第五章 悪魔が残したモノ

第62話

「変わりはありませんか?……ええ、こちらは問題ありませんよ。……そういえば少し時間が開いてましたね……」


 陽気な昼下がり、差し込む日差しの眩しさに目を細めながら、窓際に凭れ電話を片手に会話を交わしているのはこの事務所の主である。

 口調はいつもの柔らかいものであるがそれでもそのトーンは少し気安さが混じっており、親しい仲にいる者との会話というのが窺い知れる。


「……ええ、大丈夫です。近々伺えるよう調整しておきます。……え?……彼女というのは……あぁ、なるほど。……わかりましたが、あまり無理強いしたくはないですね……はは、そんな昔のこと覚えてるでしょうかね?……そんな流れるように私をディスらないでもらえます?……はいはい、とにかくわかったよ……ちゃんと行くから……うん、また連絡する」


 耳からスマホを離し大きく一息つく。

 

(たしかにあの子からしても美詞ちゃんとの再会は8年ぶりになるんだったな……)




 数日後、現在美詞は尚斗と共に都内某区の住宅街を歩いていた。

 先日尚斗より連絡があり、とある要望に応えるためそちらへと向かっている途中である。


「この辺りも少し変わったでしょうか?」

「そうですね、あの頃に比べれば多少は変化があったかな。ただこの辺りは旧家が立ち並ぶ地域だから緩やかなほうですよ。それにしても幼い頃でしたのによく覚えていましたね」

「あの頃は見るものすべてが新鮮でしたから。それでももうかなり以前のことなのでだいぶ記憶が朧気ですけどね」

「仕方ありませんよ、たった数日だったのですから」


 勝手知る道のりであったのか、淀みのない足取りで目的地に到着した二人の足が止まる。

 目の前には立派な破風に飾られた大きな門が設けられていた。

 高さ2メートルを超える源氏塀により長々と囲われた敷地はその中の様子を伺うことはできないがこれだけの門構え、敷地内の屋敷の規模は想像に難しくない。

 ここだけを切り抜けばタイムスリップしたかのような古風さを醸し出しているが、近代的な監視カメラとインターフォンが時代の錯覚を呼び戻してくれる。

 そのインターフォンのボタンを慣れた様子で躊躇なく押すと応答した女性の声に「私です」の一言で応対する尚斗。

 しばらくすると門の脇戸から一人の年配女性が顔を覗かせ出てきた。


「おかえりなさいませおぼっちゃま。そしてようこそお越し下さいました桜井様。ささ、お入りください。お二人とも首を長くしてお待ちですよ」

 

 そう、門に掲げられた表札の名は「神耶」、尚斗の実家である。


「お常(つね)さん、いい加減“おぼっちゃま”はやめてくださいよ……何回言えば直してもらえるんですか……」

「なにをおっしゃいますやら」

 

 尚斗の苦言に耳を貸す気がないのか、老婆と呼べる年代に差し掛かった使用人の女性は尚斗らに背を向けさっさと案内をするように先を歩いていってしまった。

 その様子から今回も説得は無理かと肩を竦める尚斗にクスクスと笑う美詞。

 仕方ないとばかりにもう癖になってしまった溜息を一息漏らすと常の後をついて敷地内に入っていった。

 広大な敷地の割に見えてきた屋敷は小さいようにも思えるが、それでも由緒ある歴史のある家系の武家屋敷、大きさは折り紙付きである。

 ただそれ以上に庭園が広すぎるだけなのだ。

 

「ようこそお出で下さいました、お久しぶりですね美詞さん。本日はご足労頂きありがとうございます」


 屋敷に入ると身長が150を少し超えたほどの小柄な少女が仕立てのいい着物姿で待ち構え声をかけてきた。


「ただいま彩音。母さんは自室かい?」

「ええ、お母さまは自室でお二人をお待ちです。兄さん、久しぶりに会う妹に向かってかける言葉が少なすぎませんか?」

「なにを言ってるんだい?久しぶりというほどでもないだろうに」


 二人の会話を聞いていた美詞が、正面の少女をまじまじと見つめるとボソリと言葉を呟いた。


「……あーちゃん?」


 その呼び方に反応するように彩音と呼ばれた少女がキッと美詞を鋭く睨みつける。

 

「その呼び方はお止めください。もう子供じゃないんですよ?」

「やっぱりあーちゃんだ!うわぁ、すごい久しぶりだったから分からなかったよぉ。えーっと今は中学生になるのかな?すごいかわいい!ちっちゃい!かわいい!」

「こら!抱き着くな!ちっちゃい言うな!!」


 久しぶりに会った友達に対するには少々過剰と思われるスタンスで接してくる美詞に戸惑いながら、いきなり抱き着いてきた美詞に丁寧を心掛ける口調が崩れながらも抗議の声を上げる。

