第31話

 尚斗に攻撃を仕掛けたであろう大村の姿は、生前の写真からは似ても似つかないほどの醜悪なものへと変貌していた。


「一人になった退魔師など不意打ちでどうにかできると思いましたか?狡猾な性分は怨霊になってからも変わらないようですね」


 尚斗の言葉を理解しているのかわからないが、それでも怒りの形相をより一層深いものに変えたところを見ると言葉に込められた意味は届いているみたいだ。

 すぐに次の手と直接襲い掛かってくる大村の霊であったが、尚斗は動じることもなくその場に立っているだけだ。


「生まれたての怨霊に私をどうにかできると?見くびられたものだ……苛立たせてくれる」


 ただその表情はいつもの美詞に向ける優しさを滲ませたものではなく能面を張り付けたような無機質なそれ、眼鏡の奥に垣間見える目つきは猛禽のように鋭い。

 両者の距離がゼロになるだろうかと思われた時、光の壁にさえぎられるような形で大村の攻撃が火花を散らしながら弾かれる。


「存外私は怒っているようでね……美詞ちゃんに引っ張られたかな?」


 再度の攻撃が通じないとわかるやすぐ逃げの姿勢に転じようとするも


「逃がすわけないだろう……?【縛】」


 刀印を十字に切り、開いた手をぎゅっとにぎりしめるとそれを合図に大村の霊の四肢が引っ張られるように固定された。


「楽に逝けるとは思わないことだ、キサマにこそ苦痛が相応しい」


 尚斗が大村に次のアクションを起こそうとしたとき玄関の扉が勢いよく開いた。


「神耶さん!!」


 尚斗は勢いよく開けられた玄関口に見えた美詞の姿を確認すると、諦めたかのように目を閉じ、ふぅぅと息を吐き出し元の表情に戻すよう努める。


「……来てしまいましたか。やはり君の感知能力には目を見張るものがあるようです。なぜここへ?」

「勘です!嫌な予感がしました!」

 

 単純で端的なよくわからない理由だ。

 美詞の後ろからは「待ってくれ桜井君!」と焦りながら呼びかける朝倉の声も聞こえてきた。

 恐らく制止を振り切ってきたのだろうか美詞の後を追っかけるようにして部屋に入ってくる朝倉。

 駆け寄ってきた美詞と朝倉が目にしたのは、尚斗の前で動きが取れず空中で拘束されている怨霊の姿。


「大村か!こいつも怨霊になっていたのか!?」


 驚いたように声を上げた朝倉とは対照的に落ち着いた声で美詞が尚斗に問いかける。


「神耶さん、気づかれてたんですね。どうして私達を遠ざけたんですか?」

「……奴は慎重で残忍、狡猾な性格をしています。集団でいる私達の前では徹底的に隠れていましたからね、炙り出したかったんですよ」

「……嘘です。いえ、それだけじゃありませんよね?神耶さんなら強引に引きずり出すぐらいどうってことありませんから」


 尚斗に対して過剰ともいえる評価を下している美詞の言葉に顔が引きつりそうになる。


「美詞君、私にもできないことはたくさんあるのですよ?」

「でもできますよね?」

「……はぁ……降参です。初めての除霊立会でしたからね、事件の経緯はどうであれ『教材』として綺麗に終わることのできた除霊に汚物を付け足したくなかっただけです。デザートの後にゲテモノ料理なんて出されたくないでしょう?」

「でも私のためにここまでしていただいたのですから……最後までやり遂げたいです!」

「正直に言いましょう、私はこの怨霊を許すつもりはありませんでした。苦痛を与え祓う算段でしたがそれでも美詞君がやると?」

「……はい、それでもです」 

「……ほんとに言い出したら聞かないんですから困ります。まぁ、ここまで来てしまったのなら今更ですね。教材の題目を変更しましょうか、『心霊現場での原因はひとつとは限らない』でどうです?」

「はい!ありがとうございます!」


 なにが嬉しいのか最高の笑顔で返事をする美詞に、苦笑気味の尚斗は一歩横にずれ除霊への花道を譲る。

 一度しまったのであろう神楽鈴を再度取り出し、必要のなくなったカバンをまた後ろへ放り投げる。

 だからそれをやめなさいと……後でしっかり言い聞かせようと心に決めた尚斗であった。


 神楽鈴を構えた美詞が大村に向き直ったときにはその雰囲気は一変していた。


「本当は神耶さんに祓っていただいたほうがいいのかもしれません、私が扱う神道の本質は浄化ですから……でも私だってあの人には頭にきてるんです。マキノさんにした仕打ちを考えるととても許せることではありません。烏滸がましい考えではありますが既に法で裁けないのなら……―」


 美詞が鈴を前にもってくると神力を練り始める。

 いつも祝詞を奏上する際の清浄な力ではなく重苦しいような空気が渦巻いている。

 そしてその力は手に持つ神楽鈴を媒体としているのかそちらの方に収束してゆく。

 

