第72話
キンッ カキョンッ
尚斗が振るうナイフを片手、しかも爪だけで捌いていく悪魔。
現在尚斗はアークデーモンと一騎打ちという状態で戦闘を繰り広げていた。
いや、一騎打ちなどとかっこいいものではない、実力差は歴然。
ただ尚斗がもて遊ばれているだけと言われても仕方ないほど、攻撃すらしてこないのだから。
「『ほぉ、神の力が込められた武器か。バチカンの力及ばぬ地にしてはなかなか、技量もたいしたものだ。我が眷属達が手古摺るのも納得よな』」
悪魔の尚斗を褒めるような言葉とは裏腹に、なかなか傷をつけれない状態の尚斗に焦りが浮かぶ。
(エクソシスト達はこんな奴らと戦い続けてきたのかよ!こりゃ井の中の蛙もいいとこだ!)
日本では今、目の前にいるアーク位の悪魔を上位悪魔と定めているが、西洋では違う。
カトリック教会ではアーク位までの悪魔に関してはまとめて下位、狡猾さは抜きにして油断さえしていなければ取るに足らない相手と見ている。
爵位級の中でも男爵子爵までを中位とし、伯爵以上の悪魔を上位悪魔と定めている。
確かに実体を持った悪魔と、人間界で活動するため人間にとりついた悪魔では同じ個体でもその脅威度は格段に前者のほうに傾くのであるが、今尚斗が刃を振り下ろしている相手ぐらいであればエクソシストならば難なく対処できてしまう相手なのだ。
(圧倒的に攻撃力が足りない……くそ、後先を考えてる余裕はないか!)
現在はナイフに籠められた聖秘力と不動明王の真言による身体強化を施し戦っていたが、それだけでは追いつかないということを悟ってしまう。
本来真言、仏の力を身に宿すのは一つずつが原則であり新しい力を宿す際はそれまで施していた術を一度解除するもの。
単純に人間の身では複数の真言行使は反動が大きすぎるためだ。
しかしもうそんなことを言っている余裕はない、当初は人間界側の戦力が整うまでの時間稼ぎと考えていたが、この悪魔をそのまま通してしまうと統率の取れた軍団が襲うこととなってしまう。
今はまわりで両者の行く末を見守っている雑兵達であるが、最低でも目の前の指揮官だけはここで縫い留めておく必要があると考え、出し惜しみはなしとばかりに更に韋駄天の真言と摩利支天の真言を追加でその身に宿す。
ドクンと尚斗の鼓動が一際大きく打ち響いたかと思うと全身に力が湧くと同時に痛みが走りだす。
(持久戦はとても無理そうだな……いてぇ、全身が悲鳴をあげてやがる)
恐らく戦いのあとはろくに動けなくなってしまうことが確定したようなものだが、そんな後の事は構っていられない。
悲鳴を上げ始めた足腰に力を籠め、今までとは比べ物にならない速度で一気にギアを上げ目の前の悪魔に迫る。
「『おぉ、まだ強くなるのかね。いいではないか、存分に足掻きたまえ。そして絶望を知った時においしくいただいてやろう』」
「言ってろ!この国にゃぁなぁ、窮鼠猫を噛むっていう言葉があるんだ。遊びすぎて後悔すんじゃねーぞ!!」
手足の回転速度を上げ、手数を増やすことによりやっと尚斗の攻撃は悪魔に届き始める。
今まで片手の爪だけで抑えられていた攻撃は今や両手で捌いている状態、しかも悪魔の手や足、体に多くの傷跡を作ることができていた。
しかし……
(足りねぇ……攻撃は通るが決定打がない!くそ、持久戦ができないってのに……嫌んなるねぇ)
悪魔につける傷が浅いのだ。
大型のナイフといえども分類上はナイフ、リーチが短い。
ククリナイフという重撃を繰り出せるナイフであるものの、やはりナイフ。
攻撃するには敵の懐深いところまで踏み込む必要があるリスクのわりに、リターンとなるダメージが小さすぎる。
武器が悪いとは言わない、しかし正教会で支給されている量産品をカスタマイズした程度の武器ではこれが限界なのかもしれない。
更に尚斗は正式なキリスト教徒でもないため、自前の聖秘力は使えず武器に籠められた聖秘力頼みだったことが決定打に欠ける要因となっていた。
「『どうしたのかね?強気な発言をする割には成果が出ていないようだが。ネズミが噛む前に猫が押さえつけたらどうなるのだろうか試してみよう』」
その言葉と共に悪魔のギアが上がった。
今までの力量を試すような攻撃ではない、刈り取ることを目的とした攻撃にシフトチェンジしたのだ。
一撃一撃に乗せられた殺気が「本物」になったことにより速度と重さが格段に増す。
攻撃側にまわっていた尚斗はいつのまにか攻守交替とばかりに守りに入らざるを得なくなってしまった。
悪魔の爪から繰り出される斬撃を手に持つナイフで弾くが、その刀身がなんとも頼りなく見えてしまうほどに苛烈に攻め立てられていた。
現にその頼りない刀身からは悲鳴を上げるように衝撃から火花が散り、気のせいでなければキラリと空中に飛び散る小さな破片は刀身が言葉の通りに削られているからだろう。
(まずい!武器がもたないっ!)
