第60話

「神耶さん、どういうことですか?」


 いつのまにか尚斗の隣で芽衣に向かい臨戦態勢をとっている美詞が、視線を前面に固定したまま問いかけてきた。


「認めたくないが……近藤芽衣の記憶を読み取るために彼女の魂を喰って取り込んでいる。犯人は立花舞が言っていたおじいさんとやらでしょう」

「なら今喋っているのは……」

「ええ、どこまでが計画通りだったのかはわかりませんがヤツ自身が近藤芽衣の身体を乗っ取ることが目的かと」


 尚斗と美詞の会話を聞いていた恵は、自分が危険な状況だということも厭わず未だ震える声で隣の芽衣に問いかける。


「め、芽衣は!?芽衣の魂を食べたってどういうことよ!?」

「威勢がいいのは構わないが少々自分の置かれている立場を省みてもらおうか?」


 そう言う芽衣はその鋭い爪で軽く恵の首を撫で付ける。

 軽く線を引かれた首にはうっすらと傷が入り血が垂れだしてきた。


「ひっ!」


 首に感じた鋭い痛みに恐怖心が勝ったのだろうか慌てて口を閉ざす。


「ああ、喰ってやったよ。絶望と苦痛の中で母親に助けを求めながら叫び千切れていくその魂はとても甘露であった」

「あ……あぁ……あああ……」


 言葉の内容をとても母親には耐えられるものではなかったのか、ハラハラと目から涙が流れ落ちガクガクと体が震えていく。


「外道がっ!……貴様何者だ。人外であることはわかる……だからこそ問う、そんな存在が一体なんの目的があり人に入り込んだ」


 尚斗もこの人外が起こしたことに相当苛ついているのか自然と口調が厳しいものになっていた。

 悪霊が人に憑りつくことはわかる、彼らの本能と呼べるものだからだ。

 しかし今芽衣の中に入っている外道は作為的になにか目的があり行っている節があるのだ。

 一体なんのために?気まぐれ?享楽を求めて?魂の搾取のため?どれにしろ到底許せることではなかった。


「さぁ?そう簡単に答えを得られると思わんことだ。しかしそうだなあ、“ヒント”をやろう」


 芽衣を乗っ取った老人と思われるその存在がそう言葉にした途端芽衣の体に変化が起きた。

 芽衣の額から一本の突起物が皮膚を突き破るように伸びてきたのだ。


「……ツノ?」


 尚斗がそう呟くがまだ終わりではない、恵を抱えている手とは反対の手を前に突き出す。


 ― キンッ ―


 乾いた音があたりに響き渡ると、背筋がぞわりとする悪寒が襲い回りの風景が一変する。

 空は色を失い周りの木々はモノクロへと変わっていく。


「くっ……起動が早い。結界か」

「ご名答だ。安心したまえ、騒ぎを大きくしたくなかったのでね。空間を隔離しただけだよ。さて、ではヒントその2だ」


 前に突き出していた手の平を今度は下に向けると、今度は地面で変化が起き出す。

 尚斗と美詞を囲むように地面からぼこぼことなにかが這い出すように現れた。

 手が生え体を持ち上げるように這いずりだし足が現れるころにはその全貌が露になる。

 一か所ではない、まわりのいたるところで同じように現れたそれらは数えるのが面倒になるほどであった。


「召喚……違うな。門を開いたのか?なんてことを仕出かすんだ!」

「ほぉまた正解だ。なら私がなんなのかも検討がついてきたのではないかな?」


 尚斗のまわりには既に地面から這い出してきたソレらが二人を取り囲んでいる。

 一つ目の顔がでこぼこした鬼、やせ細り腹が突き出た鬼、小さいが筋骨隆々なこん棒をもった鬼、様々な見た目の鬼達が号令を待つかのごとくその場で待機している。


「呼び出したのは鬼だけか……それにしてもなんとも統一感のない鬼達だ……まるで伝承をごちゃまぜにしたようだな」

「神耶さん、餓鬼がいるということはあれらは妖ではなく地獄の鬼達ですか?」

「……ええ、地獄の門を開いたのでしょう。美詞君、私が殲滅するまで結界を張り耐える事はできますか?」

「いえ……この結界の中では私が張った術は弱まり効果を発揮しきれないはずです。物量に押されるかと……一緒に戦います」

「……いけますか?弱い種の鬼ばかりとは言え数が多いですよ?」

「これでも武術は仕込まれました、足手まといにはなりません!」

「……では背中は預けます、破邪の術を施すのを忘れずに」

「はい!」


