第21話
尚斗が耳にあてたスマホからはコール音がかすかに漏れていた。
何回目かのコール音の後でブツッという音と共に相手に繋がったのがわかる。
「神耶です、今お時間よろしいでしょうか?」
「遅かったじゃないか、もう少し早くかけてくるもんだと思っていたよ」
電話先の相手は秋田県の桜井大社を纏める桜井宗家の現当主、桜井静江 御年78歳である。
島根の出雲や奈良の春日、長野の諏訪等日本の神域を支える重要な結界の一角を担う歴史ある神社のひとつである。
その中でも桜井家は創建以来途絶えることなく守護してきたことから神道系の中でも力ある家系としての地位を築いてきた。
歴史ある他家は血を途絶すことを避け家柄だけに拘り血脈を繋いできたが、桜井家は実力ある在野の者を積極的に取り込み『価値のない血よりも優秀な実』を体現してきたのだ。
前者は血だけを優先しすぎ能力の質が低下し、まさにハリボテと化してしまった家も多いが後者は未だ隆盛の途中であった。
過去よりそんな大多数保守派の「野蛮で低俗な血の混じった痴れ者」との揶揄する声を力でねじ伏せてきたため、近代ではだれも桜井に逆らえなくなってしまった経緯がある。
電話口の現当主もそんな桜井家を纏めてきた傑物であり、在野の末端にまで支持者が多いことで有名だ。
「その言い分ですと話の内容は想像がついているので?」
「ま、相談にはのっていた当事者だからね。大方美詞に押し切られそうになって最後の一押しを欲しいってところかい?」
「……あなたもご存じでしょう、私の置かれている立場は」
「おや、遠慮しているのかい?、桜井の名はただの飾りだよ。まぁ実力の証という印籠替わりにゃなるだろうがそれだけさね。なによりも重要なのは美詞の気持ちさ。これでも坊やのことは買ってんだからどこに問題がある?」
「私の目的もご存じでしょうに……必要以上に彼女を危険に晒すことになりますよ?」
「男がうじうじと情けない、守ってやるぐらい言えないもんかねぇ。心配すんじゃないよ、美詞には身を守る最低限の術を叩き込んで私が問題ないと送ったんだ。あとはその素質をあんたが開花させてやるんだ、放っといても成長する子だが支柱がなきゃ真っ直ぐ伸びないからねぇ」
「私に教師の真似事など……対極にいるような人間ですよ?彼女の才能ははっきり言って相当のものだ。良い師に巡り合えばきっと先を担う一角になれるでしょうに」
「言っただろう?美詞の気持ちが重要だと。あの子はあんたの傍にいることを選んだ。ぶっちゃけると師弟関係なぞどうでもいいんだよ、だまって傍においてればいいんだ!それにね、これは坊やにとってもいい切欠となるだろうさ」
「……どういう意味です?」
今まで不安の混じる表情と声で語りかけていた尚斗がピクリと反応を示す。
話の顛末を見届けている美詞だが、肝心の静江の声は電話口であるためどのような会話が繰り広げられているかわからないことからハラハラした心持ちで見守っているようだ。
「気づいてないと思ったのかい?最近の坊やは少し余裕がなさすぎだ、事情は察するがこのままだと潰れちまうよ?美詞には坊やが突っ走りすぎないための枷になると思ってね」
「あんた何言ってるかわかってるのか!?これは俺の問題だ!彼女を巻き込むな!」
口調が激しくなったことに美詞の肩がビクッと跳ね上がる。
それに気づいたのか尚斗が慌てて美詞のほうに振り向くと申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「おやおや口調が戻っているね。わたしゃ胡散臭い喋り方よりもそのほうが好みだよ?納得がいかないならあんたから美詞に説明してやんな」
「婆さんに好かれようとは思ってねーよ……わかりました、彼女の意思を尊重しましょう。本当によろしいのですね?」
「くどいよ。坊やは自分の事情に巻き込まない為に美詞を遠ざけたようだけどね、あんたは一度懐に入れればとことん大事にする人間だ。そんな美詞の頼みを無碍にできないぐらいはお見通しなんだよ。それと覚えておきな、女はこれと決めたらすべてを投げ捨ててでも追っかけるんだ。今更逃げようなんて思わないことだね。美詞はほんとうにいい子に育ったよ、まるで昔の私を見ているようだ」
「冗談を。あなたに似るなどぞっとしますね」
「クククッ、こんないい女をつかまえて言うじゃないか。まぁ有象無象どもがうざけりゃ言ってきな、指先ひとつでけちょんけちょんにしてやるさ」
「おっかない婆さんだことで。ではまたなにかありましたらご連絡いたします」
「いつでもかけておいで、年寄の話し相手にゃ丁度いい。そうそう、最後に美詞のことだけどね……」
「……なにかありますか?」
静江が急にトーンを落としもったいぶった言い方をするものなので、尚斗も身構え続きを促す。
「美人に育っただろう?手を出すならしっかり責任とるんだよ?まぁわたしゃ坊やから預かってた子を返しただけだからね、結婚報告はいつでも歓迎さ!」
「~~~~っ!いい加減にしろババア!切るぞ!」
電話口でケラケラ大きな声で笑う声を無視して通話を切った。
癖なのだろうか眼鏡をかけるブリッジの上を指でほぐすように目を閉じ溜息を吐いていた。
そんな尚斗の姿をきょとんとした表情で首をかしげ見つめていた美詞に対しても溜息が漏れそうになる。
スマホをしまうと再度美詞の正面の席に腰を下ろし、一つ咳払いをすると話の続きを再開する。
