第57話

 車椅子に座る芽衣の前にはペテン師、もとい神耶尚斗が立ちふさがり。

 少し離れたところで美詞に支えられるような形で母親である恵がこちらを窺っている。


「……だれよそれ……私は近藤芽衣よ、そんな人知らないわ」

「おや、今の驚いた表情だけで十分だと思いましたが。よろしいでしょう、あなたに起こった現象を整理するためにも一から説明していきましょう」


 辛うじて反論してみせた芽衣……いや「舞」であるがそれは自分の首を絞める行為でしかなかった。


「今から約半年前、ある事故が起こりました。東京都世田谷区で78歳男性が運転するトラックの、アクセルとブレーキの踏み間違いと思われる暴走により5人の者が被害に遭いました。幸い4人は命を取り留めたものの暴走車が最後に衝突し壁に挟まれた1人は死亡しております。死亡した被害者の名前は『立花舞(たちばな まい)』、新宿にある株式会社フトゥルムの総務課に勤務する会社員の当時23歳。かなりの速度で正面から衝突するも体のどこかが車に引っかかったのか、弾き飛ばさることなく壁に衝突するまで引きずられた後に、壁とトラックに挟まれ凄惨な状態だったとのことです。救急車が到着するころには既に死亡が確認されており加害者男性は容疑を否認し続け今も係争中。さて、ここまでで間違いはありますか?」


 尚斗の説明を聞きギリッと歯を食いしばるように聞いていた舞であったが苦し気な様子で言葉を絞り出す。


「し……らないわね。そんな事故の事……」

「続けましょう」


 そんな舞の様子を気にせず尚斗は話を続けた。


「被害者である立花舞さんには婚約者がいました。西村亮太、同じ会社に勤める26歳の青年です。二人は社内恋愛ということもあり結婚が決まるまでは周囲に感づかれないよう互いに恋人であることを隠しておりました。婚約者を喪った西村さんは当時相当ふさぎこんだようです。会社を休むようになり酒に走っていたことから、同僚の間ではその時初めて立花舞さんと何らかの関係があったのではないかと気づいたようです。同僚の支えもありなんとか出勤できるようになったものの営業成績は落ち、覇気がなく生気の抜けたような様子でしたが3か月前を境に彼は持ち直しました」


 ここで一旦言葉を止め苦々しい表情で尚斗を睨みつける舞に対し、演出をするかのように溜めを作った。


「そう、あなたとの出会いです。近藤芽衣と出会い彼は持ち直しました。あなたの性格や容姿が激変したのも丁度そのころでしたよね?」

「……ええ、そうよ。私は亮太と恋人同士になったのよ、なにもおかしなことなんてないでしょう?恋人によく見てもらいたいんだから変わってなにが悪いの?」

「まぁそのあたりは置いておきましょう。先日ショッピングモールであなたが倒れた際、西村さんはあなたのことを『マイ』と呼んでいました」


 つい先日のことだ。ここから今の状況に繋がったのだから尚斗にとっては渡りに船の出来事だった。


「きっと婚約者と重なったんじゃないかしら?婚約者のことは知らされていたからその人の名前は知っているわ」

「おや……事故に関して惚けていたのに名前は知っているのですね」

「……」

「では食の好みやファッションの好み、容姿や口調まで亡くなった舞さんと同じなのはどうしてでしょう?」

「それはっ……」


 恋人の好みに合わせたと弁明しようにももう難しいところまで舞は追い詰められ言葉が続かなかった。

 車椅子の肘置きに乗せられた手をぎゅっと握りしめようと力を籠めるもすでにそんな力がない。

 この場から逃げ出してしまいたいがもう足は碌に動かない。

 言い訳を考えて必死に頭の中を働かせるが体の痛みでうまくまとまらない。

 精神的にも肉体的にも舞は満身創痍だった。


「芽衣さん、いやここはあえて立花舞さんと呼ばせてもらいましょう。今あなたがおかれている現象になにか気づくことはありませんか?」

「わからないわよ……体のあちこちが痛くて……動かなくて……」

「それがあなたが立花舞であるという証拠になるのですが、今あなたが感じている痛みはあなたが亡くなる直前に受けた事故の痛みです」


 その言葉にハッとなった。


「気づきましたね。衝突の際に両足と右手が砕け、内臓の数か所が破裂しました。引きずられた際に両足がちぎれ壁に挟まれたときに左手と上半身と頭が潰れました……というのが死亡解剖の見解です。魂に刻まれた痛みが今フィードバックされているんです」


 尚斗の説明で思い出した、思い出してしまった。

 唐突に訪れた理不尽な暴力がもたらした衝撃と痛み、なにもわからないまま薄れていく意識と消えゆく命の灯の瞬間までが。


「ぁ……あぁ……ぃや……ぁぁぁぁああああ!!痛い!痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃいいい!」


 開ききった目からは涙が流れ落ち、涎や鼻水をまき散らし自己の身体を掻き抱きながら絶叫する姿は尋常ではない様子を見せている。

 

