第59話

 舞が語った老人に対しての印象、それは尚斗からしてみると得心のいくものであったみたいだ。

 「人間ではないかも」と零した尚斗の言葉に反応したのは美詞であった。


「神耶さん、人間ではないというのはどういうことでしょうか?」

「人が魂に干渉できる術はそう多くはありません。人が神秘を研究して長いこと経ちますが、それでもあまり進歩しませんでした。人の身体に無理やり魂を詰め込むことは理論上できないことはないでしょう。ですが完全適合に近い形で人為的に憑依させる術など人の手に余る行為です。まさに『人ならざる者の仕業』と片付けるのが妥当であり建設的な考えと言えます。舞さん、確か近藤芽衣さんの魂は既にいないとおっしゃいましたね?それはどうしてですか?」

「私が芽衣さんの身体に入り最初うまく動かすことができなかった時です。おじいさんが『この体の持ち主が抵抗している、自分が抑えてやるからそのまま生活を送ればいい。自由に動かせるようになればもう本来の持ち主の魂は体を取り返せず消滅していくだろう』と言ってましたので」


 舞のその言葉にショックを受けたのは恵であった。


「そんな……!ならもう芽衣は戻らないの?私の娘は!?」


 軽くパニックになり頭を振り乱しながら蹲ってしまった。

 隣についていた美詞が落ち着くよう宥めているが声が届いているようには思えなかった。

 助けを求めるように尚斗のほうに目線をやると、それに答えるように尚斗が恵に声をかける。


「落ち着いてください近藤さん。確証はありませんが芽衣さんの魂は無事であると思います。本人の魂が居なければ舞さんが憑依し続けることなんてできないはずなんです。いくら親和性が高いと言えそう簡単に定着するとは思えません、恐らく肉体と舞さんの魂を接続するための核に使われているか奥底に封じ込められている可能性があります。舞さんを除霊した後で芽衣さんの魂を診てみましょう」


 こうは言ったが尚斗自身も確証を得ているわけではない、実際のところは既に芽衣の魂が消滅してしまっている可能性も高いと見ているが、一縷の望みにかけ希望を残す発言をする。

 無事という言葉が恵に届いたのか髪を振り乱す行為は収まったみたいであるが、それでも精神的に追い詰められてきているのか尚斗を見上げた目の焦点が合っていない。


「さて、近藤さんも娘さんのことが心配でならないようでありますし聞きたいことも聞けました。そろそろあなたを天に還したいと思うのですがよろしいですか?」

「あ、あの……もう少しだけでも!……いえ、そんな権利ないんですよね……すみません神耶さん、お願いします」


 既に諦めたかのように全身から力が抜け天を仰いだ舞に亮太が寄り添う。


「舞、あっちで待っててくれ。次に会うときはしわくちゃになっちゃってるだろうがそれでも君は待っててくれるかな?」

「……ふんっ!わたしの後を追ってきたら承知しないんだからっ……しっかり寿命を全うしなさい!……ごめん、うそ……ほんとは……グスッ……亮太を残してなんてっ、いきたく……ない。スンッ……ずっと一緒にいたい……でもそれ以上に亮太には幸せになってほしいから。特別に新しい女を作っても許してあげる。その代わり死んでこっちに来たらあなたのすべてをよこしなさい!」