尚斗が武器の耐久力に気を取られたその時、刃を滑らせた手が悪魔の肘により跳ね上げられ大きな隙が生まれてしまう。
がら空きになった胴に向け放たれる悪魔の拳。
迫りくる攻撃の中で瞬時に防御態勢に移行する。
今胴体に攻撃を受けてしまうと致命的なダメージになりかねないため、犠牲とする箇所を左腕と定め悪魔の拳との間に滑り込ます。
左腕は使い物にならなくなる可能性が高いが胴や足、攻撃の要となる利き手さえなんとかなればと思っての判断である。
しかし尚斗の読みは甘かった。
胸を守るようにブロッキングした左手は悪魔の拳による衝撃を受けメキメキと音をたて、更には衝撃を逃がしきれず肋骨までも悲鳴を上げた。
そのままゲートの近くまで吹き飛ばされてしまった尚斗からは苦悶の表情が浮かび上がる。
(ちっくしょぉ……なんちゅー力だ、もってかれたのは3番?4番?くそっ……臓器はまだ大丈夫と思いたいねぇ。左腕は……だめだ、痛み以外の感覚がない)
尚斗がダメージの具合を確認していると悪魔が距離を詰めてくるのがわかった。
スローモーションのように時がゆっくりと動く。
すぐに襲ってくるであろう追い打ちの第二撃に備えなければいけない。
頭ではわかっているが体の動きがついてこない、目線は迫ってくる悪魔が引き絞った正拳を捉えているが、痛みで反応が遅れたことが致命的となり防御が間に合わない。
(チッ!回避は間に合わない、どこで受ける!?)
悪魔の次の攻撃をどの箇所で受けたところでもう尚斗の戦闘継続は絶望的となってしまうだろう。
尚斗の頭に諦念という言葉がよぎる。
悪あがきのように前に掲げたナイフを持つ利き手も力が入っていない。
(父さん、後は頼んだ……)
ダメージと呼べるほどの深手を相手に与えることはできなかったが、なんとか時間だけは稼げたと信じたい。
このまま凶刃に敗れ地に伏すことになろうとも、きっと父ならばなんとかしてくれるだろう。
しかし
それを許さぬ者がいた。
― シャリン ―
尚斗と悪魔の間に鈍く煌めく斬影。
それは瞬きでもしようものなら見る事が叶わない刹那の煌めき。
辛うじて尚斗に向かって伸ばされた悪魔の手を切り落とすための斬撃であろうことだけはわかった。
次の瞬間には男の背が尚斗と悪魔の間を遮る。
「やぁ、尚斗。帰ってくるのが遅いから迎えにきたよ」
「……父さん……どうしてここに……」
神耶隆輝にとって、息子が悪魔に屠られる瞬間を阻止するのは当たり前の行動であった。
「向こう側はもう粗方殲滅が終わって余裕ができたのでね。大丈夫だよ、助け出した者達は皆回収したから……後は尚斗だけだ」
父親がここに来てしまっては意味がない、当主を守るために自分が名乗り出たのに。
しかも自分が不甲斐ないばかりに魔界側に来させてしまったのだ。
悔しさに涙が滲みそうになる……しかしそんな感傷にも浸らせてくれない者がいる。
「『ああ、存外極東の島国もやるものだ。お相手の数が足りなかったみたいで申し訳ない、すぐに後続を送ろう……行け』」
悪魔のその声に、今まで遠巻きに尚斗との戦闘を見守っていた悪魔達が二人を大きく避けるようにしてゲートへとなだれ込む。
人間界側へと向かう悪魔達を対処しようとする隆輝と尚斗は、アークデーモンのプレッシャーにより行動を抑えつけられてしまった。
今動けばその隙をつき攻撃してくるであろう圧がひしひしと伝わってくる。
「……なるほど。確かにこいつは向こうに行かせてはいけないね……」
「あぁ……あいつが指揮官だ。統率のとれた軍団にしないため抑えようとしていたが……このザマだよ」
「まぁ仕方のない判断だよ、にしてもなかなかに手ごわい。不意を突いて腕を一本もらうつもりだったんだけどね……」
先ほどの隆輝による奇襲の一撃は確かに悪魔の腕を斬り落とす軌道を描いていた。
しかし目の前に堂々と立ち構える悪魔の腕は未だ健在、よく見ると指が二本ほど近くに転がり血が流れていることからまったくの無傷というわけではなさそうだが。
「あのタイミングで腕を引き戻せるなんてとんでもない反射神経だね。さて、あまり時間をかけることができなくなってしまった。尚斗、まだいけるかい?」
「……サポートぐらいしか役にたたねーよ?」
「はは、十分さ」
「『ほぉ、今度は二人でくるのかね?いいとも相手をしよう!』」
神耶家の親子タッグによる第二ラウンドの鐘が鳴らされようとしていた。
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