第33話

 都内の霊脈の強い土地である九段下、その一角に協会の本部は置かれていた。

 外観は典型的な地方役所をモデルにしたような、上にではなく横に大きい建物となっている。

 都内にこれだけの土地を確保できるのも協会の権力の強さを誇示しているようでもあった。

 主に裏で活動する退魔師がなぜ堂々と目立つような場所に大きな本部を置けているかと言うと、実際のところは表立って退魔師協会の本部として名を掲げていないからである。

 そもそもいくら協会だからと言って庁舎のような広さは必要ないのだ、協会の活動を支える部署は現建物の一角分のスペースがあれば事足りる。

 ならば他のスペースをどう利用しているかというと古来よりの有力退魔氏族の都内拠点としてオフィスが入っており、まさに企業を多数内包するオフィスビルのような扱いとなっていた。

 ビルに訪れる者は関係者のみ、一般人が間違って入ってきても受付で弾かれるためカモフラージュは出来ているようだ。

 そんなビルの前で尚斗と美詞は建物を見上げていた。


「私、本部に来るのは初めてなんですがこんなに大きかったんですね」

「ええ、ただまぁそのほとんどは有力氏族の拠点として利用してまして、ビルに詰めている人自体は規模に比べて少ないのでまさにムダの一言ですね……さて、あまり気乗りはしませんが行きますか」


 二人が連れ立って自動ドアをくぐり入口で受付の前に立つ。


「本日10時より予定の入っております神耶ですが、どちらに向かえばいいですか?」


 協会会員証を提示しながら要件を伝えると受付の女性が「少々お待ちください」と言い手元のパソコンを操作しだした。


「神耶様ですね、5階応接室№1に通すよう言付かっております。場所はご存じでしょうか?」

「ええ、大丈夫です」


 そう返事を返し向かった応接室の前では、スーツをきっちり着こなした職員が立っており尚斗達に気づくと一礼した。


「神耶様でございますね、理事より案内を任されております。こちらへどうぞ」


 そう言い目的と思われた応接室を素通りし別の場所へと案内される。


(へぇ、用心深いことだ。さすがは代議士といったところかな)


「こちらの部屋でお待ちください、間もなくいらっしゃいます」


 通された部屋は先ほど受付で指示された部屋とは違う応接室で、恐らく内部工作のためであろう。

 構わず通された部屋のソファーに座り待っていると、ノックもされずに扉が開きズカズカと三人ほど入ってきた。

 肥え太ったスーツ姿の老年に差し掛かるかどうかのギリギリ中年と呼べそうな男と、まだ若い勝気な表情を浮かべた学生と思われる男が無遠慮にドカッとソファーに腰を下ろした。

 もう一人の神経質そうな表情を顔に滲ませた男性はその二人の後ろで控えこちらの様子を窺っている。

 座った二人は恐らく理事である東郷弘信(とうごう ひろのぶ)とその息子である美詞の言っていた東郷亮介(とうごう りょうすけ)、後ろに控えているのは護衛か?

 尚斗が入ってきた人間の観察をしていると挨拶もなしに東郷父がしゃべりだした。


「ほぉ、この娘がお前の言っていた桜井の候補者か。なかなかよさそうな娘ではないか」

「だろう?ボクの妻として迎え入れるに相応しいと思わない?」


 不躾で遠慮のない品定めをするような視線に、美詞は背中からぞわっとするような悪寒に襲われ顔を顰めそうになるもぐっとこらえる。

 尚斗はそんな視線から自分に注意を反らすべく二人に対し言葉を投げかけた。


「挨拶もなしに隠すこともなく女性の品定めとは品性の欠片もありませんね」

 