「物騒だなぁ……心配しなくても君をずっと想いながら過ごすよ。今更君以外の人を愛せる自信なんてないさ」

「……ありがと……嘘でも安心した。……それじゃ……バイバイだね。神耶さん、お願いします」


 舞の言葉に応じるように尚斗が傍に寄り術の準備に入った。

 最後に今まで迷惑をかけた……娘の身体を散々利用してしまった親である恵に謝罪したく顔を向けるが思いなおる。

 舞を見つめる……いや、睨みつけるその目からは憎しみしか感じられない。

 今更舞がなにを言ったところで和解もできないのは目に見えている、それだけのことをしてしまった自覚はある……そう感じ恵に会釈をするに留めた。


「では始めましょう。心配しなくてもすぐに終わります。舞さん、自身が成仏することを祈っていてください、あとはこちらでやりますので」


 前置きを挟むと尚斗は両手で印を結び真言を唱えだした。


「オン アミリタ テイセイ カラ ウン 現世に彷徨えるこの者の魂を天へ導き給え」


 その言葉と同時に近藤芽衣の身体から舞の魂が昇るように光の粒が立ち昇り始めた。

 本来ならば人の形を象るであろうその光は、消耗しきっていることから細かくばらけ像を結ぶことなく天高く昇っていく。

 その光景に尚斗がぼそりと「もう限界が近かったか……」と呟く言葉を聞いた亮太は、舞を成仏させようとした判断は間違っていなかったと自身を無理やり納得させる。

 像すら結ぶことのできなかった魂の残滓がそっと亮太の頬を撫でていくように過ぎていく中で温かいものを感じることができたのは、きっとそんな亮太を慮った舞の仕業だろうか。 

 光が消えていくと芽衣の身体がガクリと力が抜けたように倒れかかるのを支えながら亮太が尚斗に尋ねた。


「舞は……無事逝けたでしょうか?」

「ええ、大丈夫ですよ。無事御仏の下へ向かったことでしょう。これからは墓前にてしっかり供養してあげてください。それが残された者が死者にできる唯一のことですから」

「はい……神耶さん、ほんとうにありがとうございました……」


 二人の会話を聞いていた恵が美詞に支えられながらふらふらと芽衣のほうへ近寄っていく。

 

「芽衣……芽衣……芽衣!」


 自身の思い通りに動かない体に檄を入れ、支える美詞の腕をほどき、もつれそうになる足に力を入れながら小走りで芽衣の元にたどり着くとガシッと芽衣の身体を抱きしめた。

 それまで芽衣の身体を支えていた亮太は恵へとバトンタッチするかのように空気を読みその場から少し離れる。


「芽衣!芽衣!」


 必死に呼びかけながら芽衣の身体をゆする恵を見て尚斗がストップをかける。


「近藤さん、彼女の身体も魂も疲弊しきっています。少し落ち着きましょう。今から芽衣さんの魂が無事かも含めて一度調べてみ……おや?」


 尚斗の言葉は途中で途切れることになる。

 体をゆすられた芽衣が眠りから覚めるかのように睫毛を震わせながら薄く目を開けたからだ。

 焦点の合っていないであろうその瞳が目の前にいた恵を認識したところで芽衣の口が開いた。


「“ママ”、い……たいよ」

「芽衣!目が覚めたのね!よかった……ほんとうによかったっ!!」


 以前の呼び方に戻っている娘の声に涙を滲ませながら、更に強く芽衣の身体を抱きしめる恵に抗議の声がか細く上がる。


「いたい……ってばぁ。病み上がりなんだからもっと優しくしてよ……」

「あ、ごめんなさい。大丈夫?痛いところはない?」


 先ほどまで芽衣の身体に起きていた症状を思い出し、体をぺたぺたと触りながら確認していく母親の姿に更に芽衣から非難の声が上がる。


「大丈夫だよ。体は動かしにくいけど痛くはないから。ちょっとくすぐったいよぉ」


 本人が言うように黒ずんで壊死しかかっていた四肢は黒みがだいぶ引いているように見える。

 舞の魂が抜けたことにより尚斗が言った通り芽衣の身体は復調に向かっているようだ。


「芽衣さんの魂も無事だったようですね。体も先ほどに比べだいぶマシになってきています。動かせるようになるのもそう遠くはないでしょう」


 尚斗の見解を聞いた恵が安心したように一息つくと尚斗に向き直った。


「ありがとうございました、神耶さん、ほんとうにありがとうございます」

「いえ、礼には及びません。実際私ができたことは少なかったですから。さて、念のため不具合がないか診てみましょう」


 車椅子に座る芽衣の膝の上にお札を置き霊力を流していく。

 芽衣の魂が体に無事定着しているか、魂の欠損等がないかを調べるための術式を走らせ……


 バチッ!