 言うや否や美詞と尚斗は戦闘準備に入る。


「神ながら守り給え、破邪拝詞!」

「ノウマク サンマンダ バザラダン カン!鬼魔を退けし破邪の力よ!」


 それぞれが邪気を退ける力を宿したことを示すように白い光が四肢を覆う。

 二人が戦いの準備を終えるの待っていたかのように言葉が投げかけられた。


「さて、準備はできたかな?ではまずは小手調べといこう。早々に倒れてくれるなよ?」


 その言葉を待っていたかのように二人を取り囲んでいた鬼達が一斉に襲い掛かった。


「美詞君、手ごわそうなものはこちらで請け負う。無理はするなよ」

「任せてください!」


 最初に尚斗の間合いに入った小鬼が突き出した拳を、前に構えていた尚斗の手が迎撃する。

 手の甲で鬼の腕を跳ね上げガラ空きになった胴に半歩潜り込むと、足をドンと踏みしめ逆の手の肘でみぞおちを突きさす……と、同時にその力を逃さぬまま肘から拳を跳ね上げ裏拳で鬼の顔面を叩く。

 破邪の力を纏ったその拳で叩かれた鬼の顔は爆発したかのようにはじけ飛び空中に溶けるように霧散する。

 一瞬で一匹目を斃した尚斗に続いて美詞の下にも最初の鬼が到達した。

 ひょろい体から繰り出される餓鬼の前蹴りを半身ずらすことで躱し、鬼の軸足を払うと同時に体勢が崩れたところで軽く鬼の蹴り足を持ち上げるとおもしろいように鬼の体が宙に浮いた。

 そのまま地面に叩きつけると容赦なくトドメを差すように鬼の首に足刀を振り下ろす。

 餓鬼はぐぎゃっと悶絶した声を発しながらこちらも破邪の力により霧散していく。

 鮮やかに鬼を斃した二人であるが相手は一匹ではない、次々と襲い掛かってくる鬼を体力消費を考慮して最小限の動きで捌いていく。


「大丈夫ですか?美詞君。ダメージと体力には気を付けてください」

「ええ、問題ありません。“ウチ”の武術はそういうものですから」


 美詞が修めている武術は合気道を基本形にしたフルコンタクト型の武術。

 少ない動きと女性の力でも行使できる「後の先」を主眼に置いたものであるが、そこに桜井家がカスタムを施し怪異とも渡り合える武術へと発展させていた。

 今も美詞に突っ込んできた哀れな鬼がすれ違いざまに腕をへし折られ、相手の力を利用し頸椎を縊られあっけなく消えていった。


「桜井は美詞君に仕込みすぎじゃないでしょうかね?なら引き続き無理しない程度に」

「はい!」


 喋りながらも鬼を屠る尚斗にもまた余裕はある。

 尚斗が駆使するのは霊力を循環させることに相性のいい中国拳法、八極拳等をベースとし色々な格闘技から実践で使える部分をピックアップしながら混ぜ込んだハイブリッド武術である。

 幼いころから空手と柔術を修めていたことはもちろんのこと、海外を回るうちに世界の格闘技を吸収していった。

 特にアメリカを渡った際に海兵隊から仕込まれたマーシャルアーツは、効率よく敵を無力化するのに役立ったため積極的に取り入れている。

 今も尚斗に向かい金棒を振り下ろしてきた鬼を半歩横にずれ、踏み込み足を捻りこむと鬼の腕を自身の腕を絡ませ間接を極める。

 曲がらぬ方向に力を加えられたことにより鬼はたまらず金棒を落としてしまい後ろへ体勢を崩したところへ、鬼の顔面は尚斗の肘と膝でプレスされるように叩き込まれ爆散した。

 危なげなく丁寧に鬼を捌いていく二人の姿は舞っているようにも見え、気づけば負傷することもなく何体目になるかわからないほどの鬼を斃し終えていた。

 残心を忘れず構えたままの二人がまた背中合わせになり息を整えていると、器用に恵の首に回した腕で拍手を打つ音が聞こえてくる。


「いやぁなかなかやるねぇ。弱いとは言えあれだけの鬼を倒すのは大変だっただろう。で、どうだい?私の正体に検討はついたかな?」


 話し出したということはまた会話のフェーズを挟みたいのだろう、尚斗は構えを解き芽衣の方向に向き直る。


「貴様がなんの目的がありこんな茶番を挟んでいるかわからないが付き合おう。貴様が鬼なのはわかっている。これ見よがしに演出でツノを生やしていたがなんてことはない、そのツノを触媒としなければ術を行使できなかっただけだろう。人を模倣し声を真似、人間社会に溶け込もうとする鬼はそう多くはない。貴様、『天邪鬼あまのじゃく』だな?」

