第18話
「てめぇ……今のは……」
藤林が悪魔の力を行使し尚斗を屠らんとするが、一言……たった一言呟いた尚斗の言葉だけで無に帰した。
「確かに悪魔の力を使えてはいるようですね。しかしまだ気づきませんか?……あんなちっぽけな贄だけで悪魔の業が使える?冗談でしょう?そもそも人の身では悪魔の力を受け止めることなどできないのですよ。あなた悪魔の力を行使するのになにを捧げているのです?」
「は、ハッ!そんなの最初の契約時に贄として生気を捧げる代わりに力を与えると―」
「ああなるほど。まんまと悪魔に騙されましたね?」
「おれは騙されちゃいねぇ!贄も捧げている、力も使えている!それで契約は成り立ってる!どこがおかしい!!」
「言ったでしょう?人の身ではそんな力を行使できないと。ならなにを対価に行使できているのか。あなたが定期的に納めている少量の生気?いいえ、その程度ですと悪魔から技を使用する方法を教えてもらう程度にしかなりません。人の霊力では悪魔の技を起動する事が出来ないため起動用の魔力にはまた別の対価を求められることでしょう。要は購入代金と使用代金は別という訳です。むしろそちらのほうがより多くの対価を必要とするため『魂』や『命』を質に入れるのですが……あなたそのあたりの取り決めを行いませんでしたね?」
「な……にを……言っている?」
ここで初めて藤林の顔色が変わった。
頬を伝う汗が焦りの度合いを高め、尚斗の言葉が改めて耳より更に奥の頭に浸透しだした。
こうなると藤林の頭の中は疑惑と焦燥がぐるぐる渦巻くようになり次第に呼吸が荒くなってくる。
「簡単なことですよ。取り決めの行わなかった事項の契約対価は悪魔の手に委ねられます。さて、あなたは今まで何度悪魔の力を使いましたか?あなたの寿命はあとどれほど残っているのでしょうか?それとも取立はあなたが死んだ後の魂からでしょうかね?」
「う……うそだ……嘘だ嘘だ!くそ、おれを騙していたのか!?間違ってなかったはずだ!」
「哀れな……あなた自分で最近やけに攻撃的な性格になったと感じませんでしたか?当初は悪魔の誘いに注意もしていたが今ではすんなり信じている自分がいませんでしたか?悪魔はゆっくりとあなたを堕落させ、思考を奪い、破滅を唆してきます。今回の計画は本当にあなたが吟味し慎重を重ね実行したものですか?私にはこんな杜撰な計画、意図的にあなたを破滅へと導いているとしか思えませんが。そうして捨て駒にされ魂を搾取されるのでしょうかね」
「あ……あぁ……そんな、だがおれには……引き返せな……」
尚斗の言葉が紡がれていくに比例し藤林の顔がどんどん青ざめていく。
呼吸は更に浅く荒くなり、フルマラソンを走った後のように肩を上下させていた。
「まぁお待ちなさい。あなたにはまだ道が残されています。既に失った寿命があるならそれらは戻せませんが、寿命も魂もこれ以上悪魔に搾取されない方法はあります」
「……なんだと?」
「契約した悪魔の『名』を教えなさい。私が救ってみせましょう」
「上から目線で適当なことを抜かすな!出来損ないの犬に一体なにができる!ここには悪魔をどうこうできる術者がいねぇのは調べがついてんだよお!契約違反は魂をとられる!」
「そこであなたに朗報です」
テレビショッピングのような口上を述べると尚斗がどこからか取り出したのか手には分厚い本が握られており、もう一方の手で首からかけていたネックレスを作業服の胸元から取り出す。
「実は私、副業で悪魔祓いをやっておりまして。これでも正式にローマ教皇より拝命された第五位階の特別なエクソシストなんですよ?迷える子羊よ、どうぞお見知りおきを」
胸元から取り出したネックレスのトップには片手の中に納まるほどの小振りな漆黒の十字架、十字が交差する真ん中には茨の冠と金色の鳩がデザインされたものが彫られている。
