第二章 ダイイング・メッセージ
第20話
季節はまだ4月の終わり頃というにも関わらず、近年では地球温暖化の煽りか夏日にも似た気温の高さがちらちら顔を覗かすこのごろ。
少し暑さを感じながらもまだ湿度がないため爽やかな風を感じられる雲のない快晴の中で、少女は胸元のリボンが映える白いワンピースタイプの制服を身に纏い裾の広がったスカートを揺らしながら商店街を歩いていた。
学園の最寄り駅より二駅ほど離れた比較的栄えた町。
駅前には商業ビルが何棟か立ち、ニュータウンも近くにできたことから次々新しい商業施設が参入してきている。
今歩いている商店街も新規参入者に負けじと企業努力をしているのだろう、シャッター通りとならずにほとんどのお店が活気よく営業していた。
そんなところを下手なアイドルより見目のいい女生徒が清楚系アイドルのステージ衣装にも似た宝条学院の制服で歩いているのだ、道行く人たちの中にもちらちらと美少女に目を移しているのが多く見受けられた。
そんな視線には慣れているのか気にした様子もなく、学園付近の駅前ではあまり見られないようなまた違った雰囲気に新鮮味を感じつつも商店街を抜け、近隣商業施設を少し外れぽつぽつと見える比較的背の低いビルの一つの前で立ち止まった。
5階建ての比較的こじんまりしたビル、一階には有名なコンビニチェーン店が入り綺麗な外壁塗装で維持しているが建物のデザイン的に古さを隠しきれていない。
事前に住所を登録していたマップアプリを再度確認し、目的地に間違いがないことを確認するとビルの入口へと身を進めた。
― チーン ―
止まったエレベーターの階層パネルは3階を表示しており古い建物特有の少し重たい音を響かせながら開いた扉から廊下へ出ると、すぐに見えてきた事務所の入口ドアの前で立ち止まりプレートを確認した。
【神耶総合調査事務所】
ふと鏡面に仕上げられた建物の細い建具に気づくと自然にその前で我が身を写し身だしなみを整える。
そこには少しの緊張をはらみつつも、それを超える期待感ににやけそうになっている美詞の顔が映っていた。
ふぅっと軽く息を吐き軽く気合を入れ直すと来客を告げるためインターホンを探すが見当たらず、仕方なくドアをコンコンとノックする。
― はい、どうぞ ―
中から聞こえる返事にドアノブを捻り扉を開けると
「失礼します」
と伺いをたてながら事務所の中へ身を滑らせた。
正面にいる人物は少し驚いているのか思わぬ来客者に瞠目しているようであった。
(あ、神耶さんのスーツ姿……すごく似合ってる。なんか違う一面を見れたかも)
デスクに腰掛ける尚斗はネクタイを締めぴっちりとスーツ姿で固めていた。
髪型も以前のようにカツラを脱いだ直後のボサっとしたものではなく、しっかり整えられシャープな眼鏡が更にスーツに合わせたかのように似合っていた。
「美……桜井君ではないですか。たしかに困ったことがあればと言いましたが……こんなに早く訪ねてくるとは予想外でした」
「いきなり申し訳ありません。あ、改めまして先日は助けていただきありがとうございました」
「いや、いいのですよそんなに畏まらなくて。仕事でもありましたので気になさらないでください。で、本日どういった要件でこちらへ?」
「はい、実は神耶さんにお願いごとがありまして……」
「ふむ、そうですか……すみません、詳しくお話をお聞きしたいところではあるのですが、実はこれより来客がありましてそれ以降となってしまいますがよろしいでしょうか?」
「……あれ?……えっと御婆様よりこの時間に伺うよう言付かったのですが、まずかったでしょうか……」
「……あー……そういうことでしたか、大丈夫ですもう解決しました。おっと女性を立ちっぱなしにさせてしまいましたね、どうぞそちらにお座りください」
「え?あ、はい。ありがとうございます」
あれ、来客はもういいのか?と少し意味が理解できなかった美詞であるが尚斗に促されるまま応接用ソファーに腰を下ろした。
「お茶かコーヒーどちらがよろしいですか?」
「あ、ではコーヒーでお願いします」
飲み物を準備しにいくのだろう、給湯室のほうに姿を消していった尚斗を目で追いつつ、ついでに事務所の中を見渡してみた。
先ほどまで尚斗が座っていた装飾の施された少し大きめの重厚な木製デスク、その近くに一般的な事務机とたくさんの書類が収められた書庫が3架ほど、そして自分が座っているこの応接セットに観葉植物と必要最低限のこじんまりした間取りとなっていた。
尚斗が座っていた以外のデスクには使用されているような痕跡がなく、ただパソコンだけが置かれているだけのところを見るともしかしたら事務所には一人だけなのかもしれない。
静かな事務所でそわそわしながら尚斗を待っているとほどなくして二つのコーヒーカップを持ってこちらへやってきた。
ひとつを美詞の前へ置き正面へ座ると
「すみませんね、本日の来客は桜井君のことだったみたいです。なにしろあの婆様、仕事の依頼と言いつつ誰が来るか教えてくれなかったものですから」
そう言いつつ困ったように眉尻を下げると苦笑いをこぼした。
「あ、こちらこそすみません。実はお願い事の件を御婆様に相談したところ神耶さんに伝えておくからと……」
「こんな悪戯を仕込むのはあの人らしいと言えばいいのでしょうか……どうぞ、冷める前に」
