのようにどこまでも静まり返る異質な空間。

 輪郭もはっきりしない異界に吸い込まれそうなほど長く不気味な廊下の奥。

 そこにチラリと光の筋が差しこみ、また消える。

 それは次第にはっきりした光の帯として顔をのぞかせ、更には一条だったものが二条に増え輪郭すら希薄であった暗闇をぼんやりと白く彩り始めた。

 静寂すら生ぬるい音のない空間が、話し声と不規則な足音群により人の領域であったことを思い出したかのように空気を塗り替えていく。


「いやぁ、それにしても不気味すぎるね。視聴者さんのリクエストで来てみたけどほんと後悔してるよ」

「建物入ってからずっと悪寒が止まらないんだけど。なんか変な音とかも聞こえてるしさ」


 某県 山中の廃墟にて


 階段を上り、上階へとたどり着いた男達の手に持つライトの光がくっきり帯となって見えるほどにそこは暗く埃が舞っていた。

 懐中電灯を持つ二人の若者の後を、マイクのついたカメラと少し小振りな照明をぶら下げた男が前方の二人を撮影しながら追従している。

 カメラマンの持つ照明がそれなりに明るいため三人の周囲は世界を保てているが、その光の届かない廊下の先は二人が持つ懐中電灯ではあまりにも心許ない光源であった。

 闇の中で忙しなく走る二つの白い円が映し出す光景はどれも朽ち果てており、彼らがいる廃墟が相応に古く人の手が入っていない状態であることを教えてくれているようだ。


「久々のライブ配信での探訪だけど、今回は当たりじゃない?」

「俺としては当たってほしくなかったなぁ。早く終わらせて打ち上げに行きたいよマジで」

「リスナーさんも、なにか見付けたら教えてねー」

「いや、マジシャレになんないよそれ。平和にいこうよぉ」


 動画投稿サイトの「ちょっと怖い心霊探訪ツアー」と名打たれたこのチャンネルは、日本各地の心霊スポットを巡るよくある“肝試し”企画を動画配信したものだ。

 普段は録画され編集されたものを配信しているが、年に数回だけこうやってライブ配信を行っている。

 今日の企画はまさにその日であった。

 視聴者の求めるスリルは山場がなければなかなか盛り上がらないため、ライブはある意味博打に近いものがあり高い確率でハズレを引いてきた……が、今回の廃墟は正に“当たり”と呼べるに相応しい様相を醸し出していた。


 廃墟に入った瞬間に変わる空気。

 夜でも過ごしやすく暖かくなってきた季節にもかかわらず寒さを覚える室内。

 ほどよい具合に崩壊し不気味さを演出する施設。

 時々鳴り響く原因不明のラップ音。

 定期的に写すポラロイドカメラに納まった白い球体。

 そんな中で時折立ち止まり「今何か聞こえなかった?」と問いかけるのは彼らの演出としての常套手段であったが、いつもはカメラに入っていない音も今日に限ってはしっかりリスナーにも届くレベルのモノ。