「―私が裁く。【魂裂一閃】!」


 力が収束しきった鈴をまるで刀を扱うように両手で持ち、脇構えの姿勢をとるとおもいっきり横水平に振りぬいた。

 鈴を通し力の奔流が目の前の怨霊を名前の通り裂くように通り過ぎていく。

 たちまち怨霊から耳障りな絶叫が響き、収まった後には霊格を大きく損傷させた大村の霊と思われる残骸がグズグズと散りゆく光景だけが残った。

 その光景を見守っていた男性陣は口を大きく開けて放心するばかり。

 冷や汗をかいた尚斗がぽつりと漏らす。 


「あの婆さんなんてもの教えてるんだ……」


 そしてその光景に冷や汗をかいているのは朝倉も同じであった。


「な、尚斗君あれはなんだね?とても穏やかな感じではなかったのだが」

「あー……ここだけの話にしてください。あれは云わば神道での裏の秘術になります。日本の神には二つの側面があるのですが、日本書紀にもあります温和な性質を持った『和魂』と荒々しい側面を持った『荒魂』。その後者の理を用いて攻撃に乗せた術です」

「荒々しい……あぁ、たしかにしっくりくる表現だ。……っと、あぁっ!大丈夫なのかい!?桜井君!」


 朝倉が美詞の手元を見て驚き声をあげる。

 美詞が持っていた神楽鈴が真っ黒になりぷすぷすと煙を出していたからだ。

 一部が崩壊しているようにも見える。


「あ、大丈夫です。こうなるのはわかっていましたから」

「やはりそうなりましたか……体には異常がなさそうですが大丈夫ですか?その術は反動制御が大変なはずです。美詞君、婆様はなんて注意していましたか?」


 尚斗も少々焦った面持ちで尋ねてくるものだから美詞の表情もバツの悪いものへと変わった。


「はい、術具がないと行使できないですし、壊れちゃうのであまり使うなとは言われていたのですが……どうしてもただ浄化するだけでは許せなくて。あっ!大丈夫です、ちゃんと予備の術具は持っていますので。ただ……御婆様のお説教は覚悟します」

「婆様がそう言ってるということは体への反動は制御できているんですね?少し吃驚しました……が、まぁ私もヤツを穏やかな方法で逝かす気はなかったのでなにも言えないですよ」

「これでスッキリしました!ぎゃふんと言わせましたよ!」 

「ぎゃふんどころではない断末魔でしたが」

「桜井君はほんとすごいんだねぇ、おじさん腰抜かすかと思ったよ」

「大げさですよ朝倉さん、私まだ学生なんですよ?」

「美詞君、君の実力は既にそこらの退魔師の水準にあることを自覚しなさい。きっとどこも君の力を欲するでしょうね」

「あ、桜井君が学生の一般的基準じゃないんだね?安心したよ」

「もう、安心したってなんですか!」

 

 朝倉がおどけて見せたのでその場の雰囲気はいっきに和やかなものになったように思われる。

 尚斗の厳しかった表情も、美詞の真剣さを帯びた表情も既に元の柔和なものに戻っていた。


「さて、今度こそ実地研修は終わりですね。少し予定外もありましたが最後は片付けをして引き揚げましょう。先ほどの言葉を撤回するようで申し訳ありませんが手伝っていただけますか?」

「はい、もちろんです!」

「それと美詞君は今後除霊現場に立ち会った内容をレポートとして纏めてください」

「えぇ!?なんか学園みたいです……」

「なにを言ってるんです、学生じゃないですか。それに私も依頼者に対してちゃんと報告するためにレポートを書いているんですよ?必要なスキルなのでこれらも経験だと思って」


 決して学園の成績は悪くなく、むしろ常に上位に位置する優等生ではあるがレポート等の雑務を喜んでやる者は少ないだろう。

 少し元気のない返事で渋々了承する美詞を見て笑い声を上げる中年にまたぷりぷりし出す様子を見ると、この短い間で大分この刑事にも慣れたものだと美詞の親しみやすさを褒めるべきか朝倉の対人能力を褒めるべきが悩みどころであるが、恐らく両方だろうなと結論を出した尚斗。 

 こうして美詞が尚斗に付き従って行った初の除霊は教材の履修完了として危なげなく終わりを迎えるのであった。

 


 ― 数日後


 事務所には朝倉が除霊後の経過を説明しに訪れていた。


「やはり出たよ。あの後オーナーに説明してね、建物竣工時の図面から本物の柱の箇所を割り出した。問題のあった壁は他よりも空洞幅を多めにとって断熱材と防音材が多重に敷き詰められていたよ。なので遺体を隠せるような太い柱を打設できたんだろうね。図面がなければ疑うことはないぐらい自然だった、下地処理までされていたんだ。中から出てきたのはビニールを何重にも重ね密閉されていたご遺体と本人の身元が特定できる所持品」


