第30話

 鈴の音に乗る浄化の波動が美詞を起点として広がっていく。

 その範囲の影響下に入った怨霊も波動が触れた箇所から飴細工が割れていくかのようにパリパリと黒い怨念が剥がれ飛ばされていた。

 禍々しい雰囲気を放っていた暗がりの一角、その元凶の怨念の塊とも呼べるモノの下から現れたのは虚ろな表情を宿した女性の霊。

 今まで垂れ下がる髪に隠れ見えなかったその顔が晒された瞬間でもあった。


「成功……したのかい?」

「ええ、邪気は消えていますので成功でしょう。意思を読み取れるだけの自我が残ってたらいいのですが……彼女はなにやら美詞君に執着しているようですのでアプローチを待ってみましょう」


 体のその向こう側が透けて見え、虚ろな表情で佇ずむ浮遊霊へと逆転化した彼女の顔がもち上がりその瞳が美詞を捉えたような気がした。


「っ!……来ました。これは……学校?思念を映像にして送ってきているみたいです、神耶さん、すみません無防備になりますのでお願いしてもいいですか?」


 その言葉を受けた尚斗が美詞の傍に寄り体を支えた。


「危険を感じたらすぐ切り離すんですよ?」


 美詞は尚斗の注意に軽く頷くと目を閉じ瞑想に入った。

 一分にも五分にも感じる沈黙が続いた後美詞の目からハラハラと涙が零れ出す。

 次第にそれはすすり泣きに変わり、やがて肩をしゃくり上げるように声を上げる。

 そこまでくると流石に危険だと判断したのか尚斗が動きを見せた。


「祓い給い 清め給え 神ながら 奇しみたま 幸え給え」


 美詞の背後に回り背中に手を置くと短く祝詞を奏上し、仕上げに柏手を打った。

 パンッとという音と共に美詞の目は開き、今までのしゃくり上げが嘘のように元に戻り平常心を取り戻す。

 背後にいる尚斗に振り返り見上げた美詞の顔には未だ涙が残っており表情も沈痛なまま。


「引きずられてましたよ、本当に無茶をする……わざわざ自分から受け入れにいくとは」


 尚斗が言う通り美詞は自分の霊力にわざと空白を作り、思念波が自分に通りやすくしていたのだ。

 一般人がこの状態で霊の干渉を受けると憑りつかれるか発狂して死を招くほどには無茶と言える行為だった。 


「神耶さん……ありがとうございます。でもこの女性の素性がわかりました……そしてとてもひどい最後を迎えています」


 美詞がそう言いながら向いた先にはまだ変わりなく浮遊霊となった女性がゆらめくように佇んでいる。

 ただもう目的が成されたことに満足をしているのかまた虚ろな表情に戻りそれ以上の動きを見せなかった。


「こちらの女性名前はマキノリナさんと言います、記憶の中では周りからそう呼ばれていました。生前は大学らしき場所に通っていたことから恐らく10代後半か20代前半です。ネット上で知り合ったのか新幹線を乗って男性に会いにきたようでした ―」


 美詞の口から語られるのは目の前に佇む霊の死の間際から遡った記憶だろう、断片的な情報から経緯を組み立てて説明している。


「― 男性と渋谷で待ち合わせ会っています。その後食事に行きお酒を飲まされ泥酔状態になったのか、朦朧とした意識の中で男に車で運ばれているようでした。次の場面では既にこの部屋で、男性に凌辱されて必死に抵抗している姿でした。抵抗できぬよう手足を工具のようなもので砕かれ首を絞められ……それは彼女が息絶えるまで続いたみたいです」

「その男とは最初の遺体である大村秀和のことだね?」

「はい、時系列から言ってそうだと思います」

「女遊びがひどいとは思ったが……そこまで猟奇的な男だったとは」

「そしてその男……大村は遺体の処理をこの部屋で行っています……彼女と繋がってみてはっきりわかりました」


 美詞が指を差したのは生前寝室として使用していたこの部屋……その壁側である。


「やはり壁の中に埋めてやがったか!」

「そういうことでしょうね、あの壁を引っ掻く音は石膏ボードというよりはもっと堅いなにかです」

「コンクリートの躯体を斫ると音で住民にバレる……ということはわざわざモルタルかコンクリートを打設したっていうのかい?」

「手間はかかりますがそちらのほうが隠ぺいはしやすいでしょう」

「神耶さん……お願いがあるのです」

「どうしましたか?」

「彼女を送ってあげられませんか?今の私には術具を使い強制的に彼女を祓う力しかありません。神耶さんならば……」

 