 おかげで最近類に見ないほどに視聴者の同時接続数が記録更新をし続けている。

 そんな一同は無茶な増改築を施したことにより現在いる階数すらわからない廊下を歩いていた。

 間を繋ぐため会話を挟みながら先に進む二人であったが、またもや怪奇現象が襲い来る。


 ― バタンッ ―


 聞こえてきた音に自然と一同の足は止まった。


「聞こえた?聞こえたよね?」

「あれは……扉が閉まった音かな……確認だけど今日は俺たち以外誰もいないよね?」

「うん、いないはずだよ?……風……かな?」

「もぉぉいやだよおぉぉ、さっきからおれ達以外の足音も聞こえてるような気がするしさぁ」


 ― バタン……バタン……バタン……… ―


「ちょちょちょヤバイって、なんだよこれ」

「どこから聞こえてるんだろこれ」


 連続して聞こえだしてきた扉の閉まる音……らしきものが一同の余裕を奪っていく。

 焦燥に駆られだし、今にも踵を返し逃走を図りそうだ。

 むしろここで一人でも行動に移せば一気に場は瓦解しパニックから全員逃げの一手で走りだすことだろう。


「ええと、では二人とも音が鳴る場所の特定に向かいましょうか」


 カメラマンが前方を行く二人に次の行動指針を告げると、うんざりしたような顔が二つカメラに振り向く。


「えー、マジで言ってんの?これ明らかにヤバイ感じじゃない?」

「うわ、鳥肌がとまんない。くそぉ行きたくねーなー」


 文句を垂れ流しながらも危険かもしれない場所に突撃していくのも、いつもの彼らの様式美だ。

 エンターテイメントを提供している訳だから行かないという選択肢がないのは当然なのかもしれない。

 先ほどよりも明らかに足が重くなった二人は、頼りない懐中電灯の光だけで音の発生源を突き止めるため歩を進めていく。

 その間も不可解な音は不規則ながら断続的に今も聞こえてきており、歩を進めるごとにその大きさは増していった。


 ― ……バタンッ! ……ぎぃ…… ―


 一際大きく鳴り響いた音に一同がビクンっと肩を跳ね上げてしまったが、一人が気づいてしまった。


「なぁ、あそこじゃない?今あの部屋の扉が動いたように見えたんだけど」


 そう言って光を向けた先には数多く並ぶ扉の中で少しだけ半開きになった部屋であった。

 付近の扉は開ききっているかそもそも扉自体が崩壊しているか、しかし件の扉だけなぜか微かに動いているように見える。

 恐る恐る近寄ってみるとその扉の付近だけ床に積もる埃が少なく、確かに開閉したような跡が見受けられる。

 そして扉の前まで来て気づいた。

 部屋の中から空気が流れてきているのだ。


「ほ、ほら。やっぱり風だったじゃん」

「ほんとだ、生ぬるい風が吹いてるね」


 正体見たり枯れ尾花とばかりに、先ほどまで聞こえてきていた音の原因を風であると断定し安心した二人。


「お二人とも、ありましたよ」


 カメラマンが不安を煽るような声色で何らかの事実を告げる。


「なにが……って、うわぁ!」

「もしかして、これ!?ここが例の部屋?」 

「そのようですよ。ほら、赤文字もありますし」


 この廃ホテルの存在をリスナーから知らされた際、とある情報も一緒に寄せられていた。

 曰く「4階にある409号室がヤバイ、入ったすぐのところに赤文字で『引き返せ』と書いてる部屋」。

 その情報通り、目の前の部屋を入ったすぐのところに赤文字ででかでかと「引き返せ」と書かれていた。


「うわ、マジじゃんこれ。てことはここが4階だったのかぁ」

「てことはここに『アレ』もあるってこと?」

「はいお二人方、目的の場所が見つかりましたので今日も元気に検証を行いましょう」

「げっ……やっぱり?いやだよぉ……今日はナシにしない?マジ悪寒ビリビリなんだって」

「諦めろ……今までパスが通ったことなんて一度もなかっただろ?俺は諦めたよ」

「では恒例のじゃんけんでーす!」


 カメラマンの言う検証と言うのは、二人の内じゃんけんで負けたほうが一人検証現場に残り恐怖体験をするというもの。

 暗く静かで雰囲気バッチリ、ましてや曰く付きというロケーションで一人になるというのは相当な恐怖でしかなく誰も進んでやりたがらないものであるが、それなりに見せ場のあるメイン企画でもあるのでチャンネルの為と渋々じゃんけんを始める二人。

 負けた方の男が絶望を精一杯表現した感想を垂らしながら、カメラマンから撮影機材等を受け取り一人その場に取り残された。


「あぁ……いやほんと寒気がすごいんですよ。なんか空気も重く感じるし……」


 視聴者に向けてコメントを発する一人残された男が、部屋の中へ突入していき次々とポラロイドカメラで写真を納めていく。

 ぐるっと広い部屋を見て回った時、一か所に気が付き動きが止まった。


「うわ、ほんとにあった。もしかしてこれが例の電話かな?」


 寄越された情報の中にはもう一つ赤い文字とは別の話もあったのだ。


 『部屋にある黒電話が勝手に鳴りだす』


 心霊スポットでは「廃病院のカルテの話」と同じぐらいにはよくある逸話なので信憑性は疑わしいが、実際にモノを見てしまうと鳥肌のひとつは立ってしまっても責められないだろう。

 じーっと黒電話の前から動くことができずにいた男であるが、じっとしているのも言葉を発しないのも逆に怖くなってきてしまうため無理やり口から声を漏らしながらも電話を写真に納めようとシャッターを切る。


「あぁ、これも写真に写しておきましょうねぇ……ほんとマジ怖い、頼むから鳴らないでよ……」


 パシャ……ジィィィィ


 シャッターが切られ排出された写真をカメラから抜き出すと、もう黒電話には用はないとばかりに振り向いたその時


 ― チンッ……


「ひょっっ!!」


 バッと黒電話から後ずさりながらそちらを見やるがそれ以上鳴り響くことはなく、男の心臓の鼓動だけがやけにうるさく聞こえてくる。


「な、な……なになになに!今鳴ったよね!確かに鳴った、みんな聞こえた?」


 配信者魂なのかそれでも心臓がバクバク言う中視聴者に向け声をかけるのだから大したものだ。

 少し大きめのタブレットには現在撮影している映像と一緒に視聴者のコメントが慌ただしく流れていた。

 「鳴った鳴った!」「マジできたあぁ!」「仕込んだんじゃねーだろうな」等確かに男と同じことを体験したようなコメントから勘違いではなかったことがはっきりした。


「おぃおぃ、こんな場所で30分も居れねぇよぉ……ほんとにしないとだめ?」


 気乗りしないのは当たり前、しかしまだ居室に入り5分と経っていないので企画を潰すわけにもいかず、止む無く折りたたみの小さなイスに座り怪奇現象が起きないか待ってみる。

