第17話

 藤林との戦闘で霊力を限界まで絞り出し、力尽きたかのように座り込む美詞には三人が交わしている会話が頭に入ってこなかった。

 会話の内容自体はわかるがそういう事ではない、美詞の視線を奪い独占するのはただひとつ……いや、一人のことしか目に入っていなかった。


「あ……あぁ……」


 美詞の口から言葉にならない声が自然と漏れ出す。 

 体育館の扉を結界ごと破ってきた男、それはここに集まる者達がだれも予想だにしていなかった者、学生でもなく教師でもなく……作業服を身に纏った臨時用務員の男だったからだ。

 しかし美詞が言葉を忘れるほどに驚いていたのはそんなことではない……なぜ彼がここにいる……いや、なぜ今まで気付かなかったのか。


 キュッ キュッ キュッ


 目を大きく見開き固まる美詞のもとに近寄ってくる用務員の姿に幼いころの遠い記憶が想起される。


 あの生きることにも悲観し、選ぶことのできない死を目前にして絶望を目の当たりにした暗い森の中で―


 ―《大丈夫か?お嬢ちゃん》

「大丈夫ですか?美詞ちゃん……おっと、もう成長した君には失礼になってしまうかな、桜井君」


 理不尽に散らされる運命にあったあの幼き頃の私を―


 ―《よくがんばったな、もう大丈夫だ。あとは任せな》

「よく耐えましたね、もう大丈夫ですよ。あとは私に任せてください」


 物語のヒーローのように脅威を屠り、自分を拾い上げてくれたあの頃の彼のことが今、目の前の男と重なる。

 口調は変わってしまっているようだが懐かしい声、彼はあの時と同じような言葉をかけ、倒れた私に向かってあの時と同じように手を差し伸べてくれている。

 セピア色の記憶が急激に色づき始め、あの頃から止まっていた歯車がかすかに動き出した。


「……神耶……さん?……」

「はい、お久しぶりですね。お元気そうでなによりです……とは言えませんね。成長したあなたに賛美を送り再会を喜び合いたいところではありますが、今は……立てますか?」

「あ……はい」


 まだ状況が追いつかない頭の中は一旦置いておいて、慌ててあの時と同じように差し出された手をとる。

 引かれる手の大きさも、立ち上がった時の彼を目の前にした視線の高さも変わったが、それでも前髪の隙間から覗く彼の自分を慈しむような目は今も昔も変わることはなかった。


「あ、ありがとうございます……じゃなくて!あの!本当に……神耶さんですよね?」

「え?あぁ……調査中でしたので変装したままでしたね」


 そう言いながら男は頭に手をやるとボサボサ髪のカツラを外した、そしてやぼったい黒縁眼鏡を外すとポケットから取り出した別の眼鏡をかけなおす。

 カツラの下から出てきた髪型は変装前と大きくは変わらないが、少々くせっけが残るやわらかそうな地毛が現れると目元が露になり清潔感が出たぐらいであろうか。


「そういうわけではなく!って……え?それだけ?」

「え?」

「ほとんど変わってないというか……あ、いえ、変装の事を聞きたかったわけではなく……」

「ははは……え?そんな……まさか……」


 そこで生徒達をまとめていた伊集院の声が割り込んだ。


「なにを遊んどるんだ。だから言っただろう神耶、おまえの変装はド下手クソだと。私の忠告通り認識阻害をかけていなかったら即刻バレていたぞ?大方桜井君がおまえに気づけたのも認識阻害を既に切ってるからだろうが」


「そんな……渾身の出来だったのに……」

「いや……あの……ごめんなさい?」

  

 なんとも締まらない……幼い頃より憧れ目標にしてきた恩人との再会だというのに……。 

 こんなコントじみたやりとりでは感動の再会が台無し、できればテイクツーでやり直したいほど……しかし一部に和やかな空気が流れ出しているが、空気を読んでいたかのように忘れていたものが動かない訳がなく。


 ガタ……ガタッ ガラガラッ ガシャン


「おっとここまでですね、桜井君はみなさんと後ろに下がっていてください」

「はい!あの……あとで……再会のやり直しを……いえ、お気をつけて」


 不満の色を含んだ“何か”を言いかけた美詞であるがそこは空気が読める子、言葉を引っ込めると話を見守っていた夏希が美詞に肩を貸し後方に下がっていくのを見届けた後、神耶と呼ばれた男が音の元を辿ると鉄扉に下敷きになっていた藤林が這い出し立ち上がったところであった。

 その形相は明らかに怒りに染められていたが、目の色も変わりどこか人間から離れた表情にも見える。


「てめぇ……てめぇぇてめぇぇテメェェェ!!!!ふざけやがってなに呑気にしゃべくりたおしてんだぁっ!!許せねぇ……おれの計画つぶしやがったなぁぁっ!!」

「やっと起きましたか。汚い言葉でわめかないでください、癇癪を起こした子供のようですよ」

「悪魔と契約をしてまで練った計画だったんだ……順調にいってたんだ……あともう少しだったんだ!それをてめぇわぁぁ!」

「せっかく煽ってあげたのに会話がドッジボールになってますよ?理性が飛んでますねぇ、『順調に』ですか……とても正気の沙汰とは思えませんがなにが順調だったのでしょう?」

「あぁん!?こちとら時間をかけて入念な準備を整えて実行に移したんだぞっ!てめぇさえこなければ!!」

「わたしが来なければ?それは買いかぶりでしょう。既にあなたの仕出かしてきた事件は犯人特定までもう一息といったところでした。仮に今回のことが成功したところで犯人特定が決定的になっていただけですよ、我が国の調査機関をあまり侮らないことだ」