「まずは驚かしてしまったみたいですみません」
「いえ!少し驚きましたけど、私にはむしろ出会ったころの神耶さんに会えたみたいで懐かしかったです」
「……社会人になりますと色々ありますのでこの口調はそういうものだと思っていただけましたら」
「ふふ、はい大丈夫です!御婆様とほんと仲がよろしいのですね」
「……あれと?ないない、どう見たらそう見えるんですか……」
本人は否定しているが桜井家現当主のホットラインを知る者など数えるほどしかおらず、またあそこまで気安く接することのできる者等身内の外にはほとんどいないので美詞の言うこともあながち間違いではないのだ。
「コホン、では話の続きとなりますが。最後に美詞君に確認をしておきたいことがあります」
「なんでしょうか?」
「私には現在ある目的があり、そのために危険な現場を渡り歩いています。美詞君にはなるべくそういった危険性の高いものは避けるよう配慮しますが、それでも恐らく高い確率で巻き込まれていくことになるでしょう。はっきり言って命の保証ができません。それでもあなたは私の下にいることを選びますか?」
「考えるまでもありません、最低限自分で身を守れるだけの力はつけてきたつもりです。安く見積もる気はありませんが元よりあなたにいただいた命です、すでに覚悟はしてありますので願いします!」
その言葉を聞いた尚斗は目を閉じると軽く思考の中に潜り込んだ。
「……ふぅ(やけに懐かれてしまったな……子供のころの甘えん坊だった子が少し拗らせてしまったか?……この子を助けた時からだいぶ時は過ぎたが……主は放っておいたツケを払えとでも試練をお与えになっているのか?泣けるぜ……まぁ彼女が自立するまではしっかり責任を果たさなきゃいかんか)」
偽蛇神の生贄に捧げられそうになっている美詞を助けたのはいいが、自分の子を平気で生贄に捧げるような毒親のもとに返すこともできずしばらくの間は尚斗が美詞の面倒を見ていた。
少女に名前はなく、心無い言葉ばかり浴びせられた中で育ち人間の醜い部分だけを見てきたこの子に「美しい言葉で溢れたこの世界を知ってほしい」という願いを込めて《美詞》と名付けたのも尚斗だ。
常に尚斗の服をつまんでは離さなかったことからなかなか任務に赴くこともできなかったが、それでも桜井に預けられるまでは学生の身にも関わらず兄代わりとして家族の真似事に奔走していた。
街に出ては目をキラキラさせ、食事をしに行けば涙を流しながら頬張り、おもちゃを買いにいけば右往左往と一時間も悩み、新しい服を着せれば喜びからくるくるとまわり、菓子を与えれば華が咲いたかのような笑顔を見せた。
いざ桜井に預けられる時には大泣きしてなかなか離れてくれなかったのもいい思い出である。
婆様から美詞が尚斗ロスを起こし精神的に不安定になっていると聞けばなるべく顔を出し土産を手に一緒の時間も作った。
美詞が10歳になるころには精神的にも落ち着いてきたため、いつまでも離れられないのはいけないと定期的にプレゼントを送るに留めていたが……
尚斗もずれていたのだ、そんなの懐かれても不思議ではない。
尚斗は知る由もないが美詞にとっては尚斗は初めての特別な人間なのだ。
本当の家族というものを知らず育ってきた幼少期の美詞にとっては初めて愛情を注いでくれた人物、短い時間ではあったが鮮烈に脳裏に焼き付けられ決して忘れられない記憶でもあり、もし兄がいたのなら家族がいたのならと思える大切な人。
それは桜井家に引き取られた後も変わらず、尚斗から買ってもらった「似合うよ」と言ってくれたもう着れない服も、一緒に遊んだもう使わなくなったおもちゃも、忙しい中我儘で来てもらい一緒に絵を描いて短くなってしまった色鉛筆でさえ美詞にとっては宝物であり今も大事に想い出と共に仕舞われている。
桜井の実家に保管している大量の想い出が仕舞われた段ボール達の保管場所に婆様が頭を悩ませているのは余談であるが。
「兄離れ」と思って距離を置いた尚斗であったが美詞にとっては尚斗と過ごした時間は色あせることなく募るばかりで、婆様から「尚斗は仕事で世界中を飛び回り人々を助けている」という言葉を聞くとその場で未来の目標を決めてしまったぐらいだ。
修行にも真摯に取り組み、寂しさも原動力にして尚斗に並び立てる未来を夢みて今日までがんばってきたのだ。
このチャンスは逃せないとばかりに迫ってきても仕方のないことだろう。
閉じていた目をゆっくりと開け美詞の真剣な目をしっかり見返すと
「わかりました、あなたを弟子として受け入れましょう。しかし美詞君はまだ学生です、今はしっかり学園で学び卒業してから「いえ!今すぐがいいです!」でも遅く……マジですか?」
尚斗の良識をもった説得も被せられるように放たれた美詞の言葉で口調が怪しくなる。
「御婆様から徒弟制度というものがあることを聞きました、未成年で学生であっても徒弟制度を使えば御婆様が許可を出せるからと」
「あの婆さんどこまで仕込みやがった……」
脳裏に静江のふぇふぇふぇという妖怪じみた笑い声が響いた気がした。
「はい、こちらがその書類です」
「準備いいなぁオイ!!」
きょとんとした顔で首をかしげながらあどけなさにあざとさを混ぜたような表情はついに尚斗の口調を陥落させた。
脳裏では静江が更に大きな笑い声をあげたような気がしてならなかった。
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