勧められたコーヒーのカップを顔の前までもってくると、コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐった
「あ、いい香り……」
「コーヒーの良さがわかるほどに成長したのですね。実は豆には拘ってましてわざわざ贔屓にしているお店のオリジナルブレンドを分けてもらってるのですよ。……それにしても高校生でブラックですか、すごいと言われません?」
「ふふ、甘いのが好きなのでお口直しに飲んでいたら自然と飲めるようになっちゃいまして。紅茶もコーヒーもそのままが一番すきです」
カップに口をつけ微笑む美詞をまた以前のような慈しむような表情で微笑み返してくる尚斗に対し、恥ずかしさがこみ上げたのだろうか慌てて話を切り出す。
「あ、えっと今日尋ねさせていただいた件なのですが」
「はい、なにやら私にお願い事あるとのことで?」
「実は……」
なかなか言い出しづらいのだろうか、ためらいつつも改めて意を決したように言葉を続ける。
「……わ、私を弟子にしていただけませんか!?」
「…………はい?」
尚斗がとまった。
美詞は尚斗の反応を窺っている。
両者の時がとまり事務所内に微妙な静けさと気まずさが漂ってくる。
「……返事をさせていただく前に事情を聞かせてもらえますか?」
「実力不足を感じたから……とか色々理由を並べてみたんです」
「それはどういう……?」
「でも結局は私自身が神耶さんと一緒にいたいからというのがすべてです」
「……だからそう誤解を招くような言い方をどうにかしなさいと……」
美詞に自覚はない、だれが見ても恋する乙女のような行動力ではあるが色恋事ということに疎い彼女がただ本能で突っ走った無自覚行動なのである。
尚斗自身も鈍感なわけではないため彼女が自身に向ける感情に色が含まれていないことがわかり注意を促している。
頭痛がするのか眉間を揉みながら言葉を続ける尚斗。
「言葉を端折りすぎですよ?もう少し詳しく教えていただけませんか?」
「私は……まだ狭い世界しか知らない幼い頃に神耶さんに助けていただきました。あの光景が今でも鮮明に残っているんです。そしてあなたみたいな存在になれることを目標にがんばってきました。幸い適正はありましたので退魔師としての道を進むことができたのですが、今後学園を卒業しましたらだれかに師事していただくことが必要となってきます。私は……誰かの下で教えを乞うなら……神耶さんの下でしか考えれません!」
「こらこら、結論を急がないで。桜井さん……いや桜井君……うーん、呼び方がなかなか慣れませんね……すみません、桜井となるとどうしてもあの婆様の顔がちらついて」
また先ほど見せた少し困った顔を覗かせると頭をかきだした。
「あの、でしたら昔のように呼んでいただけないでしょうか?」
「美詞ちゃん……ですか?うーん……年頃の女性に対しその呼び方が許されるのは友人か身内ぐらいでしょう。美詞さん……美詞君……あまり褒めた呼び方ではありませんが君付けで呼ばせていただきます、それ以外だとどうしても周囲に誤解を与えかねないので」
「(ちゃん付けでも呼び捨てでも……呼び捨て……いいなぁ)」
再度言うが美詞に自覚はない。
「まずかったですかね?美詞君?」
「あ、いいえ!それでいいです!(名前で呼んでもらえたし……今は……)」
「なにやら言葉尻に不穏な気配を感じましたが……いいでしょう。少し脱線してしまいましたが、なぜ私の下なのでしょう?私はたしかに神道系をかじってはいますが専門家とは言えません。ましてや潜在能力で言えば恐らく美詞君のほうが上かと思います、もっと能力の高い方に師事を乞えばよろしいのでは?」
「いえ!神耶さんはすごいです!先日の戦いはとても感動しました!御婆様から聞きました、神耶さんは私と出会ったあの頃よりも以前から実践で鍛えられ、その後も色々な国を回り難事件を何度も解決し世界中から信頼されていると。私自身が神耶さんの隣でご一緒できたらそれ以上に勝る経験はありません!」
「……過剰評価だと思うのですが。それにこれは恐らく一番の問題となるのですが、私は日本では爪弾き者扱いです。特に古式有力氏族からは蛇蝎のごとく嫌われています。そんな私の弟子になりますと、きっと君の光ある未来に影を落とすことになってしまうでしょう。君は桜井家の後継者の一人なのです、約束された道を踏み外す必要はありませんよ?」
「桜井家は関係ありません!御婆様のことは尊敬していますし桜井の方々にもよくしてもらいここまで育ていただいたことに感謝しかありませんが、桜井の名に未練はありません。御婆様には『大きな決断をするとき桜井の名が邪魔になるなら迷わず捨てな』とも教えられてきました。私が私である限りあなたについていきたいという気持ちが消えることはありません。どうかお願いします!」
美詞の決意の籠もった視線が本気だということを悟り目を閉じ思案する。
とても頑固に……いや、芯の通った子になったものだと感慨深い気持ちになりながらも、諦念に傾いている自分に驚き甘くなったなと溜息を吐く。
「……少し電話をする時間をください」
そう言ってソファーから立ち上がると窓際まで移動し電話を取り出した。
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