「私ならばあなたを救って差し上げられる。さぁ迷いを捨てなさい、あなたの前には今罪を洗い流すための光の道が示されました。彼の者の『真なる名』を教えるのです」
「え……くそしすと……お……おれは、戻れる?なにから……いや……復讐しなければ……ここで引き返すなど……そ……うだ……そうだ!神に跪く足などもってはいない!悪魔に魂を売ったときに覚悟は終えた、必ずやり遂げると!」
頭を抱え震える藤林の様子が変わってきた、それまでチンピラ然といった悪辣ではあるものの軽い雰囲気のあったものから、激情に身を焦がす復讐者へと。
「あらまぁ……読み違えましたかね。当初の目的すら歪められ堕落させられていたクチですか。やはり私にはこの方法は合いませんね、司祭の真似事は苦手のようだ。彼らの偉大さが身に沁みますよ」
おそらく当初は何らかの復讐に身を落とし悪魔と契約したのだろう、しかし悪魔に唆されるうちにその目的すらぼやかされ気が付けば生かさず殺さずの駒にされていたようだ。
しかしそれも美詞という極上のエネルギーに目をつけると、不要となった藤林からも雑に「取立」を行おうと誘導したのか。
そんな藤林の原初の激情を呼び戻したのだからある意味素質はあるのかもしれないが、司祭ほど敬虔な信徒でもない尚斗にとって人を導く神父の説教等ガラにもないのかもしれない。
「そうだ!おれは復讐を誓って悪魔と契約したんだ、なぜそんなことすら忘れて……うっ……ぐっ……ぎぎぎ」
人が変わったかのように様子が激変した藤林が更に転調する。
これから復讐心に目覚めた彼との熱いバトルという展開になりそうだったものが、途中で割り込みをかけられたかのように藤林は頭を抱えうめき声をあげながら蹲ってしまった……かと思うと次の瞬間には震えていた体もピタリととまりうめき声もスンっと消えゆっくり立ち上がるではないか。
目のハイライトは消え意思が消失したかのような顔の表情には生気が宿ってないようにも見える。
「おや?このままだと都合が悪いと意思を封じましたか?こちらとしては誘き出す手間が省けたので楽ができるのですが」
「『よくもやってくれたな。あと少しでこの者の魂は我がものとなったであろうに。なにゆえ我の邪魔をする、大人しく搾取されておればいいものを』」
藤林の口から紡がれる言葉、しかしその声は藤林のものではなく低く耳障りで嫌悪感を塗り固めたような声であった。
「いえいえ、私共はあなた方の餌ではないのですよ、好き勝手されては困る。あなた方がこられるとこの世の秩序が更に乱れるのでぜひ遠慮願いたいものだ。さて、本命のお目見えとなりましたので問答は必要ないでしょう?さっさとその体から立ち去りなさい」
言うや否や相手から返答もなく攻撃が仕掛けられた。
先ほど藤林が見せた攻撃を蒔き直したかのように黒い魔法陣が空中に浮かび上がると、背後に暗い闇が発生しまたもや闇に塗りつぶされたような蛇が這い出てくる。
それは先ほどとは比較にもならないほどの数と大きさ、輪郭がしっかりしていることから力の凝縮具合も上がっているに違いない。
それらの夥しい量の蛇達は甲高い奇声を発しながら矢となり尚斗を飲み込まんと群がった。
「神よ信仰の
群がる狂気に慌てもせず聖言を紡ぐ尚斗、手に持つ聖書がその声に応え自然にめくれ上がると光の防壁が構築される。
尚斗に群れてきた悍ましい蛇はその光に触れると次々と灰になっていった。
「『忌々しいやつめ……お前達はいつもそうだ、神よ神よとほざきながらいつも我らの邪魔をする。せっかくバチカンの力及ばぬ極東にまできたというのに台無しではないか』」
「それはそれはご苦労なことです。最近外来種であるあなた方がゴキブリのように増えてきて困っているのですよ。わざわざ日本語まで覚えてきてなんとも勤勉なことだ、どうでしたかひらがなは?漢字なんて難しかったでしょう?」
「『キ……キサマッ!ユルサンゾ!コノワレヲブジョクスルトハ!』」