「舞っ!!!」


 叫びながら暴れたことにより車いすが倒れ放り出された舞に駆け寄る姿があった。


「西村さん、合図があるまで待っているよう伝えたはずですが?」


 そう、この場には西村亮太も呼ばれており尚斗の指示の下隠れて待っていたのだが、舞の尋常ではない様子に我慢ができず飛び出してきたのだ。


「しかし舞が!神耶さん、舞がっ、舞が!」


 舞の身体を抱き上げ尚斗に説明を求めようとするが言葉になっていなかった。


「大丈夫です。魂の親和性がここまで高いとは思っていませんでしたが……」


 舞に歩み寄ると尚斗は懐よりお札を取り出し舞の額にあてる。


「オン バザラ タラマ キリク ソワカ……」


 印を結び真言を唱えると徐々に舞の様子が落ち着いていく。

 まだ息は荒かったが、痛みに叫ぶ様子がなくなったため西村も安堵し改めて尚斗に説明を要求した。


「神耶さん、舞は……大丈夫なのですか?……」

「痛みはシャットアウトされていますが大丈夫とは言えません。彼女の四肢をごらんなさい」


 尚斗の言葉に応じるように手や足に目線を向けると先端のほうから皮膚が黒くなってきている。


「こ、これは一体……どういうことですか?」

「壊死を起こし始めています。彼女は死の直前両足を失い、手や内臓を壊しています。幻肢痛という病をご存じですか?その逆の症状が彼女には起こっているのです。ノーシーボ効果に近いですが名づけるなら『逆流性幻肢痛症候群』といったところでしょうか」


 戦争を体験した兵士に多く現れた症状として有名な幻肢痛。

 既に失った足や手に痛みを感じる症状であり、脳が不具合を起こしているから等の説があるがそれとは逆に舞が体験した魂の記憶が今芽衣の身体に表面化し始めている。

 熱いと思い込まされた常温の鉄棒で火傷をしてしまうノーシーボ効果のように、魂が発する痛みにより実際に体がその魂の実体験に追いつこうとしているのだ。 


 その説明を聞いていた恵と美詞も尚斗の傍によってきた。

 娘の身体が心配になった恵が尚斗に問いかける。


「芽衣の身体は大丈夫なのですか?壊死したら芽衣の足は……」

「ええ……このままですと危険ですね。今立花舞さんの魂の記憶が芽衣さんの身体を浸食しているのです。立花舞さんは死に至る負傷をしておりますので浸食が進みますと、やがて芽衣さんの身体も耐えきれず朽ち果てるでしょう」

「そんなっ!芽衣はどうなってしまうのですか!?助からないんですか!?」

「落ち着いてください。時間に猶予がないわけではありませんし舞さんの件をどうにかできれば身体は復調に向かうはずです」


 人に憑りついた怨霊による被害でこういった事例は過去にもあったのだが、ここまで顕著なものは初めてであった。

 芽衣の身体と舞の魂、舞が日常生活を普通に送っていたことから親和性が高いとは思っていたがあまりにも高いことによる弊害がでていた。


「さて、立花舞さん。あなたに聞かなければいけないことがあります。あなたはなぜここまで親和性の高い肉体を見付けることができたのですか?怨霊にもなっていないあなたが本能で見付けたとは到底思えない、なにか切欠があったはずです。良心が残っているのならば答えてくださいますか?」


 亮太の手を借り改めて車椅子に座り直した舞が疲れた顔を俯かせながら「……良心?……」と小声で呟く。


「良心ってどういうことよ……まるで人を犯罪者のように扱うのね……」


 俯かせた顔を持ち上げると尚斗を睨みつけながら吐き出すように文句を言う。


「自覚がなかったのですか?あなたが行ったことは近藤芽衣さんの肉体を奪い、今もなお芽衣さんの人生を奪い続けている。直ちにあなたを除霊し排除することもできるのですがそれがお望みで?」

「いやよ!せっかく生き返ったのよ!?私は死にたくなかった……結婚も間近で今から幸せな人生がスタートすると思っていたのに、なんであんな理不尽な死に方しなきゃいけないのよ!やっとまた亮太と一緒になれたのに引き離すなんて酷いじゃない!」


 舞が口から吐き出していく言葉はすべて自己中心的なひどい言い分だ。

 その言い分を聞いていた尚斗と美詞は呆れたが、それ以上にその発言を許せない人物がいた。


「ふざけないで!!私の、私の娘を返して!!あなたの事情なんて知らないわ、たった一人の大切な娘なのよ?あなた親から子供を奪っておいてよくそんな言葉を吐けたわね!」


 母親のすごい剣幕に気圧され身を縮こますが、それでも自己の持論を曲げようとはしなかった。


「うるさいうるさいうるさい!もうこの体は私のものなの、娘の魂は『いない』んだから諦めなさいよ!」


 その言葉に尚斗は違和感を感じた。


「…いない?眠っているのではなくて?舞さん、本来憑依したからと言って持ち主の魂が消滅することはありません。あなたは一体何の根拠があって『いない』と言っているのですか?」

「おじいさんがそう言ってたからよ!」


 聞き捨てのならない人物が挙がってきた。

 心当たりはない、しかし確実に「おじいさん」たる人物がこの事件に関わりがあるということが判明した。


  

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