 パサっと机の上に出された資料からは細かく砕かれたセメントの中から出てきた大きなビニールの塊と財布や携帯等の所持品と思われる写真が載っていた。


「大村本人の所持品からは証拠となるデータをすべて削除していたみたいだが、掘り出された方の携帯からは大村とのやり取りを抜き出せた」

「妙な表現をしますね、彼女の携帯ではないのですか?」

「これが彼女の携帯ではないんだよ、名義は大村だったようだ。まぁこちらが調べた限りの経緯を説明しよう。まずは被害者女性の身元は牧野里奈さん歳は23歳。青森県出身で地元の大学に通っていたそうだ。実家が三河牧野の分家で地元の名士でね、卒業後は地元有力者との婚姻の話が決まっていたみたいだ。そのレールが嫌だったんだろうね、上京して働きたいという彼女を家の恥だと勘当同然で追い出されている。学費や生活費の援助が途切れ、大学も中退しバイトをしながらアパートを借り、一人暮らしをしていたみたいだがそんなときにに大村とネットで知り合ったのだろう。弱っている彼女に付け入り援助を申し出てる。ここから事に及ぶまで大村は実に計画的だった。自分のところに同居するよう提案し、まずバイトは辞めさせ住んでいるアパートを恋人と同居することになったからと解約させた、役所には転出届を出さずにだ。彼女の携帯も解約させ自らのものを与えた。足がつかないよう移動手段は事前に買っておいた新幹線のチケットを郵送している。桜井君の言から上京してすぐに連れ去られているみたいなのでほとんど都内に痕跡が残っていないだろう。半年以上前なのでね当時の監視カメラのデータも残っていなかったよ。遺体の損傷具合から恐らく大村は最初から彼女を殺害するつもりであのマンションに呼んだと思って間違いはない」


 朝倉からの長い説明を聞き美詞が悲痛な面持ちで呟いた。


「そんな……最初から牧野さんを……ひどい」

「大村にはやはり猟奇的な性格的趣向があったのでしょうか?」

「そうかもしれないね。あぁー……少し言いづらいが大村と関係を持った女性たちの証言から、かなりサディスティックな部分はあったとのことだ。部屋から発見できたのは牧野さんだけだが、もしかすると他にもやらかしているかもしれん」

「大村ですが……牧野さんが呪い殺したのは間違いないでしょう。そんな猟奇的な人間でしたら怨霊に転化するのも実に早かったかと思います。牧野さんの思念は美詞君にだけ送られていたので、恐らく女性に向けて怨霊となった大村に対しての危険を伝えたかったのかもしれません。大村の次に亡くなった女性は牧野さんの忠告ともとれる思念に耐えきれずショック死に近い形で亡くなったのではないかと。一般人が死者の思念に耐えるのは難しいですから。牧野さんは怨霊に転化していたとは言え人を直接害する様子はありませんでした。三人目、四人目は大村の怨霊が手を下したのかもしれません、大村は牧野さんと違い地縛されてなかったので少なくとも三人目は大村の可能性が高い。牧野さんよりも後に転化しているはずなのに穢れは遥かに大村のほうが濃かった」 

「こうなると近年の行方不明者の事件を洗い直すと関係性が出てくるかもしれないな……しかしその犯人は既に滅されている、罪を償わすことすらできないのがね……いや、もう償ったと見てもいいのか」

 

「それでもやっぱり牧野さんがかわいそうです……彼女が最後に『ありがとう』と言ってくれただけのことができたのか……」


 朝倉の言葉に美詞が辛そうな顔で漏らした。

 朝倉もやりきれない思いに溜息が漏れると、目の前にあったカップの残りをぐいっと飲み干す。


「さて、そろそろおじさんはお暇させてもらうよ。また困った事件があったときは助けてもらえるかな?」

「ええ、朝倉さんはご理解があるのでとても仕事がやりやすいですからね。お国のためならばご協力は惜しみません」

「そう言ってもらえれば助かる」


 資料を纏め立ち上がると出口へと向かい扉のドアを開けようとしたとき、ふと朝倉の動きがとまった。 


「そうそう牧野里奈さんだがね、青森にあるご実家に帰られたよ。ご両親は変わり果てた娘の姿に泣き崩れていた……御父君は『あの時私がバカなことをしたばかりに』ととても後悔されてた。手厚く供養することを約束してくれたので、親の元に帰れただけでも……そこに救いはあったんじゃないかな。おじさんはそう信じているよ」


 そう言葉を残し今度こそ出口をくぐっていった。

 朝倉の言葉はきっと、美詞に向けられたものだというのは隣で美詞に向かって慈しみの目で見つめる尚斗の顔からも理解できた。

 死後の存在を救う、現世を生きる人たちだけではなく非業の末に亡くなった人の魂も救う……そういう退魔師の可能性に触れることのできた美詞であった。



― 第二章  完 ―

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