第34話

 目の前に凶悪な妖の代名詞とも言えるような存在が出現したにもかかわらず、尚斗はソファーから立ち上がることすらなくただ眺めているだけだ。

 それもそのはず


「どうにかならなかったのですか?召喚する場所を選びましょうよ」


 そう、その鬼の巨体はゆうに三メートル近くある。

 そしてここはオフィスビルの応接室。

 天井高など知れている。

 召喚された鬼も背を丸め窮屈そうにし、立ち上がることすらままならなくなっていた。

 右手に持った金棒も身を支えるための杖にしかできていない。

 東郷のご先祖様もよもや未来の住宅事情等勘案できるわけもなく、まさかこんな狭い部屋で呼び出すために託したものではなかっただろう。 

 

尚斗と鬼の目が合った。


「そう怨めしい目で見ないでください、呼んだのは私じゃありませんよ。そこのところどうなのです?」

「う、うるさい!ワシも鬼が封じられているとは知らなんだ!まぁよい、部屋を壊されると事が露見する。鬼よ、注意しつつ目の前の小僧を叩き潰せ!」


 命令を受けた鬼が「え、本気で言ってんのかコイツ?」という驚きの表情を浮かべるが溜息を吐き尚斗に向き直った。

 なかなか表情豊かな妖である。


「あなたも大変ですね、契約者がハズレなばかりに……しかし暴れられても困りますので少しじっとしててくださいね。戒めを枷を 急急如律令【握縛金相】」


 狭い部屋ゆえ機敏な動きができない鬼はすぐに術にからめとられ金縛りにでもあったかのように身動きがとれなくなってしまった。


「な、なにをやっておる!そんな出来損ないの小僧の術なぞにかかりおって!さっさと術を引きちぎるのだ!」


 いとも簡単に動きを封じられた鬼の姿が信じられないのか無茶なオーダーを出すも、鬼はいくらもがこうが戒めを解けるような気配がない。


「すみませんね、茶番に巻き込んでしまって。あなたからはあまり邪悪な念が見受けられないので今回はそのまま還ってください、次の契約者は良き方と巡り合えるようお祈り申し上げます。【式神送還】」


 尚斗が鬼の腕に手をあて一言呟くと光に包まれ鬼が消えていった。


「わ……ワシの……東郷の切り札が……」


 鬼が消えると符からは力が消え失せうんともすんとも言わなくなる。

 東郷父が口をパクパクしながらわなわなと身を震わせていた。

それもそうだ、召喚した式神が他人に送還される、それは術式を読み取り上書きするという無謀極まりないこと。

それを一瞬でやってしまったのだから力の差は歴然。

 隣で事の経緯を見守っていた東郷息子も、想定していた事態とは到底違う流れになっていることにオロオロするばかりだ。

 なんとか精神的に持ち直した東郷父が再度キッと尚斗を睨みつけると吠える。


「あまり使いたくなかったがこうなれば仕方あるまい!服部、許可を出すやれ!」

「畏まりました、対象は両方ですね?」


 東郷父の命令により背後に控えていた男が初めて声をあげ前に進み出る。

 尚斗はそんな男を訝し気に見やった。

 いわゆる強者としての気配がないのだ、気配を隠している線も考えられるがそれにしては重心の運びや動きが素人。

 そこらにいるサラリーマンと言われても違和感のない様子にむしろこれが隠形と言うのなら相当な技術だろう。

 そんな人間が尚斗の実力に臆することなくゆったり向かってくるのは不気味でしかない。


「さて、あんたたち二人にはこれと言って恨みはないがこれも仕事なんでね、悪く思わないでくれよ?」


 服部と呼ばれた男がそう尚斗と美詞に告げると呪文を唱えだした。

 唱えられている呪文は小声すぎて聞き取れないが尚斗には馴染みのある力の波動が感じ取れた。


「おや?おやおやおや、忌々しい気配を感じますね……これは悪魔の術?」

「知っていたか、だが知ったからと言ってどうもできんよ。もう術は完成した【精神掌握(グラスプ)】!」


 尚斗は素早く美詞を自分の背後に庇うと左手を正面に向ける。

 服部の体から噴き出した煙が両名を覆い尽くさんと殺到し、たちまち二人の姿は煙で見えなくなってしまった。


「は、はは、ふははは!初めからこうしておけばよかったわ!貴重な霊具を消耗してしまったがこれで桜井の小娘を意のままに操ることができたのなら上出来だろう。あの忌々しいババアに刺客として送り込んでもいいな。おい服部、二人に東郷への絶対忠誠を誓わせろ」