「おや?感情が高ぶると発音が怪しいですね、まだ勉強が足りないのでは?しっかりマスターしてからお出で下さいな。まぁ帰しはしないんですけどね」
悪魔を煽りに煽り、なにかに納得したのか尚斗が次のアクションに入る。
「天にまします父よ 我らの罪を許したまえ 試みに遭わせず悪から救いたまえ 御力により我が戦いを助けたまえ」
「『これ以上させると思うか!!』」
悪魔がこれ以上尚斗になにかをさせないため攻撃の手を増やすが、防壁は破れない。
槍しか持たぬ歩兵を前にそびえ立つ城壁はビクともしなかった。
「止めれると思ったか?と言って差し上げましょう」
そういうと仕上げとばかりに胸の前で十字を切ると、次の瞬間
バサバサバサ
聖書のページが装丁より抜け出し尚斗を中心に広がり、光を放ちながらそれぞれ鳩に姿を変え飛びだっていく。
それらは四方に散らばり光の尾を引きながら体育館中を隈なく飛び回るとやがって弾けるように消え、その場に残されたページらが尚斗に向かい渦を巻きながら装丁に納まっていった。
その光景を見守っていた者達の頭の上には疑問符が浮かぶ、相手を攻撃したわけでもなく状況が変わったわけでもなさそうだ。
マジシャンがハットから取り出すように、ただ鳩が飛び立ち元に戻った……ただそれだけの事実しか視覚効果から得られる情報がなかったからだ。
しかし感覚の鋭い者ならば気づいたであろう、今この場が清浄な力により守られているかのような安心感を与えてくれたことを。
悪魔からしてみれば構えていたわりには、居心地が悪くなったぐらいにしか変化がなかったため困惑しか覚えない。
「『一体なにをした!この不愉快な空気はなんだ!』」
「これで確信ができました。まぁいいでしょう、先にご説明します。あなたがこの場を吸生の儀式場にしたように、光の儀式場に転化いたしました。一時的な即席の教会みたいなものです、人間にとっては安らげる場所になっただけですが悪魔であるあなたは別だ。内に向いた結界でありあなたを閉じ込めるための檻となった。あなたが本体であれ分体であれもう逃がしはしない、覚悟することだ」
「『大きな口を叩きおったな、公爵たる私に向かい―』
「大きく出ましたね三下が」
「『キサママダワタシヲブジョクスルカ!!』」
「いいことを教えてあげましょう。爵位が高いものはそこまで沸点は低くありません。あなたほどおしゃべりでもありませんし爵位を軽々しく口に等しない。悪魔祓いの技を知らなさすぎるのも問題だ。そしてなにより……存在感が弱すぎる。さしずめ最下位爵級、下手すれば爵位すら持たぬ有象無象といったところですか」
「『ドコマデモコケニスススルルル!!』」
言葉が崩れかけ額に血管を浮かせ唾を飛ばしながら激昂する悪魔は不愉快な挑発を垂れ流す目の前の敵に向かい力の塊をぶつける。
大きく振りかぶった右拳を前に突き出すと、それに倣い腕の横の空間から大きな腕の形をした瘴気の塊が飛び出し尚斗に襲い掛かる。
まさに巨人の一撃と言えるようなパンチが防壁と衝突し力の奔流となり大きな音を立て衝撃をまき散らす……が、それでも光の障壁は崩れない。
初撃で破壊できなかったと見るや、今度は左手を同様に繰り出し、また右手を繰り出しと次々に攻撃を加えるも……やはり崩れない。
「『ナゼダ!ナゼコワセヌ!』」
「不思議ですねぇ、ナゼでしょうかねぇ、自分で考えてみてください」
そういう尚斗を守っていた光の防壁の内側に帯状のものが一層光っているのが見て取れた。
複数の輪となり構成されたそれはよく見ると文字列の集合体となっており、あまり見慣れない文字であったが歴史や神秘を学ぶものにとってはそう珍しくもない文字だったため ―
「そんな!ルーン文字!?」
― その答えは悪魔ではなく生徒の驚きの声の中から出てきた。
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