 沈痛な面持ちで訴える美詞の言葉に尚斗が柔らかな笑顔を向ける。


「……わかりました、彼女は怨霊と化し人を殺めてしまっています。輪廻に戻るまで時間はかかるでしょうが無事御仏の下に辿り着けるよう送って差し上げましょう」

 

 スーツのポケットから長い数珠を取り出すと手に嵌め、女性の霊の前までいくと真言を唱えだした


「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ―」


 光明真言を何度も繰り返し唱えている内に目の前の霊に変化が起きはじめる。

 ただでさえ透き通っていたその体は次第に薄くなっていき輪郭がぼやけだした。

 また、少しずつ末端から光の粒へと姿を変え空に昇っていくのだ。

 彼女の顔が光の中に溶けていく間際、今まで虚ろだった表情が少し柔らかくなり美詞に視線を送ると口が言葉を紡ぐように動く。

 声として聞こえなかったそれでも口の動きから理解できたのか美詞も柔らかい笑みを送り返す。

 その存在がすべて消えるころには尚斗の真言も唱え終わっており、ジャラジャラと数珠を鳴らしながら黙祷を捧げていた。

 氷点下まで下がっていた温度も原因が取り除かれたことにより徐々に元に戻りつつある。 

 先ほどまでとは打って変わって部屋の雰囲気が変わっていくと、知らない内に隣に寄り沿っていた美詞が尚斗に声をかけてきた。


「無事成仏できたでしょうか?」

「ええ、少なくとも最後は笑顔になれたのですからきっと救われたはずです」

「……神耶さん、我儘を聞いていただきありがとうございます」

「いいえ、これもきっと私達に課せられた義務と言えるのかもしれません。ただ祓うだけでは……寂しすぎますからね」


 感傷に浸っているためか言葉尻が重たくなる。

数珠をポケットに直しながら徐に壁に向かう尚斗は壁をコンコンと叩きだした。

 その音は主に二種類に分かれておりひとつはよく響く音、恐らく中が空洞になっているのだろう。

 そしてもうひとつは堅い壁を直接叩くような乾いた音。 

 叩いては少し横にずれ、また叩いては横にずれ、ある一点で得心がいったのか朝倉に向き直った。


「朝倉さん、やはり壁の内側にありますね。こことそこ、こんなに近い場所に躯体と思われる柱が二本もあります。どちらかが大村が作った趣味の悪い墓標でしょう」

「そうか……業者を手配しないとね。オーナーにもこちらから伝えておこう。後日になってしまっても問題ないかい?」

「ええ、既に彼女の除霊は終わってますので後日改めて僧侶を呼び経を読んでもらってください、供養になるかと。あとご遺体は家族の元へ……は言わなくてもしていただけるでしょうからお任せします」

「ああ、至急身元を調べて然るべき措置をとることにするよ」

「では私は後片付けがありますので先に出ていてもらってもいいですか?申し訳ないですが美詞君、少々喉が渇いてしまいましたので温かい飲み物でも買って車で待っていてもらえますか?すぐに終わると思いますので」

「あの、お片付けでしたらお手伝いしますが……」

「いえ、大した手間でもありませんので今回は結構ですよ」


 そういって財布からお金を取り出し美詞の手に車の鍵と一緒に無理やり握らせる。

 戸惑いと納得のいっていない表情を顔に浮かべた美詞だが渋々尚斗に従うことにした。


「ではいこうか桜井君、自販機までつきあうよ」


 玄関から出ていった二人の背を見送りバタンと閉じられた部屋の中はまた静けさが戻った。

 ふぅっと一息つくと部屋中にある機材をひとつひとつバラしながらカバンに詰めていく尚斗。

 部屋の中で聞こえてくるのはカチャカチャという機材の音だけ。

 ふとその音が止む……尚斗が手を止めたからに他ならないが……


 バチッ


 というなにかが弾かれる音が尚斗の背後で鳴った。

 明らかに異質な現象でありながらも尚斗の顔に焦りはない。

 ゆっくり立ち上がりながらその音を発したと思われる場所に向かい声をかける。


「やはり隙を窺っていましたか。まぁ、あなたなら一人になったところを襲ってくると思ってましたよ?」


 尚斗がゆっくり振り向いた先には


「ねぇ、“大村”さん」


 怒りに満ちた醜悪な表情で尚斗のことを睨みつける大村の霊の姿があった。

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