「いたっ!」


 芽衣の身体がなにかに弾かれるように跳ね上がる。

 その現象に驚愕したのは尚斗だ。


「な、なんだ……ただの探知術だぞ。なぜ弾かれるんだ……」


 そこまで声に出しなにかに気づいたのか、尚斗は恵の手を掴み後方に飛びずさる。


「か、神耶さん。どうしたんですか?芽衣は……どうしたんですか?」

「おかしい……魂を覗くためのただの探知術が弾かれています。芽衣さんはただの一般人なはず、術を弾くなんてできる訳がない。まだ……なにかあるというのか?」

「あれは芽衣です!変わってしまう以前のあの子です。きっとなにかの間違いです!」


 わざわざ距離をとったにも関わらず弾かれたようにまた尚斗の腕をすり抜け芽衣の元に走り寄ってしまった恵。

 

「近藤さん!今彼女に近寄ってはだめだ!彼女の身になにかが起こっている、危険だ!」


 尚斗の制止を聞かず芽衣に駆け寄ると、膝の上でバチバチと鳴る札を手に取り払いのけてしまった。


「大丈夫?芽衣、もう大丈夫だからね」

「ありがとうママ、痛かったよぉ」


 車椅子に座る芽衣の頭を掻き抱き撫でている恵を鋭い目つきで見守る尚斗。


「近藤さん、もう一度言う。“それ”から離れるんだ。それは近藤芽衣を擬態している別の者な可能性がある」

「神耶さん……あなたには感謝をしています。でも、この子は私が守ってあげないと……なにもできなかったんです、もう後悔はしたくありません。私がこの子を信じてあげないと……」


 その言葉を隣で聞いていた芽衣が涙ぐみながら恵に抱き着いた。


「ままぁ……わたしのことを信じてくれてありがとぉ……


         ……でも――」


 涙ぐみながら抱き着いていた芽衣の口元が怪しく歪む。


「――信じないほうがよかったかな?」


「え?」


 娘の口から出てきた言葉に一瞬固まった後、娘の顔を見ようと顔を動かしたところで首元になにかヒヤリとする感触がした。

 恐る恐るそちらのほうに目線だけ下げてみると、芽衣の五指から長く伸びた黒く鋭い爪が恵の喉を切り裂かんと添えられていた。

 それに気づいた尚斗が真っ先に助けに入るべく駆け出した瞬間に、今まで車いすに座っていた芽衣が車いすを弾き飛ばし恵を抱えたまま大きく後方へ跳ぶ。


「おっと、それ以上近寄らないでもらおうかな?こいつがどうなってもいいのかい?」


 声は芽衣のものだ、しかし口調は明らかに別物であった。

 信じられないものを見たかのように驚愕の色のまま固まってしまった恵と、忌々し気な顔で芽衣を睨みつける尚斗。


「くそっ!……そうか、“逃げた”のではなく“潜んで”いたんだな、近藤芽衣の中に」

「わかったかね?なかなか状況判断が早いじゃないか。君が悪いのだよ?この魂を暴こうとしなければ犠牲者は出ずに済んだものを」


 両足で立っている芽衣の姿は先ほどまで四肢が満足に動かせなかったそれではなかった。

 首に凶器を突き付けられたまま震える声で恵が隣の芽衣に声をかける。


「芽衣ちゃん……どうしちゃったの?ママがわからない?お願い、冗談よね?驚かそうとしているだけだよね?さっきまでのあなたはどこに行ったの?」

「哀れなものだ、娘のフリをしてやれば簡単に騙される。ねぇ?ママ、ママって昔から単純だもん」


 話の途中から口調を変え、芽衣として振舞うソレの内容は明らかに芽衣の記憶を持っているかのようである。

 尚斗はそこからある可能性を導き出した。


「貴様……“喰った”な?」

「くふふ、そういうことだぁ」


 その返答に尚斗はぎりっと歯を食いしばった。

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