 その思惑はうまくいったようで東郷親子は尚斗を睨みつけてきた。


「フン、犬がうるさいわい。まぁいい、ワシの時間は貴重なんだ、さっそく本題に入ろうか。単刀直入に神耶尚斗、桜井の娘との徒弟をこの場で解消しろ」

「お断りします」


 一寸の間もおかずに被せるような即断で拒絶の言葉をたたきつける。


「貴様はワシに向かいなにをほざいとるか解っとるのか?この東郷に歯向かうということなのだぞ?」

「それがどうかしましたか?徒弟は美詞君の意思であり桜井家の承認によるものです。私が責任をもって導きますのでどうぞお引き下がりください」

「おまえのような出来損ないの犬になにができる?ここは大人しくワシに任せておけ。東郷から優秀な者をつけようというのだ、その娘にとっても悪い話ではあるまい」

「いえ、必要ありません。そもそも東郷家は真言宗でしょうに、神道の巫女に何を教えるというのです。勘違いも甚だしい」

「さっきからおまえ!ボクのパパになんて態度だ!ドッグが生意気だぞ!」


 立ち上がり荒立てる東郷息子を父が手で制す姿を見て尚斗が更に煽る。


「おやおや、東郷家も息子の教育がなってませんね。その選民思想と権力を振りかざす様は一体誰に似たのでしょうね」

「フンッ煽りよるわ。貴様なぞいつでも消せるのだぞ?言葉には気を付けることだな」

「すみませんね、気を付けようにもフィルターもオブラートも切らしておりまして。なんですか?権力で私を葬り去りますか?どんな手を使うと?」

「言質を取ろうとしても無駄よ、この部屋は一切の録画録音等できなくなっている。例え今この場で貴様をどうこうしようともまったく問題ないのだよ」

「ほぉ……」


 東郷父の言葉に尚斗は懐からなにかを取り出そうとすると東郷の後ろに立っていた男が身構えるのが見えた。

 しかしそれを意に介さず取り出したのはボイスレコーダーだった。

 その場で録音ボタンを一旦とめ再生を押すと、確かになんの音も録音がされていなかった。


「なるほど、確かに特殊な結界が施されているようですね、実に興味深い」

「余裕ぶっているのも今のうちだぞ?さて、最終通告だ。ワシにその娘を渡せ」

「断る、そう言ったはずですよ?」


 尚斗の二度にわたる拒絶の意にまた息子が怒鳴り散らす。


「こちらが優しくしていれば付けあがりやがって!美詞さん、君はボクの下にくるべきだ。こんな出来損ないのどこがいいんだい!」


 東郷息子の言葉に今まで黙っていた美詞からなにかが切れた音が聞こえたような気がした。


「さきほどから聞いていれば神耶さんのことを散々乏して……いい加減にしてください!私は何を言われても神耶さんから離れるつもりはありません!そもそも気持ち悪いんです、名前で呼ぶことを許した覚えもありません。目線が嫌らしいし、性格がひん曲がっているしあなたのすべてが生理的に受け付けません。同じ空気を吸っていることすら吐き気を催します」

「なっ……な、な……んだ……とぉ!調子に乗りやがって……決めたぞ!おまえはボクが徹底的に調教してやる!ボクなしでは生きていけない体にしてやるからなぁぁ!」

「汚らわしい!存在自体が穢れていますね、なんと言おうともあなたの下になぞ行きません!」


 学生二人のやり取りを好きにさせていた東郷父が息子に向かって言葉をはさむ。


「なかなか気が強い娘のようだ。しかしその態度はいただけんな、時間をかけてしっかり躾けてやろう。さて、寛大なワシの忠告を無碍にしたのだから覚悟はできているんだろう?少々手荒なことになるぞ?」

「寛大?ジオラマ世界の尺度で語られても困りますね、現実世界では狭小と言うのですよ?そもそも桜井家に喧嘩を売るつもりのようですが理解されてますか?」

「貴様こそ理解ができてないようだな、この部屋で起こることは秘匿される。桜井の小娘一人ぐらいどうとでもなるわい」

「パパ!やっちゃって!!」


 息子の掛け声に父が手印を切り始めた。


「ノウマク サンマンダ バザラ ダン センダ マカロシャダ―」


「遅い」


 東郷父が唱えだした真言に尚斗が刀印を一閃すると練り集めていた霊力が霧散した。

 その一瞬の出来事に理解が追いつかないのか東郷父と息子が固まった。


「なにを呑気に敵の前で長ったらしい真言を唱えてるんです?もう少し早く唱えなさい」


 固まった東郷親子の姿に呆れたように溜息を吐いた尚斗。

 そこに再起動した東郷父が慌てたように尚斗に怒鳴り散らした。


「な……な……なな何をしたキサマ!」

 