「我が国の調査機関だぁ?……てめぇ、どこかで見たことあんな……どこのもんだ」

「おや、これ自己紹介パートというやつでしょうかね?では改めまして名乗らせていただきましょう。私退魔師をしております神耶尚斗(かみや なおと)と申します。嘱託でしてねぇ、今回は国家機関の立場で事件の調査を行っておりました。まぁあなたとの今後はないので覚えてもらわなくて結構ですよ?」

「……てめぇだったのか『墜ちた政府の犬』(ドッグ)め。出来損ないに邪魔されるなんざ我慢ならねぇ、覚悟はできてんだろうな!」

 

 藤林が口にした「ドッグ」という言葉に後方からざわざわした声が聞こえてきた。


 ― ドッグってあの? ―  ― 神耶家の落ちこぼれだろ? ― 

     ― この業界から追放されたってきいてたのに ―  ― なにしにでてきたんだよ ―


 次々と繰り出される聞くに堪えない尚斗への陰口に美詞は顔をしかめて発生源を睨みつけたが、気まずそうに顔を反らすだけで効果はなく、いたるところでひそひそと陰口は繰り広げられているようであった。


「あなたも私を犬と呼ぶとは『そちら側』ですか……だから視野狭窄なんでしょうねぇ。あなたも『自分のやることは絶対に間違えようなどない!』と思っている方ですか?だから悪魔にいいように使われるんですよ」

「だまれよドッグ!てめぇごときが生意気な口たたいてんじゃねぇ!おれはな、悪魔と対等な契約を交わしてるんだ。好きなように使われてる悪魔崇拝者共と一緒にするんじゃねーよ!」

「哀れですねぇ、自分では気づいていないのですかこんな無茶苦茶なことをしておいて」

「はんっ!キサマの戯言なんぞ―」

「聞いたほうがあなたのためですよ?」

「なぁんだと?」


「おっと、その前にそろそろ大丈夫ですかね」

「あん?」


 会話を一旦中断、後方を一瞥し確認した尚斗は一枚札をを取り出すと後ろに向かって軽く放り投げた。


「これで最後の一枚です。急急如律令【四神護方陣】」

「てめぇ!時間を稼いでやがったな!!」


 慌てたように再度悪魔の力を行使した藤林は一団に向かい次々とガラクタとなり果てた廃材らを飛ばす。

 広範囲に散らばったそれらが齎す結果に悲鳴をあげ目を背ける生徒達が多数現れたが。

 

「無駄です」


 体育館後方に避難していた生徒達に到達する目前で、そのすべてが術の力により防がれていた。

 それは美詞が張った結界をはるかに上回る広範囲をカバーしたものであり、前方で対峙しあっている二人を除いたすべての者が守りの対象となった結界であった。

 最後の一枚と言ったのは、この結界四方の基点を設置する必要があるため先ほど伊集院との会話の途中で3枚の符を彼に渡し、自分からは遠い三方の起点に救護途中でこっそり設置してもらうよう頼んでおいたからである。


「いやぁ、あなたが冷静でなくてよかった。では後方の安全が確保できましたので話の続きといきましょうか」


 いまだに新しく生まれた結界に向け攻撃を続ける藤林であるがまったく効果のない様子に忌々しそうな顔を尚斗に向けてくる。

 美詞を追い詰めていた藤林の攻撃をいとも簡単に防ぐ広範囲に及ぶ結界を、事前に準備していたとはいえ一小節の詠唱で行うのだから「出来損ない」とは一体なにを指すのかと問いたくなる。 


「では藤林さんここで質問です、そもそもあなたは疑問に思わなかったのでしょうか?安全にターゲット一人を確保するならこんな大がかりにやらかす必要なんてありません。たとえ後処理ができたとしてもリスクのほうが高いでしょう。私なら一人になったところを安全に誰にも見られることなく事に及ぶに一票入れたいところですが……いつまでも隙の見せないターゲットに痺れを切らした悪魔から『事後処理は私に任せておけ』とでも唆されましたか?記憶処理と言ってましたができませんよこんな大勢に。高爵位級の悪魔が直接降臨して行使するならともかく、契約で力を引き出したぐらいのあなたでは無理です」

「出鱈目ぬかすな!ザコのてめぇとは違うんだよ!」

「ほぉ、昏睡事件の被害者は24人……それ以外目立った不審死等は出ておりません。あなた人を殺めていませんね?生気……いわゆる生命エネルギーを搾取したぐらいでしょう、悪魔がそんなチープな対価で納得すると本気で思っているのですか?」

「それがなんだってんだ!最初からそういう契約だ、おれはなぁこれからも表の世界で生きていくんだよ。死人なんて出したらバレるリスクがたけーだろうが」

「あなたは悪魔のことをなにもわかっていない。やつらはそんなもので満足などしませんよ。悪魔はね……魂で契約をするんです。その場で寿命や命、死後の魂を捧げる必要がある。何の対価もなく他者の生命力の一部だけでそんな力が行使できると?ちゃんと勉強しました?」

「あぁ!!?できてんじゃねーかよ!ちゃんとっ、この通りっ、使えてんだよっ!」


 藤林の後方から魔法陣と共に黒い靄が発生し、その中から早い速度を伴って現れた禍々しい数匹の蛇らしきものが尚斗に襲い掛からんと殺到した。


「……光よあれ」


 目の前まで迫った暗い闇を纏う蛇による脅威も、尚斗が発した言葉一言で霧散した。

 ありえない……そう感じた藤林の目には尚斗の飄々とした姿が不気味に映った。

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