 彼女の名は『神耶彩音(かみや あやね)』、尚斗の妹であり美詞に初めてできた幼い頃の友人?でもあった。


「ふふ、私にできた最初のお友達だもん、無理な相談なんだよ。ちっちゃい頃のあーちゃんもお人形みたいでかわいかったけど、今のあーちゃんもお人形みたいでかわいいー!」


 もう言ってることの意味がわからない。

 彩音に向かってテンションがおかしくなった美詞の語彙力はどんどん低下していく。


「もぉっ!だからあーちゃんって呼ぶなあ!離してよ!兄さん、この子なんなの!?」

「うーん、美詞君のこんなテンションは子供の頃以来だね。きっと彩音に会えたのが嬉しかったんだろう、心逝くまで付き合ってあげなさい」


 振袖を着こんでいるため振りほどくのに難儀しているのか、それとも美詞の鍛えられた力に抗うことができないのか……必死で伸ばした手の平を使い、がんばって美詞の顔を突き放そうとしているがびくともしない。

 そんなじゃれ合う二人の様子を微笑ましいものを見るような視線で一瞥しながらも尚斗は気にせず隣を素通りしていく。


「あ、待ってください、兄さんの裏切り者ぉ!」

「ほら、じゃれ合ってないでいきますよ?二人とも」


 見事な日本庭園が望める広い和室、大きな座卓を挟んで尚斗と美詞は着物姿の女性二人と向かい合っていた。

 一人は先どまで美詞と戯れていた彩音、もう一人は


「久しぶりね、美詞ちゃん。こんなに綺麗な女の子になっちゃって……また会えて嬉しいわ」

「ご無沙汰しております、翔子さん。私もまたお二人に会えて嬉しいです。その節は大変お世話になりました」


 美詞のさきほどまでの壊れかけていたテンションは鳴りを潜め、桜井家にバッチリ仕込まれた綺麗な所作で礼を交わす。 

 会話を交わしている相手は尚斗の母である『神耶翔子(かみや しょうこ)』、現神耶家の当主代行になる。

 年よりもかなり若く見られ、腰まで伸びた艶やかな濡れ羽色の黒髪をひとつに纏めたこの御仁はご近所さんでも話題の和風美人である。

 娘である彩音もその母譲りの美貌のためか、二人並んで歩く姿は名物姉妹のような扱いを受けていた。


「美詞ちゃんのことは静江様から伺ってました。尚斗を探していたなら私を頼ってくれてもよかったのに……」

「いえ!本来は学園を卒業して力を付けた後で神耶さんを探す予定だったんです。でも、偶然再会しちゃったら突っ走っちゃって……気が付けば弟子入りをお願いしてました……」

「ふふ、ちゃんと叶ったみたいでよかったわ。静江様と徒弟制度を承認させる根回しをした甲斐がありました」

「やはり母さんも一枚噛んでましたか……」


 美詞に徒弟制度を勧めたのは静江だが、それを承認したのは翔子であり裏技に近い形なのにすんなり通ったのも翔子が静江と悪ノリして根回しを行っていたからである。


「やっと美詞ちゃんが尚斗と再会できたっていうのに何時まで経っても顔を見せにこないんだもの、つい呼んじゃった」

「呼んじゃったじゃないでしょうに……美詞君は勉学と修行で忙しいんですよ?」


 その言葉に今まで沈黙を保っていた彩音が割り込むように声をあげる。


「そのことでお話があります!兄さん、私の修行はどうなったのですか?最近は美詞さんの修行ばかりなのかこちらに顔を出す頻度が減っているではありませんか!?」

「もしかしてさっきからずっとツンツンしているのはそのせいかい?」

「あらあら、彩音ちゃんはお兄ちゃんに会えないのが寂しかったのね?お母さん気づけなくてごめんなさい」

「~~~っ!!そんなんじゃありません!私は神耶家の継承術を早く修めるために!」

「ごめんねあーちゃん……私のせいであーちゃんに寂しい思いを……」

「聞いてましたぁっ!?人をブラコン扱いしないでいただけますぅっ!?あーもぅっ、みーちゃんと話していると調子狂う!!」

「あ、やっとみーちゃんって呼んでくれた」


 普段は凛とした姿に丁寧な所作と口調を心掛けている彩音も、久しぶりに会ったことでテンションがおかしい美詞の前では形無しになっていた。


「落ち着いて彩音。このあとちゃんと見てあげるから。母さんもほら、笑いをこらえないで」


 普段はあまり見せることのない彩音の姿に悪ノリしているのか翔子は翔子で肩を震わせながら楽しんでいるようだ。


「ふふ、懐かしいわ。あの時はみーちゃん、あーちゃんって呼び合って尚斗お兄ちゃんを取り合ってたから」

「お母さまいつの話をしているのですか……兄さん、後でちゃんとご指導していただきますからね?」

「わかっているよ。ところで彩音は学校生活はどうだい?いつも愚痴を漏らしていただろう?」


 彩音のボルテージを下げるために話題を変えてみたが、それは逆効果であったみたいだ。


「最近もっとひどくなってきたんですよ?」


 その一言で「あ、話題の選択間違えた」と悟った尚斗はすでに遅く、そこからは彩音のオンステージであった。

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