 外で待機している二人と電話でやり取りを行い途中経過を報告したり、ふと気になったところを写真で撮り始めたり、そうやって20分ほど経ったところでガタタという音がどこからか鳴り響いたのを切欠に耐えきれず部屋を飛び出した。

 「もう無理、すみません撤収します」と言うと電話先で「なんか問題があったんでしょうか、迎えに行きましょう」までのやりとりも既に何度も見たセットコンボだ。

 その後一階の特殊な作りをした大きめの広間で合流を果たした三人は引き続き廃ホテル内を散策した後に撤収し、月夜が照らす中番組の締めに入っていた。


「えー、本日の探訪ですが多くの不可解な怪奇現象が確認されました。いや、ほんとここ怖かったわぁ」

「もう二度と来たくないね。スペシャルだからって大盤振る舞いされても困るんだよほんと」

「近い内に除霊してもおうかな、なんか肩がすごい重い」

「それただの強張りすぎでしょ?」

「えっと、来週配信予定の『ちょっと怖い心霊探訪ツアー』ですが、また皆様からのリクエストにお応えした場所に赴いた企画となってます、ぜひご視聴ください。そしてよければチャンネル登録のほうもよろしくお願いします。では本日の某県、廃ホテルのツアーはただいまを持ちまして配信終了とさせていただきます、どうも遅くまでお付き合いいただきありがとうございました」


 無事配信が終了し、その後撤収作業を終えた三人は打ち上げのため車で山を下っているところであった。


「今日の配信かなりよかったんじゃない?同時接続の数もかなり多かったし、登録者数も増えたよ」

「だなぁ、正直今日の廃墟は当たりだったわぁ……怖い思いした甲斐はあったね」


 車内で今日の出来を確認し合いながら、タブレットに保存された出来立てほやほやの録画を見返していた。

 車を運転するのは今日一人で20分孤独を耐えきった男、この中で一番の功労者であろう。


「ん?」

「どうした?」


 動画を見直していた男がコメントに気になる記載を発見し一時停止する。


「ほらここ、コメントに『なにか聞こえなかった?』ってのが何個か……」

「あ、ほんとだ。おいおまえ気づかなかったのか?」

「えー?いつだよそれ」


 丁度それは居室で20分我慢し耐えきれず、部屋を足早に立ち去っている時の様子だ。


「おまえがびびりまくって部屋から逃げてきた時だよ」


 そんなことあったか?と思案顔になる男だがあいにく車を運転しているため動画を確認することができなかった。


「どれどれ……このあたりだよな……あぁ……確かになんか聞こえるようなそうでないような……」

「もうちょっと音量上げてみようぜ」


 タブレットを操作し音量バーが上がっていくのを画面で確認した後、再度問題と思われる箇所の動画を再生し直した。


《なんかいるって絶対!もう無理、すみません撤収します!》


 ガサガサと慌ただしく機材をかき集め部屋から撤収し、ガチャガチャと色々な音が混ざっている中でとある声が紛れ込んでいるように感じる。


 ―……ぇ……っ……ぃっ……―


 もう少し音量を上げ再度リピートする。


 ― か え さ な い ―


「ひっ!!!」

「うわっ!やばいやばい!バッチリ入ってる!!」


 後部座席でぎゃぁぎゃぁと騒ぐ二人とは打って変わって、運転している当事者からなんの反応もないことに気づき二人の声が途切れる。


「おぃ、静かだな。どうしたんだよ」

「当事者だからな、びびって声もでねーんじゃ……おい!!どうした!!」


 運転手に目をやった二人がそこで見たのは、苦しそうに口をあけ舌が伸びきっている男の姿。

 目は大きく見開き苦しそうに片手を喉にやりなにかを毟り取ろうとしているが、首にはなにも巻き付いていない。


「ぁ……が……がっ……ぃき……が……なぃ」


「おぃどうしたんだよ!一体なにがあったんだ!」

「ブレーキ踏めブレーキ!あぶない!前!!」


 ……


《次のニュースをお伝えします。先日夜中頃〇〇県山中にて車による事故が発生しました。近隣の通報により消防隊が駆け付けたところ炎上する車両を発見、火はただちに消し止められましたが車両に乗っていた三人は――》


 心霊探訪ツアー、彼らのチャンネルは二度と更新されることがなかった。

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