「おお!これまた正解だ!まぁここまで見せて分からないような輩は今の鬼共に摺りつぶされていただろうがね」


 演出家のように大きく片手を広げ、演劇のセリフのような喋り方をする天邪鬼に尚斗は苛立ちが募るばかりだが、情報を引き出すためにぐっと我慢する。


「神耶さん……天邪鬼って、“あの”天邪鬼ですか?とてもこんなことができるとは思えないのですが……」

「もし一般的に広まっているひねくれ者という面の鬼を想像しているなら捨ててしまいなさい。そんな易しいものではないよ。人の心を読み取ることに長け、人を唆し悪行に走らせ、時には自らが人に成りすまし悪行を重ねるとんでもない存在だ。目の前のアレは恐らく長い年月駆逐されることなく力をつけていった類だろう」


 尚斗の説明に天邪鬼が笑い出す。


「いいねぇ、そこまで私を知っている者は近年なかなかいない。思わず胸がジーンとしてしまったよ。そうとも……七百年、実に七百年も私は生きてきた。私が生まれた当時はまだ呪術が最盛期のころでね、討伐されないよう隠れてずっと生きてきた。人に化ける術も退魔師から逃れるための試行錯誤だったのだがこの研究が存外楽しくてね、私には研究者の素質があったみたいだ。人を研究する内に魂の在り方に惹かれたのだよ……そこから私は長い年月をかけ人の魂を研究し、ついにひとつの成果を生み出した!」

「……それが魂を通しての他者への強制介入か」

「話が早くて助かる、しかし私に説明させてくれないかな?こうやって人に研究成果をひけらかすのも私の楽しみなのだよ。本来魂が人に憑依するには数々の条件とステップが存在する。親和性と適合率の高い魂のみが悪霊へと墜ちた際、本能に従い惹かれ合い低確率で憑依する。これではおもしろくない。なんたって憑依した魂は既に人間性を失い獣のように未練や怨念に突き動かされるだけだからね。そこで私は思った、『魂が自我を残したまま新たな肉体を得ることができたのならば』と。それがこの研究のテーマさ」


 なんとも嫌な予感のするその研究に尚斗はギリリと歯噛みするのを隠すことができなかった。

 しかし問わなければならない、知らなければいけない、この悪鬼の企みを阻止するためにも。


「……貴様は……その研究成果をもって何を成そうとしている……」


 尚斗の質問に天邪鬼はニヤリと顔を歪める、その表情は醜悪で寒気のするものであった。   


「ここまで話せば想像はつくのではないかね?私は長年生きていく中で多くの人間を唆し、また自らが人に化け世間をかき回してきた。しかしもうそれにも飽きてしまったのだ、ワンパターンは長続きしないってね。なので新しい遊びを思いついたのだよ。この研究成果をもってすれば現世に漂う多くの魂を意のままに操れる。警察官の体に犯罪者の魂を入れてみようか?最高権力者の体に戦争が大好きな独裁者の魂を入れてみるのもおもしろい。隣人が、恋人が、家族が信用のならないものに置き換わる瞬間を想像しただけで心が躍る。憑依した魂をポートとして使えば楽に人に入り込めることもわかった。今までは殺した人間の皮を被ることでしか人に化けることができなかったが、これからは人間そのものの体を手に入れることが簡単にできるのだよ、まさに棚から牡丹餅というやつだな。素晴らしいとは思わんかね?」


「思わんな、この悪鬼が。案の定碌でもない思考を持っていやがった。七百年も生きたんだ、もういいだろう。さっさと滅せよ」


 天邪鬼の悍ましい考えについに尚斗の口調が本来のものへと戻ってしまった。


「ははは、私は死ぬつもりはないよ。探究者なのだ、研究ができなくなっては困るな。そもそもどうすると言うのだい?退路は絶った、君達は人質を見殺しにもできない、更に悲報だ。……私は鬼を無限に呼び寄せることができる。八方塞がりというやつではないかね?」

「っ……」


 尚斗が言葉に詰まるのも仕方がない、実際天邪鬼の言う通りなのだ。

 今はまだ対処ができている、しかし無限に沸く鬼を斃し続けることなど不可能であるし、かと言って一般人を見殺しにすることなぞ到底できない。

 悔しいが今は天邪鬼の遊びに付き合うしかないのだ。


「さて続きと行こうか、人間の限界を私に見せてくれたまえ」


 その言葉と共にまたゲームが始まる、どちらが先に根を上げるかのデスゲームが。

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