 その言葉に更に溜息を吐くと期待はずれな視線を送りながら答えることにした。


「なにってただの術式解除ですよ?そう難しくない術でしょうに何を言ってるのですか?」

「そんなことを言ってるのではない!この部屋では許可した人間しか術を行使できないはずだ!貴様が術を行使できるはずがないのだ!」

「おや?そうなのですか?できちゃいましたねぇ、なんででしょうねぇ。あぁ!もしかしてこの古臭い結界のことですか?」


 そう言うや否や尚斗がパチンと指を弾くと部屋の四隅からボッっと火が生まれる。

 火はなにもない空中を燃やしたようにも見えたが、しっかり燃えカスが出ていることから四隅に隠ぺい術で結界符が貼られていたようだ。

 その光景に更に唖然としたのは東郷父である。


「ば……ばかな、我が東郷家に代々伝わる秘術結界符だぞ!貴様のような出来損ないが一体どんな裏技を使った!?」

「ぷっ、これが秘術?東郷家の衰退は思ったより早かったのですね……いえむしろこの程度だったので方位を降ろされましたか」

「我が東郷家をコケにするとはいい度胸だ!出来損ないがたまたま結界を破った程度で増長しおって!」


 自信のあった結界術を打ち破られたことに動揺の色が隠せない東郷父であったが、すぐ怒りに顔を染め懐から札を取り出し次の手を打ってくる。


「符術執行!天道獄炎!」


 たちまち構えた札から火炎放射器のように炎が吐き出されるが


「オン マヤラギラン デイ ソワカ」


 尚斗が片手で手印を結び、聞き取れないほどの速さで唱えられた真言により力を纏わせた左手を軽く横に払う。

 たったそれだけのアクションで迫りくる炎はまるで蝋燭の火を吹き消されるようにボワっと散らされた。

 払った手に少し火が飛び移っていたのであろう、ペッペッと軽くはたくとまた息を吸うように煽りだす。


「これが天道?獄炎?大層な名前の割には火炎瓶のほうがまだマシな火を生みますね。今のもご先祖様の符でしょうか、起動速度は褒められたものがありますが行使する人間のせいでしょうかねぇ、名前負けしてますよ?」

「な、なぜ我が術を防げるのだ……しかも今のは陰陽術での真言ではなかった。神耶家は陰陽師を輩出していただろうが!」


 陰陽道

 古代中国の思想である陰陽五行説を基に形成された俗信……というのが一般向けにも広く知られている説明なのだが、仏教や道教から多くの影響を受け主に『易』と称する占いや祭事を行う方術が起源となっている。

 もちろん退魔師と呼ばれるからには退魔の術を発展させてゆき仏教や神道からも真言等多くを取り入れることになったのだが、『宗教』とは決定的な違いがあった。


 「今の術は明らかに信仰の籠もった真言であった!なぜ陰陽師の貴様が!」


 そう、陰陽道はあくまで学問である。

 仏教や神道、キリスト教のように霊力等から信仰心にアプローチをかけ術を構成するのではなく、単純に霊力のみのアプローチにより術の構成を把握、起動しているに過ぎない。


「おや、さすがに術の理を読み取れるだけの力はありましたか」


 なので陰陽師である尚斗が信仰心の込められた真言術を行使するのが信じられなかったのだろう。


「そんなの努力したからですよ。自分が理解できないことを人に押し付けないでください。これでもしっかり真言宗の僧籍をいただいております」

「くっ……!まだだ!東郷家の盟約に従いその力を希う、出で座せい!」


 性懲りもなく懐から符を取り出したが、先ほどまでと違う大きめのその符と起動ワードを聞き尚斗の眉が上がった。


「おや、召喚は陰陽師のお家芸かと思いましたが……歴史のある家は興味深いものが多い」

「そう余裕を見せれるのも今だけだ、この符の中身は東郷家が苦労し盟約を交わした妖と聞いておる。観念するのだな」


 両者の間にある応接テーブルをガンっと舞い上げるように押しのけ、地面から這い出てきたのは鈍色の肌に鋼のような筋肉を纏い、体の所々に武将が着込むような甲冑を拵えているその巨体。

 口から見える大きな牙に頭から生える二本の角、耳は尖りその鋭い眼球は威圧を高め射貫くように睨みつけてくる。

 古来より多くの物語でも登場し、だれもが見ただけでその存在の名を言えるであろうというその姿……まさに「鬼」の姿がそこにあった。

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