「はっ、畏まりました」


 術の発動時間が終わりを告げ、霧が晴れるかのように煙がなくなっていくと煙に覆われる前のままの二人が佇んでいた。

 何の警戒心もなく尚斗と美詞に近づく服部は尚斗の目の前までくると


「さぁ神耶尚斗、そして桜井美詞はこれより東郷家に絶対の忠誠を誓うのだ」


「いやですよ」

「死んでもいやです」


「なっ!!」


 服部が聞きたかった返答とはまったく逆の答えが返ってき、驚愕に目が開き体が硬直する。

 次の瞬間にはその隙を狙っていたかのように服部の顔に拳が叩き込まれた。

 情けない声を漏らしながら東郷父の横を通過するように吹っ飛び応接室の壁に激突したところでやっと止まる。

 理解が追いつかない東郷親子は後ろに吹っ飛んでいった服部の姿を目で追い、そしてゆっくり尚斗に視線を戻す。

 本日何度目かの、もう見飽きてしまった信じられないものを見たような表情になると声を震わせ問いただしてきた。


「な……なぜだ……服部の精神支配が破られたことなど一度もなかったのだぞ、なぜ効かん。何をしたんだ小僧!!」

「いいことを聞きましたねぇ、日本では禁術となっている精神支配術を堂々と使ってくるとは。更に余罪もありそうだ。さて、これぐらいでいいでしょうか?後はお願いします」

「貴様、なにを言っている?ワシの質問に答えんか!!」


 そして東郷父のその叫びに答えたのは尚斗ではなく入口のドアが壊れる勢いで開けられた音だった。

 バタンッ!と大きな音と同時に突入してきた多数の人物は武装しており、素早く部屋中に展開すると東郷親子と服部を取り囲んだ。

 いきなりの出来事に狼狽える東郷親子の後ろから特殊部隊員が警告もなく背中から押し倒し拘束してしまう。

 見れば服部のほうも同じように拘束されているが、こちらは尚斗に殴り飛ばされた衝撃からかろくに体を動かせないためほとんど抵抗がなかった。


「パパ!い、痛いよ!助けて!」

「おまえら何者だ!ワシのことを知っての狼藉か!貴様ら全員許さんぞ!」


 床に押し付けられ拘束されて尚も強気でいる東郷父の下に一人の足音が近づいてくる。

 その者に気づいた東郷父が見上げると驚愕に目を開く。


「御堂!貴様ワシに何の真似だ!こんなことをしおってタダで済むと思っておるのか!?」


 特殊部隊員の後に続き入ってきた御堂は東郷父の言葉を受け、彼の前にしゃがみ込むと丁寧に説明を始めた。


「東郷理事、あなたは強迫、略取、殺人未遂で現行犯逮捕だ。併せて第一級禁術指定である精神支配術の行使及び間接正犯の疑いでも罪が問われる。私達はね、隣の部屋で全部見ていたんだよ、あなたの醜態を」

「な、なにを言っておる。この部屋には……」

「ええ、録音録画防止の術が施されているがその術の行使権限を持っているのはあなただけではないのだよ?理事の一人である私も行使できる。あなたは術が作動していると錯覚していたようだが、神耶君がこの部屋に入ってからは既に切ってあったのだ」

「そんなデタラメを抜かすな!現にコイツのレコーダーは……まさか謀ったな!」

「はい、謀りました。あの時再生したのは別の無音のデータです。ちゃんと録音はしております」

「そして私達も隣室でリアルタイムでこちらの方々と見ていたのだよ。声も映像もバッチリだ、観念したまえ」

  

 そこには協会理事長、監査官、政府官僚等もちろん東郷の息のかかっていない人物達が並んでいた。


「御堂貴様!政府の者を協会内に入れるとは気でも狂ったか!」

「それを君が言うのかね?議員との癒着の件も既に調べがついているのだよ。控え目に言って君の社会的地位は破滅だろう。後は取り調べの場で好きなだけ喋ってくれればいい。長い長い尋問になるだろうからね」


 特殊部隊の指揮官だろうか後方から「連行しろ!」という号令と共に東郷親子は連れていかれることになった。

 服部も一緒に連行されようとしていたが、弱弱しい抵抗で足を止めると尚斗に問いかける。

 そしてそれに連れ部屋から出ていこうとしていた東郷親子も足を止めることになる。


「神耶尚斗、なぜだ。なぜオレの術が効かなかった!オレの術は発動していた、今まで失敗したことはないのにだ」

「あなた自分の術の特性も理解していないのですか?あなたの術は黒魔術でしょう、恐らく単体では不安定なため悪魔の術を模倣し組み込んだんだと思いますが、私は対悪魔の専門家ですよ?効くわけないじゃないですか」

「せん……もんか……祓魔師……なのか?」

「本当に知らなかったのですね、先日の学園騒動で既に知れ渡っていると思ったのですが……自意識過剰で恥ずかしい限りです」


 そう言って首から下げたロザリオを胸元から取り出す。


「「「!!!」」」


 東郷親子と服部が驚いた表情で口をパクパクさせていた。


「てっきりあなたの息子から話は行ってるものかと思っていたのですが、脅す相手の情報すらろくに調べもせず仕掛けてくるとは……あぁ、ちなみに念のため私が前に出ましたが美詞君にもその手の術は効きません。桜井の防衛術はそんなに安くない。あなたが相手にしてきたのは自分よりも格下の者ばかりだったのでしょう、残念でしたね」


 悔しそうな表情で身を震わしていたが、諦めがついたのかガクリと力が抜けた服部は今度こそ東郷親子と共に連行されていった。

 そして同席していた方々と今後の件で軽く打ち合わせを行った御堂がこちらに向き直った。


「神耶君、この度は我が協会の者が迷惑をかけた。……と、建前はこれぐらいでいいかな?今回はチャンスを用意してくれてありがとう。ここではなんだ、少し場所を変えてお茶をしながら話でもしないか?もちろんそちらのお嬢さんもね」

「ええ、さすがに協会内はごった返していますでしょうしね。美詞君もいいかな?」

「はい、私ほとんど空気だったのでご一緒してもいいものか恐縮ですが……」

「あの場に同席していただけでも功労者だよ。君の事は静江殿から伺っている、紹介してもらう丁度いい機会だ」

「おや、もう青田買いですか?せめて独り立ちするまでは待ってくださいよ?」

「ははは、わかっているよ。すっかり保護者じゃないか神耶君」


 ボロボロになった応接室を後にし三人は談笑しながら移動を開始した。

 ビル内は特殊部隊の人間が理事を連行したことにより騒然としていたが、当事者達は我関せずとさっさと横切り協会を出ていく姿が他の社員と温度差があり浮いて見えた。

 

 そして話の冒頭に戻る。

 

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